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オサルスのおすすめランチ ランチdeチュ その128

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季節の欲張りアシエット 1160円

noosphere
東京都港区芝5-20-20春日ビル2F・3F TEL03-5730-0881

http://www.noosphere.co.jp

【 5年前から毎日、自分の顔と東京タワーを撮っている(このため、めったに旅行へ出 なくなった)。
天気のいい日には、近所の景色を撮ったりもする(太陽の光が好きなのだ)。
とくべつな意図があるわけでも、とくべつなナニかを写してるわけでもない。
ただあるとき、自分のうしろに堆積しているはずの膨大な時間を消え去るに任せておくのが勿体ない気がしたのだ。
カメラは記憶を写せない。
写っているのは記憶になる前の、得体の知れない「時間」だ。
写真は「時間」を、手にとることのできる「物質」に移しかえる作業だと思っている。】
東京駅アートウォール『生活』("A Life.")より

ネットで見つけたこの文章を読んだ時に、確かに写真は時間を物質に変える作業かもしれないなと納得。
書かれた方は鷹野隆大さんです。

鷹野さんといえば、先日あるオープニングで声をかけて頂いて、坊主頭の知り合いは多いけど、見慣れぬ顔に誰だっけと暫し沈黙した覚えが・・・。

申し訳ない。

鷹野さんとの出会いは2002年10月の個展(http://gaden.jp/info/2002/021015/1015b.htm)。
作品のコンセプトをお聞きすると「エロスの垂れ流しみたいな・・・」と答えてらしたのが印象に残っていました。
だから性差を撮り続けている方だとばかり思っていたので、日常のスナップショットも撮っていらっしゃるとは思わなかったんです。
エロスと日常、鷹野さんのなかではどういう風に結びつくのでしょうか。
今日はPhoto artistの鷹野隆大さんにお話をお聞きしました。

・・・確か 早稲田大学政治経済学部卒業と画歴に書いてありましたが、早稲田の政経といえば東大と同じレベル、官僚にも経済学者にも政治家にも成れたのでは?

 いきなり、すごい展開ですね‥‥。そもそも、そういう発想は全く無かったんです。たまたまそこに受かってしまって。本当は文学部に行きたかったんですが落ちてしまったので。

・・・写真との出会いを教えて下さいますか?

 大学の4年生の時に舞台写真を頼まれまして、それが凄く面白くて。
 そのちょっと前から絵を描くのが好きで描いていたんですよ。
 でも技術が凄く必要じゃないですか。
 僕は一瞬で過ぎ去る街角の風景とか、人の動きなど・・・きちっとしたデッサンが必要な絵を描きたかったんです。それで暫くデッサンをしていたんですが、そ んなに直ぐに動きを現す事が出来なくて、困ったなぁと思っていたんですよ。
 ちょうどその時に写真と出会いました。写真は、シャッターを押せば一瞬で絵が一枚出来るでしょ。そのスピード感がたまらなかったんです。安易といえば安易なんですけどね。

・・・それは写真は時間を切り取るような要素がある。そこに興味があったという事ですか?

 最初は人の活動、生きていく姿に興味があったような気がします。

・・・そうすると“Twelve Messengers(十二使徒)”や“電動パラパラ”に見られるような、男性と女性の性差を、すげ替えた作品はどのような動機で出てきたのでしょう。

 変わったのは90年頃です。よくある話かもしれませんが恋愛が転機ですね。人と人が濃密に関係するわけだから、きれい事じゃすまないじゃないですか。
 何ヶ月も口論を繰り返して、それはもう、階級闘争のようだったと、あとで思ったくらいです。その中で、最も激しく要求されたことのひとつが、ある種の男らしさのイメージだったんです。自分にそんな役が引き受けられるかわからないままに、それなりの努力をしたつもりだったのですけれど、闘争は泥沼にはまるばかりで‥‥。
その時に思ったんです。相手は何か別の幻想を見ていると。

・・・今の文化のなかですり込まれた男性像ですね。

 そうだと思います。そして、それはそのまま僕自身にも帰って来る問題なわけで。
それ以来、当たり前だと思っていた事がとても気になり出して‥‥。

・・・では、そのすり込みを取り払った素のままという解釈で表現されたんでしょうか。

 素のままという意味では、2000年の個展 「ヨコたわるラフ ( " Reclining Woo-Man" ) 」(http://www.gaden.jp/zeit-foto/artist/ryudai_takano.htm)が近いん です。

・・・" Reclining Woo-Man " の方が前なんですか?

 実際はじめたのは95年の暮れからなんですが、中々モデルさんがみつからなくって。探してはいるんですが、裸になってくれる男性がいないんです。誰か知り合いにいたら、ぜひ紹介して下さい!(笑)

・・・あのタイプのモデルを探すのはたいへんそうですね。私は写真は三つに分かれているから合成なのかと思っていました。

 基本的に写真で合成とかはしたくないので、一切使わないです。

・・・"Reclining Woo-Man"は、すり込まれた男性像のアンチみたいな意識ですか。

 アンチという意識は僕のなかではないですね。そういうものを超えて何かを見ようとしたり、見えたりした瞬間をとり上げたつもりなんです。むき出しの現実 とでも言いますか。
 で、その後ですね、今の流れになったのは。2002年の個展 " Twelve Messengers " もそうですが、世の中には、性ファンタジーみたいな流れが確実にあると思うので、そういうものと、より直截に向き合いたいという思いから制作するようになりました。

・・・なるほど。

 お待たせしました。

 季節の欲張りアシエット(お豆といわしのバジルマリネ、里芋のローズマリー風味のロースト、シーザーサラダ、地鶏のゆずコショウ添え、ごぼうと春菊の スープ+パンorライス 1160円)でございます。

 今日はごぼうと春菊のスープだったので、オサルスは学校給食のトラウマでごぼうが食べられないからとお店の方にお願いすると、スープをジャガイモのポタージュに変えてくれました。凄く親切なスタッフです。

 こちらはJR田町駅から歩いて3分。2003年の5月に開店。まだ一年半の若いお店。
木の温もりがやさしい。ヨーロッパの家庭をイメージするイタリアンのカフェ・ダイニング。

 noosphere の意味は「精神園」という意味。
 フランスの神学者シャルダンの「人と人の気持ちが繋がり、絡まり合うと地球は意識圏というものでひとつに覆われる。情報や感情を共有でき、そこから新 たな可能性が生まれる」という考え方らしい。

 食材は全てオーガニックというこだわり。

・・・このシーザーサラダの水菜は美味しいですね。

「これルッコラですよ」

・・・あ!水菜じゃないんだ(おいおい)。普通ルッコラはもっとクセがあるものだけど。
実は、このルッコラは田無にある新倉ハーブ園で栽培された無農薬もの。新倉さんはハーブを作って20年、意欲的に東京の農業に取り組まれている方です。生産者がわかるお店は信用できますよね。

 料理もさる事ながら、ホームページが面白いんですよ(http://www.noosphere.co.jp)。
 マウスをスタッフの顔に合わせると、ほら面白いでしょ!

 「たまにしか行かなくても、久しぶりですね。と声をかけてくれるお店なんです」と、鷹野さん。

 ニコって微笑んでくれるこういうスタッフがいるお店は繁盛、マチガイナイ!

・・・先日、2003年の東京駅アートウォール『生活』("A Life.")のスナップ写真と文章をネットで拝見して、どうしても性差の作品との接点がつかめなかったものですから、色々とお話をお聞きしたかったんです。

 東京駅アートウォールの作品とツァイト・フォト・サロンでの作品は流れとしては全く別のものです。ただ撮っているのは僕だから、ふたつにずれがあるようには思わない。ツァイト・フォトや美術館で発表している作品は、基本的に今自分が一番興味のある部分を特化したものなんです。
 東京駅アートウォールに出したような日常の作品(毎日写真と呼んでいるのですが)は、考えずにシャッターを押すという作業を繰り返す事で、自分を確認 しようとしてるんです。

・・・日常を撮るという日々の繰り返しから蓄積された膨大な時間が見えるわけですね。

 そうだといいなあと思います。最近ようやくまとめ始めたばかりなので、正直なところ、自分でもよく検証できていないんです。そもそも撮り始めた切っ掛けは、当時は、作品を創ろうと思って撮る時以外は、撮らない日々がたくさんあって、間がすごくあくわけです。それが何か違う なって。
 最初はただの記録を積み重ねるつもりだったんです。だから写真にも全部日付けを入れてました。一応サブタイトルもつけていて、それが『50年後の日本人のために』。でも、続けるうちにだんだん思い入れが強くなって、日付けも外すようになりました。同時に、記憶との関連についても考えるようになりましたね。

・・・ただ、写真は流れていく時間を切り取る作業。記録にはなっても記憶とは違うような気がします。何故かといえば記憶は自分で作り替えてしまうじゃ ないですか。

 うーん、僕は毎日写真を撮っていて、記憶になるかもしれない風景のひとつと思いながら撮っているんですけど。でも、実際それは記憶じゃない‥‥あえていうなら、やはり、時間のかけらかなぁ。
ただ、僕が時間の流れを感じる時といえば、過去を振り返る時なんですが、そんなときは記憶の中の光景をいくつか、次々に思い浮かべています。そのとき願うことは、思い出すひとつひとつの光景はできるだけクリアーであって欲しいということです。毎日写真には記憶を補助する役目も期待しているんです。そして、自分の写真が他の人の記憶の手助けにもなったら、とても嬉しいです。
話はそれますが、自分がいなくても世界が存在する事を上手に確認したいなと・・・よく考えるんです。カメラを使うようになって思った事ですが、今まで自分を中心に世界が廻っているような意識が強かったなって。でも世界はそんなものではないし、自分と関わりなく存在してドンドン動いているわけだし。

・・・たしかにこの世界というのは、自分が見なければ自分にとってはないのと同じなわけだけれど、一方、それをある種離れた部分から見渡す事によって見えてくるものがあるように感じます。それがものを作る表現に繋がっていくのではないかと思うんです。
まあ、今生きている文化は身体にすり込まれているし、そこからは出られないですけどね。
ところで、私は拝見していないのでわかりませんが、2004.02.28[土]→04.11[日]の群馬県立近代美術館の“日常の変貌”展の展示では、性器の部分は、裏側に貼り付けてあったというのを何処かで読んだ事があるんです。

 ええ、以前東京都写真美術館で展示したのと同じシリーズなんですが、表向き性器は見えないんですが、実際は全部撮影しているんです。下半身を撮る時は性器を上に向けた状態にして、上半身を撮る時は下りた状態にするんです。
そして上下とも性器のところで切り取ってつなげると、表向き性器が消えてなくなるんです。で、切除した性器を捨ててしまうのはなんだか忍びないので、作品のウラに貼付けたんです。そして、つないだ部分に少しだけ隙間をあけ、覗き込むと鏡に反射して見えるようにしたんです。それを見た人は自分の顔も見えてしまうんですが、「それがどうも気になる」という人もいましたけど(笑)。

・・・何で日本は性器を写したものは駄目なんでしょうね。メイプルソープの日本での展示も70年代後半のヘルムートやジョーの局部のシリーズは展示できなかったんですよね。

 メイプルソープに関しては、昔、(男性器の写った)写真集を国内に持ち込もうとして関税で没収された人が裁判を起こしたんですが、結局負けてしまいました。その判例がありますから、やろうと思えばいつでも取り締まれる状況にはあります。警察は判例を楯に出来るんです。ただ法律的には猥褻物を陳列しては、いけないという法律があるだけで、猥褻物が何かという規定はないんですよ。だから解釈の仕様によっては何でも可能なんですよね。

・・・え! 何でも猥褻物にしようと思えば出来るんですか?

 ええ、可能なんです。警察官僚の運用次第なんです。そのあと確定するのは裁判ですけど、法律に詳しい方にいわせると、裁判にもっていくのは警察もたい へんだから、とにかく取り調べで搾って、絶対にするなという形で示談で終わらせるケースが多いらしいんです。

・・・絶対に示談にしたくない場合はどうなるんでしょう?

 御上に楯突くのかおまえは! って、徹底的に潰しにかかるんじゃないですか(笑)。
ヘアー解禁というのは、『とりあえず取り締まりの対象にはしないよ』と、何となく暗黙の内にいっただけの話で、状況が変われば駄目だと急に変わる可能性もおおいにありますよ。

・・・なるほど。

  ただ判決は別ですけどね。判例が出てしまったら取り替えるのは凄くたいへんですから。メイプルソープの裁判は、だからとても重要なんです。

・・・日本の性器を見せては駄目だというモラルも、すり込み作業で思っているだけかも知れないですけどね。

 そうですね。性欲の向かう先とか、出所とか、そういったもののすり込みがかなりあるんじゃないかなと。僕も次のテーマとしてそちらにより焦点を当てて取り組みたいと思っているところなんです。

・・・そうするとこれからのご予定は?

 3月にツァイト・フォト・サロンでの個展が決まっています。新しいシリーズなんですが、路線は基本的には変わりません。ただイメージは白黒です。

・・・何故白黒?

 今回はハッキリとファンタジーがテーマなんです。白黒の方がファンタジー性が強いので、白黒の方がいいかなって。

・・・カラーだと現実に近づいてしまうからですか。

 そこまでいわれると(笑)。現実に近づくかどうかわからないですけど。何となくこれは白黒だなっていう感じです。理由づけとしてはやっぱり、白黒は ファンタジーだからだと。

・・・今お持ちのカメラが愛用のカメラなんですか?

 いつも持ち歩いています。コンタックスなんです。

・・・デジカメは使わないんですか?

 デジカメを否定しているわけではないんですが、何かまだ信用していないんです。デジカメはコンピューターを経由しますから。コンピューターは電脳でしょ。だからそこを経由する作業は危険なんです。
僕にとってカメラは脳の外にある世界を確認するための道具なんです。脳というのは「見たいものを見たいようにしか見ない」という自分のファンタジーで 凝り固まっていますから、そこから抜け出すのは簡単じゃないと、わかってます。でも、一歩でも脳の外へ出たい! 

ここから一気に3月17日(木)にワープ!

鷹野隆大 関連情報 2005.3 2005.3_2 2002.10

鷹野隆大 IN MY ROOM 出版社:蒼窮舎 出版年:2005

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