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携帯オサルスのおすすめランチ ランチdeチュその42

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釜飯 900円

日替わり定食のイサキの煮付け
900円


安芸路 酔心
http://www.suishin.or.jp

 今日は広島に本店のある酔心さんに、彦坂尚嘉さんとご一緒に。先日東京画廊のオープニングに伺った折にお薦めランチのお誘いを・・・。一見強面 のかたなので玉砕を覚悟でお願いしましたらOK。ホッ。
料理の希望をうかがうと、何故か日本料理を。う〜ん、何処がいいかな。そうだ、以前、東邦画廊の中岡さんが銀座の「酔心」でランチをよく食べるとの情報を思い出し「釜飯でも日替わりでも安くて美味いよ。」の一言にLet's go.
広島が本店のこちらは、銀座店他、広島グループ・東京グループ合わせて12店舗。「醉心」というと、かの日本画の巨匠、横山大観主食のお酒。米の飯は朝お茶碗軽く一杯程度で、あとは全部「醉心」でカロリーを取っていたそうです。

 それはさておき、やはり冬は牡蠣がお薦め、牡蠣かあ、牡蠣フライもいいけれどオサルスは釜飯を食べよう。彦坂さんは日替わり定食のイサキの煮付けを注文。釜飯は(ごぼう・人参・竹のこ・穴子・シイタケ)五目を注文したので盛りだくさん。付きあわせの香の物も、広島菜・こんぶ・秋紫と彩 りも綺麗、赤だしの味噌汁つきで900円。イサキの煮付けは筑前煮が付いてこちらも900円です。

 こちらのお店のコマーシャルソングは永六輔さんと中村八大さんが制作。曲は聞いた事がないので解りませんが、詩を読むと、なかまたちや家族たち、恋人たちをターゲットにして作られています。店長の品川さんに客層を聞きましたら、詩にあるとおりなんですって。

釜飯 900円 日替わり定食のイサキの煮付け 900円

さて、お味は如何でしょうか?と、言いつつオサルス実はごぼうが大の苦手、小学校の給食で泣きながら食べて以来、この歳まで一回も食べた事がなかったのです。夕飯時に道を歩いていても、ごぼうの匂いはすぐ当てられるぐらいのごぼう嫌い。
今日は除ける訳にもいかず、初体験してしまいました。ううっ!辛いけれど流石に無駄 に歳をとってはいなかったよう。自慢にもなりませんけどね。
イサキの煮付けはどうですか?。「美味しいですよ」 と彦坂さん。
彦坂さんは(12月7日〜1月19日までチェルシーのWhite Boxで柳幸典氏と二人展開催中)アメリカから帰国したばかりです。

●アメリカは如何でした?

 「オープニングも凄く人が来てくれて盛況でした。でも、外国で展覧会をするのは実際大変です。広島と長崎のネオン管の作品など、出品作は二点ともむこうでつくりました。むこうでは電気や消防法が違うのと、破損したときに直ぐ作り直す事が出来るのと、運送費の件も考えて。
本当に運送費がもの凄く高い。国境を越えようと思うとむこうで作るしかないって事です。勿論、事前にインターネットで図面 を送るとかしたのですが間に合わないですよ。アメリカにはMOがないのを知らなかったので、出発する日の明け方の4時ごろ車を飛ばして横浜のkinko'sでZipに変えて持っていきました。ちっともグローバリゼーションではないです」

何故ないんですか?

「メーカーの覇権の争いではないんですか?今年の2月にテートモダンで展覧した時もDVDを向こうで作る事になって、データーカムを送れといったからこちらから送ったんですが、ヨーロッパと日本ではビデオが違う。向こうはパルと言う方式・・走査線の数が多いんです。お互いに解ってたはずなんですけど。
むこうはこちらが送ったものをパルで送られてきたと思い込んでそれで作ってしまったんです。だからスピードが遅くなってしまって・・・。大変ですよ。国境の間に創造を絶する垣根があるんですよね。日本に普通 にあるものがむこうにはないんですから」

●外国での展覧会の事は良く知らないんですか。どういうシステムで、費用は誰が負担するんですか。

 「チェルーシーに画廊が沢山ありますよね。そこでは商業ギャラリーとノンプロフィットのギャラリー(商業を第一義とはしていないギャラリー)とがあるんですが、そのノンプロフィットギャラリーのWhite Boxが、キュレーターを美術史家の富井玲子さんに頼んで彼女が企画をたてて人選して、それから寄付金を集めていくんですよ。それが中心・・・。
でも、彼女は1年働いてますがノーギャラですよ。私の場合は、ネオンの作品を作る工房を探して、イタリア系のネオン会社に声を掛けたりしまして、工房側が私の作品を見てくれて、タダで・・・、ボランティアで作ってくれる事になったんです。それは9月11日の体験があってニューヨークがやたらにボランティアにながれていたこともあるし、作品の内容のせいだとも思うのですが・・・。基本的な部分はタダで出来たんです」

●どなたにお会いしてもお聞きする定番の質問ですが。子供の頃から絵がお好きで、美術の道に進もうと思ったのですか?

 「油絵を描いたのは小学校1年の時です。元々はずっとお医者さんになりたいと思っていました。でも体が弱かったのでずっとお絵かき少年でした。いま、日展の理事をしている先生に当時は教わっていたのですが、そういう意味では絵描きの良い面 も悪い面も見たように思います。
高校三年の時に病気が再発してショックを受けて、少しヤケになって、遊び人になってやろうと・・・。(えっ!?)
だから多摩美に入っても、もの凄く恥ずかしかったんです。正当性がないじゃないですか。遊び人じゃ!それで美術家ってなんだろうと・・。美術家の歴史を・・。とり合えずヨーロッパの歴史を学んだんです。
ヨーロッパは東洋とは違って全部職業画家なんです。まず職業だという事を熟知して。しかも僕たちがもっているイメージは18世紀以降にできたもので、それ以前は違うんです。新しいイメージですね。
東洋の場合は職業美術家もいるんですが、中国文化圏には文人画家がいて文人は文武両官で、軍人と高級官僚みたいな人たちが遊びとして、精神的な修養として絵を描く訳です。この場合には画院の絵描き(国家試験をパスした職業画家)と遊びとして描く文人と、二つの流れが合い争っていき、常に文人の方が勝っていく訳です。日本では美術家とかアーチストは、文人のイメージがあって職業人としては考えてないんです。ですから好きな事がやれていいですね。と、言われる。その事自体が綺麗に分離されて認識されてないので、非常に複雑な事になってしまう。
職業人なら職業人でハッキリした方がいいと思うし、遊びとして描くのもいいと思う。これは別 の事柄で似て非なるものです。その区分が日本の場合にはなくて両方とも中途半端になる傾向がありますね」

●それを学生時代に勉強された訳ですね。

「自分の中では切実でした。私の場合は、実際食べられてはいませんが、職業画家である系譜を選ぼうとするんです」

●以前、批評をかなり書かれていましたが、私よりも少し上の年代の方は闘争的で活動的な印象を感じるんですが。何故、闘争的になるんですか。

 「今すぐ答えは出てきませんが、今回で言えば、ニューヨークでの発表は2回目(一回目は美術館、今回は画廊)ですが、実はチェルシーの画廊郡は二年前に行った時よりも、もの凄く大きくなったんです。比喩で言えば日本のギャラリーとは比較できない大きさ、象徴的に言えば日本の普通 にイメージするギャラリーの3000倍位なんです。ソーホー時代よりも全然大きい・・・、一つの頂点を見た思いがあります。
今後あの大きさが維持出きるとは思わないし、どうなるのか解らないけれど・・凄い規模です。自分が発表している場所のすぐそばでステラのもの凄い大きな個展をしている訳です。金額も半端じゃない。でも、ちっとも良くないんです。自信をもって良くないと思う。そうそうたる作家のものを見ても良くないと思ったんです。
ただ、セラとブルジョワはいいと思いましたけれど。いいものはいい。悪いものは悪いと、自分の作品に対しても相当自問しました。それは一つの驚きであり、自分の美術に対する価値観と方向が非常にハッキリしてきて、身構えなくすむようになったというか・・・・。世界的水準がハッキリ解り、日本はローカルである事が、かなり明確になってしまって、そういう意味で言うと闘争的ではなくなっちゃったというか・・。嘗ての冷戦構造が壊れる前とは違うんです。
所謂近代国家の時代だと、日本は日本国という国家としての枠組みがあり、その中に独自の美術の成立する余地があった。野球に例えるならば、日本の野球は日本の野球でその時代には巨人の星があったわけです。少年が巨人の選手になる事を望みとして成立した時代なんです。でも、今はイチローが大リーグで活躍するようになると、巨人の視聴率が落ちていき、日本の野球がローカルなものになり世界性を失う訳です。
沢山の小さな事柄が殆ど大きな意味を成さなくなるんです。そこの地域の人が好きでやっていればいいという事だけなんです。全人類の規模の問題にはならなくなる。今、少年たちが野球をやるって言えば、イチローを見ろと、お前も大リーグへ行ってやれとしかいえないじゃないですか、巨人の選手になれとは言えないわけです。
今の美術の状況もそれとまったく同じ状態なんです。それがもの凄くハッキリ見えてしまって、そうすると憑き物が落ちたように、ガラスの向こう側の事態になってしまうんです。この一年を回顧する新聞の美術記事を読んでも、まったくローカルと評論家のお手盛りでしかない。全然客観性がないし、美術記者たちも一生懸命されてはいるけれど30年読んできていますが、実は現実的有効性が殆ど無い。誰も振り返って読んでも意味のあるものではないんです。
今、ニューヨークを歩いていると顔つきが変わってくるんです。自覚せざるをえないですよ。ニューヨークは昔と違って明るくなったし、ホームレスの人も殆どいなくなりました。この14年間黄金時代だった訳ですから・・・。
さっきの何故闘争的だという話ですが、美大に入る前にイギリスの評論家のコリンウィルソンのアウトサイダーを高校三年の時読んだんですが、その後シリーズの敗北の時代を読んだんです。画学生の話があって・・美術学校に来た画学生に対して、教師は偉大な作家になれと言うのですが、自分は自身の分をしっていると、そこそこの作家になればいいと、最初から敗北している訳です。それは違うという事に共感して・・・、自分自身と照らし合わせて、自分が美術に共感していくのは偉大なアーチストに対してなんだと・・・。
自分は子供の頃、毎年毎年先生の日展なり団体展の展覧会を見て大半はつまらないと・・思っていたんです。
中学二年で日本美術全集と日近代本絵画全集を買って見ている人なのですから、そういう中でそこそこのアーチストになるという訳にはいかなくて、偉大なアーチストになろうと無理やり設定した訳です。では、全人類の中で偉大なトップのアーチストは誰なんだと・・・考えますと。
まずひとつはレオナルド・ダ・ヴィンチです。早い時期から絵画を学問だと定義しています。日本人では葛飾北斎です。この人も学問として美術を考えた人で、最晩年まで成長し続けていた人ですよね。
そんなこんなで、全部の凄い作品を見てみようと、眼で食い入るように暗記をしたんです。日本の現実は今になって解りますが一流品が好きではないんです。。
多摩美の時代に東野芳明さんに習っていたんですが、東野さんは、一流はテンションが高すぎて緊張感がありすぎていやだと、その傾向はかなりある訳です。それがハッキリするのは、レオナルド・ダ・ヴィンチのドローイングと当時の五流画家のものを比べるテストを20年位 前からやっていまして、殆どの人が五流画家の方が良いと言い、ダ・ヴィンチの悪口を言うんです。
で、タネを明かすと殆どの人が黙ってしまう。ダ・ヴィンチの方が良くないと言えば信頼できるのだけれど。五流の作家とダ・ヴィンチとの違いは図柄は同じモチーフで訓練をする為の物なんですが、ダ・ヴィンチは布の内部にある人体や空間がしっかり書けているんです。五流の画家は表面 だけ描けていて肉体が無いんです。装飾的に綺麗に描けている。日本画に近いんです。そうすると五流画家を選んでしまうんですね。ナニを言うのかですよ」

●気体分子アート展(2001年6月4日 - 2002年7月19日 東京画廊)のチラシを拝見しましたが、作品に対して科学的に分析かつ学問として考えて、高みを目指しておられるように思うのですが・・・。

「そうです。高みを目指しているんです。だから嫌われるんでしょうね」

●でも、芸術なんだから高みを目指すのは当然ではないんですか。

 「 色彩の話をしますと。中学二年の時クレーの展覧会が来まして見に行ったんです。今まで日本に来た中で最大規模の展覧会でした。あまりに美しくて恍惚としてしまって、描いてみようと思い描いたんですが、最悪のイミテーションになってしまって・・。表面 だけ真似しても駄目だと思いました。
多摩美で色彩学の講義をとり、もの凄く真面目に勉強しました。色は光の振動で物質ではない訳です。例えばキャンバスを真っ赤に塗ると、マンセルの呼び方で彩 度が14になり、塗り終わると彩度は7に落ちてしまう。どうしてかって言うと真っ赤な色に対して見ている側の目の中に補色を作り出して打ち消してしまうからなんです。だから発色が冴えてこないんです。
キャンバスの端っこにちょっと緑系の色を置くと彩度がワット燃えあがるようにあがるんです。色は固定されるものではないし、光の振動で実態がないものです。それをコントロールするのは非常に難しいし、色の三要素としての明度と彩 度と色素の組み合わせも難しい。ある程度の訓練が必要になり自分なりに組み立てていかないと出来ない訳です。反射光の問題もあるし。
私の場合はかなり早い段階から絵や色をデジタル化しようと考えました。自分の頭で考えながら試行錯誤をし始めたんです。でもそれをする事はアーチストがやることではないと叩きに回ってくる人がいる。相手にしてみたら不愉快なんでしょうね。例えば学校で教えていた時にセザンヌの絵画の構造をテキストを使って数学的見地から、数学的画面 構成を検証しますと学生の3〜4割がたは怒り出します。セザンヌの友達には数学者がいたのです。
美術は子供の絵が面白くて、大人になると絵がつまらなくなる。なるべく自然性で描くもので、学ぶものではない。天上天下唯我独尊であって自分の王国であるそこで魔法のように絵が作れる。魔法使いなんです」

●ハリー・ポッターのようですね。

 「ハリー・ポッターは魔術について勉強するでしょ。そうではなくて自然にそういう力があって呪術として成立するもの、絵を見た人に呪術をかけていこうと、呪術的表現はコマーシャルでも言えますね。洗濯石鹸を売るのに呪術をかけてくる。
コカコーラもそうだけど魔法をかけ続けているんです。そうしなければ売れない・・・。呪術表現は人を縛っていく訳で、決して自由にしていくものではない。芸術はそういうふうに設定する事はかなり悪なんです。だから逆に売れない、人を呪うものを買わないですよ」

面白いですね。なんで気体分子なのか良く解らなかったんですが・・・。痒い所に手が届いた感じです。

「何故攻撃的なのかと言う事は、人と争い続けてきてハッキリしてくるんです。日本の美術界は人間関係を基に基準ができていると。学問はそうではないし真理や事実とか、魔術ではなく本当に人に深い喜びを与える技術として芸術があるんです。
人間関係の漆黒から離れないとまずい訳ですよね。でもそれをやろうとすると軋轢がかかってくる。それが又逆に自分の認識になっていくから、皆が不問に伏している事を暴いて言ってしまう。 同時に嫌われますけどね」

●関係ないんじゃないですか。

「今の状態で言うと、孤独ではあります。居場所がないと言えば居場所がない。多分これから戦闘性を継続するのかと言われれば必要性が無いって言うか・・・」

●時代がそうなってしまったのではないのですか?。 10年以上前から日本は取り残されるだろう、世界からほっとかれる国になり、よりローカル化が進み、そのうち横浜港が新潟の佐渡の海のように綺麗で泳げるようになるだろう。と予言している人が身近にいるので・・・・そうなる可能性は高く、置いてきぼりになってしまうというか、戦う必要がなくなるのではないでしょうか。

 「そうです。戦う必要がなくなってしまったんです。だからといって、もう一度日本の美術を肯定できる部分をきちっと見つけて整理したいとは思います。新しい目標のレベルで言えばは日本のアーチストが世界の美術市場の中に出て行って作品を売ってサザビーズやクリスティーズのオークションで高値をつけていける作品に成立させる事が必要です。
その為には学問的な芸術行動に対する理解がないと駄目です。一過性の事ではなく、ある時間がたっても逆に値が上がっていく。それが展開し続ける作品の構造を理解しなければいけない訳で、日本では、特に明治以降ですが僕が絶対零度とよぶ作品を作る人が多く、それをやっている限りは駄 目なんだというのが僕の主張です。今それを出来るだけ解り易く書いていくとか 、自分も人を説得できる作品を作っていくとか残された事はそういうことなんでしょうね」

●今の日本の美術の状況は一般の人から乖離しているのではないですか。

「そんな事はないと思います。美術という言葉は、元々はファインアートの直訳が美術なわけです。
芸術という言葉に置き換えると凄く解り易く言えばブランドになってきている。だから理論的手順を抜いて話すと飛躍しているように見えますが、例えばセザンヌの絵を芸術としてではなくブランドとして考えると、セザンヌは同時に風景や人物や静物・空想画も、晩年には骸骨まで描いています。
五種類くらいのものを平行して皆同じような色調で同じタッチで描いているんです。そう言う意味ではブランド管理がしっかりしている。表現にはあるブランド性の問題があって今の日本人は芸術作品が買えないものだからブランドを買っているんでしょうね。基本的には同じものです。芸術を買うのはお金持ちや権力者達がポケモンカードを集めるような作業にすぎないわけですから。
芸術を買うほどには日本人は豊かではないんです。金銭的にもね。教養もないし貧乏ですよ。
日本で行われているのは、芸術の生産が弱くて芸術の消費性が高いのでは・・・、団体展でも何でもつまらない作品は芸術を消費してるんです。例えばモネの睡蓮のような絵を描いたとしたら、モネの芸術は一度確立している訳です。それを消費する行動なわけですから、そういう意味では日本は芸術の国なんです」

●作品を見て良い・悪いの論争はもっとあってもかまわないんじゃないですか。

 「僕は言ってますよ。メーリングリスト上でも言ってるし・・・危ない事ですけど。実名が出るのがね。古い人の方がいいんです。この間、鎌倉近代美術館で見た岸田劉生は二度見ましたが全部駄 目です。まさかあそこまで酷いとは思わなかったんです。自分だけでは駄目なので何人か友人達と一緒に見たんです。共通 して酷いと言う意見でした」

●実名をあげると問題があるという事ですが・・・

「本当は批評と言うのは実名をあげて成立するものですのでマズくはないのですけど、ただ、身近でやると怒るんです。親友の作品を言うと激怒しますね。本当はおかしいと思うのだけれど、ちゃんと芸術議論をした方がいいと思うのだけれど許さないんです。
こちらもどうしようかと考える訳ですけれど、かといって完全に人間関係断ち切って生きていくわけにはいかないですし・・ 、本当に重要なのはかなり有名で基準になるような作家の作品が良くないというのが問題です。例えば岡本太郎の作品の8割方が駄 目だと言うのは言ってかなければ駄目だと・・言う必要があるんです」

●そうですよね。オサルスも横浜トリエンナーレが面白くなかったんです。全部とは言いませんよ。でも、面 白くないものを面白くないと何故言ってはいけないのでしょう。会場はガラ〜ンとしているし、ビデオ作品が多すぎるし、プレゼンが下手で説明不足、4人のキュレーターに本当に面 白かったんですかって聞いてみたかったですが、オサルス風情では答えてくれる訳がないですものね。

「あれは一番大きな問題はマネージメントがないんです。1980年代に入ってからアメリカでマネージメント革命が行われていくわけで、そのことは重要な事だと思っています。
横トリは4回行きましたが、やっているのかと・・・。不安になります。あの解説書では、不親切で作家名などよく解りません。作家を探すのが大変です。初めてなのでしょうがないとは言えますが・・・4人のキュレーターが誰を選んだのかも明示していないのもナンセンスな話であって、各自が誰を選んだか・・選んだ理由も書くべきです。その程度の情報公開は当然です。説明責任も要求されている時代なのに古いって言うか、紋きりで臭いものに蓋で知らせないで進めると思っている」

●美術には限りませんが、言っちゃいけない事が多すぎますよね。

「今回ジャパンソサエティーで講演会がありましてそこでも今の話をしましたら大うけに受けたんです。事前には口止めがされてたんですけど。日本が1940年に太平翼賛会を作るんです。太平洋戦争で中国を侵略をする為に日本の国内を統一する必要があったんです。
当時銀行は3000を超える数がありましてそれを8行ぐらいに限定しいてくんです。統合してね。日本型の金融政策が始まるんです。それがついこの間まで変わらず続いていたんです。
太平洋戦争が負けたときに太平洋戦争を遂行していた官僚の中で首を切られた人は、内務省と軍隊だけなんです。戦時体制を築いていた大蔵省は無傷です。戦時教育をしていた文部省官僚は無傷で生き残ったんです。戦争中の言論統制的な思考は戦後も続いてしまうんです。
僕は美術もそうだと思います。1940年体制の中で台頭してくる美術家達、例えば二科の九室会の斎藤義重さんや吉原次郎さん、藤田嗣治や福沢一郎さん。この人達が戦後も大きな力を振るっていく訳です。つまり戦中の継続なんです。戦時体制がそのまま続いているんです」

●かなり前から疑問に思っていたのですが、見識者が認めたものは良いと言う。そういうお墨付きがない普通 の叔母さんが駄目だよこんなのって言ってもナニ言ってるんだって思われてしまう。日本人の知識階級はそういうものかもしれませんけど、もう少しその殻を割らなければ何も始まらないと思うのです・・・。

「現実問題として美術評論家は、批評と言うよりは業界人として機能しています。批評家の権威や力は衰えてきていますよね。1950年代後半から60年代への広がりは無いですね」

●皆お金貰って書いてるから面白くないですよ。

「提灯記事ですものね。そういうものになってしまう。自由な発言をしていく努力が必要で、私が何か書いたからって世の中が変わる訳ではないし。孤立して浮いていくだけですけど・・・」

●浮かないで下さいよ。

 「気体分子ですから浮いてもいいんです。めげずにやっていく・・。無視されるなら無視されるでいいけども、一人の人間が考えて理論を組み立てて自分の確信を。少なくとも最初の読者は私自身なわけだし、私自身が納得するものを書いていく。
私自身が見て納得する事実を作っていく、勿論他者が必要なのだから自分で自分の作品を見るだけでは駄 目なんだっていう論理は解りますけれど、これは論争の問題で芸術の成立が自分で自分の作品を見る・・・最初に他者として自分がいる事を抜きにしては成立しないと思うのです。
自分がいいと思わなくても他人が誉めてくれれば表現が成立するという考え方はありますよ。私はそれで芸術をコントロールすることはありえないし、私が面 白いと思ってきた美術は、例えばレンブラントの人気のあった時代のものではなく夜警以降の人気の無い作品から晩年の自画像なんですよ。ゴヤも晩年の黒い絵を抜きにしては語れない訳だし、私が面 白いと思った美術はある意味では社会的にあまり優遇されてない人たちが作ったものが面 白かったんですよ。
社会的にいい状態が、必ずしも今の日本の現代美術の人たちが考える成功神話で美術を見るのとは違うのではないかと・・。大成功したアーチストで何かいいものを作ったアーチストを実名で知りたいですよ。東京都現代美術館で展覧されたジャスパージョーンズにしてもどんどん酷くなっている。つまり彼は世界で一番いい境遇にいる人だと思うのですが、今まで自分もかなり好きな方だったのですが全貌を見たらもう駄 目だと、疑っていく訳です。
まず60年代のネオダダも疑って、最後に星条旗は全部駄目だと・・・。絶対零度という言い方をすればジャスパーの星条旗は絶対零度なんです。これを言うとアメリカ全土を敵に回すようで三日ぐらいどうしようかと思ったんです・・・」

●このごろ良い展覧会が無くてつまらないので、オサルスも紹介する気力がなくなってきているのですけれど・・・。

「欧米の新聞は違いますよ。82年か3年のステラの個展のオープニングに行った時、自分の回りの日本人はいいっていうのだけれど、僕は酷いって言いました。その翌日のニューヨークタイムスは、全面 悪口ですよ。そういう意味では素晴らしい。的外れも含めて悪口をバンバン書いてますよ」

●そうじゃないと、何も生まれないのではないですか。

「この国はイマダニ言論統制されていて言論の自由がないんです」

2時半に待ち合わせをして終わっって外に出たら、日はとっぷりと暮れていました。本当に美術の事に精通 された生き字引のような方です。オサルスももっと勉強しないと太刀打ちできないと痛感しました。

彦坂さん。作品だけでなく、もっとバンバン様々なかたちでの表現を期待しています。ネット上の「荒らし」もアーチストにとっては立派な「表現」かもしれません。とても長時間お話して頂きありがとうございました。

彦坂尚嘉 関連情報 2000.4_a 2000.4_b

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