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携帯オサルスのおすすめランチ ランチdeチュその54

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ミックスグリルランチ 1500円

OLD DELHI - INDIAN RESTAURANT-
東京都中央区銀座2−7−18 メルサ2丁目4F

 今日は6月14日、日本対チュニジア戦があります。これを書いている今はまだ戦いは始まってはいませんが、この文章が終わる頃には勝敗が決まっている事でしょう。と、書いても、ランチとはまったく関係ないね。

 さてこちらのINDIAN RESTAURANTのOLD DELHIは備長炭と土釜で焼くタンドリー「串焼きとナン」が評判の本場北インド料理のお店。

日本風カレーライスはよく食べるけれど北インド料理は食べる機会がなく、勿論本場で食べた事がないから美味しいお店と言ってもピンとこないのが本音。だからと言ってはナンだけれど日本で食べるインドカレーはスパイスが作り出す味のおかげかそんなに当りはずれがないのでは?。
じゃあ今回のチョイスの条件はというと、お店のつくりと土釜で焼くナンが美味しそうだったからかな。
 見て下さい。この細長いナンをインド人シェフが縦長寸胴? の土釜にナンをペタと引っ付けて焼くから伸びてしまうのではないかしら、焼いているのを眺めながら待つのも楽しいですよ。

今日は作家の母袋俊也さん(東京造形大学の先生でもいらっしゃいます)にご一緒して頂きました。

●造形大学の魅力を一口に言うとなんですか。

 「私立の美大の中では、新しいほうですから僕が勉強した時(母袋さんは造形大出身)から現代美術に対しては寛容でした。当時は他の学校はまだそうではなかった、いまだに多少はコンテンポラリーに対して受け入れ難い部分はあるようです。教育の現場ではまだ団体展系の作家も多数いますし・・・」

●美大の先生にこんな話をするのは禁句かもしれませんが、美術を目指そうと思っている人達は学校に行く必要があるのでしょうか。

「教育は必要なもので、教育に必要なものは構築的な積み上げていくような事だと思うんですよね。じゃあ美術自体が本質的に構築的なものであるのかどうか、みたいな事ってあると思うんですよ。
天才という言葉を時折耳にしますが、天才って言葉は今言いずらいじゃないですか。きっと天才というのは自分の環境だとか、自分以外のものが整っていなくても独自に個人の中で展開できる人が天才だと思うんです。だから時代を超える事が出来るだろうし・・。それ以外の人は天才じゃない訳ですから、様々な周りに影響されたりする訳です。
天才といっても時代を超えても時代の中の人ですから、全く孤立無縁で、天才だけで実現できる人はいないと思います。天才とはそういうものです。
そこまで言えば天才は学校を必要としないですよね。で、じゃあ20世紀に天才がいたのかどうか・・前半にはいたかもしれないけど。後半にはどうかな・・。
一般に思う天才は誰だろうと考えると難しい。ウォーホールは中々凄く大きな仕事をした人だけれど天才ではない。レオナルドは天才だった。僕にとってはピカソはいなくてもいい人だけれど・・。まあ天才かもしれない」

●ピカソはいなくてもいいとは何か根拠があって・・。

 「僕は好きではないから。美術史的に必要なんでしょうが、ピカソはいなくてもキュビズムは生まれただろうし、モンドリアンは登場できただろう。と言う風に思いたいのかもしれません。
ピカソよりもマチスが大切だと思っています。天才という話は別にして表現はモチベーションが凄く大切。僕は高校の時に絵を描く人生を選びたいと思って、確かにその時の思いがいつも持続できているかどうかは・・・必ずしもそうではなくて、勿論いい作品を作りたいという気持ちがある訳だけれど、元々表現していく人生を歩みはじめたいと思った時のモチベーションっていうんでしょうかね・・・。
それを実現する為にどういう方法をとったかというと、東京に出てきて研究所で夏の講習を受けるプロパーとしてのプログラムから入ったんです。それは本当のモチベーションとは違って、受験が目的になっていく訳ですから、大学に受かる事が大切になってしまって殆どの場合美大という、ある特定な学校に入る事が目的になる訳で、それが自分が表現しようした元々のモチベーションとどう絡めるかになってくる。
現実はプログラムがあって、システム化されていく中に組み込まれる訳です。おそらく研究所に行かないで、美術系の大学に入学する事は不可能に近い現実がありますよね」

●予備校に行かなければ美大には入学できないという事ですよね。又、モチベーションの継続は資質も含まれますね。

「そうですね。資質と巡り合わせですね。どういう人に巡り合うかがあると思います」

 はい!お待たせしました。ミックスグリルランチです。[タンドールチキン・シークカバブ・カレー・ナン&サフランライス・フルーツライタ(1500円)] カレーは海老と野菜のカレーをお持ちしました。

母袋さんはどちらが宜しいですか。「じゃあ、海老のカレーを・・。」

●如何でしょうか?

「ナンが細長いですね。海老のカレーはマイルドでクリーミーですよ。僕は海老の方が好きだな」

- - - - ん〜。こちらは女性のお客さんが多いそうなのでマイルドにしてあるみたいですよ。タンドールチキンも香ばしいし、ナンが美味しいですね。
よくカレーは召し上がりますか?

 「食べますけど・・・。食べてる所を写真に写されると緊張しますね」

- - - - そりゃそうですね。すみません。

●では、話を巻き戻して巡り合わせはありましたか?

 「高校の時に絵を描きたいなって思って、今も作品を作り続けているわけです。ドイツに5年住んでいましたし、節々で色々な方達との出会いがありました。そういう出会いとチャンスの連続で今まで継続してこれました。本当に今年も絵を止めずにすんだとギリギリの所でやっています。その連続でした」

●え! そんな風には見えませんが。

「継続していく事は自分の作品が次のエネルギーを押し出していくような・・・。要するに、自分の作品を作る事においてその作品が自分を後ろから押してくれるような・・。 だからそれには自分の作品に可能性を感じてないと無理ですよね。
長い美術の歴史の中で見ると、大家とされているような、超メジャーな美術史上に残っているような作家も、必ずしも生きている間ずっと自分の作品に可能性を見出せたかどうか疑わしい人は一杯いますよ。
例えばムンクの場合は1890年代から1900年初頭はいい作品を作っていますが、ムンクは長生きでずっと生き続けて、それ以降殆ど作品を作っていない。
モンドリアンも1920年代がベストだし、ロスコもポロックも自殺でしょ。美術史の上では大きな仕事をしたし誰も疑いはしないけれど、彼ら自身が自分の作品に次なる展開の可能性を見出せなかったから自殺した訳ですよ」

●押し出していくエネルギーがあるのは解りますが、それがピークに達するのは本人に解っているのかいないのかどちらだと思われますか。

 「僕はまだピークがないです。ピークは美術史の上では10年位なんですよ。凄く重要な10年間。唯、長さが必要なのではなく、その前に何年かがあって、ガッと展開出来る10年間があると思うんです。
昔、テーマが凄く壮大な時代は一生やっても結論は出せなかった。
ファン・アイクがキリストを描くのは永遠のテーマですよね。でも、ポロックやロスコが抱えたテーマは彼らの人生よりも短い時間で結論が出てしまったものだと思うんです。勿論彼らは大きな仕事をしたとは思いますよ。でも限界を知ってしまった。
限界を知ってしまった以上、自分が信じる事が出来なくなった作品を継続して作り続ける事が出来なくなってしまったのでないでしょうか」

●作品が固まってパターンになってきてしまったから嫌になったんじゃないでしょうか。

 「ロスコの作品は光みたいなものじゃないですか。つかみ返せる実態がある訳ではないしそれこそが彼の仕事ではあるけれど・・・。1970年のある朝早く、素人が思うように自分の作品が色を塗っただけのものに見えた瞬間があったのかもしれない。絵とはそういうものです。絵は確実ではない。
僕ら作品を作る人間は確実に体験する事だと思いますが、例えば夜遅くまで仕事をしていて凄くいい形で終わって安心して寝る訳じゃないですか。ところが朝見ると昨日見ていたのと違うんです。
誰も手を加えてないのに違って見える・・。そのぐらい美術とは不確かなもので元々不確かなものだと思うんです。不確かなものを確かなものと思う。それはデタラメでも、インチキなものでもなくて、確かなものなんだけれど自分自身確かなものではないと思えなくなる瞬間が同時にあるんです。
思ってしまったら持続はできない訳で・・僕は思うのですが、ロスコにしてもポロックにしても世の中が評価しなければ、がんばっていたと思う。『ふざけんじゃないや、誰も解んないのかと・・、ここで終われないと・・。』思ったと思う。
二人とも死の直前には評価が高まるんです。美術館が買いに来たり、大きな展覧会が開かれて、皆が誉めてくれるんだけれど、本人が不確かなものと思ってしまったら取り返しがつかない訳で・・・」

●これは人生ですね。作家は生き方ですよね。歳を重ねてくると見えてくるものがありますよね。絵描きは職業ではなく生き方として考えた時にこれは凄いなと思えるものを見てみたいと思う気持ちはあります。

 「作る立場で言えばそういったものを作りたいと思います。でもロスコもポロックも間違えた、自ら命を絶つのはいい事だとは思わない。課題が小さすぎたのかもしれない。偉大な事をしたとは思いますが・・・」

●作品に自分の人生を賭けますよね。そこの部分できちっと作ったものが見てみたい、今は発想が専攻しているように思うのですが・・。

「美術の役割の一つには不変性(普遍性?)がきっとあると思う。不変(普遍?)とは様変わりしてもあり続けるものです。又、コンテンポラリーの役割は『今』だから、コンテンポラリーの役割を局部的に考えていけばそれこそ『今』っぽいものが要求される訳ですよね。その両方を兼ね備える必要があって、例えば『今』っぽさは歳をとってしまえばその『今』という時代は軽々しく見えてしまうでしょ。それは確実にそうだと思う。でも、今、不変(普遍?)はあまり要求されませんよね」

●不変(普遍?)という事はよく解りませんが、人の脳はそんなにすぐ変わらないものだと思います。確かにコンテンポラリーは『今』、『今』だから今を写す鏡でいいのかと・・。

「鏡だけでは駄目です。ジャーナリズムは鏡そのものでいい訳で・・。でも、美術は『今』が見えなくてはいけないし、『今』が見えるだけでは充分ではないんです。
だから今の美術に対しての僕なりの不満があるとすれば、『今』は見えるかもしれないけれどみたいな事なんです。それは言っていてもしょうがない事で・・。出来るか出来ないか解らないけれど僕が作品として提示していく事だから。時折思うのですが、僕にあまり多くの時間が残されている訳ではないので・・・」

●ええ? そんな事ないでしょう。

 「多くの作家は僕の歳では死んでますよ。ゴッホもスーラもフェルメールも40代で死んでいるし、短い人生だけれど形を残している人はいます。
僕は長いスパンで美術を見ているから、例えば北斎とかモネとか色んな作家を見て勇気づけられます。モネは50歳から睡蓮を描き始めた訳だし、人生の後半でいい仕事をする人はいるから、希望が無い訳ではないけれど、ある面では人類がどれだけの絵を描いてきたのかと思うと無数にありますよね。でも、僕らの知っている作家は数に限りがある。
ただ描いているだけでは駄目だから、焦りはありますね。僕は独自なテーマを設定しているので・・。比率の問題なんです。それはそれなりに10年以上取り組んでいる訳ですが、そのテーマ自体の設定がトンチンカンな可能性があるかもしれない訳ですよね。
ですから後何年やっても結論が出る訳ではない事だってあるから・・。今はまだ可能性があるテーマだと思っていますが・・。
見る人は絵柄で見る。僕の作品のある特徴的なものを見ているのかもしれませんが、僕が本当にやろうと思っている事にまで入り込んで僕が拘っている事まで拘ってもらえるような事は少ないですね。それはそうかもしれませんが」

●でも、拘りが無ければ駄目ですね。がっかりします。拘っているからオサルスもこんな事やっている訳ですから。

「作家の強さは拘りの強さ、表現の強さは拘りの強さですね。その本人以外はどうでも言い訳で、おそらく本人が凄く拘っている事が、ある形になった時に人はやっと解るんです。拘っている事に気がついてくれる人は、今目の前にいる人だとは限らない。その為にも記録として技術として残しておく必要があるんです」

●最後に母袋さんにとって作家とは。

 「学生に卒業後どうするの、と聞くと作家になりたいとか、作家でやっていきたいと言うんです。作家という言葉はよく頻繁に耳にするじゃないですか。では、作家とは何なのか問いたてるとすればこれは難しい問題です。
売れなかった作家は沢山いるし、多くの場合、近代以降は作家である事は売れなかった事が条件になるくらいの感じはありますよね。作家は必ずしも経済活動を意味している訳ではない。では何なのか? それを問い詰めていくと作家とはまず自分がなくちゃいけない。
しかし自分だけがある訳では駄目です。自分がいて自分の為だけに満足する事だけでは駄目なんですよ。でも自分が満足をする事をしなければいけない。
例えばデザインと美術は違いがどっかにあって、デザインはクライアントなり依頼された側の意向があってそれに答える。自分が満足しなくても依頼者の為に作る。対して作家はフリーランスという意味を含んで、自分自身の目的がある事だから、と、いって自分の為だけにやっているのが作家ではなくて、自分と社会がどう接続できるかとという事だと思うんです。
まず自分の自己実現があって、自己実現によって自分の仕事が社会化する。だから社会化するとは貢献する意味でもあり社会の為になる。そういう事を目指す人が作家だから、作家は志みたいなものになってしまって、結構それは重要な事なんです。あくまでも自分の自己実現の為だけに集中していく、且つ自己実現が内側だけで閉じるのではなく社会ときり結ばれていく。これが作家。
仕事というのはサラリーマンの場合は違うニュアンスで使いますが、僕らの仕事というのは社会との関係の中で位置付けられる事だと思います。頻繁に使う言葉だけれど難しい」

- - - - だから何度も言うように作家は生き方じゃないかと思うんです。お金で転ぶのを見ているのは面白くないし、転ばないで欲しい。生き方のテーゼとして見せてもらわなければ意味がないような気がします。

 「そうですね意味が無い。そういう事を考えれば作家を目指す人が沢山いるし僕も目指しているんですが、だけど作家はどのくらいいたのかと言えば、現に僕らが知っている作品を作った人しか作家ではない訳だから、でもその時のその時代のジャッジ自体が正しかったとはいえない訳だし、又ジャッジするだけのものが残っていればまだいいけれど、作品が灰になってしまえば無いのと同じ事だから、最低限作品を作る事は今だけの為だけではなく作らなければいけないし、その作品の可能性があると思えば自分がその作品を資料にする事を含めて 守り通す事。それが大前提なんですよ。
美術は個人と社会が同時にあるんですよね。凄く個人的なんだけれど、趣味で私がよければいいというのではなく、自分なんだけれど自分と社会を同時に見ている。そういうものって世の中にそんなに沢山ある訳ではない。自分と美術に関わる事はある意味信頼できる素朴な情熱があるんです」

どうもありがとうございました。

結論としては、作り続けて、生き続けて、作品の数を残すしかない。これですよね。

このごろ「お薦めランチ」をやっていると、どうも話が美術関連の話題に行き過ぎ、オサルスは美術以外の話は出来ない奴なのでしょうがない。とは思いつつも、その道のプロに勝てる訳でもないし、勝とうとも思っていないのです・・・。
では、何を聞くかですが・・・その人の生き方を聞く事ができればいいなと。
ただ、このごろ身内からはフランク・ザッパ・オサルスと呼ばれるようになってしまって・・、え! フランク・ザッパって何? って?。
往年の有名なロックシンガー。風体が似ているのではなく、名前がフランク・ザッパ・・・。だから〜、率直に言ってオオザッパ(大雑把)なんだと。どうも〜〜〜〜。

母袋俊也 関連情報 2001.4

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