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オサルスのおすすめランチ ランチdeチュその105

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幕の内弁当 2500円

なか川
神奈川県鎌倉市小町2-8-9 TEL0467-25-3423
営業時間 : 12:00〜14:00、17:00〜22:00
(日曜、祝日の夜は〜21:00) 定休日 : 月曜

 オサルスのインタビュー (ランチdeチュ+ドリーマー+ホントに本と) もついに100回を数えることになりました。
ご協力頂いた関係諸氏の皆様、誠にありがとうございました。
今までのインタビュー全て、できるかぎり話し言葉にしたのは、私なりに臨場感が出せたら・・・と考えてのことです。したがって誤字脱字など基本的な間違いはもってのほかですが・・・(恥) 言葉の言い回しがおかしかったり、文章の不明瞭さなど多々あると思います。ご本人は勿論のことそれにも挫けずアクセスしていただいた方々にも感謝です。

さて、今回は何度もお願いしながらずっと断られ続け、それにもめげずに再度お願いし、しつこいと言われながらやっとOKを頂いた77ギャラリーのオーナーの遠藤修一さんに鎌倉のお店をご紹介頂きました。

「2001年になってね。あまりにも僕らの業界とか仕事とか作家も含めてね。様変わりをしてしまったような気がするね」
と、遠藤さん。

遠藤さんが77ギャラリーを立ち上げたのが1977年、日本のアートシーンがどう変わったのかお聞きしましょう。

「まってよ。アートシーンがどうこうなんて語る、僕はそういうのは嫌いだからね」

まあ、まあ、オサルスが恰好をつけても上手く書けるわけないですから・・・。 「それじゃもっと悪いじゃないか」

・・・アチャー!!!


さて今回ご紹介いただいた 『なか川』 さんは、JR横須賀線鎌倉駅から徒歩5分、鶴岡八幡宮に向かって小町通りの右側です。
かわはぎ、ひらめ、あじ、きすなどなど、地元でとれる四季折々の魚を味わえる店。刺身やてんぷらが付く三段弁当や幕の内弁当がお薦め。
「しもたや」 風のお店の藍染めの暖簾に白く抜かれた魚の絵・・・ジロっと睨んだ目がユーモラス。
店内はこぢんまりとしたカウンター、さあ、どうぞと通された奥のお座敷には、春早咲きの黄色いレンギョウの花が生けてありました。元々は小林秀雄さんなど鎌倉の文人が集う店として始められたらしく、宣伝は一切していないそうです。

 「このマッチもそうだけれど絵も字も小泉淳作さんが描いているんですよ」

・・・そういえば、小泉先生の版画も飾ってありますね。ところで遠藤さんの美術との出会いを教えて頂けますか。

「絵が好きだったからかな。僕は高校生の時は油絵を描いていたからね。でもたまたま体の具合を悪くした時に版画をやってみたくなったのね。それで当時知り合いだった大阪フォルム画廊の方が小作青史先生を紹介してくれて、銅板画を習いに行ったんだけれど、4回でやめちゃった。
大体僕がこれでもういいと思っても、小作先生は 『もっと描き込んで作れ。』 といわれてね。小作先生はなかなか厳しい先生だったんですよ。まあ、元々僕はああいう複雑なものは合わない体質なの。非常に単純に出来てるからね(笑)。ちょうどその頃、たまたま大阪フォルム画廊から仕事を手伝わないかといわれてね」

・・・え? 電通にお勤めだったんじゃないんですか?

「大学を出て電通に勤めて、28歳の頃に大阪フォルム画廊に入ったの。僕は勤めるのが苦手で、最初は一年ぐらいだけのつもりの話だったから」

・・・大阪フォルム画廊のお話はユマニテの土倉さんからお聞きしましたが、凄い画廊でしたね。やはり時代で駄目になったという事ですか。

「いい画廊でしたね。時代というのは怖いから、駄目になるという事はあると思うよ。僕らだって時代で駄目になりそうよ。だって21世紀で全然違うじゃない。あなただって京橋に画廊を開いた事があるんだから、判ると思うけど」

・・・それは辛い一言ですね。ハハハハ・・・・(汗)。

「随分様変わりしているでしょ。やはり世代って変わっていくんじゃないかな。それがいいんじゃないの」

・・・私は画商というよりはガチョーンでしたからね。
それで思い出しましたが、以前私が画廊の仕事をしている時に 『畫傳胤萃』 というニュースレターをDM代わりに配っていて、そのなかに画廊は経費がかかるもので儲けは微々たるものだと書いた事があります。それは当時遠藤さんから聞いたお話がベースなっていましたが、展覧会をすればしたで経費がかかるわけですよね。まあ、画廊も若い作家を扱うタイプと、評価された作家を扱うタイプと二通りに分かれると思いますので一概にはいえませんが、今の現状は如何ですか?

 「厳密には、若い作家を扱うのと有名な作家の絵を売るというのは、二つには分けられない。同時にやらないと出来ないわけでしょ。
例えばピカソを売って利益が出たとすれば、その分を若い作家の経費に当てるとかね。それはピカソに限らないけれど、皆お互いにそういう事をやっていると思うよ。それが今、利益を出すべきものがなかなか売れないからやはり作家だけをやっているとね。経営が難しくなってますよね」

・・・確かに。

 「石油ショックのあとは絵画が暴落しましたよね。その後、お客さんは日本画でも油絵でも欲しがったんです。でも今ひとつ値段がはっきりしなかったから、その頃は、ピカソの 『貧しき食事』 が5〜600万円で買えたの。そういうものを輸入すれば、ボロ儲けをしなくてもある程度必ず売れました。
当時はアメリカもヨーロッパも好況とはいえなかったから、買う人がいれば沢山送ってくれたんです。月10点も売れば利益だってでるじゃない。そうすると若い作家が出来るじゃない。そういうパターンがバブルが終わった90年以降は崩れちゃったね。
多分2001年になってね。あまりにも僕らの業界とか仕事とか作家も含めてね。さっきもいったけれど様変わりをしてしまったからね。だから質問されてもどう答えていいか判らないよね。暗中模索のなかでしょ。ただ、その日その日を何とか生きていくだけだよ。本当に変わったのが判るでしょ」

・・・ええ判ります。

「10年や20年前なら、どの画廊さんが扱っている作家でも同じように扱えたじゃない。今は作家も様変わりしているから、共通項は画廊さん達も無いわけでしょ。若い世代はその世界だけで伸びてるんでしょ」

・・・そうみたいですね。

「日本の若い画商さんが、世界の同世代の若い画商さんと提携を組んでいってね、世界に羽ばたく事も出来ると思うよ。本当に今は全体が根本的に変わったと思うよ」

お待たせしました。幕の内弁当です。

・・・済ません。今日はごちそうになります。ごちそうになりながら値段を聞くのも変ですが、おいくらですか。

「2500円かな」

遠藤さんはもう二十数年。土日しかお昼ごはんは召し上がらないとか (今日は土曜日なんです) だから東京ではランチは出来ないからと鎌倉のお店を紹介して頂きました。
でもこの幕の内弁当美味しい。お花見に持っていくのに最高。

煮物、焼き物、油もの、蒸し物、酢の物、あえもの+幕の内型で抜いた白飯が、調和よく半月型の器に盛り付けられていて、見た目にも美ししいその姿に、造形的なこだわりを感じます。

 こちらがご主人。見てください目の輝きが凄いでしょ。こういうご主人の作る料理は、光っている。

海老のてんぷらも 煮しめた野菜もがんもどきも玉子焼きも・・・一品一品がVERY GOOD.

『さいこうだ 、はるのかまくら、うまいめし』
え! そんな下手な句なら誰でも出来るって・・・でも、本当に美味しかったです。ご馳走様でした。

・・・少し話を変えますが、大阪フォルム画廊から独立されたのは何年なんでしょう。

「1977年です」

・・・1977年に立ち挙げたから77ギャラリーというのですか。76年だったら76ギャラリーだったんですか。

「まあ、そうなってたかもしれない。名前を考えるのが面倒だったから単純にそうなっただけ」

・・・77ギャラリーの手のマークがとても印象的ですが。あれは何方が描かれたんですか。

 「有元利夫さん。僕は基本的に作品として好きなのは目と手、目と手はものを作る人の基本だと思うから、たまたま有元君もそれがいいねっていう事で描いてくれたんですよ」

・・・以前メアリー・ブーンのインタビューを読んだ時に、ミニマルにしても何にしても手の感触があるものが好きだというのを読んだ覚えが・・。

「僕は手で作ったものが好きなの。アナログ人間だから目と手を使って出来たものじゃないと駄目なわけ」

・・だからインターネットが嫌いなんですね。今、東北の民宿で、電話が無くて通信手段は手紙だけという所があって流行っていると聞きました。情報は手段ですから振り回されるのが嫌な気持ちは判ります。実際展覧会も自分の目で見なければ判らないですものね。私もそこはだいじにしたいと思うんです。

「別に情報量の多さとかデジタルの部分を否定はしないけれど、僕は自分が出来ないだけだからね」

・・・me,tooです。

ところで、最初の話に戻りますが、画廊を経営するには経費がかかるし、作家も展覧会で売れたからってそれだけで生活できるわけでは無い。とすると、それでもお互いやろうというからには何かあるんじゃないかと思うのですが・・・。

 「職業といえば職業で単純なことですけどね。それと若い作家の15年後や20年後の、まあ作品が良くなっている場合もあれば悪くなっている場合もある。それを含めて面白いじゃない。そうじゃないと人間って退屈じゃない。みんなそんなに複雑に生きてない、寝て食べて・・・年をとればますます早く寝て、朝早く起きてね。それはひとつの周期だし。

 作家を育てるなんて言葉は、絶対可笑しい言葉であって、そんな事できっこないんだから。それこそ膨大なる見識とお金があって、すべての障害をサポートするなんてアポロンになりえるのならば別かもしれないけれど、そうじゃないでしょ。
画廊だって駄目になる時があるんだから、絵描きだって同じ、そうでしょ。20年前や30年前の若い時は、前の大阪フォルム画廊の時には、作家とは一生付き合うんだとインプットされて、そういう風な仕事の仕方をやり、別にその時に批判精神が無かったわけじゃないけれど、ある程度納得したから。
できたらそういう関係を続けたいと思いながらも、現実には違う、若い作家を扱う時は、はっきり生活の保障は出来ないというよ。何かチャンスがあって相談された時は、自分で考えた方がいいと、お金に関しては画廊では保障できないからと言うよ。
僕が買うんじゃないもの、お客さんが買ってくれるんだから、僕自身が買ってあげるのはいいけれど、展覧会の作品を全部買えないじゃない。個人的には何点か買ってあげるけどそれで生活が出来るわけではないから、やっぱりいい話があればそちらを薦めるね。
僕らの年代の人達で経済的にある程度救われたのは、ちょうど美術の大学や美術学部が増えたから、大学の先生が多くなりましたよね。それで生活の安定になるんじゃないのかな。だけど先生になれば絵に色々出るところもあるよね。でもそれを否定できないじゃない。一生丸抱えする事はできないもの。

 僕も20代で作家も20代で、『貧乏でもいいから、あんたそんな余分な仕事しないで絵を描けよ。』 って、こういう情熱がある時代もあったよ。でも、それは若い時で、今60の男が若い作家にそれは言えない。僕が責任もてればいいけど、そんな事は自明の理じゃない。だから素直にそういう事は出来ませんと、他にチャンスがあったらもっと他でやった方がいいよと、僕はそれが普通の事だと思って言ってるんです」

・・・でも、今の小山さんと同じように77ギャラリーにもカリスマ性があったと思うんです。

「ある意味で当時は若い人を沢山扱っていたし、有元(利夫)さんを含めて色々な作家がいて、皆それなりにファンが全国から殺到したわけだからね。だから時代というものもあると思うよ。単に時代をファッションで捉えるか流行で捉えるか、どのスパンで捉えるか、僕らはそれを知るすべが無い。
やはり何十年かの時間の経過でしょ。それに作家だって残る残らないなんて関係無いと思う人は一杯いると思うよ。それでいいと思う。
昔、僕が丁稚で修行した時は、残る作家じゃなければいけないと、皆ね、一種の教養のように言っている、それも確かだと思うけれど、今は判らないもの。その時に燃焼してもいいと思うよ。そういう作家が当然いっぱいいたでしょ。基本的にはね、大体それが夭折の作家だよね。夭折の作家が長生きしたらどうなるか判らないよね」

・・・残るという意味では、いい時期に亡くなるのも作家の宿命ではあるでしょうね。

「残るかどうかは本当に判らないからその時出あった人達と楽しく、できれば経済的にも楽しく生きて生きたいですね(笑)。内のスタッフも安い給料だけれど、好きな作品はちゃんと買うんですよ。値上がりするから買っているんじゃ無いと思う。それは持って帰る時の喜びだと思う。僕はね昔、ガラクタのコレクターだったの」

・・・ガラクタってどんなものなんですか?

「ガラクタはガラクタよ。22-3歳から物凄いガラクタのコレクターなの。それを持って帰る時の楽しさってないよ。それこそ地方に行って農協の箱に入れて貰ったのを背負って帰る。自分では楽しくて買うんだよ。買う喜びを知っているんだよ。作品を売る事の罪悪感はないの」

・・・作品を売るのに罪悪じゃないでしょ。

「そういう人もいるいの。若き頃、僕の知り合いの画商さんが、『遠藤さん、絵を売るのは犯罪ですよ。』 と、大真面目に言った事があるの(笑)。でも、僕はそうじゃなくて、僕自身がガラクタを買っても、ものを持って帰る時の喜びを知っているから。とにかく凄く買い物が好きなの。
普段の洋服や何かは一切買わないんだけれど、そういうガラクタを買うのは大好き。お客さんが嬉しそうに作品を買ってくれて、『奥さんがいない時に運んでね。』 とか云われると、そこに喜びがあるんだよね。
これが僕らの醍醐味だよ。そういう人がいっぱいいたらいいの。少なくとも13年前の絵画が暴落する以前はね、そういうお客さんがいたんですよ。それにバブルの時はちゃんとしたお客さんは買いませんでしたからね。だから作家と同時にお客さんとの出会いは凄く楽しかったね」

・・・それは判ります。まあ、画商さんもいい時もあれば悪い時もありますよね。

「いい時なんてあるかな。いい時は判らないね。特別に人生でいい時とか悪い時なんてある?」

・・・私は悪い時ばかりでしたが・・・。

「普通の人生で考えたって、結婚するとか子供が生まれたとか、子供が希望した大学に入ったとか、そういう小さな喜びは基本的には変わるものじゃないでしょう。なだらかなものでしょう。だからなだらかな人生で、時々変な絵描きが変なものを作ってきたら、興奮したりして楽しいじゃない。美しい風景なんて描かれてきてもそうは思わないでしょ」

・・・なるほど。では、最後にこれから美術の世界はどうなっていくと思いますか。

「生きてるかどうか判らないからね」

・・・まだ、61歳じゃお若いじゃないですか。

「年齢じゃないよ。60歳の精神的な死だってあるんだし、肉体的な死だってある。全然意欲が無くなる死だってあるもの・・・」

・・・お豆腐と水が好きになられた理由はそれもあるんでしょうか。

  「そうヨ!。食事で一番好きなのはお豆腐と水だもの(笑)。特別な病気にならない限り直ぐ死ぬ事はないと思うけれど・・・日本のシステムがよく出来ていると思うのは、60歳というのは定年にぴったりだと思う事。 肉体が60歳というのは、精神的にも疲れちゃうし、それ以上働くのは能力のある人なの。僕は普通の人だからね。
だから僕のインタビューはマズイと思う。意欲ある言葉なんてないんだから、正直に言っただけ。まあ、意味としては良くないかもしれないけれど、その日暮らしかな。
でも結構その日暮らしが積み重なれば充実してるものね。明日どうなるか判らないからね。僕らの仕事の面白いところはね。大阪フォルム画廊の時から、金が無くてどうしようと思っても、え!? って何かが売れて入ってくるんだよ。何度かそういう事があるんだよね」

・・・やはり生の声が聞けるのはいいですね。納得できることばかりでした。

「本当はもうちょっと意気込みを見せてね。これから僕らの年代でも出て行くチャンスがあって、それを試みなければいけないとかいわなくちゃいけないんだろうな。僕らの業界だけじゃなくて、様々な業界でそういう事を書くでしょ。だから僕はこういうインタビュー嫌いなんだよ。しょうがないじゃない。あるがままでしかないでしょう」

・・・ありがとうございました。

如何でしたでしょうか。オサルスのあるがままインタビュー。本当にそのまんまなのであきれ返られそうですね。

 いままで断られ続けた理由をもう一つ、実は遠藤さんが好きなのは本当に豆腐と水なんです。これじゃランチにならないでしょ。といわれて・・・でもそのお陰で鎌倉の美味しいお豆腐屋さんを教えて頂きました。
オサルスは滑らかな口当たりのお豆腐が好きだからバッチリ好み。店の奥には食事所もあって、200回目ははこういう店もいいかなって・・・まあ、遠藤さんには 『モウ、ケッコウ』 と断られる事は間違いなさそうですけど・・・。200回目は多分3年後くらいかな。世の中はどうなっていることやら・・まあ、どうなろうともオサルスはオサルスだもんな〜。残念だけどね。

77gallery (ななじゅうななギャラリー) http://www.gaden.jp/77gallery.html

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