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携帯オサルスのおすすめランチ ランチdeチュその86

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コロッケ入りカレーライス カレー330円、コロッケ50円

多摩美術大学のイイオ食堂

 イイオって知ってます?
まずは、ネットで見て下さい。
http://www.idd.tamabi.ac.jp/studio5/iio-hp/index.html
ネ、面白いでしょ。イイオの丹波さん、いい味だしてますね〜。『挨拶』をクリックするとNOT FOUNDなのもgood。多摩美のページはありきたりだけれど、イイオのトップページと丹波さんの紹介、掲示板は楽しめる。
え! 何故イイオなのって? 今日のランチは多摩美術大学にあるイイオ食堂なのよ。以前版画科の森野眞弓教授にお薦めランチをお聞きした所、こちらのイイオ食堂を紹介されて、多摩美はスッゴ〜〜〜ク遠かったけれど行って来ました。でも、橋本の駅からは割と近かったのでビックリ!

所で先生イイオ食堂のお薦めは何ですか?

「僕は週三回ここに来るけど必ず食べるのがコロッケ入りのカレーライスなんだよ。今日はご馳走するから食べてみなさい」

・・・わあ〜。嬉しい。
ん〜! このカレーはかなり本格派! 学食とは思えない美味しさ。イイオの丹波さん只者ではない。

 「いや〜。ここのカレーの味を変えちゃいけないと、OBから言われていてね。最近何年かぶりでOBがこのカレーを食べる為だけに北は北海道から南は? 忘れたけど集まったんですよ。だからジャガイモゴロリンのスタイルは永久に不滅なんです。」

なるほど、学校卒業してから懐かしくなる気持ちは判るけど、武蔵美は何が美味しかったかな〜『風月』の冷やし中華?。もうあの食堂無いみたいだけど・・・。
と、いう訳で今日は版画家の森野眞弓先生とご一緒の『ランチdeチユ』。
美大に行って作家になった人は何%なんでしょうか? 聞いちゃいましょう。

・・・もう何年位教えておられるんですか?

「7年位かな」

・・・学校を卒業した時は作家思考が強くても色々な波がやってくると乗り越える事が難しい場合も出てきますよね。

「区切りをつけようとすればそこで終わりでしょ。付けないで出来るだけ先延ばしして行くしかないよね」

・・・なるほど。多摩美の版画の先生は面倒見がいいですよね。

「普通の一般大学は就職しちゃうと面倒見ようと思ってもそうはいかないけど、美大は個展を見に行ったりするような関係が出来るからね」

・・・ホントにこんな不景気なのに展覧会は多いですもんねえ〜。

「そう。生徒が多いから毎日見なきゃならないとなると辛いよ」

・・・先生はいつ作家になろうと思ったんですか?

 「 いつなろうと思ったのか聞かれても困るけど・・・。作家ってなんだろうね。僕の親父は彫刻をやっていたから、『ものを作るのはこういうことか』と、いうのは判っていたけど・・・凄く食える作家ならいいけれど、貧乏彫刻家はあまりいいとは思わなかったな」

・・・でも、早稲田の大学院(文学研究科芸術学専攻東洋美術史)を卒業されてすぐ賞をとられてますよね。その後ずっと賞ずくめじゃないですか。

「そんな直ぐに貰ってないよ。版画を習ったのは25-6歳位(日本美術家連盟版画工房にて銅版画を習う。)かな。唯、それで何かやろうとは思わなかったね」

・・・タブローでは無くて突然版画だった訳ですか。

「考えもしなかったけど、タブローじゃもっと食えないじゃない」

・・・それはそうですね。

「版画が面白いのはね。当時銅版だと駒井哲郎さんとかその後池田満寿夫さんとかが国際的な賞を貰ったりして 、日本国内だけではない評価が得られると思ったからかな・・・」

・・・東欧の版画の賞は権威がありますよね。

 「オープンな世界だという事が段々判ってきて、版画は紙だから非常に経費が安く送る事が出来るしね。それにクラコウとかリュブリアナ国際版画ビエンナーレは毎年交互に開催していて・・・当時は共産圏だから出品料金は取らないんだよ。送料だけ負担すればいいだけ・・・今は共産圏じゃないから八千円とか一万円位とるのかな・・・。当時は送料がその位掛かったんだけれどね。
それに賞金は出すんだけれど現金はくれない・・・ポーランドでもユーゴでも『賞金を貰った人は銀行に預けて置きますから、我が国に来て使って下さい。』と、言うんだよ。だから作品を向こうの美術館が買ってくれるんだけれど、そのお金もきちんと証明書が来て銀行に預けてあるという。ところがインフレになって皆パーになっちゃって鉛筆一本買えなくなったんだけれどね。
でもそれを別としても写真なんかあまり良くは無いけどデータ−もきちっと入っているこんな厚いカタログを作ってくれて。毎年入選すればそれを送って来る訳だよ。だから違った国の版画のイメージをリアルタイムで見れた。それが凄く面白かったね」

・・・ほう。

「 アーティストは非常に単純なんでね。やはり賞をもらうと嬉しいし、それに文化庁の海外研修で外国(1982年 ニューヨーク・スペイン派遣)に行った時に、自分の作品なんか誰も知らないと思っていたんだけれど、どんな作品だって言うから見せたら・・・『リュブリアナで見た事あるよ。』と言ってくれて・・・これは凄く嬉しかった。
それはカタログを見てたんだよね。そういう事が何回かあって・・・国際作家とか国際性という事は国際的に活躍している事では無くて水平的な同じレベルの人間が理解してこんな作品があったと見てくれた一瞬の事でもある訳だよね。
でも、どうも日本では美術は一級選手、二級選手、三級選手に分けてしまう。所が外国では違うんじゃないかと、一級も二級もなくて一級の好きな奴もいれば三級の好きな奴もいる、それでいいんじゃないかと思ったんだよね」

・・・絵は目で覚えますもんね。インパクトのあるものは忘れませんよね。
話を少し変えますが、東京国際ミニプリント・トリエンナーレは多摩美が主催しているんですよね。

<注> 東京国際ミニプリント・トリエンナーレ: 3年毎にオープン・コンペによって選ばれた世界の最新作を、一同に集めて展示・紹介するとともに、版画に使われる素材 (紙・インクなど) と表現に関する学術的な研究資料のデータ収集もかねた目的で開催されます。
詳しくはこちらを(http://archive.tamabi.ac.jp/timpt/2002/choice.htm

「去年三回目が終わりました。4回目に向けて準備中です。それにしても世界の版画はなんでもありだと思うね。線一本もあれば抽象もあれば具象も、宗教的な背景のあるものもあれば、全く感じさせないものもある。
オブジェに近いものもあれば昔風のなものもある・・・。千差万別なものが一つのフラットにあるんだよ。それをどういう風に解釈していいのか判らなくなるんだよね。まとめようがない、でもまとめようがないというのが本来の美術の姿なんだと思うんだよ。
色々な形のものが色々な風に遍在している形、それが一同に集まって見れるというのは凄い事だと思うんだけど・・・以前は作品のサイズが小さいからなのか中々認識してもらえない部分もあったね。
唯、最近は最新テクノロジーのお陰というか印刷物の変わりにCD-ROM展覧会カタログ (インターネット対応) を作ったから自在に作品鑑賞ができるようになったし、それにはやはり20x25cmサイズはパソコンに直接取り込むにも送るのにも便利だから・・・世界中から作品が集まって多くの人に見てもらわなければ意味がないからね。
この展覧会で考えさせられたのは・・・教えるとは何だろう・・・とか、自分がものを作る事の位置関係が凄く不安定になるというか、一応キャリアを積んだ人がきちんとした岩盤の上に立って揺るぎ無くというのがあるじゃないですか。それが大家と言われる。でも本当は汚泥の上に乗っている・・・極めて不安定なものの上にしか美術家というのは乗ってないんだなと判るよね。基準が遍在しているからね。だから国際展は面白いんですよ」

・・・所で先生は多摩美に来られる前は?

 「何で食ってたかというとコピーライターをしたり非常勤講師をしたり、カットを描いたりして・・・それはそれで食える訳じゃないけどそれを積み重ねて来ると何とかなった。それは今でも同じだと思うよ。だから最初の話に戻れば金にならないから止めちゃおうと思えばそこで終わりになるんだよね」

・・・何とか繋いでいかなければ作家にはなれないという事ですね。

「残れる人間は何処か楽観的な奴だという気がするんだよね。自分の人生の路線をきちっと決めないと気がすまない奴にはむかないと思うな。我侭で自分勝手なんだけど柔軟性があるという風な複雑な人格じゃないと(笑)・・・駄目みたいだと思うよ」

・・・先生の作品はネクタイが有名ですが・・・。何故ネクタイを?

「結婚式用と葬式用があるぐらいで・・・僕自身はネクタイは殆どしないけれど、『何故、ネクタイを作るんだと。よく聞かれるんだけど(笑)。』僕は人間の存在感のある一部を描きたいと思ったんだよ。
だから以前のりんごも帽子もネクタイもそうだった。で、意味としてはセクシャルな部分もあるんです。唯、男のシンボルというのではなくてもうちょっと本質的なセクシャルなものとは何だろうという意味でね」

・・・70年代後半には鉛のネクタイとか蜜蝋の帽子の山などを紀伊国屋画廊で発表されてますよね。

「物というのは鉄でも石でも何でも・・・物質にはセクシャルな感触があると思うんだよね」

・・・去年のINSIDE OUT 2002 − NEW HEATGRAPHS−で素材にフェルトを使われたのは?

 「 僕はずっとネクタイや何かもそうだけど形のあるものに拘ってきたしそれを判ると思っていたんですよ。でもそうじゃなくフェルトを使った本当の意味をよく考えればもっとフレキシブルにフェルト自体の素材がもつ色々なものが表現できるのじゃないかと・・・あまり形を作りすぎてしまうとフェルトという素材感を強調してしまうだけではないかと・・・だから素材としてのフェルトよりもフェルトの物質性としての表情を出したかったんです。
例えば燃えて溶けて穴が開いた状態とか、こういう形になりましたという形の成立ではなくてフェルト事態の素材の状態、物質そのものの状態みたいなものを半分絵画的に半分素材のオブジェ性をもったものとしてね。それであの展覧会をしたんですよ。あれは表を展示したけれど、今、考えているのは裏と表を見せられるようにしようと思っているんだよ」

・・・見せ方が難しいですね。

「今度は壁に飾らないで吊るそうかなって・・・。僕は計画性がないと言えばなくて何処行くか判んないんだよね。例えば版画だけやってたら版画だけをやっていくのが無難な発想ではあると思うんだけど僕はあっち行ったりこっち行ったりするんですよ。
ある種気まぐれなんだけど、何年か経って振り返るとちゃんとそれなりの理由が付いちゃうんだよね。その時は判らないけれど、だからHEATGRAPHSを始めた時も『何だよこれ! 頭大丈夫か?』と言われました。でも、自分の中には何かあるんだよね」

・・・でも、幾つになってもチャレンジャーじゃないとつまらないじゃないですか?

「作る方は筋を通したいと思って一生懸命次というステップを考えるんだけど、逆に見る側に廻ると、いい作家であればあるほどズッコケタ作品の方に拍手喝采を送りたくなるんだよ。
それは失敗をしたから喜ぶのでは無くて・・・『どうしてこういう作品が出来ちゃったんだよ。』と、それが凄く面白い訳、だって筋道通りのものを作られたって見てる方はつまらないもの。
作家からすれば失敗作かもしれないけれど、見てる方にしてみれば過去何回も見ていて、パカっと変わった瞬間にアートを感じるんだよ。あ! この人アートをやっちゃったと」

・・・それは判りますね。

 「 だから5-6回も同じ個展をやっていると作品にアートを感じ無くなるんだよ。その作家をアーティストとして感じ無くなっちゃうんだよね。それじゃ職人なんだよ。特に版画家は職人を感じちゃう。
『あいつも飽きなくきちんとこれをこなすな〜。もう五年も十年も続けているなあ〜。』 と、本人は変わっているつもりでも、でもそういった人が突然変なものを作ったら『何故だろう。』と考えますよね。その人はシマッタと思ったかもしれないし、大方の評判は90%悪かったかもしれないけれど、僕はね。 『アーティストなんだよね。』 と、思っちゃうんだよね。
僕は・・・自分は欲張りだから自分もそう感じたいなって思う訳、見に来た人が目が点になって 『え!』 って(笑) 『おい!森野、何考えたんだよ。』 と、訴えてるような目を感じる楽しみってあるのね」

・・・ヒェ〜。それは凄いですね。

・・・では、最後にもし作家にならなければ何になっていたと思いますか?

「う〜ん。これになりたいというのは無かったですね」

・・・じゃ、何かになりたく無かったから今があるんですね。

「僕はモラトリアムがずっと長かった訳・・それで全部よけていったら是が残った、選択する時間が長かったからね。今でも選択してるのかもしれないな・・・」

どうもありがとうございました。

作品は千差万別でいいんですよね。皆同じになっちゃったらつまらないや。唯、人は皆大きな流れの中にいる方が安心だけどね。

「でもね。人がやらない反対に行く方がチャンスがあるんだよ」

と、森野先生。
オサルスの周りにはチャンスが一杯あるような気がするんだけど・・・。

 『そう。チャンスは成り行きの部分もあるし偶然なんだよ。偶然を期待する訳ではないけれど普通見逃すようなものをじっと見る事が大事なんだよ。確信があってする訳じゃないからね』

そうですね。ドラマは後から作られるものだもんね。
でもな〜。オサルスは頓馬だから見逃してるかもしれない。不安だ!!。

森野眞弓 関連情報 2002.11 2001.4 2001.3 1999.10

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