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オサルスのおすすめランチ ランチdeチュ 番外編

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 main というPhoto Magazine を知っていますか?

 Photo artist の石内都さんと楢橋朝子さんの写真同人雑誌です。
main の由来は、
“二人のイニシャルを合わせたら【main】になった。仏語で【手】を表しマンとよむ”
と創刊号のお二人の対談に記されています。
 創刊号の表紙は楢橋さんと、石内さんの顔半分のアップ。モノクロで結構怖い表紙(失礼)だけれど、まっすぐな視線はお二人の生き方を表しているようで、見た目は薄い雑誌なのに、手にずっしりと重みを感じてしまいました。

オサルスもこの雑誌をまとめて読んだのは今年の10月下旬。
え! 何故知ったのか? 
では、ご説明致しましょう。

 このストーリーは、9月30日の夜からスタートします。
ほの暗いバーの一角、その会話がどういう流れで交わされたのか記憶が定かではないけれど、横浜のどの辺で生まれたのかと聞かれ、生まれた近辺には昔 “赤線地帯” と呼ばれていた場所があったと答えた覚えが・・・。

「そこには行った事があります」

 意外な返答に、その人の顔を覗き込むと、「写真集が出ているから見て下さい」 といわれた。
その時から写真集を探し廻り、やっと見つけたのは、美術館の図書室だった。
写真集の名前は「連夜の街」 、撮影者は石内都さん。

 実はオサルス、この元遊郭の側で幼少から思春期を過ごしたことは事実なんです。

※ この写真は残念ながらオサルスショット

 だからオサルスにとっては、9月30日の石内さんと、それからの石内さんの作品との出会いは衝撃的だったんです。そして資料を集めていくうちに出会ったのが main という Photo Magazine 。
この雑誌の視線は、おこがましいけれど実はオサルスが目指しているものとクロスします。
何故かといえば、私は美術、表現は個人からしか生まれないという思いと、“今・ここ”としての日常は創造を発信する源だと思うからです。

 今日は石内都さんにお話をお聞きしました。
石内さんのお薦めは・・・実は手料理。
まさか、石内さんのアトリエに伺って、こんなに美味しい手料理をご馳走になるとは、アンビリーバボー。
では、いただきます。

「どうぞ。今日のお薦めはこの二品なの。菊と春菊の和え物に○○の白和え。中身はなんだか当ててみて!」

今まで白和えは食べた事がないので?

「柿なの。秋らしいでしょ。この菊も亡くなった母が丹精込めて育てた庭の花なの」

いや〜。秋らしいもなにも、脱帽です。ここまでお手間をかけさせてしまい恐縮、面目ない。
オサルスも果報者です。凄い7品目もある。
しかもお豆のご飯に鴨南蛮そば。

「はじめて来られた方には、鴨南蛮そばをごちそうするの」

プロ顔負けの美味しさですよ〜(^o^)。
お茶を一口いただいた時から、“おぬし出来るな”と気づいていましたが。お料理を頂いて、参りました! お見事!

でも手料理では、お薦ランチというわけにはいかないので、う〜ん。困った。

ご心配なく。2005年は石内都 year。

2005年1月15日 - 2月17日 “Mother's” 個展 サードギャラリーAYA
2005年1月20日 同時発売 写真エッセイ集 「キズアト」 ( 日本文教出版 2400円 税別)
  写真集 「SCARS」 (蒼窮舎 4200円 税別)
 
2005年5月21日 - 6月18日 “イノセンス”個展 ツァイト・フォト・サロン (http://www.zeit-foto.com/
2005年6月 イタリア ベニスビエンナーレ日本館での個展が決定

どうですか。お薦めするものが盛り沢山でしょ。

・・・先日 main をはじめて拝見しました。BOOKを紹介するコーナーや GUEST ROOM でのインタビュー。途中4号でやめられてしまった MY FAVOURITE (笑) のコーナーなど。もう4年前の雑誌だけれど、今拝見しても凄く新鮮で面白い雑誌ですね。刊行当時に拝見できなかったのが残念です。

 発見して頂ければ時間はいつでもいいですから。

・・・何故お二人で作ろうと思われたのですか?

 私は写真集は結構いっぱい作っていたんですけど、写真集ではない印刷物にある種の興味があったのと、雑誌形態の軽い感じの印刷物が出来たらいいなと漠然と考えていたので。丁度楢橋さんが、自分の写真は自分の場所でやるという主旨で、自主ギャラリー (03FOTOS) を作ったので、何回か通っている内に、そこをひとつの場として二人でPhoto Magazineを作ってみようという雰囲気になって、じゃあやってみようということになっていったんですよ。

・・・購読数はどのくらいだったんですか?

 500冊しか作らなかったから、定期購読は200人くらいいたのかなぁ。一応定期購読者に向けて作ったから、あまり売っていなかったんですよ。ただし 03FOTOSで 定期的に二人展をやっていたから、その時は結構売れました。

・・・1996年から 2000年まで4年間で10冊だから、年間3冊ですか。

 一応2年間で10冊の予定だったんだけれど、段々延び延びになって4年も掛かってしまったの(笑)、でも取り敢えず10号までと決めたからには、彼女も私もまじめなものですから、10冊作ろうと思ったんです。面白かったのは雑誌というのはup to dateなわけですよね。偶々その4年間は、彼女も私も色々な事がいっぱいあってね。
 ですからひとつの記録みたいな形で、今から考えると残ったかな。やはり書き留めておく事が良かったなと。雑誌は文章の占める割合が大きいから、写真よりも文字の方が・・・。

・・・どうしても読みますよね。

 そう。それは発見でした。楢橋さんはあまり書かなかったけれど、私は書けるだけ書こうという感じで。そうしたら結構書けてしまったの。1月20日発売の 「キズアト」 にも main に書いたものが載りますよ。

・・・main を読んでない方も読めるので楽しみですね。
石内さんは文章がとても上手い方だから。

文章を誉められてもねぇ。写真を誉めてよ(笑)。私は写真があって文章が出てくるのよ。

・・・勿論写真は別です。でも写真があって文章があると凄く読みやすいですよね。

あれは糸口だから。

・・・ただ写真の細かなテクスチャーは、実際作品の前に立ってみないとわからないと思うんです。写真集は印刷物だから、写真としての伝わり方がイマイチつかめないような気がするんですが。

 私は写真と写真集は別のものとして考えているから、写真はオリジナルプリントを見て欲しいけれども、本は物語ですから、だから同じタイトルでも、各々自立しているものだと思っているんです。
例えば写真集には、手にとって見る距離感ってあるでしょ。それとページをめくる感じ、それに写真とは、大きさも違うし伝わり方も全然違う。
そういう意味では映画的なものかなと思っています。写真集はそれを意識して組んでいるんですよ。
写真と写真集を同じ風に考える人もいると思うけれど、私は全く違うところにあるものとして考えていますね。

・・・なるほど。ところで、先日 横浜写真館展
(2004. 10/2 - 11/10 BankART1929 横浜市中区本町6-50-1 http: //www.bankart1929.com)のレクチャーで、初期の三部作 「絶唱・横須賀ストーリー」 「アパートメント」 「連夜の街」 から 「1・ 9・4・7」 「SCARS」 まで時代順に編集されたDVDを拝見しましたが、作品の流れがとてもよくわかりました。ご自分の中では、ある程度意識されて制作されていたんでしょうか。

 自然に引き込まれて撮っていく中で、振り返って見たらああいう事だったんです。撮っている時はわかりませんよ。初期の三部作はそれなりに完結した意味があって、私の抱えている問題が三つあったという感じなんだけれども、写真というのは写真を撮る以外の何かを感じなければ駄目なものなの。その時にそれまでわだかまっていたものを全部吐きだしてしまったから、写真はもうどうでもいいやという感じがあったの。
 だから「1・9・4・7」に辿り着くまでは、約10年くらいブランクがあった。写真は撮っていたけれど、もうひとつ手応えがない感じ。

 そうして40歳を迎えて、さあ、どうしようと思っていたら、手と足に出会った。
40年間の時間が見えるかもしれないと思って、まず自分の手と足を撮ってみたの。それが見えるのは、多分身体だろうと思ったわけよ。手というのは何かを作る場所。コミュニケーション出来る場所だよね。それの対として足が自然に出てきたの。で、足っていったいなんだろうと思った時に、40年間のその人の全人生を支えているわけでしょ。
足の裏のたった24-5cmしかない小さなものが、私の全人生を支えて今まで生きてきたんだと思ったら、凄く愛おしい気持ちになってね。私ひとりではちっぽけなものだけれど、そうか同い年に生まれた女に会いに行こうと。
いってみればもう一人の自分みたいな形なわけだからね。それからどんどん人間を撮るようになったの。それまでは全然撮った事がなかったから。あ! でも人といっても皮膚や手と足だから。

・・・足の指とか裏は自分であまりじっと見ませんものね。

足は眼から一番遠いから見ないでしょ。ましてや人の足はね。

・・・いや〜。私は暗い性格なので下を向いて歩く癖があるんです。だから夏なんかはかなり人の足を見ます。でも足は不思議ですね。凄く顔がきれいな人でも、汚い指をしていたり、だから自分では絶対サンダルは履かないようにしてるんですよ(笑)。

「1・9・4・7」 が出てから、皆足の手入れをはじめたの(笑)。取り敢えずクリームくらいつけようかと(笑)。

・・・そういえば今回横浜写真館展に展示された「Bay Side Courts」の壁は皮膚ですよね。

 表面の時間が溜まった壁のディティールね。肌みたいなもの。元々そういうものには興味があったけれど、撮っている時はわからないのよ。今回はじめて建物とからだのキズを一緒に並べたんだけれど。昔撮っていた建物をそういう風に私は見ていたのかというのがわかったの。

・・・並べて意識したという事ですか?

 自然とそうじゃないんだろうかと(笑)。ひとつひとつの答えが見えて来るわけですよ。
 だって「絶唱・横須賀ストーリー」も、あれはいったい何だろうと思うじゃない。あのひどい撮り方にしても粒子ぶつぶつにしてもね。でもあの時は私は、ああいう形でしか見えていない。結局街が負っているキズを撮っていたんじゃないんだろうかと、人間のキズを撮りはじめてわかったわけ。

・・・なるほど。

 写真に出会ったのは偶然だけど、まあなんか昔織物やデザインをやっていたのが、全て写真にプラスになっているね。デザイン科で嫌々やっていたのが身に付いたという感じかな。

・・・デザイン科だったんですか。

 昔は、織りとか染めはデザイン科から出発して、二年になって細分化するのよ。
私がやっていたのは、糸を染めて、その糸を機織りにかけて織物をする旧態然とした事だったけれど、それが非情に写真にプラスになったわね。
何故かというと糸を染める時に色どめに使う薬剤が、写真の停止液と一緒のものだったから。
だからはじめて暗室に入った時に、そうか写真は染め物なんだと思ったの。
それに粒子は縦糸と横糸の接点みたいなものだから。

・・・記憶もそうですよね。縦糸と横糸を編んで記憶が作られていく。mainに「消える街」の連載がありましたが、私が子供の頃に住んでいた街を思い出すと、思いこみといわれるかもしれないけれど、あそこには闇みたいなものが覆っていたような気がするんです。今はもう様変わりしていて、あの時の街は消滅してしまっていて、もう私の記憶の中にしかないのはわかっているんです。それも何回も焼き直されて出てくるから最初の原型を留めていないのかもしれない。でもさっきおっしゃった接点の部分が凄く気になるんです。

 闇の部分が気になるという記憶を覚えているという事は、意識があるという事でしょうね。
私の横須賀にしても、子供心に何か変だなというクエッションマークがいっぱいあったんですよ。少女の時期というのは独特の感性があるから。大体私は12、 13歳でもう終わりだなと思ったの。その頃考えていた事が一番凄い事だと思ったから、別に勉強しなくても何かわかってしまうのよ。世界がパーと見えてしまったり。
思春期には感受性が強くなるという事だから、それに対して凄く傷ついたり。その感覚というのは一人一人違うと思うんですよ。まあ、記憶の在り方も皆違う。記憶といっても結構自分の都合のいいように粉飾しているのかもしれないしね。

・・・皆そうかもしれませんね。

 物語を作っている感じは当然ありながら、ただし “今” それを思い出したり記憶が蘇るという事は、“今”、私はどうしているのかという事の照り返しだから、記憶というのは、どう考えても“今”の自分なのよ。それがふっと見えた時に、それが写真の意味とか本質とかに近いところがあるかなという気が凄くして。
写真は人を撮っても皆遺影になるしかないんですよ。死に近いものとかね。 いろんな表現の中で写真がそれに近いものかもしれない。写真を撮ったり見たりする事自体が、なにか人間の根源的なものに一番近づく方法なんではないかという気がします。

 それに私の場合は、街はマイナスの思い出なの。ネガティヴなマイナスの思い出しか興味がないというか。そうすると何でマイナスなのかという事じゃない。それを考えていくと具体的に写真を撮る行為に繋がっていくんじゃないかと。
その場所に行ってみた所で何もないんだけれど、でもふっと立ち止まった時の感覚みたいなものは、蘇ってくるわけだよね。それは昔が蘇るんではなくて、“今・ここ” に立っている自分を客観的に見ている自分みたいなもの。それが写真的行為に近いのかなという気がしますけどね。

・・・メタ認知という事ですね。

 ただ私は、それは撮っている時ではなくて、暗室でプリントしている時なんですよ。
暗闇(くらがり)の中で一人でずっとプリントしているからこそ何か記憶がどんどん蘇って来る。
焼き付いた写真そのものを見ると、私の昔の姿が何処かに写っているような感じがする。私の最初期の写真はプリントするのに時間が掛かった事もあって、焼き上がるのをその間じっと待っていなければならない。その間に色々な事が思い浮かんでくるというのかな。
暗室はものを考えるにはとってもいい場所なのよ。

・・・非日常という言葉を使われてますよね。

 だって変じゃない、昼間暗くして(笑)。真っ暗にしなければいけないの。針の穴一本でもいけないわけ。「真っ暗になったかな」とじっとしてしばらく佇むわけですよね。でも昼間に真っ暗闇を作る感覚は中々面白いよ。

・・・今までお話をお聞きしていて、年をとるという事は、自分のやって来た色々な点が、線に繋がっていく事なんだなと思いました。

 そんないろんな生き方は出来ないから、ひとつしか生きられないじゃない。だからとんでもなく外れていないのよ。例えば右と左をどちらか選ばなければいけない時は、無理な方を選んではいない。長く生きているのはそういう事が続いているわけだから、年をとるのは面白いよ。
 最近になってわからなかった事が、少しづつわかってきたり。両親が亡くなった事を含めてやっと大人になった感じかな。作品に対してという事も含めて責任感が結構出てきた感じはするわね。
私は写真にはこだわる必要はあまりないと思っていたから、いつでも止めてもいい気持ちで、わりと軽い気持ちで、軽いというのは変ないい方だけど(笑)、こだわる必要はないと思っていたから、でもやっと最近「そうか写真はけっこう面白いな」というか、私にはむいていたかなと思うわね。もう何年やっているかしら、27年やっているわ。

・・・では最後に来年のベニスビエンナーレについてお聞きしたいと思います。
確かmainの9号に、はじめてイタリアに行かれた時は、「ベニスは真っ暗だった」と書いてありましたが(笑)。

 あの時はじめてベネティアに行ったの。サンマルコ広場には午前0時に着いたからね。今度のエッセイ集には、その話も入るんじゃないかな。あの文章は結構評判がいいんですよ。

 丁度ビエンナーレをやっていたので見て、それがまさかこんな風に繋がっていくとはね。でもね。何となく予感はあったの。あの空間を見た時に。
 来年早々に下見に行くんですよ。壁を作らなければいけないし、点数と大きさも決めなければいけない。空間を創り直さなければいけないから、それがたいへん。

・・・展示内容は?

 メインは “Mother's” です。それと5月に ツァイト・フォト・サロンで “イノセンス” という新作を発表するんですが、それが入るかな。

・・・“イノセンス”?

女性のからだのキズです。女性の抱えているキズは結構重くてね。半端には撮れません。

・・・変な質問ですが、キズのある方にどうやってお願いするんですか。雰囲気でわかるんですか。

 それはわかりませんよ。洋服着ているもの(笑)。はじめはね。キズありますかって聞いてましたよ。でも最近はキズを持っている方から話しかけてくれるんです。先日ある対談の後、5、6人の人から撮って下さいといわれたの。

・・・ええ! そうなんですか。

 少しづつそうなっては来ていたんです。ある情報的に私が、キズを撮っているというのが流れているという事でしょう。国立近代美術館での展示が大きかったんじゃないかな。国立だから信用してくれるんじゃない(笑)。その時も会場にキズを持っている人が見に来てくれて、やはり自分のキズは気になるわけですよ。だから私はキズを持っている人に発見されているんです。

・・・私は、石内さんは、“街の匂い” や “気” がわかる方だから、キズもその人を見ただけでわかるんじゃないかと思ってました。

それじゃ透視だよ(笑)。それはないですね。

・・・今回のベニスビエンナーレは1976年の写真家の篠山紀信さんの個展以来、29年ぶりの写真家の個展ですもんね。凄い。

 あの時代とは違うけどね。コミッショナーとアーティストが女性というのははじめてです。彼女と私の共同作業という事だから、一対一で何処まで出来るかわからないけれど、オーソドックスでハードな個展を考えています。

がんばって下さい。応援してます。
今日はどうもありがとうございました。手作りのお料理ご馳走さまでした。

石内さんは、とても細やかな心使いをされる方。頭が下がります。

 実はアトリエで暗室を拝見させて頂き、また新作の “イノセンス” のデモプリントも拝見致しました。凄いですよ。今はチラッと、オサルスのぼけた写真でしかお見せ出来ないのが残念です。
乳ガンで両方の乳房を手術で切除しなければならなかった方の作品は、とにかく凄い。食塩水が入っている乳房なんですが、いくら魅力的なバストを持った人でも、言葉を飲み込んでしまうくらい燦然と輝いているんですよ。撮らせた方の覚悟。撮った石内さんの覚悟を見る思いがしました。

「相手は自分の照らし返しだから」 と石内さん。

オサルス感服致しました。

石内都 マザーズ2000-2005 未来ミライの刻印 出版社:淡交社 出版年:2005

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