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携帯オサルスのおすすめランチ ランチdeチュその73

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麻婆料理定食 1300円

宮保大蝦(大海老の酢辛味炒め)1500円


白碗竹竹快楼(バイワンジュウクィロウ)
東京都港区赤坂4-2-8 TEL 03-3585-4657
ランチタイム11:30-14:30

 12月27日、2002年最後のランチ取材。2002年 『ランチdeチユ』 でお世話になった方達は延べ31人。
どうもありがとうございました。
本当に多くの方々、お世話になりました。日本国内は基より海外でも 『見ましたよ。』 の声を聞くと嬉しい〜。
2003年もガンバッチャオ!(海外でも日本語読める人いるんですね。返って来る感想 は、よく判んないけど英語が多い。)
と、ここまでは明るいオサルスなんだけれど・・・。実は暗〜い気分なの、12月は。 毎年何となく気分が落ち込んで・・・ブルー。これでいいのか、みたいな自分の限界 を感じちゃうからかな・・・。

 「何言ってんの! 元気だしなさい!。2003年 『年女の柴田悦子』 がいいお店を紹介するから。ここの麻婆豆腐はね。 シビレルわよ。メ〜」
中国三千年の秘伝 『黒豆ラーユ』 を手に・・・流石に役者だ、柴田さん! その姿に圧倒されながらもバイワンジュウクィロウへ行って来ました。


・・・ へえ〜凄く流行っているお店です。皆並んで順番待ち。料理、期待できるかな。

 今日は作家の彦坂尚嘉さんとご一緒に。彦坂さんは去年もランチでお話をお聞きしたんですがご一緒した銀座のお店がなくなってしまって・・・。それはないだろうと、そこで再度登場して頂き、今年一年の展覧会を総括して頂きました。

●今年印象に残った展覧会はなんでしょうか。

 「ソビエトが崩壊した1991年以降、日本の崩壊も始まって、小泉政権が発足した2001年から日本の社会は本格的な過渡期になっていますが、こういう状態が2005年位まで続くと思います。
 その中で、ソビエトが崩壊した1991年にデビューして、2000年、2001年に時代の新しい 枠組みを決定的にしてきているアーティストの1人は、村上隆さんだと思います。私も、オサルスも、村上隆主催の 『GEISAI(芸祭)』 を第1回第2回も取材していますが、現代美術の知っているアーティストや評論家というのは、村上隆さん関係以外は来ていませんでしたね。
 でも 『GEISAI(芸祭)』 、そして 『有限会社カイカイキキ』 は、村上隆さんが日本の現代美術界とは別の独立王国を作ろうとしている試みとして、特筆すべき出来事だと思いました」

 「それと5月15日のクリスティーズのオークションで、97年に300万円で売った村上氏のフィギュア彫刻が、38万ドル (約4860万円、手数料を除く) で落札したことです。
 今までクリスティーズやサザビーズのオークションで、あそこまで値段が高くなった例は日本のアーティストの中ではいないのです。そういう意味で、日本の現代美術家の作品が、欧米の投機的なアートゲームに参加できた歴史的とも言える画期的な事件でした。
 だから私は高く評価して、パリのカルティエの初日を見にいったのです。
 6月27日から10月27日までパリのカルティエ財団現代美術館で村上隆展が開かれて、8万人の観客動員をしてヨーロッパ上陸を成功させたのですね。
 
 村上隆さんの考えの中には、閉鎖的なおたく主義が強くあって、もう一方にグローバリズムに対応して海外に模範解答をだそうという適応主義が強力にあって、絶妙なバランスを作っているのですが、この2面性が今の時代を捕らえたのでしょうね。
 又もう一つはドクメンタが面白かったです。1100万ドル (13億2000万円) の予算をかけて、5つのサイトを占める、ドクメンタ史上最高額、最大規模の現代美術展でした。たしか横浜トリエンナーレが3億円くらいの予算だったはずですから、それは規模といい、アート・マネージメントの完成度/成熟度といい、すばらしいものでした。

 しかもプロデューサーは初の黒人で、ナイジェリアの富裕な家に生まれた39歳のオクイ・エンウェザー。自国人を前に出さないドイツの国際政治感覚の良さがきわだっていました。
 国連型の国際展ですが、特に写真や、マルチ映像作品に、超1流の名品がたくさんあって、見に行って良かったと思いました。
 
 時代的には否応なしに変化は進んではいるのです。
 唯、ドクメンタ会場からから日本を見た場合に、日本の現状は、鎖国している状態のように見えました。
 全体的な雰囲気ですが、グローバリゼーションに対する反動なのでしょうけれど、ドメスティックな日本主義の流れが強くなっている。
 まだ読んでいませんが、この10月に田中英道著 『国民の芸術』 (扶桑社1800円) という本が出て、日本芸術は特殊で万々歳というような内容らしいですが、今の日本の美術界の右の面を象徴しているのではないでしょうか。
 流行歌手のレベルでも宇多田ヒカルの 『 SAKURAドロップス』 が流行っていますが・・・」

・・・フレーズは聞いた事があるんですが、そういう題名だとは知りませんでした。

「閉鎖的でスケールの小さい4畳半文化的なものに回帰していく流れが一方に強くある訳です。 全体に若いアーティストの中にも、スケールの小さくなった焼き直しの内向きな表現が増えている。 こういう傾向は現代美術だけでなく文学界でも同様で『 スケールが小さい』という言い方が文学賞の選考評にいくつも出ています」
 
・・・日本の国だけ見ても外に向かうというよりは内に篭り初めているという事ですか。

 「だから、つまり明治維新で日本の近代が始まりますよね。
 近代とは基本的にナショナリズムが強くあって、1つの 《国民》 という共同体を作ろうとした訳です。
 それ以前の江戸時代は『藩』ごとですから、《国民》 というものはいない訳ですね。
 《国民》という共同体を作って義務教育を課して、大文字の 《文学》 《絵画》 を確立して国民文学、国民絵画を成立させて、《国民》 皆が共通した文化を持つ状態を作ったのが近代だった訳です。
 例えば美空ひばりの 「真赤な太陽」 がヒット曲として流行れば殆ど9割以上が聞いて知っている訳ですよ。何処へ行っても鳴っていましたね。
 皆が共通した文化を持つのが近代の国民国家の姿だったのです。それが、だいたい1975年位を区切りに変わったのです。《国民》 皆が知っているようなヒット曲も、80年代になれば無くなってしまったじゃないですか。いくら宇多田ヒカルが流行っても知らない人も出てくるのです。皆が聞く訳ではない。ある階層でミリオンセラーがいくつも出ても国民全体を覆うような共通文化ではないのです。
 
 石鹸水の中にストローを突っ込んでブクブクと泡を吹いたような沢山の閉じた小空間に分裂した状態、そういう状態に日本社会がなってしまった。だから、古い 『ナショナリズム』 は機能しないにも関わらず、反動なのか、昔の国民国家にもどろうとする幻想が台頭してくるのです。それは9・11以降アメリカにもあるのです。グローバリゼーションだったはずなのに急にナショナリズムに転換しちゃう訳です。だからと言って古い近代の生活に戻るはずがない。
 
 《絵画》 というジャンルが特権性をもっていたのも《近代》の特徴です。
 だから 実際にドクメンタから日本を見れば、日本の中には依然として絵画が主流で、某美術館の評論家館長が言っていた事ですが、 『依然として絵画が主流ですね』 と言う訳です。でもドクメンタに行けば絵画は殆どない。 『この落差はどうするのだ』 という事があるじゃないですか。この状況を日本の美術評論家先生は、積極的には説明してくれない。
 でも、こうした絵画状況は、それは日本に限らない訳で、ニューヨークのチェルシーを歩いても、パリを歩いても、沢山の画廊には当然絵画は今だって山ほどある訳ですよ。ただ、面白いものが無いという話だけだから・・・。物量的に言えば団体展に行けば絵画はいくらでもある訳であって・・・。問題は革新的で面白い表現が無い。あるいはクウォリティーの高い超一流の作品がない。
 ドクメンタでもそうですが、今日の絵画は挌付けすると、6流、21流、41流といった低いものが多くて、超一流の、しかも革新的な作品がほとんど見られないのです」

・・・よく判んないのですが、絵画はもういいか、と思っている部分はあります。

 「私は絵描きだから、そういうわけにはいかなくて、今も何とか革新的で超一流の絵画を描きたいと、日夜努力しています(笑)、先日のギャラリー山口の個展では出力画像を出品していますが、隣のギャラリー手ではペインティングを並べていたのです」

・・・済みません。

「済みませんて言うことはないけれども(笑)、国際展を考えた時に、1つはドクメンタ、ベニスビエンナーレとか、サンパウロビエンナーレなどの展覧会。
 もう1つはバーゼルのアートフェアーなどのアートフェアー。
 つまり基準が2つに割れていると思うわけです。
 アートフェアに行けば、まだまだ絵画は多いのです。つまり村上隆さんの作品もドクメンタには出ていなかったわけで、彼の絵画も含めて流通美術の領域では絵画はまだ生きている。村上さんの作品は、エンターテイメントで、ルノワールのようなものだと思います。シリアスアートではない。しかしシリアスな絵画も、まだまだ流通美術の領域では成立できると思うのです。
 こういう作品をコレクターに向かって見せるのはいいですが、只見している人やジャーナリストに、コレクターに向けて描かれた絵画を見せても、見えないですよ。
 隠す必要はないですが、只見の客に見せて、好き勝手言われるのは不愉快です。できれば、ショーとしての展覧会美術作品とは分けて、流通絵画作品は別の場所で発表したいです」

お待たせしました。こちらが宮保大蝦(大海老の酢辛味炒め ご飯・スープ・他1500円)と麻婆料理定食( ご飯・スープ・他 1300円)でございます。
ゲッ! 麻婆豆腐は見るからに辛そう。 パク。 唐辛子の数はダテじゃない。辛〜〜〜い。
確かにしびれるねえ。しびれちゃって頭が羊になった柴田さんの気持ちが判る。でも、コクがあって美味しい。

「オサルスはこういう店の内装はどう思う? 好きですか?」

・・・ん〜。わざと古びた感じを出している演出がちょっと気になります。古びたものは時間の堆積だから・・・効果でイマジネーションを刺激しているのはどうもフェイクの匂いが・・・。表のビルの姿はいい感じなんだけど、中に入ると料理美味しいのかな、と、ちょっと心配になりますね。いま流行のチェーン店的なんですよ。イメージが・・・。

「ビル自体は小さな古ビルで、できるだけ原型を生かして演出を施した感じですね。フェイクの匂いが、おしゃれ、なのでしょうね。私には、こういうおしゃれさが理解できなくて苦労したのです。今は慣れましたが」

●・・・ん〜。では、気を取り直して海外は判りましたが、国内では如何ですか。

「人が見てもつまらないかもしれないけれど、自分自身の2つの展覧会は印象深いですね。李禹煥さんとの二人展は私にとっては面白かったです。決着がつきました。ギャラリー山口での『フェイク・デス』展も、自分にとっては一つの区切りの展覧会でしたから・・・。
 あと個人的に感動したのは、12月のギャラリー・アンドウの『さかぎしよしおう』展は面白かったです。根付けのような陶器の小さな彫刻作品ですが、今の日本の現代美術に対する強烈な批判的な対峙になっていました。『縮み志向』なのですが、半端ではなくて、極限性を示す極端さがあって、新しい次元を開いていると思いました」

・・・あ! 見てないや。

●所で、今年見た中で資生堂ギャラリーの5人展 『Life/art'02』 を紹介していないんです。テーマは 『家』、ギャラリーの中に本当の家を建ててしまって・・・。
でも出来上がった新築の家に抑圧的な違和感を感じて、この展覧会は結果としての作品よりも資生堂の学芸員の方がお書きになった 『家をめぐる対話』 が面白かったんです。作品よりも日記風なプロセスの方が気にいっちゃって・・・。作品だけを見せるのでは無く。作り手とキュレーターとがお互いに何か「かたち」を作る行為に興味が持てたというか・・・。

「キュレーションが重要になってしまって、作家が作品を作るという事が、作るという事ではなくなってしまったのです。
 キュレーターが制作者の位置を取り始めたのです。
 そうすると作家は対抗上、作家自身がキュレーションをすることで、もう一度制作の本質を取り戻すことをせざるを得なくなる。私が東京画廊や、ギャラリー手でやってきた若いアーティストのキュレーションもそうです。
 それに私はもともと、1971年に《美共闘レボリューション委員会》というのを立ち上げて、キュレーションをすることでデビューしてきた作家なのです。
 あるいは村上隆氏もパリの展覧会で『ぬり絵』と称してキュレーションやっているのです。
 デミアン・ハーストが1988年の『フリーズ』展を企画してデビューしたり、ジョセフ・コスースが1992年に 「語りえないものの戯れ」 展というのをブルックリン美術館 (ニューヨーク) でやって評判になったり、1998年のニューヨークのクイーンズ美術館でやられた 『グローバル・コンセプチャリズム』 展でも作家のルイス・カムニッツアーがかかわって大きな影響を与えていましたが、今日、現代美術の最先端で素晴らしい作品がつくられる場合、作家が企画に携わっているという傾向が大きな潮流になってきています。
 とにかくキュレーションをする事が創造性にとって大きな能力となってきています」

・・・・そうかもしれませんね。

「だから今年あと二つ展覧会名を上げれば、北川フラムさんがやった 『越後・妻有りトリエンナーレ』 のプレレビューで、5月18日、新潟県十日町市の信濃川にかかる妻有(つまり)大橋付近で、中川幸夫さんが二十万本のチューリップをヘリコプターから撒いた 「花狂(はなぐるい)」 という作品。
 あれの場合は、中川さんの作品として理解して見て、皆は喜んでいるのです。それは単純に言えばまず作品そのものが『無残』なものです。
 中川さんの作品はお花を破壊していく作品が多いですよね。
 壊していくものを喜ぶというか、9・11のツインタワーの崩壊を見て喜んでいるようなもので・・・破壊や崩壊には崇高性を伴う吸引力がある訳です。だからハリウッド映画でも、やたらに爆破シーンが多いのは、人間は、壊れていくものとか爆発するものを喜ぶ・・・そういうものに熱狂していく性(さが)があるのです」

・・・オサルスも喜ぶかも。ツインタワーの崩壊を見て嬉しくはならないけど・・・。

「それは美意識としては私の挌付けで言えば、超一流のものではなくて、16流なのです。趣味として良くない。具体美術協会で吉原治良の具体宣言で示した、廃墟というか壊れたものの中に美しさがあるという美意識は、確かにある訳です。でもそれは本当に優れた高級なものではないのです」

・・・いえ。知りません。済みません。

「だからといって、低級だから軽蔑するという時代でも、ないのです。
 中川幸夫さんの『花狂』を彼の作品としてみると、私の格付けで言えば16流なのですが、キューレーションをした北川フラム氏の作品として見ると、実は超一流なのです。
 花を二十万本集める苦労をしたのも、実際ヘリコプターから観客への花の爆撃をプランしたのも・・・95歳の舞踏家・大野一雄さんとのコラボも、朝日新聞の朝刊にカラー図版を載せて、NHKに取材させたのも、全部キューレーションしたのは北川フラム氏です。
 そこまで含めて作品としてみた時に、北川フラムの超一流のマネジメント・アートになっていると思う訳です。それを中川さんの作品だと観客なりジャーナリズムを見るけれども、現実はキュレーターの作品であり、そういう時代なのです」

・・・そうかもしれませんね。ある程度お金かけないとつまらないですよね。

 「ん・・・作品が成立している領域が何処になっているかという問題があると思うのです。作品が成立する場所・・・パリ・フロイト学派の精神分析医のラカンが言っている理論をいえば、人間は三つの世界に生きている。1つは 《現実界》 、もう1つは 《想像界》 ファンタジーやイマジネーション、鏡を見るような鏡像の世界です。あと1つは 《象徴界》 、言葉であり、法の世界で、秩序なのです。
 この三つの世界が隣あっているのだけれど、メビウスの輪のようにトポロジカルに繋がっていて、異次元な訳です。同時に三つが見られないのです。
 私の考えで言えば芸術は本来 《象徴界》 だったのです。ダヴィンチの絵だとか、ジャクソン・ポロックの絵画までは 《象徴界》 だったのです。
 それが、ある段階から現実界に移ってしまった。絵画で判り易いのはジャスパー・ジョーンズの星条旗の作品や、アンディ・ウォーホールのキャンベル・スープやマリリン・モンローの作品。あれらは美術が 《現実界》 に移ってしまったものなのです。
 
 芸術が 《象徴界》 の出来事ではなくて 《現実界》 になると、お花もそうですが、《象徴界》 で花を活けるという事は、チューリップを二十万本も集めてヘリコプターから空爆する事では無い訳であって、昔でいえば立華(りっか)とか立花(たちばな)であって基本的には仏様に活ける仏壇花です。
 そういう意味で・・・、今年忘れられない展覧会がありました。立華を活けた池坊の岡田幸三先生の東京画廊の展覧会でしたが、それは素晴らしかった。立華を活けたプロセスを見せたのです。出来上がった立華は、ほんとうに 《象徴界》 の超一流で、緑の息吹が吹きかかってきて、感動したのです。
 でもそこにいらした著名な方たちは、もう一段ランクを落としたお花が好きだと・・・超一流の立花はあんまりお好きではないようで、『 あんなもの家にもっていってもしょうがないでしょ。』 という反応だったように、私には聞こえました。
 皆自分の身の丈というか 《現実界》 の生活水準があり、私の格付けでは6流の 《現実界》 の親しみのもてる作品がお好きで、本当に偉大な 《象徴界》 の表現は好きじゃない風潮が強いのですよね。
 
 東浩紀氏も浅田彰氏も言っていたと思いますが、日本の社会は 《象徴界》 が弱くなっている。法とか倫理、秩序、理念、芸術が弱くなってきている。例えば芸術でも・・・奈良美智さんの作品はハリー・ポッターと同様に 《想像界》 の作品ですが、《想像界》 というのも、ファンタジーの世界ですから理解しやすい。若い人の中には勉強しないで、自分だけ信じてファンタジーの世界で勝手放題作ればいいという人がかなりいます」

・・・そうですね。オサルスは芸術云々はちゃんと話せないけれど、自分が見たいものは 『きちっと作ったもの』 なんです。そういうものが好きなんです。パッと、イマジネーションで作るのは勝手なんだけれど、技術を踏まえてちゃんと作ってないものは見たくないんです。・・・作品はスクッと立っている、姿勢が良くないと・・・作品ではないと思うし、見ていてつまらないのは、その辺が弱いのかなと思います。

 「超一流のものは皆ちゃんとしています。ちゃんとしていなければいけない。
 でもそれが今日の日本では否定されてしまう傾向が強いのです。『真面目の崩壊』 ですね。《想像界》 と 《現実界》 の作品ばかりが日本に氾濫する。
 そういう中で村上隆さんの作品は似て否なるもので、《象徴界》 の作品なのです。
 それもあって多くの人が村上隆さんの作品が嫌いなのではないでしょうか。
 
 そういう意味で今年は 《象徴界》 のもう一つ大きな展覧会がありまして、没後500年を記念した 『雪舟展』 」

・・・あ〜! 見てない。

「え〜もったいない。50年ぶりに出品された国宝 『山水長巻』 は、すばらしい作品でした。しかも2本あったのです。次の50年後は、オサルスは若いから生きていて見られるかもしれませんが、私は死んでいますからね、見逃すわけにはいかなかった」

すみません。百二十歳まで生きるつもりなので、、、、これ以上お話を続けるとより墓穴を掘りそうなので今年はこの辺で。

どうもありがとうございました。

こうしてお話をすると見てない展覧会って多いんですよね。
オサルスは展覧会を見なければという強迫観念があるからか、見ていない事にストレスが溜まってしまう。ブルーだ。

「全部見ようとしないで、見たい展覧会の20%位を見ようとすればいいんですよ」
と、彦坂さん。

そう言って頂けると肩の力が抜けるかな。
いや〜しかし、来年も勉強しなければいけない事が増えてしまいました。
展覧会を見る事もだけれど、インタビューのまとめかた研究しなけりゃね。

皆さん良いお正月をお過ごしください。

彦坂尚嘉 関連情報 2002.10 2002.10_b 2002.8 2002.1 2001.12 2000.4 2000.4_b

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