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携帯オサルスのおすすめランチ ランチdeチュその50

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日替わりランチのチキンソテー 1250円

ドイツレストラン
クライゼル
東京都港区赤坂7−5−56 OGAハウス(ドイツ文化会館1F)
TEL 03-3583-9487 FAX 03-3583-8263

http://www.s-h.co.jp/noda/

 お蔭様で「ランチ・de・チュ」も番外編も含め、55回目をむかえました。京橋界隈の画廊オーナーのお薦めランチから始まり、後にオサルスのインタビューも入れた・・・緊張して何言ってんだか、何食べてるのか味が解らなくなり支離滅裂なんて事も・・・色々ありましたよ。でもひとつひとつがいい経験。これから100回200回と続けていかれるようにがんばりますので見て下さいネ。

 今回はインタビュー30人目を記念して川崎市岡本太郎美術館の村田慶之介館長にお話をお聞きしました。
今日のお店はドイツレストラン・クライゼルさん。こちらは月代わりで現代美術の展覧会を食事をしながら鑑賞できるお店。オーナーの野田さんも大の美術ファン。以前芸術新潮で薮内佐斗司さんがここの中庭で展覧会をした記事を見た覚えがあります。

さて今日のランチは日替わり・・。チキンソテー(ペッパーの入ったクリームソース)、付き合せはジャガイモとミックス野菜をブイヨンでゆでたもの・パン・コーヒー(1250円)


オーナーの野田さん

先生は何がお好きなんですか。

 「何でも食べます。好き嫌いのある人はもったいないと思って、色んな食べ物を人間が見つけて選り分けてきた訳でしょ。ふぐの肝なんか死ぬ かもしれないものを食べてきたわけで餓えてたんだよな」

 こちらは野菜が凄く多いですね。ドイツ料理なのでジャガイモやザワークラウト・人参の酢漬けも美味しい。若干チキンが固かったけれどペッパークリームと馴染んで美味。おなか一杯。55回もランチを食べ続けたおかげで最近スカートがきつくて、今度から毎週の更新は控えて2週間に一度くらいにしたいなあと。

川崎市岡本太郎美術館では4月20日−7月28日まで『ゴジラの時代』の展覧会を開催予定

「金太郎飴のような美術館にはなりたくないという事です。太郎の墓守はしないし、美術館としての個性を出さなければ駄 目だよ」 とおっしゃる村田館長。

- - - - そうか!個性か・・・。でも個性的な美術館ってあまり無いように感じるのだけれど・・・。

画廊ならともかくも、美術館や学芸員さんの事はよく解らないので教えて下さい。

 「学芸員は皆大学で美術史を学んで美術館に入るんです。学校を出てからずっと美術館で一つの事をし続けている人もいる。それはそれでいいのだけれど・・・、それに携わる人が芸術言語を習ってみるのが一番いい。
それは作家側に立って見る事も出来るし、距離をおいて引いてみる事も出来る。その間に立ってみる事も出来る訳だから自分の思想もつくっていける。
唯、大方は美学美術史を出て、美術のフィールドで仲間が出来て横に繋がっていって 熱い友情が生まれて族議員のように利益を分かち合っていくんです。まだ日本では美術館の歴史は浅いし1970年〜80年代に雨後の竹の子のように生まれた。これに伴う学芸員は、にわかには育たないでしょう」

このごろ何人かのキュレーターが審査をする展覧会を見る機会が多いのですが、キュレーターがアートシーンをリードしている時代になりつつあるのでは・・・。

「まあ! お勉強の結果ではありますね。日本は受信方だから・・。世界の情報をイチハヤク手に入れるだけの情報網を持たなければね。
語学が出来る奴の勝ち。極端に言えば、選ばれた作家を売り出す事は、自分を売り出す事だから、アメリカだってそうですよ。例えば派手なテーマを決めてパッパと展覧会を派手にやる。ただ自転車操業的に時間のサイクルが短い。本当に現代美術を集めるのであれば世界中の情報がなければ駄 目だし、日本にとって必要なテーマであるか自分で考えてちゃんとした理由付をしなければ。その場合ピッタリあう作家は世界では20人位 しかいないので選ぶのはとても大変な事。時間を掛けて練らなければできません」

美術館は展覧会をしなくてはいけないんですか。

 「いや、原則としてはないです。ルーブルなんかやってないでしょ。でも東博は日本のルーブルの様なものだけれどあそこは今や展覧会屋になっている。
それは何時の間にか新聞社が入っていて新聞社どうしが競い合ってしまったから・・・。新聞社が戦後の美術に貢献した歴史は大きいですね。昭和26〜27年にやっとちっぽけな近代美術館が出来・・・、はじめ日本の国立近代美術館はちっぽけなビルだったんだから」

高度成長期でどんどん展覧会をした訳ですが、昔の展覧会は心に残る展覧会がありましたが今はないですね。

「昔、博物館でゴッホ展をしましていい作品がもの凄く来たんです。昔は新聞社が日本の文化を支えるんだ、担うんだって意識があった・・・。ただ、国立の美術館や博物館で展覧会をする時は全部新聞社が金を出すから国は出さないんです。今まで国は文化に金を出してこなかった」

では、新聞社がなければ日本では展覧会が出来なかったんですね。

「戦後、美術団体の連合展を企画したのも新聞社、それで横の繋がりができたし、アンフォルメルもそうだ。その間日本の美術館は何をしたかと言うとこんな薄い美術手帳に評論を書いていた。まだ日本の学芸員は揃ってなかったんです」

今は外国から作品を借りるのも厳しい時代、国内に目を向けざるをえませんね。

「新聞社の数もどんどん増えてきて、外国からのコレクションを借りはじめて、羊頭狗肉で横浜のダ・ヴィンチをやった。あんな事やるようじゃ駄目だ」

あれは酷かったですね。ダ・ヴィンチ一点で1300円は高過ぎる。

 「そうあれは酷い最悪です。新聞社はお金が無くなってきているから以前ならば赤字になってもいいやと儲かれば補填すればいいやという考えだった。
大体新聞社は今まで美術館のランキングを作っていて国立−公立・・・デパートという風に分けていたんです。今はそれが逆転してお金を持っている所に流れだした。新聞社もお金がなくなってきているから展覧会が出来なくなってきている。美術館の数はどんどん増えてくる・・・自分で企画する能力が学芸員にはない。箱物行政だから・・・。美術館の中にはコレクションを持ってない所もあるから常設の展示も見せられない。だからトッカエヒッカエ展覧会をやらなければならない。
日本人は常設展でしっかり展覧会を見る事が出来ないわけで、又日本人は新もの好き、ファッションもそうだから今美術館がファッション化して来ているんです。学芸員も黒い服を着て・・・美術館員だったら色を使えといいたいよ」

- - - - う〜ん。

 「雨後の竹の子の様に美術館が出来ても高々140年位 の日本の近代に、そんないい作家、いい作品がある訳ないでしょう。日本の洋画は下地が見えるし、それでも集めるのであればこんな小さなデッサンを何千萬円で買って来て、これが巨匠の作品だと言われてもそんな教育はないでしょう。
教育という言葉は嫌いだけれど美術館は実物で教育するんです。美術館で一番大事なのは実物なんです。学芸員も実物を扱うからそこから出発する。それが喜びでありそこから出発しなくては・・・。そこが大学とは違う所。作品を見る事は自分の体験、個人の感動その積み重ねが学芸員になければならない。
今、近代美術はやる事がなくなったし、コレクションも買うものがないから現代美術になってきている。皆あまり歩かないから情報源はBTかな」

雑誌に載っているとファッション的でかっこいいものに見えませんか。実際自分で見ている展覧会はもっと泥臭くてファッション的には見えない。なんかオサルスの見ているものと雑誌で紹介されているものは違うものじゃないかと思うんですよ。

「そんなかっこいいものじゃない。現実はどろどろして綺麗じゃないよ。画廊も結構汚いし」

このごろ人が作っているものだという事を忘れているような気さえするんですが。

 「それは何故この作家を選ぶのかがきちっと書いてないし、美術館で何故この作家をやるのか何処にも表明されてない。まずそこからはじめなければ・・。
方向性をはっきりさせてテーマが多義に渡るのであればそれだけの理由がなければならない。処が個人の選択の問題になってテーマはとった、しかし無限に選択肢がある。作家の数だけある。何処でいい悪いを決めるのも問題があるし・・。限られた時間と限られた調査範囲と本人たちの能力と制限がかかってくると結局その作家の必然性がもてない。
現代美術のテーマはどうしてこうなのか、これを取り替えたらどうなるのかというのがいつもあるんです。それは日本ばかりではなく世界中もそうだけれどそれを厳しくやられているかどうか」

厳しくとは?

「カタログの書き方でもまず現代美術の現状に今度の展覧会がどう密接に関わっているか、選んだ理由など。出来るだけ作家との接点を見つけてコミニケーションする事。よく読みづらいとか、書いてある文章が良く解らないという言葉は聞くけれど、どうしても言葉がそれしか使えないのであればしょうがないと。
ひとつのタームとして相手に解ってもらうしかない。少なくとも私はこうやってやっているという姿勢をコミュニケートすべき、それによって作家の姿勢も出てくる。
主観とは自分が見ている訳だから、それを伝えるんだから所詮その人の姿勢や考え方、感情が入ってしかるべき。もう評価の決まった作家なら書く事はない。感情が入れば叙情的だと言われるよ」

でも現代の人は同時進行で生きてる訳で評価しずらいのではないですか。

 「先の事を見通 せるなら神様だよ。昔作家は神の位置に立っていた。一種の創造主。
例えば神話は言葉をつづったそれを造型化出来るのは美術作家。素晴らしい事ですよ。それで僕は美術がいとおしくなった。つまり美術作家は言葉がしゃべれないと思えば・・・必至になって形にして・・・ダンサーもそうでしょ。かっこよく言えば無言符なんだよ。
必至になって表現の技術を覚えて相手に伝えようとする。極端な話だけれど今現代美術は創造とか個人というと怒られるけれどやはりそれはあるんだよ。そうじゃなければ何でもアートになってしまうし、それは酷いし無責任ですよ。
このごろインスタレーションという言葉があるけれど、新しいジャンルなのか今までの発展なのか日本では曖昧なまま、その内消えていくかもしれない。日本では絵画・彫刻と言わず平面 ・立体という外国にはそんな言葉はないよ」

え! そうなんですか?

「日本では明治時代に絵画・彫刻という言葉を作ったでしょ。刻むや彫るを組み合わせて、日本ではスカルプチャーに入りきらないと立体という言葉を使うんだよ。
現代美術は彫刻とは言わない立体という。どうしてそういう断絶があるのか、むこうはつながりがあるんですよ。つまりあらゆるイズムが無いというところもずっと展開させたあげく、ミニマルアートが出来てイズムが無くなる様な状況が出来た。
日本ではイズムが無くなったという言葉を皆入れて文章にしているが、よく考えればポツンポツンと切れるのは当たり前ですよ。日本は洋服を着替えるように輸入文化を受け入れてきた。むこうにルーツがあってもこちらには歴史がないようなもの・・。
確かに現代美術は日本では生き易い、評論家も作家もインスタレーションがあるから組み合わせてコンビネーション出来る。自分が作ったものでなくて在り合わせて・・・。そしてそれが現実に色んな意味をもって組み合わさるから又別 の意味を持つであろうと言ってやっている訳です。
現実は価値観が多様化していると言ってどんな形でも認めるべきだと認める事なんだと放り出している。放り出している方が評論家もかっこいいし ・・・。
ちょっと話が変わるけど、美術館に入っていないし大学でも教えていない評論家。食うや食わずだけど、いいですよ、この人たちは・・。モノを見なければ商売にならないし、いいもの書かないと誰も頼まないから・・・。今、美術館は奢ってるよ」

そうかもしれないですね。作家もお金をつくるのは大変だけれど。安定している人たちは危機感はないのでしょうか。

「安定しているから予算が無くなれば仕事をしないで済む。公立美術館であれば儲けろと言われても出来なくとも汚職しなければ首になる事はない。美術館は研究を後ろに伴いながら展覧会をするもの。
学芸員は研究と保存と活用って書いてあるよ。美術館は常設も含めて徹底的に研究しなければ、むこうの美術館は研究としっかりした展示を長いスパンでやってきていますよ」

最後にこれから美術館はどうなるのでしょう。

「景気が回復すれば昔に戻る」

景気は回復しませんよ。

 「しないでしょうね。新聞社や放送が手を引けば面 白い。美術館とは何か! 美術館はどうしたらいいのだろうと考える。
アメリカは経営が大きな眼目。お金を集めるのは大変でその才覚がなければ館長にはなれない。自分たちの美術館だからという意識で寄付もすれば限られたお金の中ででの経営を必至に考えている。
例えばレストランの収益やショップなど・・・。日本では業者に頼むでしょ。これからの美術館は自治能力がなければならない。それと意識改革。箱物行政の結果 美術館の建物が立派だから中にいる自分たちもエリート意識をもってるんです。美術の世界は凄いと思い込んでいる。もっと現実の問題を考える事が必要ではないかな」

お忙しいにも関わらず誠にありがとうございました。

 お話をお聞きすると、外務省の問題やゼネコンなどなど直接的には関係ないけれど、美術の世界も構造的には同じなのかと。
国家がお金を集めて配分するシステム、軋轢が膿のように溜まってしまって、それを払拭するには日本が今以上に機能不全、危機的状況になるしかないのか・・・トホホ! 少なくとも数十年前までは旨くいっていたシステムだからなあ。
だから構造改革は進まない。
「お代官様! なにとぞ、なにとぞ・・」なんて、何百年も前からズ〜〜〜〜っとやってたんだもんね。

岡本太郎美術館 http://www.taromuseum.jp/

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