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携帯オサルスのおすすめランチ ランチdeチュその61

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インドネシア風焼きそばミゴレン


fireking cafe
東京都渋谷区上原1-30-8 TEL 03-3469-7911

 fireking cafe を Yahoo で検索すると凄い数の紹介記事が、知らないのはオサルスだけ・・・みたいです。その中の『東京カフェ案内』から引用しますと、

「'70年代で製造中止になったアメリカの食器ファイアーキングのデットストックを用いて”おもてなし”してくれるカフェです。オーナーがコレクションしたジェイドグリーンシリーズの柔らかな緑色と、カウンターの銀色と、スツールの赤のコントラストが美しい。 翡翠色の食器が輝く、インドネシア料理のカフェ」

と、紹介されています。オサルスのように何の観察力もない輩に、これ以上の紹介は無理なので文章で補えない部分は写真でどうぞ・・・。

どうです。素敵なカフェでしょ。
今日はこの素敵なカフェが在るビルのオーナーでもある、ギャラリー椿の椿原さんの 『お薦めランチ』 です。

  こちらは注文すると素早い反応・・・。もう出てきちゃいました。
今日のメニューは、インドネシア風焼き飯ナシゴレン、インドネシア風焼きそばミゴレン(各スープ・サラダ・コーヒーor中国ティー付き。各900円)辛いだろうと思いましたが 、食べやすくて美味しいですね。オサルスが食べた焼き飯の上には目玉焼きや唐あげもついてお得な感じ。

ランチもお薦めだけれど夜はもっとgoodみたい。(夜は蝋燭の光で皆さんをお出迎えするらしい。)トイレへ続く通路の脇のネオンがお見事。凄くシックで大人のムード。落ち着いてゆったり食事ができますよ。
今度は年下の若い彼とデートもいいな。そんな事絶対-immposiblu-・・・だけどね。
只今カフェではphotographer(馬場道造さん)の展覧会中(〜9月30日まで)です。

●代々木上原の駅から1分、場所もさる事ながら、天井の高さもあって画廊で使っても申し分ない場所ですね。

 「そうですね。僕の住まいはここの上なんですが、まあこれが銀座ならいいんですけどね」

●椿原さんは、画廊を出されてから今年で20年目とお聞きしましたが、美術を志した切っ掛けは。?

 「切っ掛けも何も父親がやっていたという単純な理由で・・・。当時大学は学園紛争の真っ最中・・就職もままならない・・何となく画商になる成り行きがありました。 父親は戦前は工場を経営してましたが、それを売って戦後新宿にビルを建てたんです。
最初そのビルの地下を画廊にして・・・。当時の新宿は、第一画廊とかセバスチャンという飲み屋があって、若手の現代美術系の評論家や絵描きさんが集まってたんですよ。そういう周りの環境もあってか、そのうちビルの3フロアーが丸ごと画廊になって・・・。
  昭和44年大学を卒業してから本格的な画商の勉強をしに大阪の梅田画廊にお世話になりました。大阪は生まれて初めてで、最初は緊張しましたし不安もありましたね。当時梅田画廊では『梅原龍三郎と坂本繁二郎』の二人展をしてました。その二人の名前を僕は知らなかったんですからね。当時は第一次絵画ブーム、景気が凄く良かったんですよ。
梅田画廊もアートグッズや美術館を作ったり・・・色々手がけてました。あの画廊は古い体質の画廊に思えるかもしれませんが、時代の先を見通せる力がありました」

●美術の世界は先を見通せる眼がなければ駄目ということですか。

「そうね。それと見切りが良くないと・・・。駄目な時にさっと引ける事がね。第一次絵画ブームのあとオイルショックが来て色々な画廊が潰れましたが、梅田画廊は引き際が上手かった」

●五年間勤めて美術への思い入れはできましたか。

 「梅田画廊は色々なジャンルを扱ってましたので、手の届く所にあらゆるタイプの絵があったんです。ですから自分の好みをチョイスできた。又、企画も任せてくれたりね。5年間凝縮して勉強させてもらいました。
作品を売る事は、情熱と質のいいものがあればお客さんは自然とついて来てくれると思っています。でも画商の本来の力は仕入れの力と企画の力だと思うんですよ」

●1970年代は日本が一番いい時代でしたよね。

「そう高度経済成長でエネルギーはありましたね」

●30年経過して今はエネルギーが殆ど枯渇してしまって・・、2002年の気持ちは如何ですか。

 「沈滞してるというか・・・気持ちが萎えるというか・・・先が見えないというか・・・。2000年に入って大きく時代は変革しているし、今までの仕組みが大きく変わってきてるわけで、日本独特のシステムやマーケットでは勝負できなくなってきていると思いますよ。
日本の美術業界も今まで交換会(※注)の作ってきた作家がスターである時代が続いていた訳で・・・。もうそれを踏襲している画廊は成り立たなくなくなってきているし、ブローカー商売も共通アイテム作家がいなくなれば成り立たなくなってきています。それぞれの画廊の個性が要求されてきているんです。唯、そうなんだけれど皆凄く保守的な体質だから、判っているけど大きく踏み出せないジレンマがありますよね。
何か明確な『これだ』というものが見えないというか見失っているというか、まだバブルの後の虚無感や喪失感を引きずっているように思いますね」

●ギャラリー椿は個性的な作家が多いですが、ナイーブ系の作家を扱おうと思った切っ掛けは・・・。

 「自分の中にそういう好みが在ったんでしょうね。抒情的なリリカルな部分の作風・・・。気持ちを和ませてくれるものが好きです。クレーだとかベンシャーンのリルケの詩集に惹かれるからね。
 僕は梅田画廊に5年いて椿近代画廊に10年いたんです。昭和58年。丁度36才の時転機が訪れて、自分の好きな作家でいきたいと・・父に反発して家を出て自分の店を出そうと決心しました。最初はゼロからの出発です。その当時出逢ったのが小林健二と望月通陽。
あ! この人達なんだと思いましたね。二人とも子供の心を持った作品を作っているんです。望月さんは染色家だし小林さんは独学でどのジャンルにも当てはまらない作家。自分の好きな星を見たり、石を磨いたり博物誌的なものに興味があって作品にしたり、こんなピュアな気持ちを持った人と一緒にやりたいと思ったんですよ。
自分の才能を大きく展開できる作家、画風をどんどん変えていく作家、次に出会った小林裕児はその典型です。安井賞をとっても一つの処には留まらない人。地位なり名誉を捨てられる作家は凄いですよ。妥協をすれば地位や名誉を守るための手段に絵が変わっていくじゃないですか。偶々もらった勲章を捨てられる人は、やっぱり純粋に絵を描いているんじゃないのかな。
でも20年画廊を経営して、24〜5名の作家を扱って来ましたがこの頃はもう1回初心に返ってみようと・・・。新しいお客さんが増えないのも悩みですね」

●これからの時代はコマーシャル的なものでないと売れないのでは?

 「山形博通は絵画ブームの言ってみれば片側のスターですよ。一般の人達を呼び込み裾野に染みこんでいった作家のような気がするんです。何故かというと高い安い、売り方がどうこうというのは別問題として、イラスト的な作風がコンピューターグラフィックスや劇画やコミック漫画を見て育った世代に何の抵抗もなく受け入れられたのではないかと思います。
これだけ続いているのはそういう世代にとって抵抗なく受け入れられるものだったと思いますよ。日本の文化の一番象徴的なものはゲームソフトやアニメだとか・・いわゆる世界に輸出できる文化はいくらファインアートを一生懸命やっても無理なわけです。外国から見た日本の文化はキャラクターの部分です。そういう社会背景の中に出てきたのは奈良さんや村上さんじゃないかと・・・。
これは例を上げれば日本に戦争だとか飢餓だとか宗教問題だとかがあれば、それはそれで日本の社会状況の中から出てきた作家だと認められますよ。独特の文化がなければ無国籍になってしまって評価しずらいのではないかと思っているんです。彼らは日本の文化のシンボリックなものを表現していると思うんだよね。自然に自分たちの中で育ってきた体験だとか環境の中から出てくるものは自然でしょ。
アートが応接間や床の間に飾られる重ッ苦しいステータスのもではなく、電車の中で読めるような、トイレにでも飾れるような・・・アートが日常になって来たとは思います。日常の中で楽しめるのは自分たちが親しめるのかなと・・・。それは一つの文化だし、日常の中にあるのが文化だからね。唯、我々はもう少し重いようなものに慣れ親しんできちゃったからね。重厚長大の中で育ってきてるから・・・」

●でもそれはこれからも続くわけだから売れるものは変わりますよね。

「変わります。流行はしょうがないと思うよね。デザインと違ってアートはその時代に合わせて変えられていくものではなくて、その個性が失われたものは消えていってしまうから、結局アーチストは美術史的に評価されるわけだから売れる売れないは別問題ですよ。唯、前と違ってインターネットなど情報の種類もスピードも違うから、孤高の画家はいないよね」

●美術史的に評価されるのは判りますが、実際にご商売されているわけだから、その辺は痛し痒しですよね。

 「基本的に売れるという意識でやるわけでなくて、いいなと思う処から始めるわけで・・・。売れる作家が判れば今苦労してませんよ。結果的にそれが『いいね』と言ってくれる人が一人でも増えればいいという処でやっているわけで・・・。
でも、逆に言うと僕が個展をやらなかったけども、いいなと思った人はスターになってます。それだけの眼は持っていると自負してますけどね。商売としては苦いものや辛いものよりも甘いものは売れます。でも目利きの画廊はバランスをとってますよ。そうでなければ説得力がない。自分は好きな作家と20年やってきました。幸せだったと思いますね」

●最後にご自分のモットーをお聞かせ下さい。

 「そう言われると何だろう。自分が今まで生きてきた内で答えになっているか判らないけれど・・・。業界の人間にはなりたくないし、業界オンチになるのは嫌だな・・・と、仕事を離れたら色々な人と付き合いたい。
僕は趣味が多彩でバードウォチング・ゴルフ・テニス・ヨット・野菜作り・・・まで、色んな人と年齢を超えて友達になれるんです。全部自分の為になるし、絵が好きなので夢見る乙女的なところはあるけど仕事を離れて楽しめないと、出来るだけバランスがとれた生きかたをしたいですね」

どうもありがとうございました。

バランスのとれた生きかた・・・。子供の頃から 『なんて極端な性格だ!』 と、言われ続けたオサルスにはとてもできないかも・・・。でもバランスをとって先を見れる眼がないとこれからは生き残れないのも確かですよね。世の中厳しいですよ。オサルスも淘汰されないようにがんばんなきゃ・・・。

聞くの忘れれてしまいましたが。バードウォチングスタイルとはチロルハットに登山ルックに双眼鏡なのでしょうか?・・・。児嶋画廊の児嶋さんもスケボースタイルで登場して頂いたのだから、椿原さんにも「バードウォチングスタイル」頼めばよかった・・・。
残念!。

※注 <交換会>
非公開の美術市場。画商が業者間の在庫の交換を目的とした卸売市場。金融的側面もある。

ギャラリー椿 www.gallery-tsubaki.jp/

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