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携帯オサルスのおすすめランチ ランチdeチュその51

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日替わりランチ
豚肉のキャベツの辛し味噌いため 950円

胡同三辣居
中央区銀座1-14-13 TEL03-5250-8821

http://www.kiwa-group.co.jp

 昭和通りの一本銀座通りよりの道から奥まったこちらのお店。名前は胡同三辣居と書いて「フートンサンラーキョ」と読みます。以前何軒かの画廊さんから取材してみたらと薦められてはいたのですが・・・。
 お店を決める時はこう見えてもナーバスになるんです。最初の頃は行って断られるのは当たり前。でも・・断られたらどうしようと・・・結構辛いんですよ。はっきり言って落ち込みます。このごろは55回もやったおかげで平気にはなってきましたが、相手にされない時はどうもね。信じないだろうけど、お嬢様育ちなもので・・・。

 今日はこちらのお店に月に3〜4回は食べに来るとおっしゃる東邦画廊の中岡さんご夫妻と作家の吉野辰海さんとご一緒に。
吉野さんは2月の東邦画廊さんの展覧会の折、
「犬が好きなのですか?」の質問に、「いや、犬をつるすのが好きなんだよ。」の答えが気に入って御願い致しました。年輪を積み重ねられた三人の方達にアートと生き方についてお話をお聞きしました。
でも、ご覧下さい。またまたランチとは思えない、この中で日替わりランチは豚肉のキャベツの辛し味噌いため(小鉢・スープ・ご飯 950円)のみ、他の料理は中岡さんが夜のコースを注文してして下さって・・・。ううっ、ラッキー!
見た目がとても綺麗でしょ。味もいいですね。このグリーンの色の綺麗なのがほうれん草とレタスのチャーハン。油っぽくなくてさっぱりして美味しい。ピータン豆腐のさっぱり感、ナス料理のピリット辛いこってり感、野菜も豊富にちりばめられて、ヘルシーで大変美味しかった。ご馳走様です。

では、定番の質問から・・。

●美術との関わりはいくつからですか。

 「出会いは帝国海軍誌、アメリカに押収されたされてしまった藤田嗣治などが描いていた戦前の翼賛会のハードカバーの海軍史を絵画化したものを見て、それを見たのは小学校に入る前ですね。僕は昭和15年の生まれ、当時の印刷であったけれどちゃんと力の入ったものでした。
見たのは4〜5才だった。多分子供はしっかりした仕事をしてるものは解るものだと思う。それが刷り込みになって美術を見るのが好きになった。それから近在にない美術少年になっていったんです。当時の賞はナショナルの蛍光灯・目覚まし時計が貰える楽しみがありました。
まあ! 取り合えず美術の好きな少年になってしまったので美術学校を目指そうと・・・。でも近隣には絵描きで食ってる奴はいやしない。でもやりたい事をやろうと・・。親父は怒ってましたね」

- - - - そうですよね。怒りますよね。

「口には出さなかったけれど中学校の卒業時には美術に行こうと決めてました。美術に深入りしてたんですね。その当時は体力は自信があったからしのげるだろうと・・・。始め芸大にトライして落っこちて何で俺が落ちるんだと思ったね。次の年に武蔵美を受けて。
友達と煙草をくわえながら30分位でデッサンを終わらせたら見事に落ちた。理事長に談判に行ったんだ。まあ! 当時は募集人員が足りなかったから真面目な振りして入ちゃったけどね。そういえば武蔵美のヌードデッサンは真っ黒で汚いデッサンだったのを思い出したよ」

- - - - 何故でしょうね。麻生先生の影響か? 足の短いどっしりとした真っ黒のデッサンを見た覚えがあります。

「それはモデルがああいうモデルだった。唖然としたけどね」

- - - - そりゃ!唖然としますね。

「学校には入ったが武蔵美の先生に絵は存在だとか言われて、バカじゃないかと思って学校行かなくなって画廊なんかを見て廻っていたんだ。1960年にネオダダとの付き合いが始まって、武蔵美の同級生とかお茶美の同級生だった奴なんかが三木富雄に(ネオダダじゃないんだけど)殴られて帰ってきて、俺が殴りに行ってやると行ったのが美術家になるきっかけだね」

●ネオダダは何方がいらしたのですか。

 「発案者が吉村益信、彼は大分の人。赤瀬川だとか他にももっといたけど・・・。
九州の大分の新世紀群に出してる連中が集まってね。ネオダダ以前の話だけれど、当事モヒカン刈りの篠原(有司男)入れたら凄いぞと・・。そしたら滅茶苦茶になって、吉村チームと篠原チームに分かれたんだよ」

●じゃあ皆さん大分にいらしたんですか。

 「そのころの情報の発信も受信も東京しかなかった。取り合えず東京に集まって・・・。当事は読売アンでパンダンと日本アンデパンダンがあったんだ。最終的に日本アンパンはプロパガンダ的な匂いがあったな。それからアンフォルメル一色になっていったんです」

●今の美術は閉塞感がありますが、当時は流れを変えようという力がありましたよね。

「そうあったはず。流れを変えて何が必要かと言えば・・。マーケットが必要になる。日本の美術に一番欠けているのはマーケットが無い事」

●未だにないですね。

「明治以降ずっとない。マーケットを作らないでドラマチックに美術を考えているから・・。だから戦後も色々な動きがあったが今となれば元のもくあみ。今もヨーロッパ・アメリカのテキストで動いている所があるが、マーケットがあってはじめてそれでいいんでそのマーケットは他所の国のマーケットを目指して行ってやれるかと言えばやれないんだよ」

●ん〜。結局元のもくあみになってしまった。そうするとこれから先は?

 「もっと悪くなってきてるんじゃないの。戦後は何か作れるんじゃないかという、そう無謀な夢をもてなくなったな! でもそれが駄目だと言ってる訳じゃなくてやっとスタートについたのかもしれない。明治以降ドラマチックにモノを考えていて・・。それは大正のロマンチシズム、その前の白樺もそうだしダダにしても皆どっかの借り物だよ。何にも無くなった所からしか出発できないんだよな。この停滞の時、時間はかかるだろうけどここから始めるしかない」

●ちょとむしかえしますが、今までの美術の歴史は色々なグループがありながら泡沫のように浮いたり消えたりしてますよね。

「ファッションでとらえている限りはね」

●ファッション的に浮かんだものではなく。吉野さんは何を根本に、何を核にして作品を作っておられるんでしょう。

 「凄い質問だね。これを答えられる作家がいたら・・・。これは解りません。これを見事にしゃべってしまうバカがいたらバカにするかもしれないね。こんなものわかりっこ無いって・・。生まれて死ぬまでの間に何かをしてるにすぎない。それをこういう目的があってなんて生きないでしょ」

●暇だからやっている訳ですか?

「実際それはあるかもしれない。何かしてないと胡散臭い目で見られるから」

- - - - やってても胡散臭く見られませんか。

「はははは・・・。カルチャークラブをやってる訳じゃないからな」

●中岡さん、画商さんとしてみたら若い頃から作家と一緒にやっていこうと思われていた訳ですね。

「それはない。大体画商をやろうと思わなかった。僕の勤めていた所が次々潰れていくと、もう人の為に働くのがいやだと、何か自分でやりたいと・・・。その時に考えたのは次の時代の金儲けは美術じゃないかと。それはまず金持ちに近づく事が大事だと。
ところが画商を始めた頃に中原佑介さんが読売新聞に現代美術を取り上げて書いていて、そのあとに針生さんが書いたものを読んで、だから中原さんに言ったんだけど、俺が金持ちになれなかったのは中原さんのせいだと、俺は現代美術なんかやらなかったらもっと金儲けをしていたよ。小磯とか売ってね」

- - - - 今は後悔してますか。

「そりゃ後悔してますよ。何で俺は人生に失敗したのだろうと・・・」

●様々な方に話を聞きましたが、皆、現代美術は金にならないと・・。では何故やっているのか不思議ですね。

「面白い話がある。南画廊の志水さんが笑いながら話してくれたんだけど、税務署が来た時に何であんたんところはもっと具象とか何とか儲かる仕事をやらないんだと言ったんだって、志水さんは 『刑務所に入る奴は何度でも刑務所に入る。俺は名誉が欲しいからこの仕事をやっていると。』 と、それを聞いて税務署は黙って帰ったというんだ。僕は名誉にも会えなかったけどね」

●結局結論としては後悔はしているけれど、何とか生きてるという事ですか。

 吉野:「それはそう。唯これからは画商の姿も、ジャーナリズムの姿も社会性も変わらざるを得ない。上下関係の時代でもない。表現者は自我がなければ表現者になれない。表現者は自我があってはじめて表現者となってくる。
コレクターも自我が育ってはじめてコレクターとなってくる。そうするとね民主主義が欲しくなってくる。民主主義は何かというと政治を含めて自我がちゃんと発育していく社会なんだ。今までの日本の社会は自我の芽がつまれてきた社会だからな」

中岡:「でもね吉野先生は自我というけれど、吉野先生自体は自我から出発して自我を超えてるんだよ」

吉野:「何か唐突に先生とか言われてもね。酒も飲んでないのに!」

中岡:「いや! 本人は言えないからね」

吉野:「へそが曲がってるとか何だとか言われようと・・。自分はね、どうしても自分って奴はね。何もんなんだという問いかけをしながら、それは死なない限り解らないし、少なくとも自分の意志や意見が表現できるのは表現者の最低の条件なんだ」

中岡:「ここで結局思うのだけれど、彼は自我という事を言っているけれど自我はそこから抜けてるところがある。自我を一つの全体としての見方よりは自我と対する他者・・。
自我があるから他者があるのは矛盾があるはずだし、そこから共通項を見つけるのは弁証法が必要。そういう過程で彼はアートの中で真剣にやってきた作家だと思う。小磯良平とは違う」

吉野:「色んな表現者がいるのは社会が豊かだから、表現までいたらなくて乞食をやっているのを含めて、社会を構成している。生産性のある人間ばかりじゃないのは望ましいと思う。バカな奴が多いなって・・いうかホントにあいつはバカで死んじゃったね。なんて可愛そうだけれど素晴らしいと思うんだ」

 中岡:「司馬遼太郎は日本の経済が豊かになったのは室町時代と言っている。その余力で遊び人というか芸能人を養う事ができた。今の平成の時代では遊び人を養う余裕がないんだ。
ちょっと話を前に戻すと、今皆マーケットでもっているだけ本当の創作は誰もやってない。マーケットはその時代その時代で作るべきもの、ヨーロッパに蔓延したマーケットみたいなものの上に乗っかってる訳だから、そういうものが無くなってしまったら止めざるをえない。
本当にマーケットを作るのであれば、一人一人の人間との会話を作っていくのが大事だけれど今はやっていないんだ。画商の中で評価されたものがいいとか悪いとか言ってるわけだから・・・。明治以降、知識知識できている。今の関係は知識が主体でものを考えたり見たりしている。人間はいかに生きるか。それは知識ではなく体験なんです。
アートはいかに生きるかという体験から出てこなくてはならない。コレクターもそうなんです。コレクターもいかに生きるかというのがあってアートを買うことで方向が見えてくる。今はすべて知識が多いとか少ないかの観念でしかない。益々これからコンピューターが全部やるようになると、いい意味のアートは生まれ難い状況になってくる。
マーケットを作る事は自分のいいと思う作品と対話しなくてはいけないし、その作品を自分が扱う事で成長しなくてはいけない。今、基本的にはマーケットはない。もう物まねではなくゼロから出発しなければね」

吉野:「少なくても美術館は公共予算がないし、学芸員が役人になってきている。画商も尻尾を振っているし、何やってんだか。ここの画廊は不幸な事に美術館との付き合いが少ないからな」

中岡:「少ないんじゃないよ!。ゼロなんだ。はははは・・・。ゼロのプライドだよ」

 吉野:「僕らの恥ずかしさって何だと思うのは、どっかに尻尾を振ってる恥ずかしさなんだ。危機感の少ない社会は、ある意味表現者がオーバーアクション的に社会の場外からの発言をしなくてはね。社会はいつも疲弊する。外側から発言しなければいけない。自分から社会の外に身を置く事が望ましいんだ」

どうもありがとうございました。

人生、尻尾を振った方が楽なのかも、尻尾を振らずに生きていく事は大変です。オサルスは別に尻尾を振ってもよかったのだけれど振っても誰もかまってくれないので、何故だかどんどん振らない方向へきてしまって、今更振るのもなんだからこのまま行こうと思っています。まあ! 私が振っても振らずとも大勢にはなんの影響ないと思うけどね。

東邦画廊 http://www.tohogarou.com/

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