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携帯オサルスのおすすめランチ ランチdeチュその93

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織部 (上にぎり8個、巻物一本、お碗、デザート) 1800円

ぎんざ賀久
東京都中央区銀座1-5-14銀座コスミオンビルB1F
TEL 03-3562-6250

 オサルスは毎週月曜日に銀座・京橋の画廊街を廻っていますが、必ずいつもお会いするのが天野一夫さん。天野さんは京都造形芸術大学の助教授、美術評論家andキュレーター。
展覧会は見るだけでもシンドイけれど、評論も書いてキュレーションもするとなると一仕事。それも京都からだともっと大変じゃない。一説によると天野さんは小学校の時から展覧会を見ていたらしいという噂・・・ホントなの? 聞いちゃいましょう。

・・・小学校の時から画廊周りを?

「そうですね。話すと長くなりますがいいですか?」

・・・え! あ! はい。

「普通は美術史を学んだりと研究から入って実際の作品を見る事になるんでしょうが、僕は幸か不幸か・・・小学校の頃からギャラリーを廻ってましたね。最初は美術じゃなくてもよかったのかもしれませんが・・・兎に角見る欲望が人一倍強かったのかもしれません。
僕は小さい時から消防団が何処にあるか調べてそこにワザワザ確認しに行って、地図上でチェックして帰ってくるというような事をするのが好きな子供でしたから」

・・・ほう。

「初めて祖父に連れられて上野の科学博物館に行った時も他の博物館や美術館の建物を見て凄く興味をもってしまって・・・祖父に毎週連れて行ってもらうのは大変だからと一人で行くようになったんです。
美術館に行くようになったのは別に教養をつけるとか何とかというよりも言ってみれば自分の生活の延長に美術館やギャラリーがあったからで・・・新聞から情報を切り抜いて廻り始めたんです。その内にこの子供はしょっちゅう来るから何処の子供だとよく聞かれるようになりました」

・・・へ〜。

「それも現代美術だけでは無くて、日動サロンとかにも行っていたし、上野の田村画廊とかにも行ってましたね」

・・・それは何年頃なんですか。

 「70年代初頭、つまり『もの派』の頃。一方では投機的な絵画ブームがあって美術業界は繁盛していたし、又一方では幻想的な絵画も流行っていたり。両極端の時期でしたね。判る判らないは関係無く美術手帳を買って読んでましたよ。その頃小学校の4年生位です。
そういうように、まずは何でも見る自在さの中で、“現代美術”も古美術もへだてなく古今東西のほとんどの分野のものに親しんでいたことが先で、学問や観念からではなかったことは、いずれの分野にも先入観を持たず特権性を認めない自由さを持てた点で良かったと今では思います」

・・・かなり見る事に興味があったんですね・・・例えば映画とか他のものにも。

 「そうそう。歌舞伎・文楽も行ってたし、ちなみに昨日も歌舞伎を見に行きました。まあ、美術だけ見ている訳ではないので、昔は今より見てましたね。一番歌舞伎を見ていたのは中学、高校の頃。黄金時代でした。
黄金時代といえば公募展も見てました。大家の時代の最後の頃です。日本画だけでは無くて弱小の洋画の団体も全部見ていました。今ではもう時効だと思うけれど、当時は子供でお金が無いから昔の都美館の・・・」

・・・昔の都美館の建物は権威的だけれど中々凄い建物でしたね。

「そうそういう古典的香りがありましたね。そこのおばさんがしょっちゅう来てるからってただで入れてくれたりして見てました。考えてみれば南天子でも東京画廊でもこんな子供にカタログをくれてたんだからね」

・・・じゃあ、美術の流れを体で感じられてきた訳ですよね。

「まあ、一応ね。確かに美術の流れはあるけれど、それを観測地点としてこちらが定点観測してる訳じゃなくて自分自身もかなり動いている訳ですよ。それも気持ち悪い事に、子供の頃から大人になるまでの成長期でもあって、いわゆる自我の目覚めなどなど、そういうような大人になる過程とピッタリ一致しちゃっているから。
そこでは美術との関係がペタッとしている訳ではなくて、むしろ美術を見ながら反抗期もあったし(笑)色んな事がありました。別に美術なんかそんなに好きではないやと思うところもあったし・・・でも見に行くとなかに入り込んでしまったり、色々模索しましたね」

・・・それで今度は<見る>から<書く>にいくんですか?

「詰まらないものを中学、高校で書いてました」

・・・それが評論という形に・・・。

「知らず知らずのうちにね。とにかく見ることから、読みはじめ、そして知的な好奇心が加わってゆく。人によって表現の手段が違うと思うけれど、これだけは迷わずにきました。絵で表現しようということは無かったな。逆に趣味で絵を描くという事を逸しましたね」

・・・では、今やってらっしゃる事は表現と捉えれば判りやすい・・・。

「それが自然ですね。展覧会をしたり文章を書くという事がないと生きていかれない所もあるけれど」

・・・じゃあ、無くなったらどうなるんでしょうね〜。

 「どうなるかな・・・自分でも気持ち悪い所があるんです。どうも何かおかしいなと思ったら山を登っていて今日美術見てないやと(笑)。文章書いて展覧会をする事は自分の資質の延長にある事だから幸福なのかもしれませんね。まあ、ずっとこうして来たわけだからもう少し迷った方が良かったのかもしれないけれど・・・」

・・・最初はO美術館の学芸員をされてましたね。

「13年半いました。長いですよね。いろいろ問題をかかえていたけど、でもね、あそこは小さい美術館だからこそ手作りで出来た所もあって、初年度は年に4本。20代の頃、残業を毎月百時間以上していたこともありました」

・・・ ほう。でも今は京都造形芸術大学にいらして、関西も東京も見れるからいいですね。

「行ったり来たりです。でも両方とも全部は見れないですよ。仕事が主体で」

お待たせしました。
今日は和食が好きだという天野さんのリクエストにお答えしてお鮨を選びました。

こちらのぎんざ賀久さんは、すっきりとした白木のカウンターのちょっと贅沢なつくりのお店。ご兄弟三人で切り盛りしています、
『寿司田』からニューヨークに渡り修行を重ね。やるなら銀座にと並木通りに進出。
このご主人まだ若くなかなか勉強家・・・ 。
『仕入れは他に負けません。新鮮な種をいい品揃えでを心がけています。』と太田賀久(よしひさ)さん。賀久(がきゅう)の名はご主人の名前なんです。

ランチは萩・織部・伊万里・寿司会席の四種類。今日は織部(上にぎり8個、巻物一本、お碗、デザート 1800円)をチョイス。何故織部かって、こちらの器は作家もの。品書きの織部は織部焼きだからみたい。

・・・どうですかお味は?

 「美味しいです。和食が好きだからね」

・・・小ぶりのにぎりで・・・美味しいんだけれど。オサルスはお鮨を食べる時は後ろめたい気がして・・・。だってすご〜く好きだから食べてる姿を見られるのが恥ずかしいんです。遺伝子にSUSIと入っているんじゃないかと思うくらい好きだからな〜。
実はオサルスの夢は毎日お鮨が食べられる事。カウンターに座って握りたてのウニやトロ、赤貝・・・。いいだろうな〜そんな生活。でもこんな事をしていたのでは夢は遠くに行くばかりかな。(失礼。)

・・・ところで大学でいろいろ研究をしておられるんですね。

「一言では言えませんが大学では実験映像論、現代美術論など色々やってます。、今は今年6月の末に京都造形芸術大学で日本アニメーション学会があるんですが実行委員長として展示、上映、シンポジウムと企画しているところで」

・・・そうですか。

「僕にとっては映像も一つの専攻分野なんです。しかし、孤立してそれを見るのではなく、縦割りで映像と美術とは分けられない所があって、現代美術にも映像表現が切れ目無く繋がっているし、今、国際展では映像は重要です」

・・・色々な表現のなかのジャンルとして・・・。

「さしあたってのジャンルとしてね。制度的なものだったりとか、または素材中心にして考えれば判り易いかもしれませんね。例えば日本画なら日本画とかね。ただ、今はそれが単なる素材中心ではなくて考えのパターンになっている。実験映像、コンピューターグラフィックス、アニメーション、デザイン・・・現代美術に日本画、工芸、書等など。
僕はそれぞれに関心を持ち活動を見ている。その逆に向こうもこちらを見ているわけです。例えば現代の日本画なら日本画で僕がその専門家だと思っているし、映像の人は人でそう見ている。でもそれは一つの側面なんです。僕は一人だし自分の仕事は全部繋がっている積りなんです」

・・・それはどうしても少ない情報で断定して見ている部分があるからでしょうね。

 「確かに実験映像と日本画を見ている人はあまりいないかもしれない。両極端かもしれないけれど・・・さらに今日ではもっと狭く分かれてきている。それは激しすぎますよ。実験映像を見ている人とCG見ている人とかアニメーションを見ている人とはそれぞれ違うわけです。
全然見ない人がいるから・・・確かに無関心である理由は人それぞれあると思うけれど、でも実際そういうのは私には訳判らないな。
少なくとも現代の時空に生きている時に様々な表現の多様性があるなかで、領域性が違うからという理由で目を閉じてしまう事は殆ど意味が無い事です。
例えば日本画しか見ない、日本画しか論じないという専門性は私には信じられない。もうそういう時代じゃない。
少なくとも時代の表現とリンクさせて考えるならそれはもう終わっているような気がします。それぞれ一つ一つの蛸壺化した中で素材中心の領域性の中だけで論じられる時空はもう崩壊しているような気がするんです」

・・・凄くそれは思いますね。

「彫刻なら彫刻、写真なら写真、工芸なら工芸専門・・・いますよね今でも。どうもその論を読むと面白くない。工芸を超えてとか日本画を超えてとかいいながら、超えてないみたいな所があって、その領域性への我田引水的な色があってその磁場を逆に保持してしまう」

・・・超えてないですよね。

「つまり、やはりそれを論じたり作っている時に一つの領域の中心部が何処かにガンとしてあるんです。作品について語っているのにその領域の中心部から抜け出せないような所がある。
それは僕だって今現代の日本画を論じていますし日本画を語る時には日本画の時空について語りますよ。表現について語るけれど、だからといって日本画という言葉が無くなれば日本画が無くなるのか、という問題では無いわけで・・・もうちょっと時代の表現全体の中でどうみたらいいのかという事を考えなければ駄目なんです。
歴史をやっていれば十年、百年、千年の単位で空の上から見たい所があるし、見ざるを得ない所があるわけです。つまり偶々この時代にこうやって受け入れられている作家もいるし、偶々冷遇されている作家もいるでしょ。それは殆ど現象なわけです。
今自分が生きている時空間の中でどういう事が起こっていて、作家の中で何が探られているのか、そこで我々の問いとして何が問題なのかという事は気になりますよね。そのために美術だろうが何だろうが関係無く横断的に見たいし興味があるんですよ」

・・・ところでちょっと話を変えますが、先日の『転位する日本画』(詳しくはhttp://www.nihonga.org/)のシンポジウムを聞き逃してしまったのですが、パネラーとして参加されてましたよね。そのお話をお聞きしたいのですが・・・もう日本画は超えちゃったんでしょうか。

 「そんな事はないです。問題項としては残っているんです。流行現象として忘れちゃいけないという事があって、ああいうシンポジウムをしたんです。あれも問題設定は、単純に日本画の作家だけが考えればいいっていう問題じゃ無いわけです。
まさに転位している訳で、レベルをちょっと変えてあげなければいけない。そうすると俄然面白くなる。つまり日本画の問題は非常に深いわけですよ。日本の近代全体が関わっている問題だから、それは等しく降りかかっている問題なはずです。
鋭い知性や感性を持っている人ならば、必ず響いてくるはずなんです。無視は出来ない。だからといってこれを死んでいるんだ、とか名前を変えればいいんだ。と蓋をしてしまって終わるというような単純なものでは無いわけです。
もっと奥が深くてデーモンのように我々にしがみ付いてくるものなんです。だから逆に言うと、そういう所をどうやって捉えてどういう風に創造的に生かしていくかを考えなければいけない。それは'80年代から言っています。
それに例えば80年代90年代、作家と一緒に過ごして来たけれど、どのくらいそこら辺が響きあっているのか。どう総括するのかという所もありましたね。
これを単にブームとして終わらせていいのか・・・確かにブームは過ぎたのかもしれない。じゃあ新しき日本画といって日本画のなかに回収してしまうのかどうか・・・もう回収してしまっているかもしれないけれど・・・その位日本画というのはどんなに弄ってももう一回再生してくるような海鼠みたいにシツコ〜イ形態なんです」

・・・日本画も絵画という名前で呼んでしまえば済んでしまう事なのではないですか。何故拘るんですか?

「そうですよ。だけれども絵画といってしまえば、絵画という西洋的な範疇のなかにいるという事があるんです。それは逆に普通は自覚していないでしょ?」

・・・そうかもしれません。

「つまりいつでも言葉というのは確かに制度的なものと引っ付いているんだけれども、絵画にあっても日本画にあってもどういうレベルでもいいんだけれども、そういう所を自覚しながら生きるという・・・非常にややっこしくて面倒な面があるわけです。そういう風に生きないとダラダラしてしまう所があるわけね。やっぱりそういう風な所で自分をスリリングに置いとく所があるんじゃないかな」

・・・かなり人は多かったんでしょうか。私は行かなかったんですが。

「あんなに人が来るとは思わなかったですね。かなり来てました。一日200人以上来てましたから」

・・・ほう。皆、日本画の事を考えたいのではないですか。

 「色んな立場の人がいるからね。考えたいのかな・・・どうなんだろう。日本画がこんな状態になっているとは思わなかった人もいるかもしれない。『皆、日本画嫌いなんですね』と言っていた人もいたけれど。僕は全然違う・・・愛憎両面あるんですよ。
僕は子供の頃から見ているわけで、一方では愛していながら、もう一方では巣食っている・・・肉になり血になっているんです。黄金時代も見ているし、見ていながら批判しなければいけないわけです。
ただ、単に埋没してはいけないしもう少し離れた所からやはり複眼的に見なければいけない。単に埋没するだけだと趣味的にはいいでしょうが、それだけでは生きられない。作家もまたいわゆる趣味的絵画で終わってしまう。そうするとチョット違う、もう少し意識的な地平で描かなければいけない。そうでなければ創造的な作品は出て来ない」

・・・今の日本画は見ていて面白くないんです。

「確かに考えてないし、凡庸だしね」

・・・以前、斉藤典彦さんと『ランチdeチユ』で芸大の日本画の生徒は描くのは好きだけれど、想像力がないのかという話をしたのですが。あの絵の具に魅せられるのかな〜。

「日本画を何故描くのかと聞くと絵の具が美しいからというんですよね。そういう言い方はダメね。絵の具が美しいなら描かなきゃいいのにと思うよね。汚すだけだろうと・・・」

・・・そうですよね。以前岡村桂三郎さんとお話した時に、何で絵の具屋さんの絵の具はあんなに綺麗なのに絵を描くと汚くなるのかと・・・ただ岡村さんの場合は自分で絵の具を作っているし、それがコンセプトに繋がっているからという事なので逆に納得できた面がありましたけど・・・。

「戦後の中で厚塗りになる理由もあったわけだけど、汚いというとそれはいつ頃だと思うの」

・・・昔の創画会の抽象的な作品かな・・・。

「日展には抽象があるけれど昔の創画会にはないですよ」

・・・え! そうなんですか。物忘れが激しいもので。

「意外とないのよ。最近ですね」

・・・そうですかね。

「80年代に入って変わってきましたね」

・・・でも、その人達ももう新しくないですよね。そうすると新しい日本画は何処から出てくるんでしょう。

「大きな流れとしてはないよね。緩慢な死を迎えているだけ、でもそんな事をいってもそれは日本画だけじゃないから、公募団体の油彩はもっと酷いと思うよ。おそらく近代美術史上最低ですよ。日本画もそうだけど」

・・・そうするとこれからの時代は映像ですか。

「映像はそんなに歴史がないから比較対照がない。流行ではありますね。国際展でも重要だから、それは認めざるを得ません。だからといってそれが素晴らしいというわけではない。もう少し冷静に考えないと僕は映像をやりながらそう思うんです。一言では言えないし単純化して話すものでもない。映像といっても色々あるからね」

・・・では、最後に他の職業を選ぶとしたら。 あ! 今が天職だから他はないですよね。

 「そんな事ないですよ。美術館学芸員もしたいし、画廊もやりたいし、雑誌も作りたい。色々なメディアを持ちたいですね」

・・・インターネットはどうでしょう。

「インターネット上のギャラリーCGA(サイバー・ギャラリー・アソシエション http://cga.dynamix.co.jp/)の会長もやっています。これから企画展もやりますよ」

・・・そうですか。どうもありがとうございました。

最近インタビューをおこす作業で壁に突き当たって・・・と、いうか・・・何故かスランプ。

今、大ベストセラーの養老孟司さんの『バカの壁』を読んで、まえがきに、
『これは編集部の人たちが文章化してくれた本です。・・・内容はたしかに自分が話したことです。それを他人に文章化してもらうと・・・自分の文章ともいえるし、他人の文章のようでもある。奇妙な効果を生じている・・・』 (バカの壁より抜粋)
というくだりがかなり気になって・・・オサルスのしている事も同じだからなあ。

インタビューはコミニケーションだからその場の雰囲気を出来るだけ忠実に再現? したいといっても、話し言葉はオサルスの脳を通過して文章になる訳だからどうしてもご本人が言った意味と食い違うのは致し方ない。 まあ、その歪みが面白い。なんて言ったらインタビューに応じていただいた方々には申し訳ないよね。でも、これはあくまでもライブ感覚。

・・・確かに私はそのように話したかも知れないけど、そのまんま載せるのかヨッ!?・・・

という声があちらこちらから・・・空耳かなあ。テヘッ、それがオサルス流。

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