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オサルスのおすすめランチ ランチdeチュ その123

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ヒレカツ 1000円

とんかつ けやき
小平市学園東町丁目13番地18 号 TEL042-343-0231

西武多摩湖線の沿線にお住まいの作家のアトリエを訪ねて武蔵野まで。
武蔵野には、学生時代正味7年くらい通ったけれど、覚えている事といったら、やけに平らな地形に大きな樹木。特に欅は課題の風景実習で描いたから親しみがある。
欅はニレ科の広葉樹、秋になると紅葉して冬にはさっぱり葉を脱ぎ捨てて裸木になる。その姿は潔くてすがすがしい。そう語ったのは藤沢周平。
『静かな木』(新潮社)には、主人公が、夕映えに静かに立つ欅を見ながら、“あのような最後を迎えられればいい” 晩年を、この冬の欅のように静かで凛としたものであったらと思う様子が書かれている。
静かで凛とした姿には憧れる。そういう景色の作品に出会いたいといつも思う。出会いは2004年6月21日。10cm弱の寸法の磁器土で焼かれた作品からマクロな宇宙を感じて。作家の名前は “さかぎしよしおう” さん。今日はさかぎしさんのアトリエ+ランチをご賞味下さい。

・・・以前石膏の作品を拝見したのは覚えているのですが、焼き物は先日の個展ではじめて拝見しました。石膏から焼き物へはどういう切っ掛けで替わられたんでしょうか。

 「自然にですね。
僕は96年から2000年にかけて制作はしていましたが、発表をしていない期間があったんです。ちょうどその頃、友人に陶芸家の礒崎真理子さんの所に遊びに行くからと誘われて、その友人は僕の石膏の作品を以前から知っていて、僕に土をいじらせたら面白いんではないかという興味があったらしいんですよ。
僕は絵画科の出身ですが、絵画に限らずあらゆる素材に興味がありますし、作家ってチャンスがあれば何でもやってみたいじゃないですか。ですからもちろん焼き物も、学生の頃からやってみたいことの一つでした。
ただ、人生においてやるべき事は当然やるようになる” 自然にそうなるはずだと思っていましたから、自分から“やりたい、やらせて”とがっついて動くようなことはしてきていないんです。
誘われた時には、“ほら来た” とは思いました(笑)。ここから来たかという感じですね。
それで磁土を分けてもらって遊んでいるうちに、3年ぐらい経ちましたが作品として形を成さないんです。
こりゃぁ土には縁がないのかなぁと思い始めかけたんですが、その時何かもやもやと立ち上がってくるものを感じて、これはもうちょっとやってみると面白いかもしれないと、やり続けていたら今の形がポッコと出てきたんです。
石膏の仕事の時も、あれこれ試みて、ピッとはねた石膏から一気に展開していきましたから、それと同じような事が起きたんですね。
そして淡々と一年くらい制作していましたら渋谷のギャラリエ・アンドウさんから “最近どうしているのかしら” という電話をもらって、“どうしているも何も、ちょっといいのが出てきて興奮してモリモリ制作しているところだ” と、それでまた発表をはじめたんです」

・・・変ないい方ですが、作家にも社会の中で認められたいという願いを大前提にして行動する人と、逆にそうじゃない人もいる。
私は淡々と創っているかた、例えば恐山で石を積むように作品を作り続ける。崩されるかもしれないし、壊されるかもしれない。それでも積み続ける。創り続ける作家に興味があるんです。

「僕は本来的に制作意欲はありますが、発表意欲は殆どないんですよ。
人生を芸術で使おうと決めた時点から淡々と日々制作したい。もしくは、ものを創る時間軸に沿って人生をおくりたいんです。
所詮、俺が俺が・・・のミーイズムではどうにもならないわけです。
何故そういう考え方で人生が過ごせるのかといえば、少しカント的になってしまいますが、芸術そのものの凄みみたいなものを信じる・・・何処かで芸術が信心みたいなものになっているのかもしれません。だから発表して、作品で喰っていく事はたいした事ではないんです。まあ、作品が売れれば食べていける現実はありますし、売れる事はありがたいですが、別に売れなければ喰うための仕事をすればいいとも思っているんです」

・・・さかぎしさんの作品を拝見した時に、作品は小さいんだけど、凄くマクロなイメージを感じました。磁土を積み重ねていく行為が、生きる行為にタブってみえた。私は生きる事は何かを積み続ける事だと思うから。その行為は、淡々としているから意味がないように見えるかもしれないけれど・・・創る行為は生き方に通じると思うんですよ。

 「僕は、芸術というものを、ある種の生命現象のように捉えています。それはここ14、5年ずっと考えていている事なんですけどね。
“なるようになる” という言い方がありますが、もの事はまさに “なるようになる” と思うんです。なる事については僕が何かをならそうとする問題では無くて、芸術の系がそれを芸術たらしめるという事があるだろうと、その事をして芸術の媒体性と呼ぶんだと思っているんです。僕は作家として芸術の媒体性とはどういうものかという事を、死ぬまでに見えたりわかったりしたらありがたいなぁと思いますけど、それはわからない事かもしれません。でも一応そこに向かって作家としての人生を選んだのかと思うんですね。
かたや作品自体というのは生まれ出るものだと思いますので、生まれればそれでいいんです。作品は生命現象のように出てきてしまうものだから、今、創っているものは焼き物ですから、焼く時に割れてしまう場合もありますが、生まれるものは生まれるし、生まれないものは生まれない。それだけでいいと思います。作品が生まれてから後の事は大雑把な認識論で語れるものだと思うし、それを経済行為や現象に落とし込んでもいいと思います。
作品が生まれる事で、僕の作家としての仕事はOKになっていますから、発表意欲とか作家としての功名心みたいなものはどうでもよくなりますよね。ですから淡々と日々過ごせればそれでいい。ただ、アートシーンはそういう事にはなってないですけどね」

・・・アートシーンというものがあるのだとすれば、最新のものという幻想ばかりを追っているような気がします。俺が俺がといって幻想ばかり追っていても、アートはそこには無いと思うんです。


「現実社会の、人生の限られた時間の中でイメージして組み立て、喰い切らねばならないというバイアスが掛かっているじゃないですか(笑)。資本主義社会の中で喰っていかなければいけないとすると、アートフォームで、人生の収支を組み立てようとする考え方が出てきてしまうのはやむをえない事と思いますね。具体的にお金の量は物指しとして通用しますからね」

・・・それを否定するつもりはないんです。でも何かを創るという事は、例えば鍾乳石も天上の隙間から炭酸カルシウムを含んだ水が染み出してきて、鍾乳石や石筍になる事を考えれば、淡々とした行為の中からしか見いだせないと思います。思い出しましたが、さかぎしさんの作品をはじめて拝見した時に、鍾乳石が頭に浮かんだんです。ですから制作されているのを見たいと思ってアトリエに伺いました。ところでこのケーキの上に被せるようなものは何ですか?

「湿度を保つためのランチカバーみたいなものです。私の発明です(笑)」

・・・凄い(笑)。ある程度水分を保ってないと駄目なんですね。

 「乾いてしまうと乾いた所にはつかない。生乾きのまま作業を進めていかなきゃ駄目なんです。だから最初に石膏の板を作って、湿らせた状態で磁土を乗せていきます。
お茶碗とか器を作る人達も、轆轤を使って一発で出来上がらなければ駄目でしょ。あれは何日もぐじゅぐじゅとはいじれないんですよ。焼き物はなるだけ早く作業をするのが肝要なんですね」

・・・磁土の一滴を置いた瞬間から形は見えますか。

「大雑把に丸とか四角とか曲線とかという最初の形はあります。でもどうなっていくのかはわかっていなくて、5列の線ですか、いや6列でしたね。済みませんとか、いやもっと太くですかとか、え!もっと細くとか、作品にいわれればそうなっていきます」

・・・なるほど。

「5-6段積んだくらいで、何となくどういう風になるかわかってきますね」

・・・普通焼き物は割れると困るけれど、さかぎしさんの作品は生まれるものは生まれるし、生まれないものは生まれない。それは人と同じですね。

「ええ、そのように考えています」

・・・私は積んでいくリズムが、生命感を生んでいくような気がするんです。この一本一本が独立しているように見えて調和を保っている。ハーモニーを生み出すというか。今回の磁器も白だし、石膏も白、何か白にこだわりがあるんですか?

「意識していませんし、狙ってもいません。それも出会い方次第でしょうね。多分最初に行った陶芸家のお宅で赤土が出されていたら、赤土をいじっていたでしょうし」

・・・ひとつの作品が出来上がるまでには、どのくらい日数が掛かるんですか?

「このくらいのサイズで2、3週間です。この後乾かして、窯で焼きます」

・・・アトリエを訪問すると気になるのが、本なんですよ。哲学系にエロ系ですか。

「そうですね。哲学思想と、ニューサイエンスが好きです。あとはエロですね」

・・・私はニューサイエンスはアートに繋がるような気がします。

 「ニューサイエンスにはやられましたね。要するに西洋の科学的な体系はプラトンから始まった思想ですが、凄く還元主義的な視点から物事をねじ伏せるような思い上がりの態度が見えるんです。それでは絶対、生命エネルギーにはたどり着かないんですよ。勿論全員が東洋的なものの考え方をしろというのではないんですよ。
でもトップクウォークまでいって、さらにトップクウォークは何から出来ているかを考えている。そこにはどうにもならない壁があるように思ったんです。そうしたらニューサイエンスが、立て続けに出て来て、なんだわかっているじゃないか、と思いましたね」

・・・科学的世界観では世界の全てを数字に置き換える。
方程式に置き換える事ばかり考えて、脳を物質として数字に置き換えても、物質から意識が起こる問題は解決出来ないわけですから。
私は高校時代は物理も化学も大嫌いでしたが、最近脳神経科学の本を読むのは好きになりました。

千葉成夫さんも、もしかしたら脳の問題だといってました」

・・・全部脳の問題だと思います。

「僕はもうちょっと大らかに、違うステージでの体系があるんじゃないかという期待があるんですよ。つまり芸術というのは僕らが生きている社会に覆い被さるような、なにかこう、金網が積み上がっているような感じでひとつ芸術の層、系というものがあるんじゃないか。それを僕はイメージしているんです」

・・・少し話がずれるかもしれませんが、宇宙が誕生した遙か昔からずっと続いている遺伝子レベルの生命体の無意識の層みたいなものですか。


「それは多分ユングのいっているような話だと思うのですが、そうでは無くて新たに発生してしまうもの、ライアル・ワトソンのいうコンティンジェント・システムというのがあるんですが、今まで無かったんだけれど、新たに発生してしまう。それが発生した以上は、新たな編み目が広がりますから、インターネットと同じです。
今まで無かったのに新たな意識が発生してしまったならば、全人類的に普遍性をもってしまう。それが芸術の仕事なんではないか。つまり作品が語る語らないでいえば、万民に語らなくてもいいんです。僕の作品が100人いたら100人にわからなくていいんです。10000人いたら10000人にわからなくてもいいんです。でも僕の作品は生まれてしまっているんです。これが生まれてしまった以上、この世の事物として存在してますから、ここの意識は人類共通のものとして覆い被さりますから、全然僕とは関係ない所で今まで無かった美意識がそこに起きるかもしれない。今までそういう事が無かった社会に、この美しさが起きてしまうかもしれない。そういう意味で新たに発生してしまうんです。積み重ねとか経験とか集合的無意識のように全員が共有しているものでは無くて、そのようなイメージに近いんですが、発生していってしまうんです。
僕はそこに何かロマンチックな思いを込めて意義を見いだしたいなと思っています」


・・・発生した事によって関係性が変わるという事でしょうか。そこで何かが生成するんですね。


 「おそらく。だから僕の作品が直接受け入れられなくてもいいわけです。起きてしまっていれば、僕の芸術観的には、ここで発生してしまっていれば事足りているんです。だからそれ以降の発表とか売れるとかはどうでもよくて、勿論現実問題はちゃんと直視しようと思いますから、丁寧に対応しますけど、芸術の問題においてはそれ以降の事はどうでもいいんです」


・・・なるほど。だけど正直にいえば、わかるといっても漠然とだけど・・・ライアル・ワトソンの本(『生命潮流』と『ネオフィリア』)には興味があるので今度読んでみます。

それではお薦めのお店を紹介して下さい。

「え〜と。こちらの中華料理屋さんなんです」


・・・え! 工事中ですよ。


「あ〜! がっかり。 評判がいいせいかお客が多くなったので改装したんですね。すみません。今考えます。若い男子学生だったら絶対お薦めの店があるんですが、この状況じゃ違うな」


・・・残念ながらお薦めのお店は今日は工事中でお休みでした。
代打はトンカツ。“けやき” というお店です。

「ここもネットでは紹介されてますから、そこそこ美味しいと思いますよ」 とさかぎしさん。

オサルスが注文したのは油の少ない小さなヒレカツ(盛り合わせに南瓜、ウズラの卵、キャベツにポテトサラダ、ご飯、みそ汁、お新香つき 1000円)
トンカツは、付け合わせのキャベツが大量にあるのが嬉しい。小さいサイズでも、本当にもの凄いボリューム。

 「もらいますよ。私はいくらでも食べますからね」

総コレステロールが多いと注意されたオサルスは、食べきれないので、少しさかぎしさんに肩代わりして頂きました。
カツに大根おろしをつけて、うん、油っこくなくて美味しい。サクサクでさくさく食べれる美味しさですよ。代打といえども侮れない味です。

・・・さかぎしさんは、食べ物で何が一番お好きなんですか?

「肉ですね、肉(笑)。何といっても肉。スタ丼大好き」

・・・スタ丼とは?

「え? ご存じない(笑)? スタミナ丼。多摩地区の定番ですよ。スタ丼はご飯が1合半なんです。僕は20年も食べてますから、今はハッタリかまして2合といってますが、1合半です。そこは大盛りを頼むと3合でてきます。公称は4合といってます。昔は大盛りが食べれましたが今は公称2合でいいやと」


・・・え〜え〜え〜。3合も一度に食べるんですか。アンビリバボー。凄いですね〜。
では、最後にトンカツの感想を一言御願い致します。

 「人生は静かなる河の流れの如し」

ありがとうございました。
αM プロジェクトVol1さかぎしよしおう展のリーフレットの最後にさかぎしさんが書かれた “蟷螂の斧(とうろうのおの)” という短い文章が気になりました。蟷螂の斧とは、“蟷螂(かまきり)が獲物を狙う時に前の両足を頭上にかざす姿が、斧を振るうのに似ている事から、弱者が自分の分や力をわきまえないで、ただ気ばかり壮にして大敵に当ったり、盲進したりする事” をいうのだそうです。なんかオサルスの事をいわれているようで・・・オサルスも身の程をわきまえないからなぁ。
前出の『静かな木』 の主人公の最後の言葉じゃないけど。ー生きていれば、よいこともある。と思う事にしているんです。どうせなるようしかならないと思うからね。

αM プロジェクト http://www.musabi.ac.jp/ampj/

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