gaden presents - gallery / artist / dreamer / exhibition / network

おすすめ情報トップ オサルスインタビューの一覧はこちら

 縁は異なもの。2000年の春に拝見した展覧会が CASSHERN と結びつくなんて・・・。
あの展覧会でオサルスは 「ア! ツェッペリンだ」 と叫んだんですよ。
何故叫んだかはこちらを見てね。http://gaden.jp/info/2000/000424/000424a.htm

 「びっくりしました。まだあの展覧会情報掲載しているんですね。」
と、突然メールがきて、ん? 何の話なのかと 『携帯オサルスがゆく』 の2000年バージョンを探してみると、木村俊幸さんじゃないですか。懐かしいなぁ〜。
(Website gadenは過去の情報を蓄積してあるからこういう時便利です。自分でいうのも変だけど。)
いま何をしているのと聞きましたら、

絵画のような映画 『CASSHERN』 (VFXスーパーヴァイザー) / DVD ガニメ第2弾 (絵画と演出) / 愛知万博 押井守館(企画コンセプト) / ゲーム 『弟切草〜蘇生篇』 (絵画 総合監修) などなど・・・・・

へぇ〜。凄いねぇ〜という事で早速インタビューをお願いする事に。

 それで今日のお薦めはCASSHERN。  http://www.casshern.com/

 実はオサルス、木村さんには悪いけど、CASSHERN という映画がどんな映画なのか全然知らなかったんですよ。ストリーも配役も何も知らずにぶっつけ本番。もっと本音をいえば木村さんと会うその日まで CASSHERN を見ることになるとは思いもしませんでした。(申し訳ない。)

 そして何がなにやら解らずに見た CASSHERN は “ ロシア・アバンギャルドとダダ ” でした。
フラッシュバックするイメージはあのツェッペリンといえば解る?

「見た人が、真っ二つに分かれるんですよ。すごく感激したという人と、なんじゃこりゃという人と」 と木村さん。

確かにyahooユーザーレビューを見てもまっぷたつに意見が分かれているのは驚き。

 でもこの映画をアートの視点から見れば 『人類であるからには・・・必ず芸術の衝動がある・・・死ぬべき運命を背負った人間の宿命に挑戦する独特なやり方が・・・』 (http://gaden.jp/info/2004a/040324/0324.htmから抜粋)
このマルローの思想をキーワードにすれば解りやすいのはでないかと思うんだけど・・・。

 今日は、CASSHERN のVFXスーパーヴァイザーの木村俊幸さんにお話をお聞きしました。 ところでVFXスーパーヴァイザーとはどういうお仕事なんでしょうか。

 「特撮監督です。僕の場合は、全体の世界観のコンセプトデザインを構築して、それを技術的な面から検討して現場を指揮する立場なんです。現場が終わったらCG加工や、素材を合成するポストプロダクションを作ってフィルムに出していくんですよ」

・・・すごく手間が掛かっているんですね。

「今回の人数は30人くらいしかいなかったんですけど、ハリウッドは2〜300人が関わるんですよね」

・・・え! 凄いですね。その世界観というのは、紀里谷監督と木村さんが話をして決めるという事ですか。紀里谷さんのイメージを木村さんがサポートする形なんですか。

「それもあるけど。今回はコンセプトの案を出し尽くして、検討していくというやり方です」

・・・木村さんのコンセプトは?

「抽象的ないい方だけど、もう一つの自分の夢。例えば君と僕はつきあっているけれど、もうつきあえない。でも違う所ならばみたいな・・・」

・・・場を変えるという事ですか。

 「過去の未来、未来の過去でもいいし、前世でも星でもいい。つまりステージが別のところで自分を感じる事。例えば凄い人気の絵を見に行っても全然解らない時ってあるじゃないですか、それが10年後とか20年後に、今まで凄く嫌いだと思っていたのにバツーンとそれが解ってくるみたいな事と同じだと思うんですよ。
ちょっとした自分のステージの場所が一歩ずれるとよく見えたり悪く見えたりするという事なんです。
僕らははじめにハリウッド映画がバツーンとあって、それを抜け出す事が出来ない事がまずあるもんだから、もんもんとしているんです。
いつかそれを抜け出せないか、それは海外ならばできるのか、ここでは無理なのか、お金も無いし、四畳半だし、どうしたらいいのといった時に・・・考え方を変えるしかないんですよ。
例えば今の自分は大変だと思っている。明日からはバイトなんだけれども (笑) 考え方をちょっと変えてみよう。で、そこで多分生き残っていこうとすると思うんですよね。

 だからこの映画もお金も掛けられない。場所も殆ど無いし、人も少ないけれど、ちょっと考え方を変えれば出来る事じゃないのというのがはじめにあったんです」

・・・そうなんですか。木村さんは1969年生まれ、1973年に放映されたアニメ 『新造人間キャシャーン』 を見て育った世代ですよね。実はオサルスは竜の子プロの絵が嫌いだったから見た事がないんです。この映画はまずキャシャーンがイメージとしてあったわけですか。

「僕も、紀里谷さんもそうだと思うけれど、アニメの 『新造人間キャシャーン』 の映像のなかに、こんな小さな隙間から見た、ナチスドイツのような動き方をしたロボットの行進の、圧倒的なアングルのもの凄く怖い場面があったんですよ。それをずっと覚えていたんです」

・・・強烈な印象だったんですね。でもこの映画を見て私の感想を一言でいえば、ロシア・アバンギャルドだと思ったんですが。

「それはありますね。僕が尊敬しているマリオ・シローニという画家がイタリアにいるんですけど、彼はファシズムに利用されてしまいましたが、寓意に富む優れた壁画や油絵を残しました。
ロシア革命以後、構成主義が利用されて政治化し戦争に流れていくじゃないですか、芸術運動が大砲とか戦車に流れていってしまった・・・芸術運動が政治運動になってしまったのが凄いショックだったんです。
当時の政治宣伝のプロパガンダポスターを見たりすると、凄い芸術的な要素と政治運動とが組み合わされているじゃないですか、それはやはりショックでしたね」

・・・でも 『あしたのジョー』 もでてきますよね(笑)。クロスカウンターをしていたような。

「僕らの世代のものを全部つぎ込んでますから(笑)。美輪明宏 も入ってますよ。出てくる時に、長せりふで舞台劇のオペラのように出てきたり。
 凄い真剣な顔で演技していてもバックにロボットがいると面白いじゃないですか。それに紀里谷さんは三島由紀夫とか好きなんですよ」

・・・そういえば出てきましたね。でも1909年のイタリア未来派宣言から第一次大戦渦中のダダ、1917年のロシア革命前後のロシア・アバンギャルドの流れ、ずっと戦争が続いていた時代の美術運動がビジュアル化されて全編を貫いているせいなのか、最後に希望といわれても、見ていてあの暗さは『なに』みたいなペシミスティックにしかなれない気分を味わったというか。

 「そこでポイントなのは、『おまえは戦争をしらないから』 と、ずっと僕らが頭からいわれ続けていた事がちょっと反復されているんです」

・・・オサルスには娯楽的な普通の映画よりも、美術の流れを見ているようで面白いんだけど、今までの美術の概念はオリジナリティを絶対視してきたじゃないですか、でもオリジナリティというのは曖昧なもので、絶えず反復しながら時代を乗り越えてきたような感じがするんです。
この映画を見ているとそのオリジナルイメージを嘲笑するかのようなサンプリングや切断を交えたカットアップが絶えず繰り返されて強迫観念のように出てくるというか。

「全体に漂うイメージは、ロシア・アバンギャルドとかダダとかあっても、僕らから見ればペーパーなんですよ。だから僕らが美術監督さんと、心の中で 『合い言葉』 にしていたのは、ポチョムキンぽいものにしようねって」

・・・あ! それ解った。だってエイゼンシュテイン以降の映像表現等を通じて広く浸透している素はダダだものね。

「映画のはじめの街のなかにかけられているポスターは自分たちで作っているんですが、こういうポスターに、こういう街。それはハリウッドとは全然違うベクトルで作った、街なり世界観の特撮をCGでやってみようという事なんです。
僕らはいつもハリウッドの作品ばかり見せられているわけだから、紙芝居でもいいんじゃないのと、クウォリティーに文句をつけられようが、何となくゴシップを見ているような、ペーパーを読んでいるようなそんな雰囲気になったら面白いなって・・・そこなんですよ」

・・・そういえばロボットの切り絵みたいなシーンが入ってますよね。

「はじめ工場も切り絵だったんですよ。あまりにもペーパーすぎて、コラージュでロボットが作られて、そのあとロボットはCGになるので、見ている人は錯乱するだろうと、迫力の面も考えて3Dに置き換えたんです。そのずれが出来きっていない部分がいくつかあるんです。ポスターのようにパッシパッシと入るのはまさにそういう狙いなんです」

・・・でも随所にツェッペリンが加味されていて。

「感じましたか(笑)。絶滅してしまったレコードジャケットの思いというか(笑)。何となく全体を漂っている不気味な黙示録なのか宗教なのか解らない雰囲気はツェッペリンのレコジャケの流れというか」

・・・この作品を日本で作ったというのはいいですよね。でもハリウッドに行こうとは、思わなかったんですか。

 「昔 ILM の企画で SPAWN という映画があって、その企画は世界から色々な人を起用して制作するものだったんですが、僕もワンカットだけ担当したんですよ。
それがとてもいいから一緒にやろうと、また、まとめたスタジオデモリールを観てくれたアサイラムビジュアルイフェクツの社長からも誘われたんですけど。
 僕が今までずっとやってきたものは、路地裏とか祭りだとか日本人の女の子とかだから、そういうものと外国はあまりに違っていたんですよね。
 僕の場合は、それまで僕のなかで蓄積してきた情報、それは日本で貧乏だったけれども、見ていた公園とか路地裏とか川とか、そういうものと僕が対話して世界を作り上げて絵を描いている事なので、自分が一発名を成したいとか、むこうに行って金持ちになれるかもとか、そういう理由だけで海外に行ったんじゃ駄目だなと、むしろ、日本に居ついて日本にある空気をどうやって吸い込んで生きられるか。という事を考えてしまったんです」

・・・やはり納豆とご飯が無ければイヤみたいな事ですね。そうすると木村さんのモチベーションを一言の言葉にするとどういう。

「それは難しいですね。全然答えにはならないかもしれませんが、
 どういう情報が頭に入って夢を見たりするのか・・・今ままで見た環境だとか読んだ本だとかが影響しているのかもしれないけれど答えが出ないじゃないですか。
どういうプログラムで組み合わさって一つの映像を脳のなかで投影しているのかというそこのところなんですよ。その投影したもの自体は、ハッと朝起きるとリアルだったりするんだけど、友達に話しても聞きたくないとかつまらないとかいわれるけれど、夢はつねにその人間だけにしかリアリティが存在しないという事なんです。夢のなかですべて情報が合成されていてそこに何かが投影されている。その二つの要素が僕のなかの画面なんです。
そこで思想の何を語るか、どういう物語を語っていくか・・・今回の映画は説教くさいんですけどね。そういうのが鼻につくんですが、ある人はいつも説教臭く生きてるかもしれなし(笑)、ある人はもっと映像詩だけで見せて欲しいと思う人もいるかもしれないけれど・・・」


・・・映像詩というのは難しいですよね。エイゼンシュテインの 『戦艦ポチョムキン』 は合成なんですか。目から血が出るシーンとか。

「正直、合成の部分がわからない」

・・・実写の強さと合成の面はゆさとは違うように思うから、映像詩を出すのは難しいように思うんだけど。

「僕はちょっと前のアンダーグラウンドのリアルなセットを使ったものも好きなんですけど、だけど俺らはどうなのかと・・・俺らの世代はどうにもならないほどアニメで育っているし、殆どリアルに伝わってくる事って、本当に僅かな情報ですよ、そういうなかでドーンと実写を見た時にそれがリアルに見えているのかって事です。
戦争映画を見てもピンとこないしリアルに感じないから怖くないし、CGだなんだかんだロボットだなんだかんだ出てきて糞くらえと思うんだけど、でもなんかそこに戻ってしまていたりとか、ピカソやゴッホには戻れない何かがあるんですよ。好きという気持ちはあるけど、一体何処に行きゃいいのよと」

・・・解ります。

 「そういう初期設定みたいなものを、紀里谷さんと話していてこの映画でしてみたい気持ちがあったんです。映画がメリエスとかに戻る瞬間。
ジョルジュ・メリエスは1902年に 『月世界探検』 で別々のショットをつなぎあわせることによるトリック撮影や劇的技巧の基礎を作つた人なんです。それと同じクウォリティーとかレベルに、一回映画を戻して再構築して、なのにその部品が 『あしたのジョー』 だったり 『スターウォーズ』 や 『デューン砂の惑星』 や 『バットマン』 だったり、でも美術もある。
紀里谷さんはレニ・リーフェンシュタールとか好きだから、それに 『民族の祭典』 とか見ると、ファシズムとかじゃなくて絵として凄いと思うから、そういうものがゴッタ煮になって CASSHERN にぶつけたらいいかなという感じはあったんです」

・・・最初からそのイメージがあったんですか?

「はじめからありました。でも、まあ、皆との話し合いでロシア構成主義の美しさとか、ドイツ表現主義のカリガリ博士 (1919年、ロベルト・ヴィーネの作品。セットやカメラアングル、衣装やメイキャッブにいたるまで極端なデフォルメが施され、あたかも舞台劇のような構成の中に、観客に画面の内側の真実を読み取らせようとする極めて芸術性の高い作品) が何故人々に理解されなかったのかとか、いつも色々話し合いながら進めていったんです」

・・・なるほど。少し変な質問ですが、貧乏だったとさっきおっしゃってましたが、今はお金は入ってくるようになりました?

「昔と比べれば入るようになりましたが、今でも巨大な生活のズレはないですね。正直不安なケースがまだありますよ。今でもまだ一歩足を踏み外せばバイトの人生が待っているんじゃないかと。
でも僕のやっている仕事は SPAWN にしろ他のものにしろ、有名なアーティストの仕事をいっぱいやっているから僕らのプロダクションは、がっぽがっぽと金を稼いでいてもおかしくないんだけれど、なのに僕が一歩足を踏み外せばバイトの人生がつねに開けている自分。
このズレは何だろうと。儲かっているプロダクションはいっぱいあるんですよ。なのに俺はなぜ儲からないところにいつも追いやられているんだろうと、この溝はこれから解決をつけないと」

・・・いいじゃないですか。生活するのに足りるだけあれば、オサルスはまったく金になりませんから諦めてますけど (笑)。

「例えば、紀里谷さんは奥さんもそうだけど、お金に一切苦労はないじゃないですか。彼と美の話をする時は対等に話すけれど・・・以前紀里谷さんから、『木村君、何の仕事しているの』 と聞かれて 『洗濯機のCM』 の仕事をしていると答えた事があったんです。
それは食うためのお米仕事なんですが、紀里谷さんから 『何でお米仕事をするんだと、君は美にそれだけ到達しているのに、なぜ自分を切り売りするんだ』 といわれて、そういわれるとブライキング・ボスの気持ちと同じですよ。おまえは解ってないと・・・。散々いい仕事をもらってやってきたけれど、俺はまだそういう状況なんだと。

 僕は思うんですが、色々な芸術家が昔はパトロンを持って、自分の美を追究できた。貧乏生活からあっという間に抜け出してそれを追求する運命にあった。そういうなかで芸術というのは、一切お金に換算出来ないところで美が絶対的に存在している。それにも拘わらず、僕らは生きて、発表してうんこしなきゃならない状況なんです。だから考えさせられますね。
 僕はよくうんこの事を考えるんです。生きていく為に生活する為に身体を売っている女の子もたくさんいる。でも生きていこうとする力。凄くお金を持っていても、そういうパワーを持っていない人はいっぱいいるんじゃないかと。
 紀里谷さんもそういうおじさん達を見てきたといっていました。金に群がる奴らをたくさん見てきたけれど、そこには何もない。『僕らはそうじゃないところでやらなきゃいけないじゃないか』 と、それは解るんだけど、今でもまだ完全に解決していない。しょうがないから、今ある自分の状況のなかで答えをみいだす。それが自分の運命だからしょうがないです」

・・・あの映画自体がそうですね。自分の立っている場所で、そこで考えるしかしょうがない。どうにもならないしね。

「そう、どうにもならない(笑)。そういう事なんですよね。あの映画を見てメインスタッフはお金持ちで生活も安定しているんだろうと、『俺ら食っていけなくてさ』 と、ボヤいている若者はいっぱいいると思うんですよ」

・・・私も若くないですが思いますよ。

「俺も試写会見て思うもの(笑)。でもそこで働いていた20代の子達は、今だってバイトしてるかもしれない奴らだけれど、そいつらにお金が還元されて生きていける世界にしたい、美術でも食っていけると。それにはまず俺を金持ちにさせてくれと(笑)、俺が金持ちになれば皆金持ちになれるよと」

・・・それは村上隆と同じかもね。でも絵だけで食べるのは難しい。CGだとまだ食べていけるんじゃないですか。

 「でも僕がCGをやっていて言いたい事は、絵を描けと、絵を描いた方が売れると、CGより絵の方がかっこいいよと。CGはつねに絵を基本に動いているから、一秒何フレの一コマで動いているので、それにCGは技法だから、油絵学科があるのと同じでCG学科があるだけだから。
技術としてやっておいてもいいものだけど、自分のパーソナルを表現する一番いい方法を見つけなければいけないよと、それはその人の心のなかにあるものだから。だから僕も今でも描いてますよ。売れないですけど(笑)」

・・・どんな絵を描いているんですか。

 「僕のなかで未だに分裂するところがあるんですが、現代美術の鋭利さと、かっこよさと、コンセプトの凄さに打たれながらも、でもペインティングをしたいという気持ち。でもペインティングを出すと、もう終わっている感じがするので、世間的にいやだと思っている気持ちとか、20代にそこら辺でグチャグチャして変なオブジェを作っていたんですよ。その時は廃材からプロジェクターで画家の運命をプロモーションビデオで作ったりして、画家という者を客観視しよう、客観視しようとしていたんですよね。
 CGのなかでは絵が作れるんです。フレームがあるから、それが外に出るとそれは半立体か彫刻とかになるんですが、人生三十四にもなると絵を描いていこうかなと思うんですよ。もの凄く絵とかペインティングに対して憧れが強いんですよね。たまにそれ一本でやっている人の展覧会とか見ると泣けてきますね」

・・・絵描きというのは、大学を出ようが出まいが、貸画廊を借りて作品を発表していようが、それだけで絵描きになれるわけじゃないから、それはそれ一本を継続出来るか出来ないかだけだと思うんだけどね。

「絵を描くと埋没しちゃうんですよ。だから駄作なのかなと思うけど、自分のなかで外せないから、自己満足といわれようが描き続けるんだろうなと。映画とは別にね。
浪人時代に偶然大竹伸朗さんと出会って、映画も好きだし、絵も好きなんです。どちらかを選ばなきゃいけないのだとしたら生きていけそうもない。と、相談した事があるんです。そうしたら
『おまえの人生だから両方やっていけ、両方やっていくのが多分おまえなんだろうと思う。大学に行ったからって安心できるもんじゃないから』
といわれて、当時は映画の仕事をしていても、自分の部屋で絵を描いていても、どっちもまったく売れないから、自暴自棄に陥っていたんです。でもそれでも貫き通せという人がいるんだ。俺もいつか貫き通せば見える日が来るんだと。殆ど洗脳に近かったですけどね」

・・・二つのものを同時にやるのは大変ですよね。映画は時間の流れを見せるもの、絵画は 『瞬間か永遠か』 、だから時間の流れは見れないわけでしょ。でも絵は一瞬で強さとか感じるんだから凄いかもしれない。

「だから絵は素敵なんですよ。絵の凄いのは拒絶ですよね。バーンとそこにあってもう見なくていいよとなるか、見入ってしまうか。眼を外しても思いついたらまた見に来てしまうみたいな・・・ 『瞬間か永遠か』 、それが絵のなかで起きているという事を、つねに僕らの脳のなかでそれを判断しているじゃないですか、凄い事だと思いますね。
でも映画は椅子に括り付けられて、トイレに行きたくてもいけなくて(笑)、あるいは親父が寝てるとか、隣に彼女がいたりとか、何となく見ないと、自分が置いてきぼりをくったような感じがするとか、そういう意味でその椅子からでられない。一種の拷問ですよ」

・・・あの映画は最後のエンディングのクレジットが終わるまで誰も絶対立てないというか立たせないんだよね(笑)。

 「最後に足とか身体に重荷を乗っけて終わっていく映画ですよね。でも僕は CASSHERN の入りは時間が足らなすぎたと思っているんです。
あの世界を見せるにはもうちょっと前置きしないと人が入っていけないんで随分もめたんですそれ、僕が編集して街はこう。こういう街なんでこの時間帯で見せてくれと頼んだんですが、そんな時間は無いと、僕らは仲間なんだけど最後の決闘ですよ。みんな敵になって、文句をいって、もう駄目だという時に 『木村君、でもそれはちがう』 と最後に・・・。
終わって無言ですよ。男同士だから脳の中で愛情みたいなものがSMの世界になって、たまに深夜に電話がかかってきて 『すごく人が入っているんだよ』 と、あ、そう良かったね。でもこの傷が癒えるまでちょっと時間ちょうだいみたいな(笑)」

・・・象徴みたいなのが場面場面で出てくるんだけれど、もっと簡潔に最初に解れば見るのは楽だったと思うけどね。

「観客もトイレでたむろしてうだうだいったり、灰皿を蹴ったりするのは、簡潔かと思って見にいったら簡潔じゃないし、本当に凄いものを残してくれるのかいえば陳腐な戦争反対だったりするし、じゃあ戦闘シーンを見せてくれるのかっていえば前半の中頃で終わっているし」

・・・そういう意味ではそうだけど、私があの映画はダダイズムが流れているといったのは、凄い哲学的な映画だと思うから、あれを娯楽として見ると結構つらいですよ。

「3Dかと思えば二次元に見えてきたり(笑)。あれは多分何をしていたって最後は俺らも死ぬし、死ぬ前に俺らが疑問だった事。例えば存在の意味。意味なんてないんだけど、でも人を好きになって意味を考えはじめたら、それは人々に通ずる。それが最後宇宙にいってしまうわけの解らないエンドになったんだと思うんです」

・・・あの手の映画があんなに流行っているのが不思議だよね。大抵はマイナーで終わるタイプの映画だと思う。

「配役や音楽はA級だけど、ノリはB級なんですから。だからむかついて理解出来ないものかもしれないですね」

・・・でもこの映画は紀里谷さんと木村さん達のまぶたに残ったものが集約されているから、見える人には見られるし見られない人には見られないんじゃないかな。

「映画は拷問だといったのは、イヤだったらそこで立てばいいんだけど立ない状況がつねにあるんですよ」

・・・なんか全体主義的なのよね。でもストリーがどうなるのか見ないで帰るわけにはいかないからね。

 「物語性が過剰であればあるほど視覚が崖っぷちに立たされるんですよ。頭にきたり泣いてみたり、それが感動。そこまで人を揺さぶったら映画としては成功ですよね、それはアートもそうです。絵画も僕らを揺さぶるし、彫刻も僕らを揺さぶる。揺さぶるものを作らなければいけないんだと思いますね」

・・・そうとう揺さぶったんじゃないですか。

「寝ようと思ったら殴られ、座ろうと思ったらケツが痛いみたいな (笑)」

・・・結局最後はなんでしょうね。木村さんと一緒に見なかったらどう考えていたか解らないけどね。もう客観的に見られません。

どうもありがとうございました。

 映画のカタログに紀里谷さんが
『なぜ人は戦うのか? という普遍のテーマを見つめようとした』
と書かれていましたが、その戦いの源は、人対人ということですよね。根本は 『話せばわかるは大嘘だ』 と 「バカの壁」 の本の中で養老先生が言っている事と同じ事。壮大なテーマなんだけど、“真理は手近に隠れている” という言葉ではないけど、日常をみれば至る所にころがっている。
国と国、個人と社会・・・様々な問題があるけれど、アートはそれを外側から見つめて、再構築し、その人の心に浮かんだ事象を表現する手段として有効なのではないかとオサルスは思う。

 yahooユーザーレビューのなかに 『予定調和を求める人は観るべきでない』 という書き込みがありましたが、生きていくのに先の見通しや思わぬ変化が起こるのは当たり前ですよね。映画を見終わったあと、木村さんが 「この映画は15歳以下の子供達に見て欲しいんです。」 とポツリとつぶやいた言葉が印象に残りました。

 ロシア革命前後のロシアで起こった美術運動は純粋さを求めて起こったものだから、それが世界に波及したのを考えても (手塚治虫のアニメの火の鳥はロシアの 『せむしのこうま』 に影響を受けていたとか)。
これから色々な連鎖のコネクションが出来てきたら面白いじゃないですか。期待しちゃうな・・・。
あ! ところで映画のなかの新造人間て、画面に大きく赤い心臓が出てきたので、映画を見ている間中、ずっと心臓人間だと思ってたんだけど違うんだね。いまごろ気がつきました。

木村俊幸 WORKS 資料:

VFX studio LOOPHOLE http://loophole.jp/

HOME PAGE  http://members3.jcom.home.ne.jp/zizimomo/index.html

『デザインの現場 6月号』 CASSHERN ( pdf )

DVD ガニメ第2弾 (絵画と演出) http://www.ganime.jp/news.html

愛知万博 押井守 館 (企画コンセプト) http://www.expo2005.or.jp/jp/venue/pavilion_private_h.html

ゲーム 『弟切草〜蘇生篇』 (絵画 総合監修)
http://www.game-no-kimochi.jp/spreview/ps/otogiriso/
http://game.goo.ne.jp/contents/title/PGMNTPDchn01001/

CGアート資料 http://www.cgcarnival.com/index_j/gate.html

おすすめ情報トップ オサルスインタビューの一覧はこちら

RETURN

gaden presents
- g
allery / artist / dreamer / exhibition / network