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携帯オサルスのおすすめランチ ランチdeチュその102

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焼き鳥丼 800円

焼鳥 宮川
東京都中央区銀座1-9-5 TEL03-3564-3978

 

  2003年ももう少しで終わり、皆さん今年はどんな年でしたか?
オサルスは去年よりはマシだったかな。
あ! でも最近はオサルから降格して、何とペングゥインと呼ばれるようになってしまったからそうでもないか・・・。
 え! 何故ペングゥインなのかって、だって体型とパタパタ歩く所が似ていると、ウェッブマスターが言うんですよ。
あと、猿よりもペンギンのほうが脳みそが少ないですって、全く失礼しちゃうよね。
自分だってアザラシのタマチャンに似てるくせにね。まあ、極寒に暮らしている動物だから極貧の私達には似合うかもね。と、今年もブツブツ云いながら暮れていくんだな〜。

 そんなこんなで落ち込んでいるオサルスに、救世主現る。

 ポンと肩を叩く感じで 『元気出せよ。』 と云って下さったのが、あの写真家の安齊さん。
今年の 『ランチdeチュ』 の締めは安齊重男さんにお願いしました。
安齊さんは只今銀座と渋谷と代官山の三箇所で展覧会中。代官山には地図を見ながら行ったんだけど。しっかり道に迷っちゃった。何故ここに地図には無い坂があるのか? 不思議だ。

 代官山があまりにもオシャレな街だったのでキョロキョロしていたのがいけなかったんだな。
辿り着いた先は TERMINAL (渋谷区代官山町11-1 TEL03-3463-9678) というブティック。店外も店内もカッコイイねぇ。そこに展示された安齊さんの写真が凄くカッコイイ。
イサムノグチに時計はよく似合う。渋くっていい。今さら名前を挙げる必要が無いようなアーチストばかり、こういう見せ方凄くいいですね。

・・・ところで安齊さん。どういう切っ掛けで写真を撮ろうと?

「弟が美術をやっていて、たまたま一緒に借りていたアトリエの大家さんから取り壊すから明け渡してくれと云われてちょっと仕事が出来ない時期があったのよ。それで僕が暇そうにしていたから僕の周辺の、今でいうインスタ系のアーティストから 展覧会の写真を撮らないか と云われて、当時は展覧会をしても展示を解体しちゃうと後に残らないから、資料として写真を撮ろうという機運が興り始めていたんですよ。
 それまで僕は写真の勉強をした訳ではないから、判らないと友達のカメラマンに電話して聞いたりしてね。
ちょうど同じような世代の連中というか、今でいうモノ派の李禹煥や関根信夫などが展覧会をしていたから、その人達がどういう考えで作品を作っているのか、作家にいちいち説明を聞かなくても、僕の考えで写真を撮っていたので重宝がられてね。

 日本には美術を記録として残そうという人は他にいなかったし・・・この仕事は面白いかなと思い始めたんですよ。そんな事をやっている時に、今は伝説的になっている東京国際ビエンナーレが上野の美術館で開催されて、主催は毎日新聞。今、それぞれの国のリーダーになっているような人達、例えばクリストやダニエル・ビラン、リチャード・ステラ、マリオ・メルツなどが来日したんです。
その時に毎日新聞がアシスタントみたいなものを探していて、当時は毎日新聞も専属カメラマンを付けてなかったんだよね。まあ、僕は多少英語も出来たし、スナップでいいからと写真もと頼まれて・・・そのバイトをしたのが僕のそれからの人生をハッキリ変えたのかもしれないな。
その時に撮ったスナップは技術的に上手くなくても、その写真しか残っていないから、その後、美術館がドキュメントの形で資料を探していくと僕の所にしかないから、僕の写真が貴重価値をもってきて、そうすると僕の仕事の性格もたえず現場に居合わせて、有名無名関係なく、とにかくそこに居合わせて写真を撮る仕事が段々重要になってきたんですよ。

 それで70年の終わりごろに、日本の無名の現代美術のアーティストの写真を果たして外国の美術関係者がどういう風に評価するのか。と思ってアメリカ大使館に相談したんです。そうしたらロックフェラー財団とかフルブライト奨学金制度があるから、手紙を出してみろといわれて簡単な英語で問い合わせしたんですよ。そうするとすぐ返事が来たのよ。
 フルブライトは今年の予算を使い切ってしまって予定がないので駄目で、ロックフェラーの方は凄く興味をもってくれて向こうから面接に来てくれて・・・そこで僕が提示したプランは、
『日本の美術の状況をアメリカの人々に伝えると同時に、同世代のアメリカの現代美術のアーティスト達のドキュメントを日本に伝えると、要するにお互いの情報交換をやりたい』
と、云ったら一発で決まって、一年間とにかくアメリカに呼ぶから好きなようにやれと、でもたまたまロックフェラー3世が交通事故で亡くなってしまって交換留学制度が僕で終わりになってしまったんです。その後西武の堤さんがお金を出してACCを設立して川俣正や村上隆が留学したんです。その前身はロックフェラー財団なんですよ」

・・・へぇ〜。

「まあ、それがアメリカに行った経緯です。それから日本に帰ってきてからもニューヨークにいた時のコネクションやネットワークで、例えばアメリカの美術雑誌の仕事の為にヨーロッパの大きな国際展、ベニスビエンナーレやドクメンタを取材をして何回か発表したりしていくうちに、僕の仕事は世界的に広がりをもってきたんです。
やがてイサム・ノグチの仕事をしたり、アンソニー・カロの仕事をしたり、最初は無名の人達の仕事をしていたんだけれども、段々名前の知れた人からのオファーが結構あるようになって、僕の仕事もスケールが大きくなっていったのです。
 それに幸せな事に自分自身が美術をやっていたということで、ベースが現代美術にあるものだから新しい美術が出てきても、それをそんなに特別なものとして見るのでは無くて、むしろ逆にこれは古いとか新しいとか、自分の考えである程度選ぶ事が出来るようになっていったわけね。そこまでが切っ掛けというか今迄のプロセスです。

 では、 何故、今、同時期に三つ展覧会をするのかといえば、一つは美術の情報をもっと判りやすく発信したいという事なんだよ。僕はかつて流行通信というファッション雑誌にページをもらって現代美術の情報を連載した事があるんだけど、以前から病院とか銀行とか美容院に置いてあるような雑誌で割合素直にス〜ッと受け入れられるような情報を作るのが夢だったわけね。
だからブティックで何かやらないかと云われた時に、代官山の TERMINAL も渋谷の DESPERADO も多摩美のインテリアデザイン専修卒業の小林恭君が設計したわけだけれど小林君に、
『僕が展示を指示するのではなくて、君のデザインしたブティックという空間で僕の写真を自分が面白いと思う方法で展示してみないか。』
と云ったんですよ。
ただ、僕が出した条件はブティックというショップの機能を、できるだけ片付けないでそのままにしておいて、そこに僕の美術家を撮ったウォーホールとかバスキアとか超有名人の写真を展示する事によって相乗効果がでるように、ショップに来た人が思いがけなくアーチストのポートレートを見てもう一つのプラスアルファの楽しみが持てるような空間にしてくれるのであればいいと云ったんだよ。

 もう一つのレディースの渋谷のブティックは行ってもらうと判るけれど入り口に大きなショーウィンドーがあるんですよ。そこの場所をギャラリーのようなスペースにして若い無名のデザイナーやアーティストをチョイスして月一回平均で展示するというので、
『じゃあ、僕ね。ノーギャラでいいから、必ずいつかはその資料が役にたつと思うから』
と云って、道路から三脚立てて、いつも真正面の同じ場所から定点観測的にウィンドーの中を撮っていたのよ。
それが二年半くらいで27グループ溜って、それをなかのショーウィンドーに二列にアーティストの名前や日付を書いて並べて、若いアーティストのドキュメントとして展示してあるんですよ。
入り口の大きなショーウィンドーにはボイスの帽子をかぶった僕の写真を畳一畳くらいに伸ばしてプリントしたものを、大きな鉄板の上に乗せて展示してあるの、それが埼京線のホームから見えるんだよね」

・・・渋谷の DESPERADOは 以前伺って写真を撮らせてもらった事があります。

「ギャラリー現の作品は25年前に僕が住んでいたニューヨーク。今と昔では大分変わってしまったし、色々な問題が算出しているでしょ。もう少し平和になって欲しいという願いもあって、多少はセンチメンタルな感じかもしれないけれども、あの当時のニューヨークに思いを馳せて、そこに住んでいる人達の写真を展示したんですよ。今回の展覧会は僕の中にある三つの要素をいっぺんに見せるという事で僕自身には凄くラッキーだったんです」
お待たせしました。焼き鳥丼(お新香、味噌汁付き800円)ときじ焼き丼(お新香、味噌汁付き800円)です。

・・・こちらはよく来られるんですか?

「偶にね。ランチでもちゃんと炭火で焼いてくれて旨いんだよね」


 焼き鳥の中身は、砂肝、鳥ねぎ、レバーにしし唐、ピーマンと盛りだくさん。焼き鳥のたれがご飯にしみて、ご飯とたれだけでもお代わりできそう。砂肝が柔らかくて歯を治療中のオサルスもNo problem。
銀座で25年続いているお店は、派手さはないけど、誠実に焼き鳥一筋で来ましたという感じ。その温かみが肌で感じられて、素材中心のでしゃばらない味だから一週間に一回は通いたくなるお店です。

 マスターが無口なのがいい。
・・・ところで、今回の展覧会は何故写真の画廊ではないのですか?

「僕の仕事のイメージは現代アートの周辺の現場の写真とかパフォーマンスの写真。何故写真の画廊でやらなかったかというと、あれを写真の画廊でやっても面白くないんですよ。普通の写真に見えちゃうんですよ。要するにスタンダードな写真にね。
何故ギャラリー現でやるかというと、現に来る人達は美術に関係のある人が圧倒的に多いわけですね。それと安斉さんというのは、絶対に美術の関係の写真を撮っている人という認識している人が多いわけです。僕の普通の顔が頭にあってあの写真を見るのと、まったくそういうのが無くて見るのとでは違うのではないかと・・・要するに落差があるじゃないですか。
僕が普段美術手帳や色々な美術雑誌や新聞で発表している写真と、今、現で発表している写真とは違うんですよね。その違いというのを知ってもらいたいというか、意外性っというのかな。
 ギャラリー現の作品は題名に79年ニューヨークとしか書いてないから、79年に僕がニューヨークで撮ったアートシーンの写真だと思って来た人もいるわけ。だからそういういい意味で画廊に来た人を裏切るみたいな、意外性、その感想を聞きたいんだよね。
 昨日デザイナーの三宅イッセイが来てくれたんだけれど、彼が 『こういう写真も見たいな〜』 と云ったんだよね。そういう事を彼がいうのは、彼も普段僕が撮っている写真がああいう写真では無くて、彼のプリーツのインスタレーションの写真だとか、彼の美術館でやる展覧会とかの写真のイメージがあるんだよ。ああいうストレートの写真を今迄見せた事がないしね。だから逆に僕自身にとっても新鮮な体験なんだよね」

・・・安齊さんの写真は印刷物で拝見した事があっても、本物を直に見たのは初めてなので、あの写真はいい写真だなと思いました。

「そう云ってもらえると嬉しいね。もう一つは大きさね。まあ、あの写真は小さいんだよね」

・・・写真はそういうものだと思うんですが違うのですか?

「まあ、最近は日本人も壁に色々なものを飾る習慣があるから、あのくらいのサイズだと生活の中にはめ込めるから、ちょこっとどっかに掛けられるしね。正直な話いままで僕が美術館でやる展覧会の場合は写真そのものを壁にピンナップしたり虫ピンでとめてたりしていたから、額縁にプリントした写真をきちっと入れて展示したのは久しぶりなんですよ。あのくらいのサイズが丁度いいのかなってと思ってやったけど成功しましたね。見やすいし、あまりワ〜と来ないし」

・・・凄く淡々とした中に写真の味を感じられるし、ニューヨークという場をうまく撮られているから、写真にああいう空気が感じられるのはいいなって思うのですが・・・。

 「僕の目指している事はね。写真は視覚芸術なんですよね。眼に見えるものだから、ところが眼に見えるものを撮っても人間というのは、想像力とかその人の感受性で空気みたいなもの・・・要するに空気感みたいなもの・・・あるいは匂いとかを感じるんだよ。そういうものまでも感じさせるような写真がもし撮れたら、絵を描いたりするのと同じくらいのメディアとしてさ、あるんじゃないかな。
ただ単に一つの事実をスナップにして伝えるんじゃ無くて、もっと突っ込んだものが感じられるんじゃないかな。それは多分僕が写真のプロフェッショナルな教育を受けていないのが幸いしていると思うのよ。ものを描いたり、作ったりする事は、その人のもっている持ち味を解釈を含めて何処で出すかだよ。
だから視覚芸術には違いないけど、眼に見えないものも、もしかして写るのかなっていう感じはあるんですよね。それがそこにある事によって空気感が伝わって来るとすればそれは自分が目指すものに近いのかと思ったりもするんだよね」

・・・ライカで撮ってらっしゃるんですよね。カメラは機械だから誰でも撮れるけど誰でも撮れるものじゃないというのが私の持論なんです。

「変な云い方をすると、カメラという機械はそれほどたいしたパーセンテージは占めないような気がするのね。どのように使うかという事で違ってくると思うの」

・・・なるほど。少し話を変えますが、今回は久しぶりの個展になるんですか?

「94年に鎌倉の神奈川県立近代美術館でやって、2000年に国立国際美術館で回顧展をやって、そのあとポーランドのクラコフという街にある大きなギャラリーのようなとこでやりました。それ以来だからね。銀座でやる個展は久しぶりだね」

・・・又、少し話が飛びますが、先日ネットで 日比野克彦さんの明後日新聞に、カメラよりチョーク? という記事を拝見したのですが、『あの安齊さん』 と書いてあったのですが、私が思う安齊さんのイメージは有名な写真家の方というよりも、新潟トリエンナーレでも何処へでも気軽に現場に駆けつけて若い作家の写真を撮っているイメージが凄く強くて、その姿に親しみを感じてしまうんですよ。

「僕はあなたに最初に会った時からそう思っているんだけど、ある意味でいうとあなたがやっている仕事は僕がやっている仕事と同じなんですよね。要するに社会ってあるでしょ。そこに一般の人達がいるわけですよ。美術というジャンルがあるわけね。そこに専門家がいる。
それを色んな方法でお料理して判りやすく、或いはもっと現場にいればリアルな情報として、こっち側の人に運んだり、通訳したり、翻訳したり、そういう仕事は方法論は違うけど、世の中のなかでそういう役割をしなきゃいけないというのものは沢山あるの。ギャラリーも美術館も皆そうなの。
それをただ単に絵や写真や彫刻を展示して売って、利益をうるだけだとすれば、そんな詰まらない事はないね。あなたがやっているネットは昔流で云えば雑誌だと思うんですよね。インターネットを使った美術雑誌みたいなもので、今の時代におけるある一つの情報の作り方として、それが段々普通になってくるのではなかろうかと・・・昔はペンと紙とカメラを持って走り回っていた美術記者とかがいたとすれば、その人達も同じような事をやっていたように思うのだけれどね。
ちょっと使う道具が違うのであって、僕があなたに何か云ってあげられるとすれば、これがずっとやって溜まったら面白いなと思うという事。10人や20人じゃなくて100人くらい集まったとしたら凄く面白いと思うんですよ。それぞれの分野でそれぞれの立場で、少なくても基本的には現代アートみたいなものに何処かで関わり合っている共通項をもっているとすればね。50人くらいでも凄く面白いものになるんじゃないかな」

・・・そうかもしれませんね。

 「大学に講演に行った時に学生に質問を受けて、何故写真を撮り始めたのかと聞かれて、一応ずっとプロセスを踏んで話すんだけれど・・・考えてみればアーチストが表現したもの。他人の作品を写真に撮るわけでしょ。
『それはどういう意味があるんですか?』 と、聞かれるのよ。
『自分が表現したいものがあったら自分で作ったらどうですか』 と、唯、僕はそこに自分の仕事をシフトした時というのが、偶々美術の大きな変化があって、その凄く変化した所に偶々立ち会った事によって、そこで自分なりのスペースをカメラとともに見つけたわけよ。
あなたがインターネット場に、もしあなたのスペースを作れるとすれば・・・一つのフォーマットを決めたらそれを累積してあとは多ければ多いほどいい。僕は色々な人の写真を撮るけど一時期は選ばないで片っ端から全部若い人の写真を撮ってた時期があるの。選ばなかったのが凄く良かったかな〜と。選んじゃうと一つの権威みたいなものになる。
 選ばないというのはもの凄い事なのよ。それだけ動かなきゃいけないわけでしょ。ロスも多いのよ。だけどね。物事はロスが多ければ多いほど、要するにふるいに落ちる量に比例して上に残るもののクウォリティーというのが高くなるというのが僕の持論なんですよ。だから人間は無駄をしなきゃいかんと。一杯無駄をして始めて本物が判る。そういうものだと思うんですよね。それが僕の信念」

・・・凄く嬉しい言葉です。

「昔は僕もあの人何やっているのみたいな事云われた。それだってね。あんたそれが出来るのかと云いたいよ。あなたも若い人からお金とってないでしょ。僕が写真を撮り始めたのもそんな感じだったよ。画廊の親父に『お前。そろそろお金貰ったら。』と、そうしたら500円とか1000円とか、ある若いアーチストは3000円くらいの写真代を 『悪いけど。分割払いにしてくれない』 という時代があったんだよ。
そういう所を皆一緒に通ってきているから、暫くたって考えてみるとそういう時代がもの凄い大事なものを作る基礎になるんだよ。俺はそう思うな。だからあなたがやっている事はトップランナーとは云わないけれど誰かがやらなければならない事だと思うんだよ。
僕はそういう所を通って今があるわけだから、70年代の初っ端あたりは、変な話ね。プロの写真家と云われる人達から何を云われたと思う。『トウシロが出てきてね・・・。』 と、今そういう人達は何も云えないですよ。僕がやっちゃってるからね。だから外野から信じられないと云われても」

・・・ハハハハ、信じられないですよね。

「とにかく黙って、本人が納得するまでやるんだから、やるっきゃないわけよね。僕があなたに云いたいのはその一言なんだよ。そうい風にしていかないと、文化の活動の歴史とか記録とか状況とかは次に繋がっていかないんですよ。だから地味な仕事ですよ。まずお金にならないしね。お金にならないのは宿命的ですね。特に現代アートはね」

・・・でもお金にならない事をやるというので落ち込む事もあるんです。

 「だから僕みたいな事を考えている人が、世の中にいるんだという事を思い出せばさ元気が出るわけよ。僕もね、外国に行って僕みたいな仕事をしている人に会うと元気になるものね。止めなくてよかったな〜って。
でもかみさんは大変ですよ。『どうしてくれるんですか。』みたいな感じでね(笑)。でもそれは今になって思えばよく辛抱してきたなと思っているとは思うんだけれど。お互い様だなって。
仕事って以外にそういったものだなと思うんですよね。それこそ変な話だけど画廊に足を運ぶだけでも大変だし、何をやっているかとか、どんな素晴らしい事をやっているかとか、どんな詰まらない事をやっているかとか、行ってみないと判らないじゃない。気になっている事は全部やった方がいいね。理屈じゃ無くて自分で見て気になるなと思った事は絶対やるべきだ。
 僕なんかはそれが一つの基準になったから、誰かの物まねや見た事のあるものは結構あるけど、こんなの見た事もないというものは、必ずあとでとんでもないものになる。それに僕の持論は一人の作家の一回の展覧会ではその人は判らないからね。三回見て四回見て五回見てやっとこの人こういう事考えてるんだとそういうの感じるでしょ。最初見た時はわけが判らない。二回目見ると、あ、何となくこの人ってこういう感じかと判るじゃない。それなんですよ。その気持ちで物事を見ていかないと本物は絶対に見えないですよ」

・・・励みになる言葉です。私がこういう事を始めたのは、若い人達が貸画廊を借りて展覧会をやっても、その記録が何も残ってないというのが一番の切っ掛けなんです。ですから何とか残せたらいいなって・・・。

「僕もまったくその通り。でも僕はもっと凄い事を考えてたな、美術史はどうして出来ているんだろうって、美術史はある意味時代の権力の歴史じゃないですか。俺が自分で自分の美術史を作れないものかなってそういう風に思っていたもの。
僕には夢がる。それは僕の30年くらいビシッとある資料を土台にして現代美術のアーカイブを作ろうと。将来は現代美術の資料センターを作ろうと思っているんだ。それが僕がとり合えず立てた目標なのね。そこまできちっとやりたいんだよ。
 私ごとで申し訳ないんだけど、来年多摩美術大学の油絵科の客員教授になる話が決まったんだよ。それで学校に 『僕が何をやればいいんですか?』 と素朴に質問したら、大学の人が『安斉さんは、沢山の作品を見ている人だから、学生の作品を見てくれ。』と、見て僕なりに今までやって来た事を通して云える事を、学生に指導してもらえないかと。だから来年の4月から学校の先生になっちゃったんだよ」

・・・凄いじゃないですか。

「僕は受けたからには、僕が行った事によって大学のなかの学生たちが変化して欲しいと思うので、僕が出来るやりかたでやってみようと思っているんだよ。2004年から気合入れてやりますよ。
僕が行くからには多摩美は変わったなって云わせたいと思っているんだよ。どうせ行くのならそのくらいは云わせたいよね。大学の先生になるとは思ってなかったからね。今迄蓄積したものを彼らに伝えていくだけでも面白いと思うんだけどね」

・・・なるほど。では、最後に安齊さんのモットーを教えて頂けますか?

 「僕が好きな言葉は 『しゃかりき』。どんな人でも一生懸命何かをやっている人が好きだな。何かその人なりに一生懸命やっている人は美しいですね。だから結構職人さんとか好きです。それをやってれば何もいらないと、そういう人世の中にいるじゃない。嫌いなのは権力者みたいなの嫌いだな」

どうもありがとうございました。

今日はインタビューをしたというよりも、安齊さんに励まされてしまいました。
「とにかくがんばってよ。」
今まで殆ど励まされた経験が無かったので、本当に励みになる言葉を一杯ありがとうございました。
まだまだ、オサルスは将来の夢を語る余裕はなく、何とか今日を無事に生きていれば明日が来るとしか思えないんだけれど、最近は長生きしなけりゃ駄目だなって思うようになりました。あまりにも時間が掛かる仕事を選んでしまった為に、結果は時間が経たないと見えてきそうもありません。
あ〜あ! です。
まあ、とにかく来年も宜しくお願い申し上げます。
とり合えずの目標は、 おpenguinにならないようにダイエットするっきゃないかな。貧乏なのになんで太るんだろう。不思議だ!。

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