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オサルスのおすすめランチ ランチdeチュその106

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くるみ汁の大ざる 900円

純手打ちお蕎麦専門店 やなぎや
秩父市相生町3-19  TEL0494-22-1646
営業時間/午前11時〜午後6時
定休日/毎週金曜日

 春を感じたくて秩父まで来たけれど・・・。
雛の節句なのに何て寒いの。
ぶるぶる震えながら改札口でしばしお迎えを待つことに。
目の前にそびえる武甲山は、30年前とは様変わり。
オサルスが、あの山の絵を描きに来た頃は、もっと高い山だったような記憶が、
一回り小さくなった山肌は石灰石の採掘が進んで痛々しい姿に。

ネットで秩父を検索すると・・・ 『日本人の心のふる里がここにはある』
凄いコピーだけれど、
『鎌倉時代には仏教の信仰が行きわたり、その後日本百観音霊場のうち、秩父三十四ヶ所札所が成立したとされている。』
と、あるから、歴史のある古い町には違いない。又、秩父は昔から絹織物の産地。

今回ご紹介する浅見貴子さんのおうちも以前は絹織物の 『機屋(はたや)』 さん。家の側には札所4番、金昌寺。

  
おうちの側に札所があるというのにはびっくり・・・。

「子供の頃、お習字の帰りに遊んでました。あの桜の木で首をつった人もいましたよ」 ・・・え〜〜。

「もっと怖い所もあります」 ・・・え、遠慮します。

ここ金昌寺には、実に1319体もの石仏が、本堂へ向かう石段の両脇を埋めつくしています。ほとんどが、18世紀のものだそうです。
子育て観音という母子像もありますが、隠れキリシタンの聖母マリア像だともいわれているとか。

最近、年をとったせいか信心深くなったので、 真言を三度唱える事に
『おん、まか、きゃろにきゃ、そわか・・・』

舌がまわらなくなったところで、名物の蕎麦を食べにレッツ・ゴー。



秩父は古くからのそばの産地、やなぎやさんは、秩父そばの老舗中の老舗。
そばつゆに、秩父産のくるみを溶かした『くるみ汁』の元祖店でもあります。クルミ汁とコシの強い田舎そばの相性はバッチリ。麺が細いのも好みでうれしい。しょうゆベースのつゆよりも、コクがあるのにまろやかで、これはハマル美味しさ。くるみ汁に蕎麦湯を入れて飲むのも最高。超お薦めです。
(くるみ汁の大ざる 900円)

最初くるみ蕎麦と聞いた時 オサルスは、くるみパンと同じで蕎麦にくるみが混ざっているのかと思ってました。

「それじゃごりごりして、つるつると食べられないですよね」

・・・ん〜確かに。

・・・ところで浅見さんとの出会いは何処でしたっけ・・・どうしても思い出せないんです。


「結構長いですよね。Gアートじゃないかなぁ。今、お茶入れますね」

・・・実はお蕎麦を食べたあとに、アトリエにお邪魔しているんです。ここで和菓子を食べながらのインタビュー。綺麗な色。やっと春を感じました。浅見さんは秩父生まれの秩父育ち。育った風土が、人格形成の上でも、関係していると思うのですけど・・・。


「そう思いますよ。秩父の盆地の山に囲まれた所で育った私と、湘南の海辺で育った少年や少女とは、違うかもしれない。星占いやなんかよりも違うと思う」

・・・秩父を、一言でいうとどういう所ですか。

「秩父は濃い所です。野菜の味も濃い気がする。暑さ寒さの気温差が激しいので味が濃いんじゃないですか。でも、そこそこ東京に近いから便利ですね」

・・・多摩美の日本画科でしたよね。

「あそこは野放しだから、今となってはもっと日本画の基本を勉強すればよかったと思います(笑)。大体、入試の時に、高校の先生から女の子だから日本画がいいんじゃないのといわれたので、受験しましたから、それまで全然日本画を知らなかったんです。学校に入ってから展覧会を見るようになったんですよ」

・・・浅見さんは、始めからこういうものを描くんだというビジョンがありましたか。

 「学生時代は人物ばかり描いていました。人物の背景に銀箔が散らしてあったり、何か流動的な形があったり、でも、人物と背景が分かれてしまうのが何となく嫌だったんです。
そんな時に、礬砂引き(どうさびき)を失敗して、墨の染み込み方が面白いなと思って、人物を描くつもりだったのに、黒い墨だけの流動的な作品が出来上がってしまったんです。
 この時は何かが始まるなという予感はありましたが、自分でも抽象的な作品を描く気持ちはまったく無くて、ただ、やり始めたら面白くてストロークでバーと仕上げて・・・それからですね。
でも、現代美術なんていうつもりも無かったし、どうしようと思いながら、抽象的な形だと取っ掛かりが無いので、暫くは風景的なものから流動的な形へと行ったり来たりしていました。時間の流れなのか、何かが噴出する形なのか、たまに水みたいなものになったり、行ったり来たりです」

・・・どういう仕上がりになるか意識しましたか?

 「礬砂の失敗から出来た絵にしても、画面のなかでこういう動きを表すというのはありましたし、そこから描き始めましたから、きっちりしたここからここまでこの形というのはないけれど、こういう動きが現れたら仕上がりというような・・・もやもやした感じはあるんです。流動的な形の時はこうきてこうとか(笑)」

・・・ 篠原有司男のアクションペインティングだね。

「近い所もあるかもしれない。画面のなかの奥行きは意識してました」

・・・動きといわれると凄く判るなぁ〜。

「下書きに矢印とかありましたし」

・・・ほぅ。具体的なものを描いている時は、描き込みがたりないとか判るんですが・・・。

「でもね。自立する瞬間があるんですよ。もう手を入れなくてもいいやと思わせるような感じがあるんです」

・・・はじめのモチベーションが今でも継続しているという事ですね。

 「最近は、こうきてこうしてとか動きが複雑になってきてます。でもファイルを見てもらえば判ると思うけれど、繋がってるでしょ。銀箔が墨の点になっているぐらいの事で、動きとかリズムは・・・」

・・・そう。リズムなんだよね。

「点を打つときは、トトトン、トンとかね」

・・・バックミュージックはクラシック?

「いや、三味線の時もあります(笑)。音楽はラジオなんです。深夜便とか」

・・・97年から墨の作品が多くなってきてますが、墨に絞り込んできた理由はありますか。

「95年の 『碧』 という作品から墨だけでやってみようと思って、礬砂をきかせる部分と抜いた部分を作って、描きながら片手にやかんを持って、当時は、墨を染み込ませて筆あとが残らない感じにしたかったんでしょうね」

・・・2001年にニューヨークに行ってから点が出てきたの。

「ニューヨークの途中で、自分では気がつかなかったんですけど、そういえばテロのあとかもしれない。テロがどうの何て考えてないんですけどね」

・・・あ、なるほど。2001年のRICA BANDOのニューヨークリポートのなかに、『浅見氏の作品は、対象の魂や、人々の祈りの精を描いて・・・』 と、書いてあったのはそういう事か。 それまでは木のイメージが強かったような・・・芸術新潮2002年4月号掲載の 『− 脈2002.1 −』 は、 『なんか ニューヨークっぽくない・・・。』 と、以前オサルスの One-shot report.(25. Feb. 2002) に書いたけど、あの作品から変わったような気がする。

 「流動的な形を描いている時は、動きが変わるだけですから、単純化していくと作品が描けなくなると思って・・・だから違う要素を画面に入れるようにと、それが切っ掛けで木を描き始めたんです。
それまで塗るような仕事が多かったので、ハッキリした形を入れる勇気が中々出せなくて・・・以前は山桜とかは描いていたんですが、梅の木のまっすぐなボキボキした感じの線に惹かれて、自分で考えた線は照れくさいじゃないですか・・・とにかく梅を描いたのが切っ掛けです」

・・・松は?

 「季節的なもの・・・それまでは柿の木もよく描いていたんですが、柿も梅も春とか夏は、葉っぱに覆われて枝が見えないんですよ。松の木は葉っぱが線だから、夏でも枝が見えるでしょ。秘密を明かしてしまいました(笑)」

・・・木から受けるエネルギーみたいなものを感じるから絵を描くの?

「 そんな物語とかメルヘンチックな感じではなくて、あくまでも構造的に枝が面白いと思って描いてるんです。でも多少オーラとか生命感とかざわめきは感じますけどね」

・・・風が吹いて木がざわめいて、やはり動きがでるものね。それを感じるという事は・・・。

「あ! それは生い立ちなのかなぁ〜(笑)」

・・・ここでやっとこじつけられました(笑)。

 「そこがクローズアップされると、そうでも無いよね(笑)。 『子供の時から見てる慣れ親しんだ庭の木が・・・』 と書かれちゃうとそうでもないんだよなぁ。近くにある方が観察しやすいしすぐ見に行かれるから、例えばセザンヌにしろモネにしろ身近なものを描いているじゃないですか。
印象派の空気感が好きだし、セザンヌの 『Realize』 は判ります。ちゃんと語れないけど印象派は大好きです。あと北宋時代の墨の作品が好き。中国の水墨画は描き込んで描き込んで仕上げる感じがいいなって思っています」

・・・墨で描くという事だよね。

「自分が今まで塗っていたから、筆に申し訳ないなと思って、点々を描き始めると筆が必要になってきて買いました」

・・・話は変わりますが、2004年の今年は展覧会が (「現代の水墨画 2004」富山県水墨美術館、「超 日本画宣言」練馬区立美術館、「現代美術の展望 VOCA展」 上野の森美術館で展覧中です) 多いですよね。いつ頃から声が掛かるようになったんですか。

「98年です。神奈川アートアニュアルのあたりからですね」

・・・現代美術の貸画廊から個展をはじめて、ジャンルに拘らなかったのがよかったのかな。

「学生の時、日本画の公募展にだしても落ちたんです。その頃、リー先生(李禹煥) の授業や峯村先生の授業をとっていたので、現代美術やっている同級生がいっぱいいて、そういう人達は、現代美術の貸画廊を借りて個展をするのが当たり前、ですから私も画廊を借りて個展をしたんです。でも、当時は意識して無かったんですが、日本画の公募展に出している人はあまり個展をしないと後で気がついたんですよ。
でも美術館の企画展とかに出させてもらうと勉強になる事が多いですよ。静岡の点の展覧会
(きらめく光 −日本とヨーロッパの点表現− 展 2003.2.18 - 3.30 静岡県立美術館) の時には、それまで文人画が好きじゃなかったんですけど、色々な表現があって、面白かったし、会場を見ながら、そういう流れのなかで自分の作品が、どう見えるのか、新鮮に見えるかな、がっかりするかなとか、ドキドキしながら見れたのはありがたかったです」

・・・なるほど。作品が売れるようになりましたか?

 「最近少し売れるように・・。それが続くかどうか判らないし、毎年コンスタントにお金が入れば生活できるけど、ここ2-3年だけ売れても、5年先は全然売れないかもしれないし、ちゃんと貯金しとかなきゃ、老後はどうなるか判らないですよね(笑)。今、実家にアトリエがあるのも母のおかげなんです」

・・・最後に唐突ですが、結婚する気はないんですか。

「このペースで結婚できればいいけれど、結婚は子供を期待されているような気がして・・・。したくないという事はないけれど」

・・・ありがとうございました。

 浅見さんのアトリエにお邪魔した第一印象は、絵の具が目に見える所に置いて無い。
以前日本画の作家のアトリエに伺った時は、壁一面の棚に絵の具の入ったビンがぎっしり置かれていたんです。
日本画は、どうしても絵の具に振り回されてしまうように思うので、絵の具が置いていない、潔さみたいなものが心地よかったかな。

 「現代の表現として 『未知の絵画』 を、生み出す事だと思います。今、皆、絵の具の画材を強調しているけれど、そうじゃなくて日本画の技術を構造的に利用して、新しい作品が出来ると思うんです。現在、手段のひとつとして 『墨』 で描いています」
と、いう浅見さんの一言、気に入りました。

浅見貴子 関連情報  2002.2 2001.12 2000.9 2000.5 1999.7

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