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オサルスのおすすめランチ ランチdeチュ その118

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ピザのランチ 1420円

リストランテ ガット
神奈川県川崎市多摩区登戸2082
TEL 044-911-8811

 夏バテとパソコンが壊れてぐったりしていた私に渇をいれてくれたのは誰あろう岡本太郎さん。オサルスが毎日チェックするサイトに 『なんだ これは 岡本太郎は生きている』 というコーナーがあるんだけれど、これは凄いサイト、太郎さんの生の声まで聞くことが出来るんだよ。さすが、日に100万件アクセスがある所は違う! なぁ。
折しも今、川崎市の岡本太郎美術館では “こんな日本! 岡本太郎が撮る×内藤正敏が撮る” (2004.7.21〜2004.10.3)展を開催中。
 生田緑地にある岡本太郎美術館は、インビテーションを送ってくれるので伺う事も多いけど、いつも展示会場に先に行ってしまって常設展示は殆ど見た事がなかった・・・(^_^;) 申し訳ない。だから今回は初めてじっくりと岡本太郎に向き合う事ができたかな。
オサルスの知っている岡本太郎さんは、ギョロ目をむく変なおじさんの印象が強かったけど、今回の展覧会を拝見してからの感想はオサルスの完全な勘違いなんだと実感。

今日は川崎市岡本太郎美術館の学芸員の仲野泰生さんにお話をお聞きしました。仲野さんは “こんな日本! 岡本太郎が撮る×内藤正敏が撮る” 展 の担当学芸員さん。なぜ岡本太郎さんはあんなにテンションが高かったんでしょうか。聞いてみました。

・・・仲野さんと岡本太郎さんとの出会いを教えて下さいますか。

 「岡本太郎さんとの出会いは二つあります。一つ目は僕が大学院の時に、色々な本を読んでいるなかで一番自分にピタッときたのが、岡本太郎が芸術新潮に書いていた “我が世界美術史”後に“美の呪力” という冊子になった本なんです。それは最初にイヌクシュクというエスキモーの石積みの話から始まって最後にあやとりのヒモの話で終わるんですが、世界中を彼の美意識の視点で、自分が感じる美をまとめた我流の世界美術史なんです。
それの連載中のものを読んで凄い感動して夢中で読んだ記憶があります。そうしたら丁度土曜日の11時の“今夜は最高”というテレビのバラエティーショーにゲストで岡本太郎が二週連続出演していて、そのギャップがすごかったと記憶しています。それまで岡本太郎の名前は、“太陽の塔”を制作した人だと知ってはいたんです・・・僕は中学校三年の修学旅行で、日本万国博覧会を見に大阪に行きましたから」

・・・え! 同い年ですか。私も万博に修学旅行で行きました。

「そうですか。あれは強烈な印象がありましたよね。でも僕は凄く込んでいたので太陽の塔の中には入ってないんですよね」

・・・私も見てません。

「見た人はもの凄く良かったといっているんですよ。だから本当に “太陽の塔” を知ったのは恥ずかしながら、岡本太郎美術館の準備室に入ってからなんです。太郎の名前は知っていたけれど実際に太郎に対して感動したのは美の呪力の連載からであり、ハッと驚いたのは、テレビのバラエティーショーでタモリと丁々発止とやり合っている姿だったから。あの岡本太郎は、僕が読んだあの岡本太郎と同じ人なのかと・・・本当に驚きました」

・・・タモリの “今夜は最高” ですか。見たような気がします。

「太郎が即興でピアノを引いていると、タモリがクラッシックバレーのチュチュを着て即興で踊るんですよ。それはめちゃめちゃ面白かった記憶があります」

・・・ハハハ・・・。

「だから僕のなかでは本を読んで感動した岡本太郎と、タレント的な要素でタモリに嘲笑されながらも、テレビのなかで自分を“岡本太郎だ”と貫いて存在している太郎と、何処かに矛盾した違和感がありつつ、ずっと不思議な人だなと気になっていたんです。それで岡本太郎美術館準備室に来ないかといわれた時に、それまで僕は学校の教員をしていて、その仕事にも満足していましたが、面白そうだなという予感がしたので、直感で “ハイ” と一つ返事で承諾しました。
 天の采配ではないけれど、誰かのさじ加減で運命をくれたような気がしたんです。ただ、準備室に入ってからはたいへんでした。それこそ岡本太郎美術館構想は始まったばかりで、何処に建てるかも決まってなかったし、市民の反対運動があったりして混沌とした感じだったんです。
例えば太郎の著書一つとっても、殆ど絶版になっていましたから全然なくて、少しづつ古本屋を廻って集めたり、当時作品は市民ミュージアムの収蔵庫に、主要な作品は梱包されて収蔵されたままでしたから、そこから少しづつ勉強し始めたんです」

・・・ほぅ。

「岡本太郎は造形だけというカテゴリーに入らない人です。彫刻家でもない、絵描きでもない。もう一つ思想家という側面もある。両方やっていながらもっと広がりのある人。もの凄く面白い人だな、勉強してみたいなぁと思ったんです。この人と出会えて幸せだという思いもありました。ただ市民の反対運動もありましたから状況としてはつらかったですけどね」

・・・でも場所はいいですね。生田緑地の奥にあって、館の前方に杉?があるじゃないですか。あの杉は凄く印象的ですね。

「メタセコイヤといって杉科の一種なんですけど、もの凄く巨木になる縄文杉の一種なんです。北米では、大きくなると幹を車が通るトンネルを掘れるくらいの大きさになるそうです。あれが参道みたいになってるんですよ」

・・・美術館には、いつもは展示会場に直行してしまって、常設展から入ったのは始めてなんですが、館自体の作り方が面白いですね。

「常設展示室の基本設計と母の塔の設計は、太郎さんのご自身で作った現代芸術研究所に依頼しました。スタッフが太郎さんが亡くなってもその意思を受け継いで、博覧会を中心に会社組織として活動を行っていたんです。大体の基本設計は出来ていましたけれど、ただ場所を何処にするか決まっていなかったので・・・最初は噴水があるすぐ側の案がでましたが、そこは手をつけないという市民との約束の合意が成立していたらしいんです。
それにも関わらず、市側がその構想を打ち上げたものだから、大反対運動が起こってしまったんですよ。次に他の場所を見当したんですが、結局生田緑地のゴルフ練習所の跡地に決まりました。場所が奥地になったのはそういう理由があったんです。それなら木を一本も切らずに芝地の上に建てられるので、これだったら生田緑地の自然を守ろうという市民団体の方達も、納得してくれるだろうと思ったんですが、結局反対運動は収まらずに、その背景には岡本太郎芸術に対する無理解があったのかなぁと思うんですけどね。僕も反対派の集会に何度も行って岡本太郎芸術の理解を求めたんですが、あまり理解は得られなかったですね」

・・・私も誤解をしてましたから、こんな凄い人を何でちゃんと知ろうとしなかったのかなって恥ずかしいと思いました。

「今は凄く再評価されてますね。まあそれで場所も決まり、じゃあ常設展示室というのは、岡本太郎の作品を常に見せる所だから、見せ方をどうしようかという事になったんです。
実をいうとあれは、私は実際見ていないんですが、写真や資料で見ると、太陽の塔の地下の展示室のイメージを相当汲んでいるんですよ。イメージをかなり踏襲している。ちょっと迷宮的になっていて、色々な所で岡本太郎の色々な側面に、出会えるようになっているんです。」

・・・なるほどね。太郎さんの画歴の下の隙間から作品が年代順位に見れるのが面白いですね。

お待たせしました。
フンギ(マッシュルームとアンチョビ、オリーブとチーズのピザ・本日のデザート・サラダ・コーヒーor紅茶付き 1420円)とペンツェレッタ入りトマトソーススパゲティーです。

 仲野さんのお薦めは、向ヶ丘遊園から歩いて3分のリストランテ ガット。イタリア料理のレストラン。
こちらのお店は8年前にオープン。ランチは平日は1000円-1890円(11:30-14:00 月曜日休)で召し上がれます。
明るい店内に気さくな感じの女性のオーナー。なかなか感じのいいレストランです。

 オーナーにこちらのお店のこだわりをお聞きすると “ピッツァを薪釜で焼いている事” ですって。モッツァレラチーズ(豆腐のような真白い南イタリア原産のチーズ)の上にマッシュルームとアンチョビ、オリーブが散りばめられて、色がきれい。
一見サッパリ系に見えるけれど・・・ん〜奥が深い味わいだ。
モッツァレラチーズは、控えめで料理の味をじゃましないし、しかも美味なんですねぇ。発見しました。
薪釜で焼いたピッツァの生地のモチっとした食感とモッツァレラチーズのトローリ感は最高!、隠し味のアンチョビが口のなかにポワーと広がって、糸を引く美味しさです。でも〜量がとても多いんですよ。
デザートを一品サービスしてくれて、ワ〜またまた太ちゃうよ〜。

・・・ところで今開催されている展覧会のあの写真は、岡本太郎さんはご自分で現像されているんですか?

「ご自分では現像していないんです。こちらが(展覧会図録を見せて)ネガに忠実に焼いたものです」

・・・写真を撮られて現像はされなかったんですか?

「アトリエの横に暗室がありまして、何回か焼いているようですが、それを発表したという事はないです。芸術新潮に連載しました“日本再発見ー芸術風土記”は、文章と写真でセットのもの、お互いを補完するものとして成り立っています。
それ以前から太郎さんの本は、ビジュアルな図版を大切にしているんですよ。その切っ掛けは縄文の発見です。
1951年に東京国立博物館で縄文土器を見てこんな凄い造形があるのかと。
それはただ造形に感動したのではなく、その背後にある縄文世界の精神性にもの凄く感銘を受けたから、それを直感でわかったんだと思います。それでなんとか自分で写真を撮りたいと、“みづゑ”に発表した時はプロのカメラマンが撮ったんですけど。1956年の“日本の伝統”の時は、自分で撮った縄文の写真を掲載しているんです。文章で表現するだけじゃなくてビジュアルに見た感覚を留めて、両方で自分の論を展開していきたいという気持ちがあったようです。日本を廻った時も最初から写真は自分で撮って、それに後から文章を添えるスタイルに持っていったらしいですね。
展示室には雑誌のコピーが置いてありますが、見て頂いておわかりのように、沢山の資料や民族学的な玩具であるとかが、文中に挿入されていて、写真や図版と言葉の一つのコラボレーション的な作品になっているんですよ。それはとても面白い事で、これは僕の推論ですが、きっとバタイユなんかの影響を受けているんです。バタイユの“ドキュメンタ”は図版と文章や論文が交互に誘うように編集されていて、太郎さんはパリ時代にそれを見ているので、それが背景にあったんだなと思います。ですから写真自体をまとめて独立して発表する事は無かったんですよ。ただし少し後年になってオリンパスというカメラメーカーの主催のペンフレンドという、有名人が撮った写真のグループ展にはご自分の作品を発表してますね」

・・・なるほど。

 「太郎さんの写真の生かし方は、写真家の写真ではなくて。
資料をどう生かしていくか、その思考とか世界を帰納的に見ていく考え方は、民族学を学んだ事がベースにあるからなんです。岡本太郎は日本を廻っているけれど、ただ日本のルーツを深く垂直的に追求していく、その為に写真を使っているのではなくて、もうちょっと彼の写真には、これは内藤先生もおっしゃっていましたけれど、“日本を追求しながらも、もっと広いコスモロジーとか世界観、そういう視点から見ている写真だと、そういう眼差しを感じる”と、まさしく僕もそう思います。ですので写真家がルポルタージュ的に、東北を廻って移した写真と比べて見ても違うんじゃないかなと思います」

・・・私は岡本太郎さんの写真は好きです。ただ今展示されているのが、ご本人が焼いていないというのが残念なんですよ。でも今回内藤先生がああいう形で挑戦されていて、久しぶりに面白い展覧会だと思いました。ただ、内藤先生が太郎さんのネガを引き延ばして展示されてますが、常設展の写真の大きさがまず最初にインプットされてしまうと、何故か違和感を覚えたんです。何故なのかなぁ。あの大きさは全部内藤先生が決められたんですか?

「そうです。実は内藤先生は二玄社から“岡本太郎・神秘”(岡本太郎が撮影した数万点のネガの中から、内藤正敏がリプリント)という写真集を出されて、それが切っ掛けになって、ネガをこちらに借りに通われてご自身で現像されたんです。その紙焼き自体はコンパクトなサイズだったんですよ。我々はそれを見て感動して、いつか内藤先生の写真展を、ここでやりたいという発想に結びついたんです。
今まで見た太郎さんの写真じゃない写真。もっと根底に、内藤先生流の現像技術で光と陰の織りなすドラマ・・・ドラマツルギーが濃くなってコントラストの強い作品になっていますが、その方が太郎さんの本質的なところをある面捉えていて凄く面白いなと思ったんです。僕としては最初の紙焼きを展示してもらいたかったんですけどね。
実はあれはもう一回スキャンニングして大きくインクジェットプリントしたものなんですよ。内藤先生には 『ここは展示スペースが大きいし、自分としてはここにあった形の大きいインクジェットプリントでやりたい』 という意向が強くあったものですから。でも僕としては紙焼きをお願いしたんですが、次の展覧会の絡みもあって、今回はこうなりました」

・・・個人的な感想ですが、インクジェットプリントはどうも違和感があるんですよね。ペラっとした感じがするというか・・・。だからというか、私としては岡本太郎さんの写真とそれに対話するかのような内藤正敏さんの写真の展示が一番面白かったんです。

「あれは私が是非やりたかった事なんです。あれをやらないとこの展覧会の意味がないので、内藤先生が持っている写真に対する感覚というのが、“東京”、“婆バクハツ!” に出ているし、それと太郎さんが撮った同じ場所、恐山から始まる東北と大阪と京都など、太郎さんのネガを忠実に焼いた写真を対比させる事で、今回の展覧会の“比べてみたいコンセプト”がより明確になると思って私の考えで並べました」

・・・私は、あそこが一番面白かったんです。ネガに忠実に焼いた太郎さんの写真が、内藤先生の写真の強烈さに少し押され気味だったように感じました。アクリル判が光って見づらかったのは少し残念でしたけど。私が行ったのは日曜日でしたが、随分人が多かったように思いましたが。

「ん〜。暑いからいつもの夏よりもちょっと少ないかもしれません」

・・・でも美術館も集客力が必要なんではないでしょうか。

「人が入る展覧会を分析してみると、お客さん達は何が見たいかという事を考えなければならないという事ですよね。そうするとその館独自で出来る事をちゃんと考えていかなければいけない。
岡本太郎美術館は岡本太郎を生かして、岡本太郎が直接でなくても、彼のアバンギャルド的な精神とか、そういった実験的なものとかを生かしたテーマ展であるとか、若い作家を紹介する展覧会に繋げていかなければいけないと思います。そこでいいものを練らないと、本当の意味での来館者を沢山呼ぶ事は、絶対出来ないと思うんです。印象派が入るからそれをやるとか、何々が入るからそれをやるという発想を、いつまでも繰り返していたら、一回目や二回目はいいかもしれないけれど、ドンドン駄目になってくるような気がするんですよね。そこが我々に問われているところなんです」


・・・それにこじつけるわけではないですが、先日伺った時に 『日本人は爆発しなければならない 日本列島文化論』(岡本太郎と泉靖一の対話) という本を買ったんです。これは凄く面白い本で、1970年に出版されているのに、今の日本の根本的な問題点が一杯つまっているような気がして、それをどう乗り切るかが問題だという事を、この時点でいっているのは凄いと思いました。

 「太郎さんは本当にわかっていますよね。実をいうともっと前 “日本の伝統” や “日本再発見” の頃から現代の問題点を明確にいっています」

・・・私が生まれた頃からいっているんですね。私を含めて今の日本人は、近代ヨーロッパ的な思想が当たり前のように頭のなかに入っていて一元的な見方をしてしまう。そうじゃない見方もあると思うんだけどね。なにか新しいものばかりを追い求めていると、太郎さんがいっているように、先に見えるのはニヒリスティックなものしかないような気がするんです。
この本の最後に太郎さんが昼寝からむっくり起き上がって 『思想を抽象じゃなく、もっと無目的的な、肉体的なものとしてとらえなければ駄目・・・』 と締めくくってますが、頭ばっかりというか、意識ばかりがはびこると、ろくな事がないように実感として思うんです。少し話が逸れますが、今ネットで 『なんだ これは 岡本太郎は生きている』 Be TARO! という糸井重里さんのページがあるんですが、岡本太郎は再認識されていて、若い人達が太郎に続けというのが面白いんですよ。ご存じですか?

「知っています。今回の図録の後書きに “日本再発見ー芸術風土記” からの再録を載せたんですが、『日本は近代主義者かモダニストのどちらかしかない。情けない。自分自身を侮辱しているこんな国民はないのではないか』 それを太郎さんは50年代にいっていて、それはさっきの70年代の対談と同じ事だと思うんですけど。日本人は欧米から来るものに対してはありがたがって頭を下げ、自分自身の今の現実に産みだされているものに対しては、軽薄に扱っちゃうというか軽くみてしまう。だけど本当の意味の現場、現実で日本に何が起こっているんだろうという事が一番大事なんだという事で、太郎さんは日本各地を廻りましたよね。あの時は、日本のルーツとか根源的なものを探すといいながらも、今日本の各地で行われている事を知りたかった。東京にいると見えないものを見たいというのが、一つの動機になっていると思います。
彼は縄文時代が素晴らしいから縄文に帰れといっているわけではないんです。
今のシステムに対抗するものを、もう一つの道を作らなければならないといっているんです。それがさわらぎのいさんとか村上隆さんや新しい人達が、岡本太郎に共感しているところだと思うんです。そういう風に、今岡本太郎という像が・・・漸く全体像が見えてきたところで、それまではどうしても70年代以降の太陽の塔の制作者であったり、“芸術は爆発だ” のコマーシャルの人だという見られ方しかしていなかったので・・・。

太郎さんの作品は、50年代から60年代の絵画を見ると、一目瞭然にカリグラフィックな抽象的な絵になっていく。それまでは割と読み取れる具象性があったんだけれど、変わった背景には、やはり日本だけで12,000カットを撮って、あれだけの名文を書き、しかも身体を使って駆けずり廻った事がある。ああいいう事があったのが絶対日本を考える切っ掛けとなって、絵も造形や思考も考え方も全部変わったと思うんですよね」

・・・岡本太郎のバイタリティーの源は何だと思われますか?

 「太郎さんの従兄弟の方(お医者さん)がお元気なんですが、その方にお聞きしましたが、太郎さんは自分のエネルギーを凄く大事にする方で、遊びに来ると『何か元気をつける薬はないか?パワーをつける何かないか?』というんだそうです。太郎さんは今でもこんなに元気なのにパワーをつけてどうするのと聞いたら、『いやいや俺はまだまだもっともっとやらなきゃいけない仕事が一杯あるんだ』 といっていたという事です。
それは副次的な事なものですけれど、パワーの源はそういう事もあるし。

彼は自分を開くとか、常に “人間瞬間だ” といっているように、そこにエネルギーをぶつければ、過去とか未来とか関係ない。今が勝負。そこで自分をバーとどれだけ開けられるか、そういうところが人間らしく生きる。太郎さんらしく生きるパワーの源になっているんじゃないかなと思います。中々自分を開けとか、瞬間瞬間に生きろと口ではいえるけれど、そんな簡単には出来ないですけどね」

・・・出来ないですよね(笑)太郎さんは、人にパワーをくれるから、だから何か迷いが生じたら “岡本太郎に聞け” みたいに思いますね。これから著書を全部読んでみようかと思ってるんです。

「アンケートを採って面白いと思ったのは、来館者の9割くらいの人達が40歳以下なんです。20代30代40代の人が多いんです。これをある評論家の方に聞きましたら、非常に珍しいと、今の日本の美術館はみんなお年寄り中心で、お年寄りに支えられているんだと、これだけ若い人達がお金を払って来てくれるのは、岡本太郎の芸術が本当の意味で求められいるんじゃないのかと。アンケートの感想もエネルギーをもらった、パワーをもらったと書いてありましたしね」

・・・今、仲野さんは、毎日岡本太郎さんにつきあっているわけですよね。やはりエネルギーをたっぷりもらったり、パワー全開という感じになりますか。

「いや〜。仕事になると違うかもしれません(笑) 今回の展示は、僕は写真専門ではないので苦労した事もありましたし、内藤先生に協力して頂いて助かった事が沢山ありました。また全然違う角度から岡本太郎を見れたというか、勉強になって再発見をした部分が随分ありましたね」

・・・色々な断面をもった方だからこちらも凄い勉強になります。最後にこれからの企画を教えて頂けますか?

 「岡本太郎美術館は、1999年の10月30日がオープンだったんです。開館して5周年なんですよ。春はアフリカのストリートアート展をして、夏から秋にかけてが今の写真を切り口とした展覧会で、秋は映像の中の岡本太郎を展示します。何故あれだけテレビに登場したのか、沢山の映像が残っているので、著作権の問題で難しい部分があるのだけれど、未公開の映像を含めて提示しようかなと思っています。

いわゆるある年齢層、例えば40代から50代以上の人達はテレビでよく知っているわけですね。かえってそれが今まで岡本太郎を誤解し、頑なに岡本太郎といえば変なおじさんだ。“芸術は爆発だ”の人だとか、そういうレッテルを皆簡単に貼ってしまっていたんじゃないかと思います。特に美術を専門の生業になさっている方ほど、一時期そういうレッテルを貼っていましたよね。
ところが今の若い人達が、美術館に多く来る理由は、リアルタイムで知らないからなんですよ。ここに来れば、ちゃんとした全体像を最初から見る事が出来るし、著作物が沢山出ていますから読むことが出来る。再評価の気運は高まっているんです。ですから何であんなに映像があの時出たのかそういった問いかけが結構あるんです。それを一つのキーワードにして今度の担当ががんばって作っています」

・・・以前Be TAROで読んだんですが、コミュニケーションの手段として出ていたと。そういう面だけではないとは思うんですが・・。

「大衆に対するコミュニケーションの一つだけれども、結局テレビのコミュニケーションは、一方向だけじゃないじゃないですか、本当は双方向にあるものなのに、テレビは一方通行的なところがありますよね。岡本太郎は、コミュニケーションとディスコミニケーションは、両方セットで考えなければ駄目だと常にいっていて、“芸術家というのは、自分の作品をわかって下さい。理解して下さい。というだけでは駄目だ。絶対理解なんかされてたまるものかと。それが両方無いときちっと本当の意味で伝わっていかない” といっているんです。メディアに出たのは、その辺が考える糸口としてあるんじゃないかなと思うんです」

・・・それで思い出しましたが、仲野さんは制作もされているんですよね。拝見した事が無くて申し訳ないんですが。

「やっているとかいうか、ずっと学生時代から描いてましたから、教育学部の美術科なので色々な事をやりました。今は忙しくて制作出来なくてグループ展に出すのが精一杯です。でも11月に個展を銀座の巷房でやります」

・・・是非拝見します。作品を拝見していないのにこんな事をいうのは何ですが。仲野さんの作品を言葉にするとどういう言葉になりますか。

 「皆にいわれるのは、岡本太郎美術館に勤めて影響があるかといわれるんですが、作品自体にはないですね。ただ今ままで自分が気持ち良くなるとか、自分が楽しければというつもりで描いていたんですが、岡本太郎さんの事を知れば知るほど、自分だけじゃいけないなと思っています。
バランスをとる為に美術館の仕事があり、客観的に外から自分の作品を見れる状況になってきているから、ますます描きにくいというか(笑)、こんなの描いていても何になるんだという思いはあるんだけれど、一つは自分の考えている事とか、今の時点の言葉じゃ無くて、言葉で出来ないところを表現していくというか。それが作品になるといいなって思って居るんです。ここ2、3年、言葉と絵が一緒になって絵日記形式で提示しています。あまり難しく考えないで楽しくやりたいなって思っています。学芸員の友達からは『もうやめたら』といわれますよ(笑)」

・・・個展楽しみにしています。今日はありがとうございました。

実はオサルスはこう見えても気が弱くて引っ込み思案なんです。だから人と話す時もオサルス如きが聞いてもいいの? と、いつもそう思うんですよ。文章を書いても才能があるわけでもないしなぁ! だから何度website gadenをやめようと思ったかわからないなんていうと嘘〜といわれそうだけど。これは本音。
でもね。
太郎さんの 『自分の中に毒を持て』 のなかに 『自分はあんまり頭もよくないし、才能のない普通の人間だから何も出来ないんじゃないか。・・・そういって自分がやらない口実にしているだけだ。・・・自分のひそかな歪みにたえながら、それを貫いて生きるしかない。』(青春出版社)という言葉を読んで、やるっきゃないよな〜と、がんばらねばと勇気がわいてきたんです。言葉は呪術! まんまと岡本太郎にはまりました。

川崎市の岡本太郎美術館 http://www.taromuseum.jp/

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