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サラダ・春巻バスケット ベトナムカレー800円・ビーフン800円

VIETNAM ALICE 京橋店 
中央区京橋3-7-6東京国立美術館フィルムセンター1F
TEL 03-3538-5877

 先日部屋を整理していたら≪1992年12月 BT [特集] アートの仕事がしたい≫が見つかり、アートの仕事ねえ〜。アートの仕事はかなり難しいんだよね。と、チョット感慨に耽ってしまって・・・。
そういえばオサルスはこの特集記事を読んで学芸員の資格を取得しに再度大学へチャレンジ。博物館学の単位の為に宮城、世田谷、目黒の美術館に出向き、はたまた根津美術館へ実習に。思い出したけど杉並の IZUMIWAKU プロジェクト1996にも参加。
村上タカシさんの指導で杉並の中学校で心の地図のインスタレーション(?)を作ったんですよ。それから紆余曲折を体験しながらアートの仕事らしきもの? についてはみたものの・・・アートの仕事は奥が深い。最近、BTでも又特集を組むみたいだけれど、中々次世代のギャラリストが育っていないのが現状みたい。
そこで今日は銀座を中心に新川・六本木、海外のアートフェア−にも活動範囲を広げておられるギャラリーコヤナギの小柳敦子さんにお話を。小柳さんにはもう何年も前から話を聞かせて〜〜〜とアタックしながらも、ず〜〜〜〜と断られ続け。兎に角今日は『ギャラリストになるにはどうしたらいいの。』聞いちゃいましょう。

まずはキーワードは、出会い。

・・・1995年にギャラリーコヤナギは設立されたのですか?

「それは現代美術のギャラリーという事ですか? 以前は今のビルの9階で現代陶芸のギャラリーをしていました」

・・・そうですよね。確か9階で陶芸展を拝見した覚えがあるんです。何故現代陶芸から現代美術のギャラリーに?

 「家が代々『陶舗小柳』という陶器のお店を1階で営んでいましたから。唯、私は大学を卒業して最初出版社に勤めて三年位編集の仕事をしていたんです。それから二年間アメリカのデザインの学校へ行って・・・戻って来て当時編集の仕事をしてらした小池一子さん(注:プロフィールはこちら http://www.jpartsfdn.org/assist/1996/sinkou/koike.html
との出会いがありました。まあ、当時はかなりフラフラしてましたけどね(笑)。
それから小池さんのofficeに9年間勤めたんです。ご存知と思いますが、小池さんは元々のスタートはコピーライターなんですよ。それこそ石岡瑛子さんとか山口ハルミさん などと西武百貨店やパルコの全盛期に活躍してらした方です」

注: パルコの広告は「パルコ文化」とさえ言われ西武の堤清二氏がクリエーター 【田中一光(アートディレクター)、小池一子(クリエーティブディレクター)、糸井重里(コピーライター)、浅葉克己(アートディレクター)、石岡瑛子(同)、山口はるみ(イラストレーター)敬称略……。】 の協力を得て、(初めは田中・小池両氏のコンビで、後から石岡さんや山口さんが加わり。)時代の感性をどうやってキャッチするか、その感度でイメージを作ろうとしていた時代。
因みに田中一光回顧展(われらデザインの時代 6月21日-8月31日 東京都現代美術館)が行なわれます。

「私は広告、美術、デザイン、建築、ファッションなど、何でも担当しました。そこで始めて手がけた仕事が1977年の(西武美術館)『マッキントッシュのデザイン展』でした」

・・・凄い出会いですね。

「現代をリアルタイムで見られた事は良かったですね。でも70年代は日本はあまりアートが元気のなかった時代なんですよ。勿論『もの派』とかいましたが、若くてミーハ−な女の子には、難しい事をいっているアートよりもデザインの方が圧倒的に面白かったんです(笑)。
大体私は英文科出身でシェークスピアとかオスカーワイルドを勉強していたから、美術との接点ができたのは随分時が経ってから。でも銀座で生まれ育っているからビジュアルなものに対しての興味は湧いていましたけどね」

お待ちどう様でした。
今日のランチ:サラダ・春巻バスケット・ベトナムカレー800円・ビーフン800円

まずサラダでございます。海老せんべいの上にサラダを乗せてお召し上がり下さい。

・・・甘酸っぱい味ですね。それにチョットピリっとする。不思議な味で美味し〜い。

名物春巻バスケット(生春巻、揚春巻、蒸春巻、カニ爪フライ 1500円)は赤いカゴに盛りつけられていてエキゾチックなアジアンテースト、ソースは甘味噌・チリソース・ヨクマム(魚醤)の三種類。
どのお料理も野菜いっぱいでヘルシーな感じ。ベトナムカレーもそんなに癖がないからタイカレーよりも好きだな。それに何と言っても沢山食べても太らないような気がするのが嬉しい〜。


 こちらの京橋店は東京都近代美術館のフイルムセンターの1階。映画を見終わった後に立ち寄るのもGOOD。静かで落ち着いてゆっくり料理が楽しめる事は請合います。でも、今日は文句を言っている訳じゃないけど・・・サービスしてくれたので量が多いよ〜。お腹一杯で食べきれなくて残念無念。

「ここは美味しいけれど、ランチに1500円は高くない?」

・・・日替わりは900円なんですが、今日は早い時間に終わってしまったみたいです。所で、英文科出身だから英語がペラペラなんですか?

「そんな事ないですよ。結構いいかげんだし、もっとボキャブラリーを増やせばいいのだけれど、創作英語だからその場しのぎで何とか造語で結構上手くいちゃっうの(笑)。でも、うちのスタッフの木全や矢島はアメリカの大学を出てますよ。手紙関係は全て任せてあるんです。
やはり昔、小池さんが・・・あそこも偶然女性のofficeで少人数でしたけど、私たちに適材適所でそれぞれの性格や興味のある方向で仕事を上手く与えてくれたから。その経験がとてもよかったと思っているので、うちも二人を私のアシスタントいう事ではなくてそれぞれがディレクターとして名刺も持っているし、一人一人がギャラリーの企画者という形で企画展をしてもらているんです」

・・・なるほど。最近、次の世代のギャラリストが中々育たないという話を聞いたのですが、例えばこれからギャラリーの企画者として独立した場合を考えると、勿論それまでの実績を問われるとは思いますが、まず始めに画廊の経営は資金力がなければ難しいのではないのですか?

「やり方じゃないですか。資金はないよりもあった方がいいに決まってますし、私の場合は銀座に場所があったのは有利な事だとは思いますけど、莫大な資金力があって始めた訳ではないですから」

・・・場所は重要ですよね。借りるとなるとある程度の資金は必要になると思うし、企画画廊の場合、そこで作品が売れれば商売として成り立つとは思いますけど・・・私も以前ギャラリーをやってましたので作品を売る事の難しさは身にしみています。
例えばいい展覧会をしても数字が伴わないとギャラリーを続けるのは難しいですよね。以前のお勤めと今のギャラリー戸惑いはありましたか。

「以前は企業の文化事業部とのお仕事だから、展覧会のプロデュースにあたり最初から予算で動いていましたし、確かに動員数は要素としては大事だけれど、その中で良い仕事をすればよかったんです。極端に言えばオープンまでのところが大変で開いてからはチョットホットしました。
一方、ギャラリーは展覧会を開いてからが勝負でしょ。それにその経済の問題は企業の展覧会の時は良かったんですが、佐賀町の時にすでに疑問を感じてたんですよ。あの時は運営予算が本当に限られていた」

・・・確か内藤礼さんの展覧会の時に、佐賀町 エキジビットスペースは小柳さんが場所を見つけられたとDMに書いてあったのを読んだ覚えがあるんですが。でも今更ですが、いい場所でしたよね。

 「ホントですね。佐賀町は偶然見つけたんですが、最初は住もうと思っていたんですよ。叔母があのそばに引っ越して下町のとてもいい感じの場所で・・・丁度ロフトに住む事が段々話題になって来ていた時だから、あんな広い所に住めたらいいなって・・・でも住む事は規約上許されていないと言われて、あそこはofficeビルとして建てられていたから無理なんです。勿論シャワーも何もない所だから実際住むのは大変だったから諦めました。

それと当時は企業の仕事をしていたから予算はあったけれど、彼らは入場者数を気にして確実な人をやりたがるでしょ。だから『もっと自分達が紹介したいと思う若い人をいつでも見せられるスペースが欲しいね。』という事を小池さんと話していたんです。 それで場所が見付かってすぐやりましょうという事になって小池さんが佐賀町 エキジビットスペースを設立したのは1983年ですね。でも2000年に幕を閉じて、その後、小池さんから後を継いで欲しいと声が掛かって佐谷さんと共同でライスギャラリーとしてスタートしたんです。http://www.a-walk.net/emotional-site/

でもあそこで展覧会を開くと場所が大きいから作家もがんばって凄く大きい作品を作るじゃないですか。大きい作品を作ると当然制作費や搬入費が掛かる。それに展覧会が終われば作品を管理するのにまたお金が掛かる。広いと全てにお金が掛かる事がよく判った訳です。
それまでは企業から当たり前のように予算を貰ってましたからあまり経済的な事は判らなかったんですが、あそこでやってみて、実は作家にとってもとてもお金が大事な事だという事が判ってきた。お金がないのに若い人に声を掛けると・・・我々が良かれと思って声を掛けても若い人はがんばるから自分の持ち出しで作品を制作してしまうんです。

結果的には作家はもの凄い負担をしいる訳ですよ。それがどうも当初の理想とは違っていて・・・結局作家も作品を売ってあげないと次の作品は出来ないんだって事がよく判ったんです。それは企業から予算を貰っていた時とは大違いで、展覧会が終わったあと、いくら良い評価を得ても両者に負担がのしかかるから単純に喜べない訳ですよ。だから売ってあげなければいけないんだって事を痛感して・・・」

・・・それで海外のフェア−に出展しようと思ったんですか。

「それは小池さんのオフィスを止めてからずっと後の事なのよ。86-7年から8年間位陶芸のギャラリーをしていたから、当時は現代陶芸の若い人達が沢山出てきて面白かったんですよ。私は美大出身じゃないから独断で出来たし、丁度バブル時期とも重なりホントに売れましたね」

・・・そうすると95年から今のギャラリーを開かれたという事はバブル後という事ですね。

「そう。1階にあった父の陶器店を閉める事になって9階から移ったんですが、こんな時代に画廊を開くなんて無茶、と皆に随分言われました。で、移る事を切っ掛けに大きく方向転換をしようと・・・その時に染色とか漆とか工芸全般で展開するか絵画・彫刻・写真で展開するか二つのチョイスがあったんです。
・・・でも丁度その時偶然杉本博司 (プロフィールはhttp://village.infoweb.ne.jp/~blitz/story43.html) さんとの出会いが会って、今は写真は全盛だけれど、当時はやっと写真が美術として認められ始めていた時期、ギャラリーはまだ積極的に写真展をしようとは思ってはいなかったんです。それでその時杉本さんから写真だけのギャラリーよりも現代美術を扱っている画廊で展覧会がしたいと頼まれて色々な現代美術のギャラリーにプレゼンしたんです。けれども全部断られてしまって・・・」

・・・早すぎたのでしょうか?

 「当時は、美術界の中では写真は写真でしかなかったのです。唯、私は偶々出版社に勤めていたし、写真は身近にあったから共感の得やすいメディアだったの。それで結局何処のギャラリーもやらないという事だったので、じゃあ、うちも1階に移るし、最初の展覧会は杉本さんでやりましょうかという事になって、現代美術の画廊として出発しました。本当にみんな偶然、行き当たりばったりというか偶然なのよ」

・・・凄い偶然ですね。

「現代美術は現在進行形の仕事でしょ。あまり極端な目標とか方向を持たない方がいいと思う」

・・・目標や方向を持つと縛られますよね。

「そう。何でもやりますと言っといた方がいいんですよ」

・・・なるほど。実際生活する為にはお金が必要だし、次にいい作品を作る為にもお金は切り離せない。売れなきゃしょうがない訳ですよね。売れる事で作家が伸びる訳だから。

「やはりコレクターや美術館に売れれば喜んでくれるし、それとこの人に任せておけばいいと信頼してくれるんです。それはありがたい事ですね」

・・・話だけで終わってしまっては辛いものがありますものね。

「展覧会をするに当たって、売れるかなという事は作家を決定する重要な要素な訳ですよ。それはお金が儲かるかという事ではなくて、結局この作家の期待に答えてあげられるかという事でしょう。それには包括的にコレクター、美術館、海外のマーケットを視野に入れて責任を持って推薦出来る人でないと扱えないという事ですよ。それが見えてこないといくら私が個人的にいいと思っても、責任があるから生半可な返事ができないし、もし万が一売れなくても買い取ってあげなくてはならないから、自分が身銭をきってでも欲しいと思う作品でないと扱えないんです」

・・・厳しいけど確かにそうですね。変な質問ですがお客さんはどうやって作られたんでしょうか?

 「いい作家を扱えば、いいお客さんがきます。杉本さんの展覧会をした事で海外へのアピールになりましたね。次のドミニク・ゴンザレス・フォースター、彼女は今はとても有名になってしまったけれど以前茨城のアーカス構想に来ていた時に偶然出会って・・・」

・・・普通偶然には出会えないですよ。偶然を呼ぶのも力でしょうね。

「杉本さんやドミニクをやっているんなら私もって・・・アーティストがアーティストを呼ぶから。同じようにコレクターもそうじゃないですか。コレクターがコレクターを呼ぶんですよ。大体コレクターもアーティストもしっかりご自分のスタイルや目を持ってらっしゃるからセールスに行っても効果ないし、こっちから積極的に行けば行くほどかえって逆効果なんです」

・・・なるほどね。

「基本的には情報ですね。あまり説教臭くするのは苦手だし・・・私は学芸員でも無ければ評論家でも無いからアートについて評論する事は出来るだけ避けているんです。あまりコンセプチュアルな話はしない。でもたとえばこのアーティストがどういう仕事をしてきたかとか、会って話をしたらこうだったとかいう事は情報としてコレクターには伝えるけれど、その作品をどう分析してどう理解するかという事はコレクターなりキュレーターがご自分で最も、楽しむ部分だから、私の分析を押し付けたりはしません」

・・・判ります。分析したい人がすればいいんですよね。

「ギャラリーはとにかく作家と作品を紹介する所だから、中にはカリスマ性のある人でコレクターを教育するギャラリストもいるけれど、残念ながら私はそういう能力はないし、それぞれのやり方だと思います。うちはあまり私の色は出ていないと思いますよ。
例えば野口里佳さんや束芋さんは木全企画だし、ヘレン・ファンミーネとかヤンニ・レグニルス とかもっと若い世代は矢島企画だし、私はソフィ・カルとかとマルレネ・デュマスか杉本博司という風に、三つのジェネレーションに分けてやっている。勿論、木全や矢島がもってきたものを私がビジネスになるかならないかの判断はするけれど、選んでくる事は彼等に任せます」

・・・それには海外の情報を集めて選択しているんですか?

「ケースバイケースですね。うちの作家が関連しているグループ展を見にいって偶然知り合ったり、それぞれに若い人達は若い人達で出会いがあるんですよ」

・・・やはり出会いが大事なんだ。バーゼルのアートフェア−はどうでしょう。

 「切っ掛けは木全なんです。バーゼルに出展したいという事で、彼女が自分で情報を集めてきて書類を提出しました。若いアーティストの個展を開催するにはSTATEMENTSの方がいいステップになるという事で駄目元でもいいからと須田悦弘さんで申し込んだんです。当時須田さんは少し名前が知られて来てはいたけれどまだ個展をしていない時期だから、まさにバーゼルの主催者側からすれば丁度いいタイミングのアーティストだったんだと思います。
それでGOODタイミングでSTATEMENTSに通って、一度STATEMENTSに通ると次に本ブースに申し込む時に実績があるからという事で受け入れられやすいと聞きました。それにバーゼルは日本なら日本人のアーティストを展覧した方がいいみたいです。うちは比較的日本人の若手をプレゼンしている事をアピールしたから、そして例えば海外の作家ソフィ・カルやマルレネ・デュマスでも日本で制作した作品を出展したいとアピールした。それがよかったと思いますね」

・・・ほう。実際外国は売れるんでしょうか。

「やはり売れますよ。兎に角海外のギャラリーは出展権獲得に10倍位の競争率を競う訳だから、バーゼルで勝負をかけるし、圧倒的にいいお客さんがみんな買う気で来ますからね」

・・・凄いな〜。行ってみたいです。でも今の状態じゃあな〜(独り言)
では、最後にこれからギャラリストを目指そうとしている方たちにアドバイスはありますか。

「この仕事はアートとビジネスの両方が好きじゃないと出来ないと思いますね。アートだけが好きでは駄目ですよ。 私は代々商売屋の娘として生まれて何処かにそのDNAが流れているんです。やはり商売はやっていて楽しいし、もの凄い醍醐味があるんです。売り買いのリスクは負うけれど、上手くいった時の喜びはやってみた人でなければ判らない。失敗した時は誰に当たる事も出来ずに一人で落ち込むだけだけどね(笑)。
それを含めて商売という言葉は汚く聞こえるかもしれないけれど・・・アートのビジネスはまだまだ未知数でしょ。面白いですよ。これが正しいやり方ですという事はないから、自分の思う方向でやっていけばいいし、例えばあまり高くないものを沢山の人に売っていく方法もあるし、高額な大作をターゲットを絞ってコレクターや美術館に売っていく方法もある。
それはギャラリーの戦略になっていく訳ですから、そういう事がちゃんと考えられて尚且つ作家との信頼関係を築く事が出来て、それで上手くいったらこんな面白い仕事はないですね」

・・・それはそうでしょうが。厳しそうですね。

 「さっきも言ったように、呼んで来る訳です。何処かに切っ掛けがあって、風穴を開けるとそこから広がっていく。一つ一つの穴を十個開ける訳ではなくて、一つ開ければそこから枝が十に分かれていく訳だから 、何処に最初に自分が穴を開けるか・・・私の場合は杉本博司さんとの出会いが凄く大きかった事と同時に美術全体が写真をアートとして認めた事。丁度そのタイミングで始めたことが次のステップアップへとつながった。
でもいつまでもこの状態が続くとは思っていないし、実際オークションでもバーゼルでも、もう写真の時代はそろそろ終わりだねと言う声も聞こえてきています。現にもう売れなくなった写真家も沢山いますからね。それはもうシビアです。今上手くいってても明日はどうなるか判らないし、明日突然彗星のごとく顕れたアーティストやギャラリーが世の中を制するかもしれないしね」

・・・気が抜けませんね。

どうもありがとうございました。

厳しいですね。以前電車の中吊り広告で、村上隆さんの
『アートはビジネスです。僕はそのインフラを整えたいだけです』
という言葉が目にとまり、雑誌の中身は読んでないのでこれ以上は判らないけれど、やはりオサルスもアートはビジネスだと思います。生活するにはお金が必要だし、作家も画廊も積極的に活動するとなればもっと掛かる訳だものね。
まあ、ビジネスと名がつけばかなりの努力と少々の運が必要。そしてキーワードは出会い。誰が統計をとったか知りませんが、日本の人口が1億2千万人、 人生80年として、 一生、親しく会えるような人はせいぜい3万人なのだとか。
そうするとオサルスはまだ1万人以上会う機会が残っているんですよね。これからの出会いに期待しなくっちゃ! 皆さんもがんばりましょうね。

Gallery Koyanagi http://www.gallerykoyanagi.com/

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