|
|
||||||||
since1995年と、名刺に記した年。 え! 何それ? オサルスがネットを始めた年なんですよ。 しかしこの10年間色んな事があったけど、今振り返って見ると、見方が偏っていたかもとちょっと反省・・・。 Because 最近 Photo artist の方のインタビューをさせて頂いてから、“写真は作家の世界の見え方” だというのはわかったような気がするんだけれど、結局私はこの10年間写真をきちっと見ようとしていなかったという事を痛切に感じたんですね。 今更ながら勉強せねばと、丸の内 OAZO の丸善の写真コーナーを覗いて見ると、ある評論家の方の本が眼にとまって、1,2,3・・・10冊も置いてある。凄い。 そう。この一冊を読めば写真の歴史がある程度わかるように
JAPANESE MODEN PHOTOGRAPHY★MAP が作られていたんです。 今日は写真評論家の飯沢耕太郎さんにお話をお聞きしました。 ・・・本は今まで何冊位書かれているんですか? ・・・・写真のコーナーに行きましたら、飯沢さんの本が沢山並んでまして、どれから読んだらいいか迷っていたら、BTの2004年12月号の写真の特集が眼に入って買いました。普段は影響されたくないので美術雑誌は買わないんですけどね。しかしこの特集は凄いですねぇ。 今回はほんとに死ぬかと思った。もっと早めにスタートできればよかったんだけど、ほとんど一ヶ月で作ったんだから。 ・・・特にこの写真史マップはわかりやすかったです。 実はこのマップに関しては前から出来ていたものなんです。5年前に岩波出版社が出した
「日本の写真家」 シリーズの全40巻本を作った時に、別巻というので 『日本写真史概説』 を書いたんですよ。それは幕末・明治から現代までの写真の流れをおさえたものなんですが、その時に入れようかと思って作ったものなんです。ちょっと問題があって結局ボツになってしまったんだけどね。でも今回、これを生かせたのはとても良かったです。 ・・・私と写真の接点は、今までほとんど無いように思っていたんですが、1920年代のピクトリアリズムの写真を見ると、当時の美術とクロスしているように感じました。例えば 萬鉄五郎の作品を彷彿させるようなものもありますよね。 この時代は特にね。それに萬の絵はどこか写真的でもあるように思える。 ・・・今まで写真は別のジャンルだと思いこんでいましたが、高橋由一も写真から絵を描いていたし、写真館を最初に開業した下岡蓮杖も確か・・・。 下岡蓮杖も元は絵描きですね。 お待たせしました。本日のベトナム風ご飯とミニフォーセット(日替わりでベトナム風の丼にフォーが付いたセット 900円)でございます。 こちらの Nha Viet Nam は、ホーチミン市の有名ホテル
「マジェスティック」 と提携している日本で唯一のベトナム政府推薦レストランだそうです。 開高健の 「小説家のメニュー」 は、オサルスのバイブルみたいな本なんですよ。 ・・・まあ、それはともかく、何がお薦めなんでしょうか? 「フォーが美味しいんだけど、セットにしようかな。フォーはライス麺だから日本人に凄く合うと思うね。ただホーチミンで食べると入っているものが違うんだ。あっちだと野菜というか葉っぱみたいなものが大量に入っているからね。味もずっと濃いし」 ・・・へぇ。では頂きます。 ・・・いや〜。食べ物の写真は難しいんですよ。何枚も撮るんですが、中々上手く撮れなくてね。いつも失敗してしまうんです。カメラも奥が深いというか・・・。 僕も撮影は下手ですよ。元々は写真学科だったんですけどね。 ・・・え? 日本大学芸術学部の写真学科卒です。 ・・・あの時代は私たちより歳上の団塊の世代が暴れていて、
・・・それで何故写真の世界に? そういう事もあったから、絵画に対してちょっと反発があったんじゃない。もう出来上がった世界だみたいなね。写真が妙に新鮮に見えたんだよ。それこそ森山(大道)さんとか荒木(経惟)さんがワーと出てきた時代ですよ。森山、荒木、中平(卓馬)、深瀬(昌久)、だから写真が一番面白かった時代じゃないかな。 ・・・そうすると日大を卒業してから筑波大学大学院に行かれて・・・。 日大の途中で、写真を撮るのは向いてないなという事がハッキリわかってさ、性格的にむいてないんだよね。慎重さがないし、忍耐力がないし、元々せっかちだから。以前書いた事があるけど、写真を撮る時に大事な事は、自分のなかで、何を撮るのかという確信がなくてはいけないし、被写体を無意識的にコントロールする力みたいなものがないと駄目だと思う。それが僕にはちょっとないなって・・・。 ・・・それで筑波では? 日本写真史を専攻して7年間くらい在籍していた。当時はまだ筑波が出来たばっかりだから、周りは何にもない所だった。パチンコ屋くらいしかなかったよ。 ・・・私は武蔵美なんですが、あそこも何もない所ですよ。 美術系の大学は、何でああいう風に郊外に行ってしまうんだろうね。特に現代美術は都市の中から湧いてくるようなとこがなきゃ駄目なのにさ。田舎に隔離していいものが出るわけないよ。だから僕も途中で嫌になっちゃって、東アフリカのケニアに7ヶ月くらい行っていたんですよ。 ・・・え! ケニアですか? ケニアはスワヒリ語の勉強に行ったんです。だから今でもちゃんとしゃべれますよ。だいぶ単語は忘れちゃったけど。それから旅にはまってしまって、2000年にも東アフリカとヨーロッパに半年位行きました。 ・・・今でも原稿用紙に書いているんですか。 短い文章や字数が決まっているのはパソコンを使います。でも長い文章は手で書いた方が早い。 ・・・頭が論理的に出来ていらっしゃるんですね。文章は起承転結がはっきりしていないと成り立たないじゃないですか。 それは論理じゃなくて空間構築力みたいなものなんだと思う。例えばアーティストは画廊の空間というのを想像出来るでしょ。あれと同じ事が僕にもいえて、書き出す前に5枚という制限があれば、5枚の空間が見える。20枚なら20枚のね。それがあるかないかで、かなり物書きとしての資質は問われると思う。最初から空間感覚みたいなものがあるんですよ。だから文章を書くこと自体はそんなに苦になりません。場所も何処でも書けるしね。 ・・・そうなんですか。ところで空間構築というので思いだしたというか、今日はそのお話をしたかったんですが、先日東京オペラシティアートギャラリー(http://www.operacity.jp/ag/)でヴォルフガング・ティルマンス展を見に行って。あの展示のズレは、ティルマンスの脳の中から、外の世界を見渡しているように感じて、凄く気持ちが良かったんです。日常の関係性の中から作品を見せるというインスタレーション的な展示方法が気に入ったというか。
ティルマンスの事は『芸術新潮』の12月号に書いたじゃないですか。 ・・・拝見しました。 あれにも書いたけれど、開かれている感じはあるよね。ああいう写真は結構珍しくてさ、 ・・・ひとつひとつのスナップ写真が、ティルマンスの脳の表象に浮かんでいて、そのエピソード記憶が、意味的記憶に変換していく過程を構築している感じがハッキリわかるので、凄く面白いなって思いました。 作家によって色んな記憶の集合のさせ方があると思うんだけれど、ティルマンスの場合は何ていったらいいのかな、とにかく「いまっぽい」んだよね。20世紀の終わりから21世紀のはじまりにかけての、この時代にぴったり同調していてさ、それがまず気持ちがいいよね。写真というのは結構そういうところがあると思うんですよ。各時代との密接性みたいな、1930年代だったら30年代の時代が浮かび上がってくるみたいなところはあるじゃない。 ・・・BTのマップに、今は写真が現代美術と結びついてと書いてありましたが。 それは大きなモメントだったんでしょうね。今になってそれがハッキリ見えてきたというか、80年代から90年代のはじめにかけて、写真の表現の中に大きな断層みたいなものがあって、その切っ掛けになったのが「現代美術ショック」というか。
内原さんは凄いですよ。今年の「写真新世紀」は準グランプリが二名という結果に終わってしまったけれど、僕は内原さんにもう一回グランプリをあげたらといってたんだ。去年の内原さんの仕事は、10ヶ月に6万カットというもの凄く大量のイメージを日々撮り続けて、それをウェブサイトにアップし続けていく手法なんです。 ・・・パソコンのアイコンの手の形や→が画面に入っていて意表をつかれました。 あるようでないですよ。彼のサイトは見た事ありますか? ・・・いえ、まだです。 毎日の写真日記が中心なんだけど、もうひとつ “t h i s i s
n o t a b l o g” といってサイトの付録みたいなのがあるんだよ。それを見ていると、要するに、その日に彼がネットサーフィンして、サイトを色々な形で探っているわけね。面白い記事とか情報があるとそのまんま取り込んじゃうわけ。 ・・・紙焼き写真としての見せ方から、パソコンの画像としての見せ方に変わってくるとCG (コンピューター・グラフィックス、死語らしい) 云々といっても、CG云々はあくまでも自分の中のリアリティーを何処まで追求できるかだから、そういう意味ではCGだからといって問題視する事は何もないように思うんですけど。 それは全然問題ないと思うよ。 ・・・でもどうしても写真は写真だという頭があるから・・・。 アナログとデジタルをそう分ける事はないんじゃないかというのが、最近の僕の考え方です。 ・・・私もそこで拘るのはどうも変だと思います。 デジタルでやれる事の可能性があって、それは基本的にアナログでは不可能というか、アナログ的な発想じゃないものがドンドン出てきているわけです。それが何かという事を自分なりにまとめて、この間『デジグラフィー』(中央公論新社)に書いたんだ。 ・・・リアリティーはどんな人でもあると思うので、結局デジタルだとかアナログといっても使い方次第ですものね。
・・・物質性というので気になったんですけど、先日、木村伊兵衛と草間彌生展(国立近代美術館 http://www.momat.go.jp/)を見たんですが、久しぶりに見た木村伊兵衛 の目線が新鮮でいいなって・・・。 開放的でちょっとティルマンスっぽいでしょ。木村伊兵衛は、あの時代にしたら眼がほわっとしていて柔らかいんですよ。僕は拡散型といっているんだけど、ある一点に凝縮していかないで、視線を散らすんですね。それが彼の視覚的特徴なんだけれど、開放型というか拡散型の視覚みたいなものは、実はどちらかというと80年代以降なんだよね。彼は戦前からそれなんで、かなり早い。 ・・・なるほど。新鮮だと思いながら階下の草間彌生展を見たんですが、86年までの作品は、死というものを見据えて描いていて、その物質性に圧倒されたというか。それで木村伊兵衛と草間彌生を比べた時に、写真と絵画はハッキリ分かれてしまうなと・・・。 だから銀塩とデジタルを比較した時に、どうしても銀塩写真は物質的でデジタルは非物質的だとかいってしまうよね。僕も『デジグラフィ』ではそういう書き方をしているんだけれど、それを絵画とか彫刻とか別なジャンルと比較していくと、写真というのは逆にもの凄く非物質的なんだよ。そういう風に考えていくと境界線みたいなものは確実にズレてくる。 ・・・写真を否定しているわけではないので、私もそう思います。色んな意味で、色んなものが見える時代だから、面白いといえば面白い。でもそれでは話はそこで終わってしまいますが(笑)。 面白いんじゃないのかな。僕も写真以外の事を否定しているわけではないし、見ないようにしているわけではないんだけれど。ある意味仕事が写真に偏ってきてしまうと、写真的な見え方みたいなものに骨がらみになっていると感じることもある。だからたまに、さっきいったみたいに旅に出るとかさ、眼差しをほぐしてあげないとちょっとしんどいよね。 ・・・そんなに見ているんですか? もちろん全部は無理。でも評論家の仕事で肝心なのは常に現場をフォローする事だから、写真の現場で一番大事な事は基本的には写真展なんですよ。ただ、残念なのは10-20年の単位で写真展をフォローしている人が僕以外にはそんなにいない事なんだ。 ・・・いいじゃないですか。仕事が集中するのは。 いいんだけどさ、ちょっとは分業しないと。いつまでも若くないし、もう年だから、週に三日展覧会を見て歩くのはしんどくなって来るよ(笑)。それに輪をかけて学校の授業も増えてくるし。 ・・・展覧会が増えたのは、それだけ写真の裾野が広がったという事でしょうか。 20年前に比べればね。だから書き手がもう少し増えてこないと厳しいよ。 ・・・書き手がいないという事は、今の写真の現状が閉ざされた状況だという事ですか。 評論とか批評の空間に関していえば、かなり閉鎖的である事は間違いないと思う。 ・・・何で育たないんでしょうね。 僕が全部やってしまうからだっていわれた事もあるけど、それをいわれても困るよね(笑)。 ・・・そうすると来年以降は、写真はどうなると思われますか。
・・・私も期待したいですね。今日はどうもありがとうございました。 2004年も残りわずか、今年は38人の方々にインタビューをさせて頂きました。 おっと、最後にひとこと、インタビューをお願いしても無視しないでねぇ〜。最近多いんだよね。 |
||||||||