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天丼も美味しそう


天冨良 大坪
東京都中央区銀座一丁目五番地一号 第三太陽ビル二階 TEL 03-5250-0317
ランチタイム 12:00−14:00

 画廊が林立する銀座、この第三太陽ビルも画廊が、ひい、ふう・・・。その二階に位 置する大坪さんは、作家の方や画商さんが足繁く通うというお店、外に向けての宣伝は敢えてせず、口コミだけで来られるお客さんをとても大事にするお店とお聞きしました。
常連の椿原さん(J・A・A社長)とご一緒に、今日はJ・A・Aの会長の植松さんに、30周年を迎えたJ・A・A(ジャパン アート オークション) についてお話をうかがいました。

●まずJ・A・Aのあらましを・・。

 1971年7月に発足しました。創設メンバーは、東京画廊の山本孝さん、南画廊の志水さん、弥生画廊の小川さん、大阪フォルム画廊の松村さん、青木画廊の青木さん、私の親元の南天子画廊の青木さん、柊美術の杉田さん、大阪の山木さん、と私、監査役が一名で始めたんです。

メンバーが凄いですね・・。

●理念は・・。

 解りやすく言いますと、この10人の侍達は業界のリーダー格だったわけです。当時は、日本の美術マーケットを支配している特殊な雰囲気がありました。ひとことで言えば閉鎖的、したがって何をやっているか様子が解らない、胡散臭さ・・。イメージとしてはおよそ芸術とはひとつにならない。あまり好ましくない感じですね。それは、つまりマーケットがオープンではない事、原価がハッキリしない事、したがって相手を見ていくらでも売値が決められる事。あとは口先三寸、腹と度胸の勝負の世界。これでは博打うちと変わらないじゃないかと・・・。それをもうちょっとすっきりはっきりさせようと、その丁度2年くらい前にロンドンからサザビーズとクリスティーズが日本に来て、公開オークションを、一つは三越を舞台に、もうひとつは東京美術倶楽部を舞台にして、業界としては黒船来襲、えらい事だったんです。
  ただ、もう一方では日本の美術業界もこれですっきりした状況になるんではないかという期待が・・。そのころ美術雑誌がオークションの必要性をキャンペーンしていましたし、ちょうど30年前、美術業界は今と同じくらい不況で大きな画廊も店を閉めて支店を閉鎖したんです。ですからこれじゃいけないと、活路を見出さなければという現状があったんですね。
  その活路のひとつがオークションの必要性だったんです。世間一般の当時の風潮は好意的でしたね。
業界内部では、自分たちのグループが好ましからぬ存在で、原価がわれちゃう、これじゃ商売にならないと、つぶそうとしてくる人たちもいたんですが・・・。
でも、私たちは風通しの良い理にかなったパイプ役になろう。売主買主がお互いによかったと言える様なシステムを作る事に徹しようと、その結果 会社が利益を得ればと。

●30年間ですごく苦労したなと思ったのは・・・。

 オークションが出来た当初は、日本では法的に許されてなかったんです。古物営業法の問題と東京都条例の問題、不特定多数の人を相手にして、町でバナナの叩き売りをするような商売だと思われていたんです。セリ売りや競売を当局はそう思っていたようなんですよ。ですから…あの会社はやっちゃいけない事をしている…と指した人がいて、警視庁が調べに来た事 もありました。
  業界の一部に根強くあった反オークションの考えをどうやって払拭するか。これがスタートした時の苦労でした。今でこそ一緒になってオークションを盛んにやっていますが、当時は東京美術倶楽部が有力な反対勢力でした。うっかりすると一回、二回はできても三回目はつぶされるんじゃないかという雰囲気がありました。当時私が社長に就任した訳ですが、私は南天子画廊に9年勤めていたんですけど独立しまして、公正で中立的な立場でしたので、やってみないかと薦められ、背水の陣で取り組みました。

●南天子画廊にはどういう経緯で勤めたんですか・・。

 南天子画廊の青木さんは、脱サラの人なんです。大原総一郎さんと職場で深い縁があって倉敷レーヨンに勤めてたんです。私も倉敷レーヨンに勤めており先輩、後輩の中だったんですよ。丁度青木さんのお兄さんが画廊を始めて・・。この方は病弱な方だったんで青木さんが社長に。
  青木さんは倉敷レーヨンに残っていたら、重役か社長にも成れた方だったと思いますよ。彼此40年くらい前の脱サラ、思い切って出たんです。丁度私も6年くらい勤めた会社を止めて、色々セールスをしてまして、エンサイヤ・クロベティア、百科全書のセールスを(そんなに儲かるもんじゃなかったんですけど。)していたとき、青木さんが画廊をやっているのを聞いて売り込みにいきました。そのとき、君この絵いくらだと思う?と、パウル・クレーの絵はがき位 の500万円の絵を見せられて、絵を売るのも同じ事だよ。と言われそれが縁で、画廊に勤める事をすすめられて・・。

●唐突ですが、J・A・Aは無借金経営の会社だとうかがいましたが・・。

 ええ、無借金それは確かですね。売れたものしか払わない。売れて代金が回収されないものに対しては立替払いをしない。極めて単純にあくまでも委託業務に徹する、見込み仕入れや、在庫をもたない。必要な手数料を賄えるだけの売上を保持していくそれが基本です。創立当初は立替払いした事もありましましたけど、代金払ってくれない人が出てきた事もありまして・・。一回一回が勝負どころ、ずっと徹底してこれたおかげで 何とか30年やってきました。
「無借金は、誇るべき事ですかね」 と植松会長。

誇るべきって、借金があることはストレスになりますからね。
今も無借金経営、このご時世にすごい!!(オサルス)

●これまでに何度も不況を経験してこられたと思いますが。この粘り強さの秘訣を教えて下さい。

 「粘りの秘訣は食いモンですかね。こういう美味しい天麩羅を食べれば粘りがでるんじゃないですか」

粘り強さの秘訣は天麩羅かあ・・。

大坪さんは6年前にお店をオープン、今年で7年目に。五島列島の出身で帝国ホテル内の「天一」で店長を経験された後に開業。 椿原さんのお知り合いの方は大坪さんのファンがたくさん。

 「流行の雑誌に紹介されても、お客さんに対応できなくなるのは嫌なので・・。ずっと口コミだけできました」 と、ご主人。

揚げたてを一品一品、お皿に。付きだしに湯葉、サラダは胡麻タレ、天麩羅は海老、キス、アスパラ、シイタケ、ホタテ、茄子、稚鮎、茗荷。さくっりした軽い食感、美味しいですよ。おつゆに大根おろしもさっぱりしているけど、このごろ流行りのお塩をちょっとつけてパクッと、至福の時ですね。

「一品、絶品!お薦めです。僕が30年やってこれたのもお客さんがお客さんを連れて来てくれたから」 と、会長。

 「この商売は、対面 商売 ですから。お客さんを大切にしないと・・。画商の世界と同じでこだわりが大切ですね」 と、椿原さん。

●新社長の椿原さんにコメントを。

 J・A・A は無借金のままバトンタッチされました。借金がかさんでニッチもサッチもいかなくなったら手遅れでしょう。アートマスターズもついこの前まで無借金、ベンチャーキャピタルが出資して資本金にしてます。融資と違い出資なので返済は求められないけど金利もつかない。多分他のオークション会社もそうしてるんじゃないですか。今はオークション会社が乱立していますがJ・A・A が地ならしして、シンワが地固めして、もっと国際的なマーケットを作らなければとがんばっています。交換会は崩壊しますよ。マーケットをつくろうとすれば公明正大でなければ・・。
  当たり前の話ですが、お客さんの需給を無視しては駄目です。今までの画商は交換会を舞台にし、その舞台で主役を演じているのが大手で、又そういう処で作った相場の作品をデパートに卸している画商がトップ企業だったんです。本来の作家から作品をもらって展覧会をする画廊はマイナーなんです。
  日本の経済システムが崩れてきたのと同じように時代のニーズによってオークションは出てきたのだと思いますね。業界もオープンになりました。いい時は、回りが見えないけど悪いときは、いやでも見えますからね。どうしたらいいのかが自ずと見えてくる。オークションと画商が対立するのではなく、共存共栄する事がいちばん重要。画商とオークション会社が切磋琢磨することで美術の質も凄く上がるんではないでしょうか。
  今の業者の理屈では、交換会で売買され、現在人気のあるものだけが価値のあるもの。殆どののものは値がつかない
あまりにも評価が偏っています。オークションの使命は、オープンなマーケットを作ると同時に受け皿になって文化を引き継ぐパイプ役になっていく事なんです。画商も作家を育て、画廊は極端な話一代限りですよ。その人の好みと感覚と共に出会って死んでいくんです。その後の受け皿となるのがオークション。オークション会社はそれを引き継いでそれを再評価するのが使命でしょう。もっと、美術の文化を担っているんだというプライドを持たなければ・・。

●今、オークション会社が乱立、良質の作品を提供していく対策は・・。

 「今までJ・A・Aは黙っていても出品がありました。競合時代ではなかったですから。J・A・Aのあり方は、一般 のマーケットです。業者の理屈でプライスマーケットを作ってきたのとは違います。今あるオークション会社は、アートマスターズを含めてたまたま交換会がオープンになっただけのもの。扱い品目は同じです。
  J・A・Aのアイテムが他にも出来たら、危機かもしれませんが・・。30年前からの理念を貫いたことからも、J・A・Aはそうではないことを強く出していく。それは古い道具類から現代美術まで幅広く扱っていくこと。日本の文化を残していく為にも、丹精して評価をしていかねばいけませんね」

 「冨士さんで例えると専門の美術商は六合目七合目、頂上を目指して仕事をしている。私は裾野。御殿場周辺、河口湖など裾野が職場。そこに可能性を求めて裾野にあるのは落穂拾い的な要素があります。その落穂拾いをやっぱり大事にする事で繋がっていくんです」 と、植松会長。

 「時代は、意識しようがしまいが変わっていきます。今は過渡期、時代は確実に変わります。
並木通りから画廊が撤退。交換会もここ3年で大分整理されました。閉鎖的な交換会の人たちは、流通金額がオープンになるのが駄目だと言う。こういう人たちの意見は聞く耳をもちません」 
と、椿原さん。

今度20日・21日・20日にオークションを開催します。一度入会して参加するとハマるそうです。
詳しくはこちらにお問い合わせください。
株式会社ジャパンアートオークション http://www.jaa-art.co.jp

最後にお二方は天丼を、私は白いご飯とかき揚を、お新香が、家で漬けたのとは全然違う、美味しいです。

 植松会長65歳。オークション会社を立ち上げた30年前は、35歳。そのころ椿原さんも、お父様の代から在る新宿の画廊を弟さんに任せて、新たに京橋にギャラリー椿をオープン。

「人生の転機は30代半ばじゃないですか。このごろ回りの知り合いが亡くなる年齢になってきましたが、人生の最後に死ぬのは怖くないと言って死にたいですね。後悔をしない生き方をしたいです」 とご両人。

うむ〜。今日は色々と勉強させていただきました。
後悔しない人生か・・。オサルスもがんばって生きていくしかないです。

植松会長。椿原社長。今日はどうもありがとうございました。
大坪さん、美味しいランチごちそうさまでした。

株式会社ジャパンアートオークション http://www.jaa-art.co.jp
ギャラリー椿 http://www.gallery-tsubaki.jp/

※注
<交換会>
非公開の美術市場。画商が業者間の在庫の交換を目的とした卸売市場。金融的側面もある。

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