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オサルスのおすすめランチ ランチdeチュその108

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辛味大根おろし蕎麦 1100円

自家製粉・石臼挽き手打ち蕎麦 「三日月」 
東京都中央区八重洲2-10-7 丸万ビル1F TEL03-3516-6801

 先日のVOCAのシンポジウムで、
『 現代美術には、ひとつは視覚的な美の探究を志向する作品と、もうひとつは現代社会や文化への批評装置としてのコンセプトの作品があり、この二つが結実したものが優れた作品である』
という言葉が気になって・・・。
 オサルスの美術の見方は、絵の前に立った時に何か感じるか、感じないか。だから優れた作品というのがイマイチ判らない。二十年くらい前なら、日本画でいいなぁと思ったものはあったけれど・・・現代美術はまったく違う解釈のものだと思っていて、ある時期からそのまま受け入れるようにしてきたのかもしれない。そう考えはじめると、やはり美術は難しい。感じる感じないは主観的な事だからね。もっと客観的に見ることを心がけないといけないのかな・・・。ん〜。これでも昔は絵を描いていたオサルス、今は恥をかいているからなあ、勉強が必要ですね。

今日は、批評家で多摩美術大学教授の峯村敏明さんにお話をお聞きしました。

 峯村さんのお薦めは、 『もりそば三日月 』 こちらは真島直子さんと一昨年、ご一緒させて頂いたお店。モダンな店内、落ち着いた雰囲気は相変わらず。お客さんが少ないのも二年前と同じ、大きなお世話だろうけれど大丈夫なのかとちょっと心配。
 お蕎麦をネットで調べてみると、歴史は古く 『続日本紀』 (722年) にも初見があるそうな。 ほぼ一世紀に渡り、蘊蓄 (うんちく) を傾ける方が多い中、ちょっと気になったのが、並木藪蕎麦の故堀田兵七郎さんの著書 『江戸そば一筋―並木薮蕎麦そば遺文』。この中でそば屋さんを趣味そばと大衆そばに分けて論じているのですが、趣味蕎麦というのは、蕎麦の究極を追求している蕎麦なのでしょう。そう考えると、美術にも、趣味美術と大衆美術があるような・・・ 。 こんな分け方をしたら怒られるかな。

・・・まずは、美術に出あった切っ掛けを教えて頂けますか?

 「高校生の頃から小説や詩を書いていまして美術は好きでしたが、当時は文学をやりたかったんです。大学は仏文科に入ったのですが、幸か不幸か私は小説家でもあり思想家でもあるアンドレ・マルロー (1901年、パリに生まれる。1923年、インドシナの文化財発掘調査に従事。第二次世界大戦の時は対独抵抗運動を指導。戦後はフランスの情報相、文化相を歴任。) に ぞっこん惚れてしまって、彼の芸術論に強く惹かれたんです。
彼が他の文学者や思想家と根本的に違うのは、美術という活動を全地球的営みとして考えていたことですね。
『人類であるからには、文明を形成していないような部族に於いても、必ず芸術の衝動があると、文明世界から見れば洗練されていない無骨なものでも、死ぬべき運命を背負った人間の宿命に挑戦する独特なやり方が刻印されている』

というハッキリした思想をもっていた人なんです。ですからマルローの大きな思想に触れると、フランス語を用いる人々の間でだけ形成されたフランス文学では小さいなと感じざるをえない。だったら美術を勉強したいと、ですからマルローの影響で講義は仏文学からはみだして、考古学的なものから美学や日本の美術、アジア、西域、中国、インド、ヨーロッパ美術、興味のあるものは何でも受けたんです。
在学中にマルローの盗掘した 『バンテアイスレイの女神』 (後に 『王道』 に著した彫像) のあるカンボジアにも行きたくて、ちょうど私の願望を察してくれたフランス人の神父さんに連れて行ってもらったんですよ。 1959年はまだ外貨規制が厳しくて、中々海外には行かれない時代でしたけどね」

・・・それで、卒業して多摩美術大学の教授に?

「それはまだずっと後です。 その当時は就職といっても、今みたいに美術館が沢山あって試験を受ければ然るべき所に入れるという時代じゃないですから行き所がないわけですよ。まあ、一種のモラトリアムだったんでしょうね。でも就職はしました。
新聞社を二社受けて毎日新聞社に入ったんですが、新聞記者になるつもりは毛頭無くて美術の事をやりたかったんです。希望はそう簡単には叶えられなかったけれど、将来は自分で別のルートを開くつもりで入っていたんでしょうね。それで10年あまり毎日新聞の事業部にいて美術事業を担当していたんです」

・・・そうすると展覧会の企画をされていたんですか。辞められてからもそういう形での活動をされていたのでしょうか。

「そうです。1970年に 『第10回 東京ビエンナーレ』 がありまして、その数年前から私の心はやみ難く現代美術の方向に傾斜していきましてね。表現の一番の先端部が気になるわけですよ。次第次第に現代美術の新しい事をしている人達に関心を持つようになって、私は1936年生まれですが、その年は高松次郎や李禹煥など凄いアーティストがキラ星のごとく生まれた年なんです。
仕事で彼らと接するようになって、表現の一番の先端部で仕事をするには会社にいたのでは駄目だと、フランスに職業人の為の留学制度を利用して半年行きました。帰って来て会社に戻ったのですが、私の中のものの考え方と実際の日本を動かしている権威主義的な組織とではあわなくなって、僕はそれをぶっ壊しに掛かりました。言葉は悪いですがヤバイ存在でしたね(笑)。

 それまでの 『東京ビエンナーレ』 は権威のある高名なアーティストばかりでね。若い人達は中々参加できなかったんです。ですから新しい息吹を取り入れたいとまったく新しい方式に変えたんですよ。凄い展覧会になりました。コミッショナーを中原佑介さんにお願いして 『人間と物質』 展 ( 1970年5月10日-30日東京都美術館で開催、L・ファブロ、J・クネリス、S・ルウィット、R・セラらの外国作家と、狗巻賢二、榎倉康二、小清水漸、高松次郎、成田克彦、野村仁ら国内作家達で構成し、アルテ・ポーヴェラとミニマリズムとコンセプチュアルアートという、ほぼ時期を同じくした三つの美術動向をひとつの地平で扱った、日本初の国際的なレベルの展覧会) を企画、彼は最高にいい仕事をしてくれました。
根底的な新しい構想の国際展を作りたいという想いで、私も若かったから周りと衝突しながらがむしゃらに強引にやってしまった無鉄砲さが結果的に良かったかもしれませんね。その後、会社を辞めてフリーランスの批評活動に入ろうとしていた時に、1971年の『パリ・ビエンナーレ』(1959年フランス文化相に就任したアンドレ・マルローの肝いりで立ち上げられた)から、色々な国から若い世代の審査員を呼びたいと、日本では僕に誘いがありまして、当時は行ったってお金をくれるわけではないですけど」

・・・え?

 「日本だけですよ。審査員だとか、なんだとかでふんだんにお金をくれるのは、それにパリ・ビエンナーレ自体にお金がなかったし、べネツィア・ビエンナーレやサンパウロ・ビエンナーレは国ごとで参加しますが、その時のパリビエンナーレは独立した独自の審査員を形成したいという事で国からお金をもらわなかったんです。
それで私は、本当に雀の涙のような退職金でシベリヤ経由でパリに行きました。当時は他の国から来た審査員連中も若かったから、また突っ走りまして、この権威主義的な国際美術展のあり方をぶっ壊そうと。芸術に一等二等の区別がそう簡単につくわけがないからと、賞はやめ、作家を勇気づけるような金の使い方に振り向けようと考えたのです。
また、国ごとの参加の形態もおかしな話だからやめてしまおうと、ですから個々の作家の優れた力量を反映することは貫けたと思います。ナショナリティーということを無理にいわなくても、いいアーティストが何人も参加していれば自ずから、ああ日本かと認識してくれますからそれでいいんじゃないかと思いましたね。
 73年の新しいシステムの時は最高にいいメンバーで参加出来たんですよ。菅木志雄、長沢英俊、狗巻賢二、北辻良央、高山登など、まあ苦労しましたが、いい展覧会でした。

 でも、これについては後から反省しまして、それでは中々うまくいかないんですよ。
それは一つにはお金を民間から引き出すという可能性が無いままに国と断絶してしまうと、実際開催は不可能な事なんです。
芸術の現象は個というものが自ずからより集って形あるものにする事、それは経済活動が盛んでお金が潤沢に動いている場合でない限り実質上不可能なんです。結局、作家に自腹を切らせるわけにいきませんから、今の国際交流基金の前身の国際文化振興会に頭を下げて頼みにいきました。
 でも、その後、もっと深刻な問題が起きたんです。 パリ・ビエンナーレの審査員をやった連中は殆どがヨーロッパ出身なんです。ヨーロッパ以外は私とアメリカから一人しかいなかったので、だから彼らに悪意が無くても ヨーロッパ中心の動きになっていき、75年以降は段々選ばれる作家がヨーロッパの状況を反映するものだけに偏っていってしまったんですよ。
当初掲げた理想と正反対なものになってきた。僕らの若気の至りで国ごとの参加は弊害があってよくないと、ナショナリズムを超えようといったけれども、非常に注意深くやらないと逆にまずい事になってしまうんです。それは僕の反省点でもあります。その後、僕が観察している世界の美術や政治の動きもまったくそれと同じで、例えば国でいえば、国民国家というものは悪しき近代の遺産でしかないという観点から、それを壊して個人単位でものを考えようというけれど、巨大な暴力的な資本が世界を総なめにして巨大な軍事力が世界に網の目のように張り巡らされている。小さい所の反抗の芽はすべて潰されてしまう。テロだとかいわれてね。それが世界の動きです。美術の世界で、僕は70年代の半ばにそれを感じて、77年くらいから悲観的になってきたんです。

 これと同じ事は逆の意味でベネチアでも経験しました。ベネチアは国がパビリオンを持っているでしょ。それを揶揄する人がいるけれども、私はそれがよかったと思います。それぞれの国が自分の勝手なものを出品できるわけですよ。見る人は戸惑うかもしれないけれど、世界はこんなにものの考え方が根本的に違うんだと、基準や価値判断が違う人々がいるんだという事を認識する場になるわけです。
例えばルーマニアのパビリオンではブランクーシの息吹がまだ残っていて、強靭な何かを感じられた。そこには田園詩的な何かがあったと思います。それが段々移り変わって美術のグローバリゼーションに汚染され始めて、最近は深刻な状況になってきましたね。

 私が最初に出会ったアンドレ・マルローは、芸術のグローバリズムなんてふやけた考えを全く受けつけない人でしたから、文化はそう簡単に一元化できない、一般化できない、平均化できない事が判っている人の思想でしたからね。
芸術の一番大切な事は、文化的な異質性、エテロジーニャスな要素とか、梃でも動かない抵抗体みたいなものをきちっと理解し、目を向ける事じゃないかと思うのです。それが70 年代以降、世界的な規模でぶれてきたんですよ。それに非常に危機感を覚えて、それやこれやで私のなかに平行主義という考えが出てきたんです。
平行主義というのは、似ているようだけれども、そう簡単には交わって同一化できない人間の活動や思想を、それとして見てゆこうとする考えです。同じ人間ですから共通する根っこ を持っているし、普遍的な価値を共有するだけの力はあるけれども、普遍か、特殊化という二律背反じゃないと思うんです。二律背反だとすれば、特殊化にしがみついたら、紛争の種ばかりですから、それでは特殊を捨てて普遍にいけとなって・・・」

・・・フヘンのふは不じゃなくて、普ですか。フヘンという字をいつも間違えるのですみません。

「変わらないの不では無くて、世界共通という普です。特殊である事を突き抜けたところにしか、普遍性は実際には出てこないんです。芸術的な行動はすべてそうだったんです。自分で馬鹿馬鹿しいくらい芸術が好きで美術が好きで、今までずっとやってきているから作品を見れば判るんです。
つまり、作品が成立する条件の特殊性を背負い込んで特殊性をとことんまで深く掘り下げた作品でなければ、一片の値打ちも無い。ただの表面的なデザインでしかないんです。つまり物質的、あるいは場の条件などが、特殊であるという事をきちっと引き受けた作品だけが芸術作品といえるだけの価値を持っていて、それではじめて普遍的な価値の場に列する事が出来る。
しかし、一般にはそれが他の大きな流れに流されてしまう。それを痛烈に感じたものですから、平行主義という考え方を強めていきまして、私が70年代に自分が経験し、後悔し、反省した事が、その後20年以上続けている平行芸術展の基盤になっているのです」

お待たせしました。

峯村さんが、鴨せいろ(二枚 2100円)を、オサルスが辛味大根おろし蕎麦(1100円)を注文。

蕎麦の味は未だによく判らないけれど、こちらの蕎麦は香り、歯ごたえ、のど越し・・・かなりSophisticatedされた味。
辛味大根と蕎麦のハーモニーが響きます。耳をすますと聞こえる旋律はグレゴリオ聖歌 かな。
壁に飾られたネウマ譜(中世の単旋律歌曲の記譜で使われた記号。旋律の動きや演奏上のニュアンスを視覚的に示そうとしたもの。)が、このお店の特徴を現しているような・・・。

・・・お蕎麦は、お好きですか?

「好きです。でも、わざわざ美味しいお蕎麦屋さんを探すのはたいへんでしょ。ここは近場だから来ましたけど」

・・・ご出身は信州ですか。

「ええ。信州暮らしの親父達は、蕎麦は貧しい人達が食うもんだと思ってましたから、白米志向なんです。子供に蕎麦を食べさせるのに興味がなかったんですよ。だから蕎麦を食べはじめたのは、せいぜい10何年か前からですね。
 健康を慮っている事もありますが、僕はたいてい蕎麦屋に行くと鴨せいろを食べるんですよ。蕎麦は淡白すぎるでしょ。鴨を一緒に食べるとちょうどいいんです。昔、前のフジテレビギャラリーの近くの蕎麦屋の鴨せいろは美味かった。あんな美味い鴨せいろはその後食べた事がない」

・・・こちらは如何ですか。

「ここは駄目ですね。骨董を置いて趣味っぽくやってては駄目です。食い物屋はね、食い物に徹しないと。格好だけでは駄目です」

・・・辛口のご意見ありがとうございました。辛味大根おろし蕎麦を食べながら、その一言、我が身にしみます。

・・・話を少し変えますが、20世紀から21世紀になってかなり変わったという意見をよく耳にしますが・・・。

 「芸術の変化はしょっちゅう起きています。美術に限っていえば、今、激動の時代だとか変化の時代だとかいうけれど、それはやめてもらいたい。すべていつでも変化しているんです。我々はそれを、もがきながら変化の実態や真実とは何かを見極めようとしたり、それを潜り抜ける努力をしているんですから、この時期だから変化が激しいというのはナンセンスだと思いますね。

 今は表現の場は極めて鈍い。意味のあるものがほとんど何も出てきていないと思います。
過去の流れを見れば、思想の転換が起こったのは 『モノ派』 の時代です。作品は首を傾げたくなるようなものも沢山ありましたけれど、その底にある思想はヨーロッパの近代主義的な考え方の枠組み自体を根底から疑ってかかった事です。
あれは非常に大きかったと思いますね。それ以降は、むしろ社会のなかで美術がどういう風な生き方をするかという様相の上での違いは出てきましたけれど、表現の場では無かった。
美術館が沢山作られて美術館にあわせた作品が出てきたり、色々あるけれど、でも、重要な問題は無い。それでも日本はごく少数の作家たちの間でなにがしか意味のある作品が作られましたが、ヨーロッパ、アメリカではまったく無いですからね。ミニマリズム以降、垂れ流しの繰り返ししか殆ど無い。ある意味では西洋的な近代主義を捨てようとして出てきた芸術は行き先を失ってウロウロしているのが今の現状でしょう」

・・・確かに突き抜けるようなものは無いですよね。これは凄いなというものは見ていないような気がします。

「僕は、むしろもっと地味にね。そんなに派手派手しくやらなかったもので、一人一人のなかでゆっくりと進行している内部革命の方が重要だと思う。集団としては新しいものが出てきたようには見えないけれど、大きな目で見たら、これが将来 『大きな仕事だったんだ』 と思えるようになるんじゃないかと思います」

・・・「『四批評の交差-いま、現代美術を問う』 展 【2004年4月18日(日)〜5月30日(日)】 多摩美術大学美術館 (多摩美の誇る教授陣 峯村敏明氏、本江邦夫氏、建畠晢氏、椹木野衣氏が、各氏の視点でアーティストを推薦する展覧会 詳しくは http://gaden.jp/info_p/040418.pdf)が開催されると聞きましたが。

 「僕は美術館の運営委員会のメンバーなんです。大学の施設というだけの枠ではなくて、何かいい展覧会をしたい、もっと社会の変革に窓を開いたものとして生き生きしたものをやって欲しい、と要望したんですが、なかなか予算が出ない。それにそんな事をいうのなら案を出してくれといわれて私が出した案なんです。
一年半くらい前に、ある退職記念パーティーの時に椹木君が 『学内に何人か批評家がいるのに、茶飲み話もした事がないのは残念ですね。峯村さんから声をかけて頂いて時々会う機会を作って下さい』 と、ポツリといったんですよ。しかし特別な用も無いのに 『会おうよ』 とは、親しければそうでしょうが、批評家の特性かもしれないが、別に親しくはないんですよ。 『あいつのものの考え方なんて・・・』 と、相手を批判ばかりしている人種でしょ。
皆、優秀な人達だから敬意は表しますよ。かと言って、おしゃべりする相手でもない。バーで酒を飲む事もできるのだけれど本江君は酒が飲めないから、そんな事で何か出来ないかと切っ掛けを探していたんです。
 結構注目度があると思いますよ。似たようなものばっかり集まったら仲良しグループが何かしていると思うでしょうが、誰が見たって多摩美で一緒にいるという事しか共通点がないのですから、むしろ違いの方が大きいというか、だから逆にそれをよしとして、四批評の交差、クロスですよね。クロスがうまくできるかどうか。僕のいっている平行主義的になるか、悪い意味でのただの平行になるか判りませんが・・・」

・・・一人の批評家の方が、作家を何人紹介されるのでしょう。

「美術館が小さいので一人か二人しか駄目なんです。私が二人、本江君が一人、建畠君が一人、椹木君が二人。ところがね、あの三人なかなかプランが出てこなかったんですよ。色々理由はあるだろうけれど、様子見をしているわけですよ。一度案を出しちゃって、他の連中がそれに対抗してもっとシャープな案を出した時に困っちゃうなって。多分そうだと思います。いつまでたっても決まらなくて、去年の秋にやっと決まったんです」

・・・作家を何人か推薦するのではなくて、一人とか二人だと、難しそうですね。

「だから皆、緊張したんでしょうね」

・・・楽しみですね。質問を変えますが。欧米ですと、画商と評論家がチームを組むわけでは無いと思いますが、作家をコレクターに薦めると聞いた事があるのです。でも、今、日本はバラバラな気がするのですが。

 「バラバラな事はないですね。ある若い画商は、自分のやっている活動に近い目をもった批評家を考えているんじゃないかな。今は有力だった画商が金も力も無くなって、批評家を食わせる事が出来ないんです。
本当はね、画商はいいか悪いかは別問題として批評家を食客として一人や二人養うぐらいの力が無いと、美術の相乗的な力は発揮できないとは思います。でもそれは古い体質ですけどね。私自身は批評家として正当な原稿料くらいしかもらいませんけれど、 もし、批評家と画商とアーティストが、ひとつのまとまりをつけるのであれば、もうちょっと画商が批評家の事を勉強して、批評家も芸術現象の重要な働き手だという認識を持たねば駄目です。
昔、もう亡くなった東京画廊の山本孝さんはオープニングの後に飯を食う時は、彼が信用してる批評家を呼ぶんです。いつもニコニコしながら、
『作家の先生方がいて、批評家の先生がいて、画商がいて、うまくいくんですよね。』
と、それが彼の信条だったんでしょう。彼は作家だけを相手にして、作家の作品をどういう風に売るかという事しか考えていない多くの画商さんと違って、その作家は何処が見所で何が問題なのかという事を鋭い論者が論じてこそ世界が認めるという事を信じていたんです。
おべんちゃらを書いてもらう事を欲してなかった。批評家が自分でそうだと思った事をきちっと書く、それをちゃんと見ていましたね。そういうタイプの人が、もうほとんどいなくなってきたんですよ。画廊が批評家に文章を書かせるのも何となく誉め言葉を書いてもらいたいとか、パンフレットを出す時に文章がひとつも無いのは格好が悪いからとか、最近売れっ子らしい誰々さんに書かせたり、その批評家がそれを書くのに適しているかどうかを考えないから、まるで見識も何も無くなってしまったんですよ。

 しかし、一番の根幹は買う人がいない事です。ごく普通に芸術的なものに感動したら金を払うという習慣が無い事なんです。腕を磨いてよりいいものを人々の前に提示しようという芸術家と、それに対して、これはいいなぁ、素晴らしいな、といって同情心ではなくて、いいなと思うものに銭を出す人々。それがどんな時代でも基本だと思うんです。それが健全な行為です」

・・・なるほど。

 「例えばヨーロッパを見ると、かつては芸術家と社会との間に一定のバランスがとれていたけれど、今では人民と芸術家が分離してしまって人民はそっぽをむくし、芸術家は芸術家で居丈高になる。両者にあるのは不振かさもなくばスノビズムの関係です。その間を取り持って、いかにも文化というきれい事の装いをしているのがキュレーターであったりするんです。その人達が動かす金は自分達の金ではないから平気で使える。
形態として病んでますね。日本はそこまで病んではいないけれど。根本の部分が成り立たないのは、ある種精神的な活動に携わるものにとっては苦痛なはずなんですよ。つまり作品と直に向き合って、いいと思えば、すっと買えるようであれば健全なわけです。それに、もし、作品が買えなくても入場料みたいな形で金を出しましょうと、どんな時代でもそれが無いのはおかしいと思うんです。
それが無くてもおかしくないと思うのは、何処かで変な間違った権力に依存しているからなんですよ。ローマ時代をみれば判りますがローマの皇帝は、人民から人気をうる為に法外な金をかけて公衆浴場を作ったり見せ物興行を仕組んだりした。そんなにまでしたけれど、ローマの芸術はギリシアのコピーです。確かに詩や哲学はあるが、美術には何ら独自的なものは無い。

現代を省みると、国家とか企業から、もっと金を出させようとしている人達は知らずしてローマを模範にしているのじゃないですか。それじゃ駄目です。どうやって芸術的な感動に対して、ささやかだけどお金を払う習慣をつけるか、実は日本人には有った習慣なんですよ。外国を模範にした売り買いの制度が無かった頃は、例えば文人達が仲間をつてにして友情に基づいてものを作るとかね。
それでも作品はいいものはいいものであるし、残っているものは残って、買ってくれる人は買ってくれた。土地と人間に根付いた芸術行動や創作があったんです。今、しっかりした市場性に基づかない名目だけの浮ついた資本主義によって日本の現代美術というのは浮き足立っている感じじゃないですかね。
作家も認識を改めて自分の作った作品を、最初のうちは安く売れと主張したい。世の中に出てきたばかりの若い作家が、市場性も無いくせに高い値段をつけているのがあとを絶たないのはおかしい。二、三万円から始めなければどうしようもないですよ。
普通の人も、美術が判らないとかいっているのでは無くて、判らないことを恥とする気風を持って欲しい。好きか嫌いでいいんです」

・・・これが好きというと、ピントが外れているんじゃないかと思って言えないですよ。そこら辺が一般の人に浸透しない理由じゃないですか。

 「人々が、自分の好き嫌いの好みで買うという習慣をつけないと、どうしようもないですね。例えば小さい作品を描く事も必要です。石原都知事も先日の東京ワンダーサイトの0号展(3月13日〜3月28日)で
『今の絵は馬鹿でかいばっかりで誰も買ってくれない。これでは駄目だ。美術は経済基盤をつけたものでなければ駄目だ。それには小さい絵を描いて買ってもらうようにしなければいけない』
と、それが彼の持論なんです。でも、これが今の日本の風潮では理解されない。僕は、あらゆる事で彼の意見に賛成するわけではないけれど、それに対しての現代美術の人達の反応はどうかといえば、行政はそんな事を考えてないで画商が潤うように金を使ってくれればいいと、実に甘ったれた事を未だにいっている。
僕は、ジョルジョ・デ・キリコが好きなんですが、キリコだって大正時代に若くして亡くなった中村彜や関根正二だって小さい絵を描いています。当時は30号といったら大きかったんですよ。天井の高い会場に展示されても、いい作品は空間に対して負けてないんですよ。ですから現状としては、日本の現代美術はうわずっていると思います。ましてや、現代美術のまわりにいて現代美術をこわごわ見ている人達は、益々疎外感を持ってしまうんじゃないかな」

・・・それはそうかもしれませんね。一般の人にとっては乖離しているような気がします。それに一回何かで賞をもらっても次が続かないように思うのです。

 「いい作家はちゃんとやっているんです。それだけで充分なんですよ。ところが日本は作家の数が多すぎる。大学が企業化して次から次に毎年膨大な予備軍を送り出しているけれど、全人口のパーセンテージからしても、アーティストがこんなにいるはずが無いですよ。
イギリスはアーティストの数も少なくて、国がらみで応援しています。あれは効率がいい。日本の場合は、画廊に金さえ出せばやらせてくれるシステムがあるものだから、それ自体悪いとは言えないにしても、それで我々はつまらないものを見ることで振り回されて批評家も世間もエネルギーをロスしている感じです。
本当に気構えがあって、いい資質を持ったアーティストに絞っていけば、その人達は持続してやっているし、そういうものを効率よく見れると僕らも楽しめる。
『ああ、美術は、なかなかいいものだな』 と思えるかと思うのですが、あまりにも刹那的なものが多すぎるんです。何故そんな刹那的なものでも何処かで賞を取ったりするのかというと、若い批評家や学芸員の程度が悪すぎるから。経験も無いのに深くものを見て判ってないのに、少し変わった要素があれば、すぐチヤホヤして取りあげる。あとが全然続かない。そういうものがあまりにも多すぎるんです。日本はエリート性が・・・芸術はエリートじゃ無ければ駄目だと思う。悪い意味での大衆性ばかりが蔓延しているでしょ」

・・・おっしゃる事は判ります。でも、一般大衆が見なければ受け入れられないのでは無いですか、現代美術が一般に浸透していかない理由が、そこにあるんじゃないかと思うのですが。

「それは大問題です。暴論と聞こえるかもしれないけれど、私は大衆という概念が合わないんです。大衆という言葉と観念はあるけれど、芸術の世界に当てはまらないと思うのは、例えば商品をどれだけの人が何パーセント買うか、統計化できる事を想定出来れば大衆は理解しやすいんだけれど、芸術的事象は、その事に潜在的にでも関心をもてる人以外相手にならない、ならないはずだと思う。
それは能力というより適性です。芸術に何の興味も無い人はいるんです。そういう人達に語る事はまったく意味の無い事で、芸術というのは精々人類の中の 20%くらいしか相手にしない、教育によって60%くらいに上がるかもしれないけれど、ほっておくと10-15%くらいしか無いと思う。

 昔、社会主義ソビエト連邦では、音楽や美術や文学を嗜まないものは、教養が無いといって馬鹿にされたと言われます。今、社会主義国のキューバでも教育は無料で、美術教育は高い水準を維持しているそうです。確かに教育で相当の広がりは出てくるかもしれません。でも、知識で絵の世界は知っていても、それ以上に踏み込まない人達がいるんですよ。その人達は駄目なんです。精神が閉ざされているんです。
 ところが高い教育を受けていないアメリカ人でも、いいなと思ったら、バカバカしいほどの率直さで世間的な常識やこだわりを捨てて、スパっと金を出して買います。あれがアメリカ人のいいところですね。
 そういう率直に心を開いた人のなかにも、興味が無い人はいるだろうと思いますよ。ですからそれ以外の人達に話をするのは意味が無いし、入っていき様も無いですね。アーティストが一生懸命自分の魂の表現としてやっている事は、果たして普通の人が必要とするのかというと、本当は何の必要もないんです。必要としている人は人類の一定数があってこれは滅びないんです。

 僕は彫刻を擁護しているのだけれど、これはお金にもならないし、無視されながらも一生懸命やっています。それでも大学に入る数は変わらないんですよ。美術は数が少ないからといって恥じるような論調に陥るものではない。数は少ないけれど彫刻と同じで滅びざる世界なんです。
なぜ少ないかというと、直接性が少ないからです。音楽はつつみ込まれるような気分になれますよね。考える以前に楽しむことができます。美術は自分で入っていこうとする何らかの強い精神力がないと難しいんですよ。間接的に世界に触れていくものだから、世界に対して考えながら、世界を知っていこうという一種の哲学的な事柄に関心がある人じゃないとなかなか入っていかれないんです。
美術は独特の価値をもっていて、『人間全体のものの考え方、世界との対し方、魂の在りよう』。 それに対して、『深く個人として目覚めたり、疑問に一度落とされたり』 というような事態を経ていくものでなければ、何も興味のないものになってしまう。ただ美しいというだけでは美術にはなりませんよ。
花瓶に活けられた花を描いた絵だけでも、これが普通の絵と全然違って素晴らしいものだと思う為には、まったく独特な目をもたないと見えてこないんです。例えば花瓶に活けられた花の絵なんてゴマンとあるけれど、モネの絵なんて信じられないくらい不思議な世界ですよね。実に平凡に描いているようだけど、あれは凄いなと思う。それは年をとらないと判らない。モネの絵の良さは年をとらないと判らないんですよ」

・・・話が少し逸れるかもしれませんが、先日浅見さんと秩父で話をしたのですが、浅見さんも、最近、年をとってきたせいかモネの絵はいいなと思うようになってきたといっていました。
 彼女は多摩美の日本画科、私も日本画科出身なんですが、日本画は日本画の世界のなかで、固まってしまってそこから出ようとしないところがありますよね。私もそこにいた30年前は、出るなんて考えもつかなかったんです。

 「今だってそういうところはありますね」

 ・・・でも彼女は先生の授業を受けたり、油絵科の人達と一緒に講評をしてもらったりしていたので、その分野に固執しないでいられた。それが今でも続いているといっていました。
ただ美術は油絵、日本画、彫刻・・・、素材で分ける部分があって、その分け方で壁が出来ているように思うんです。だから当たり前の事が通過していかない。30年前は強固な壁だったのが、最近は少し崩れてきて風通しが良くなり始めたのかとは思うのですが。

「そう。枠を破ろうと思っている人達を集めて、それをまた固定しまっている展覧会もあるね。固定してしまってはいけない。フォローをしながら別の試みをしている人達を生き生きと繋いでいって欲しいと思うんだけどね」

・・・さっきおっしゃられた平行主義の事、言葉が難しくてまだ飲み込めないところがあるんですが、そういう繋がりのなかで、自己を認識する。そういうイメージで捉えればいいのでしょうか。

 「僕が平行主義というのは、もう一つの裏付けとして、絵画と彫刻だけを比べて見ますと絵画も彫刻も同じ美術じゃないかと、それを隔てるのはおかしいと、よく進歩的だと称する人達がいうのですが、それは根本的な間違いなんです。絵画と彫刻ではシステムが違う。
システムという言葉を使わないとどうしても説明できないんですが、その世界がその世界である為には独特の構造があるんですよ。絵画は絵画である為の構造、彫刻は彫刻である為の構造、それの両方を束ねたものがあるかもしれないけれど、未だに曖昧模糊としている。インスタレーションとかいってもまだはっきりしたものがない。

 そのシステムは何かというと生命なんです。生命とは何かといえば、結論的にいえば一つのシステムです。つまりそれは自分で自分を維持していくフィードバック機構を持ち、他のものに変わってしまうわけではない。私たちの生命現象もそうですよね。どんどん外から生命とは関係ない食物を取り込んで、時には毒まで取り込んで、変なものを摂取しながら、日々変化しながら同一性を保ち、この絶えざる変化と、その中を貫いている一定の同一性を持っているんです。
外界の世界に触れることの自由と自在、非常に自在に動ける事は、それ自体のシステムとしての一定の構造を持っているからなんですよ。生命の特性はそこにあるんです。外から異質物が与えられた時にその異物と自己との関係性を、絶えずやりとりをしながら、その瞬間瞬間に形成されている『私』がいる。だから絶えざる変化のなかにしか『私』は存在しない。システムとはそういうものです。
 私は70年代のはじめにシステムという考えを抱くようになって、長い事その奥行きの深さが自分自身よくつかめなかったんです。段々年とともに芸術の問題を考えるとそれが決定的だと思うようになってきた。それが平行主義とセットになって私のなかにはあるんです。
 例えば我々生物界では馬とロバはそっくりですよね。一種の平行性がある。馬とロバを掛けあわせるとラバになるでしょ。でもラバはそのあと子孫を作る事が出来ない。
つまりシステムの面白いところは、一代限りくらいでは合成物が出来るんですが、合成されたものは自分自身のシステムとして確立されてないんですね。その時かろうじてバランスを保つのだが、その次に子孫が出来てこないということは、合成されたものは独自のシステムとして天から承認されていないようなものなんです。成り立たないんです。

 芸術においてそれぞれの違いが何故あるかといえば、絵画は絵画の独特の生命的なシステムがあり、彫刻は彫刻のシステムがある。何を根幹とするかは、簡単に解るわけではないから、芸術学者や人類学者が一生懸命追求しているんだけれども、直感として皆解っているんですよね。
例えば彫刻は物質の固まりがあり、それに対して何かを問いかけようという衝動があって、それが軸になって形成されてきている世界。絵画はイメージです。見える事の不思議さ、それを巡って様々なものが形成されてきているわけです。彫刻は何かがあるなという思いこみ、それは妄想かもしれないけれど、イメージではない。非常にはっきりした違いがある。両者とも同じように物質を使いますし、両方とも目で見る事が出来る。
 それを何処かに通じるところがあるだろうと、混ぜたようなものを表現をする人がいるのはしょうがないけれど、
『それをもって何か新しい事態が出てきたとか、人類は今まで絵画と彫刻を分けてきたけれど、それは間違いだったとか、これからはそういう区別はやめるべきだとか』
かなり教養のある人までとんでもない馬鹿な事をいう。それはものの本質が解っていないからなんです。その根拠を僕はシステム論として提示したい。そういう独自のシステムを持っていると考えられる事柄同士の間に平行性があるのです」

・・・ん〜。難しいです。平行という言葉は、結局は交わらない事と捉えればいいのですか。

「根本はそうです。いくら交わってもかまわないんです。大いに交わってもいいんですが、認識として最後は交わらないものもあるという事を解って欲しいという事なんです。

 何故私がそれをいうようになったかいうと、色々理由があるんですけど、一つには私が観察してきた60年代の芸術に対する根本的な疑問があるからです。ネオダダもそうですが、アメリカの方から強力なクロッシングというか、交差、融合。今でいうフュージョンですね。
あれを絶対的な価値とする美学が何波も何波もきていたわけです。そもそもネオダダ的な考え方は最初からして絵画と彫刻の区別の意味をなくすものだったんですよ。

 60年代のはじめはハプニングとか、劇場的な状況を作り出すようなものが出てきました。それは単なる演劇なんですけども、それをやりはじめたのが、アーティストだったから、むしろ絵画をやっていた人達だったから、自分たちは絵画や彫刻の垣根を越えて新しい芸術をやっているんだと、それが美術だ。アートだと。絵画、彫刻は古いという考えが出てきたんです。それは新しい演劇なんだと考えればいいのに、人間というのはバカバカしい事を考えるものです。
 そのあと似たような動向があちこちで出てきて、もうジャンルは意味がないんだと、もっぱらそう考える事が進歩的だという風に動いてきたんですよ。
 70年代に入るとそういう事が当たり前になってきて、今イベントとかパフォーマンスとかいうけれど、これも演劇的なもの。だから段々と美術の固有性をだれも解らなくなってきたんですよ。

 美術には絵画とか彫刻とか固有のシステムがあるんです。それがもし中核であるとすれば、他のものがあったとしても、それとの間には平行性で、一応区別がある。そういう認識を誰も持っていないから、絵画、彫刻はもう無くなったんだなと、これからはいきのいい人達がやっている演劇的なる事が、取って代わって、それが美術だと、勝手に思いこんでいる。これは愚かさの極みです。そういう点で、日本の批評家も殆どすべて何もきちっとした事をいっていない。ちょっと頑固な一人を除いてね」

・・・誰ですか?

「それは本江君です。まあ、彼は絵画を擁護している。でも僕は絵画は一番好きな分野だけれども、絵画だけが芸術の中核じゃない。彫刻もあるし、写真を含めて映像も確固たるシステムを持っていると思うんですよ。今映像は無自覚に増えているから残念だけれど、いい作品だけ集めれば豊かな世界だと思います。
今の時代は映像を少し取り込んできて、インスタレーションをやったり、演劇のなかにも少し映像が入ったりする。演劇は包括的なものだから、映像が入ろうが、絵画が入ろうが、ダンスが入ろうが全然構わないんですよ。それが演劇の特性ですよね。

 でも70年代後半は美術の固有性を誰もまじめに考えなくなってきていた。そういう時期に、僕は日本ではじめての絵画復権運動を起こしたんです。それは 『絵画の豊かさ展』 (1977年11月18日〜29日 第13回今日の作家展 横浜市民ギャラリー 狗巻賢二、榎倉康二、菅木志雄、諏訪直樹、高松次郎、李禹煥など) という展覧会。その頃は絵を描く人達が本当にいなくなっていたんですよ。
作品は四苦八苦して集めましたが、どうしても絵画を復権させたいという僕の思いがあって、だから絵画の固有性を考える人達にとっては勇気を与える展覧会だったと思います。その頃は世間では絵画が滅びていくものだと思っていたから、それでとんでもない騒動が起きました。当時の美術手帖を読むと面白いかもしれませんね」

・・・今度図書館で借りて読ませて頂きます。最後に変な質問ですが、なぜ着物を着ていらっしゃるのですか。

 「着物は全天候型ではないですから、今日は雨が降るという事だったのでやめました」

・・・残念です。

 「それにあんまり意味をもたせてもしょうがないけれど、40%くらいは僕の平行主義があるかもしれないね。皆、当たり前のように洋服を着ているでしょ。これは、我々の民族が完全に外国の文化の文化的植民地になったあらわれ以外の何ものでもない、それが醜悪に見えて嫌なんです。
アフリカの男性も女性も、もの凄く堂々とした民族衣装を着てますね。形もいいけれども着ているものが非常に美しい。インドに行けばインド人も昔からのものを着ている人が多い。たかが着るものじゃないかというけれど、出来るなら自分達の体にあった美しいものを着た方がいい。
 洋服というのは実につまらんものだと思うんですよ。何処か意識のなかで別の権威、別の文化に隷属している感じは否めない。特に礼服の場合はそういうところがある。では、僕は着物が好きかっていわれると物凄く批判がある。あんまり美しくない。何故かというと明治以後着物は、形式化してしまったというか。いい形で発達する事をやめてしまったように感じるからです。
女性の着物は、いいなと思うものもあるけれど少し型にはまりすぎているんじゃないかと、着物は、品格はしゃんと貫いているけれど、時代にあわせて展開してもいいんじゃないかという気がしますね。
不満はあるけれども着物を着る事で、自分の色々なものの考え方を形に表したいと思っています。学生の前でも着ているのは、あの先生変な格好をしていたなと。今はそう思っているかもしれないけれど、彼らが着物を買えるくらいの年になったら、俺も着てみようとそうなったらいいなって思っているからです」

本当に長時間に渡りありがとうございました。 オサルス拝。

『四批評の交差-いま、現代美術を問う』 展 【2004年4月18日(日)〜5月30日(日)】 多摩美術大学美術館
プレスリリースはこちら http://gaden.jp/info_p/040418.pdf

多摩美術大学 http://www.tamabi.ac.jp/

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