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・・・「新作ヒートグラフと銅版画」 展 [ ギャルリーヴィヴァン http://www.g-vivant.com ] についてお話をお聞きしたいのですが、技法はヒートグラフ、タイトルは 「WATER MARK2005」 ですね。 森野: 2004年のギャラリー池田美術での展覧会(http://kgs-tokyo.jp/ikeda/2004/041108.htm)からこのタイトルを使っています。 ・・・池田さんは今回の展覧会をご覧になってどういう感想をおもちになりましたか。 池田: 以前の作品と一番違うのは
「地」 の部分ですね。一見した印象は「絵画性」が強くなったかなという感じがしました。2004年の作品は18mmの白フェルト地でしたから、 ・・・今展では 「WATER MARK V-1」 を基本の 「型」 とすると、「WATER MARK V-2」 では、原型が切り抜かれ、「WATER MARK V-3」 では原型がトレースされ、「WATER MARK V-4」 ではトレースされた 「形」 が増殖している。多分、「形」 は、コロイド状の原形質からアト‐ランダムに切り抜かれ、部分と全体が一つの作品を構成する。それがすべてが相似形であるということから、フラクタル(部分と全体とが同じ形となる自己相似性を示す図形)の要素を強く感じました。
池田: 今回の作品は特にそうでしょうね。抜いたままを、また作品として関係づけながら自立させていますから、ながれ的にも部分と全体で一つの作品としての要素を持っているわけです。 ・・・部分と全体の関係性は、「ミクロコスモスとマクロコスモス」 的な相似形のイメージを考えているのでしょうか。 森野: フラクタルの要素としての、部分が全体の相似形になるというのはあまり考えていないんです。逆に行為として、同じ行為を小さい部分も大きい部分も含めて繰り返していくわけだから、行為自体は全体に関連するのだけれども、表現としてそれを関連させているのではないですね。むしろ今回は 「版」 として考えています。 池田: 「版」 といえば、今回展示された3点の銅版画は、今までと違ってかなりイメージが動きまわってるような感じがして、小品だけれども面白いかったです。 森野: 銅版画は切り抜くってことがあるでしょ。 ・・・え? 切り抜くんですか。 森野: 銅版画の切り抜きは、僕はあまりやったことがないんだけれど、結構やる人は多いんですよ。版画を制作している人間は、切り抜くことはそんなに抵抗がないんです。 池田: 例えば加納光於さんのメタルプリントは、ガスバーナーの炎で金属板に亀裂や凹凸をつける作品なんです。それは、まさに切り抜きですね。それと銅版画は、プレスにより大きな圧力が加わることで、紙にプレートマークという凹みができるんだけれど、あのプレートマークは、はっきりした「版」の感じがしますね。森野さんの作品は、ヒートグラフになってからも・・・ヒートグラフというのは「版画」そのものではないんだけれども、構造的にどこか「版」的な要素を使っていると思いますね。 森野: 切り抜くことは自分のやってきたことからすれば抵抗がないんです。今考えてるのは、今回のフェルトの作品を、一点づつではなく、例えば4点セットか5点セットにして、それを銅版画で試みてみようと思っているんですよ。 ・・・フェルトから銅版画ですか。 いつも実験ですから 「え〜?」 と言われたい部分があるんですよ(笑)。 ・・・「え〜?」 といえば、2003年のインタビュー(詳しくはhttp://www.gaden.jp/info/2003a/030417/0417.htm)で、そのことを話してましたよね。確かそのときに、フェルトの物質観にこだわりがあるとも、話されていたように記憶していますが・・・。 森野: 2mmのフェルトを使っているときは、ニュートラルな感じでやってみたかったので、厚みや何かは考えたくなかったんです。ただ18mmの白フェルトを使いはじめたときから、フェルトの存在感を
「どう扱たらよいか」 と、思っていたんです。版画では紙は重要なんだけれども、紙という素材自体が何かを表現するということはあまりないんですよ。例えば浮世絵で紙の地が見えている部分は、紙の白ではないものに変容しているわけですからね。 池田: つまり今回の作品は、焼いたというよりも、切り抜いたイメージが強いのです。焼くというのは「焼いた行為」の方が先に目に入るでしょ。今回はくり抜かれて地の面がすごく大きく見えるわけじゃないですか。印象としてはそれが絵画的に見えるという意味だったんです。 森野: わかりづらいかもしれませんね。実際切り抜いた形は関連があるけれども、意味としてはわからないかもしれない。今回はフェルトの厚みを考えて、切り抜いた面白さみたいなものを強調してやってみたらどうだろうかなと思ったんです。だから実験なんですよ。 ・・・話はズレるかもしれませんが、素材がフェルトだと触りたくなる感じはありますよね。 森野: 先日韓国でフェアーが開催されて、ギャラリー池田美術のブースに、僕や榎倉康二さんの作品が展示されたんだけれども、額装しないで壁に直に展示してみたら、人が触りたくなるような触角感があることに気がついたんですよ。額装してあるとそういう部分が弱まってしまうんだよね。 池田: 韓国の展覧会は 「日本現代版画と写真の特別展」 として企画されたものですね。日本の画廊13軒が参加して45名の作家が選ばれ展示されたのです。かなり広い展示会場でした。写真は額装してあってもサイズがかなり大きくそれなりに見えましたが、版画は大きさの制約があったせいもあって、比較的おとなしく見えたかもしれませんね。でも、うちのブースで展示した森野さんの作品は、子供たちが触ったりしていたんですよ。「作品を見てなんだろう」と思えば、触りたくなるのは自然な反応だと思いますね。 森野: そういうのもあっていいんだと思うね。見ることと触覚的なものというのは、感覚値に共通項があって 「見てなんだろうと思えば、触りたくなる」 銅版画を制作していても、インクの盛り上がっている部分や紙の質感が、ものすごく気になるからね。 ・・・でも版画を触るわけにもいかないんじゃないですか。
森野: 皆、そういうけれど。今年の11月2日から2006年の1月22日まで、 池田: 元はといえば、版画は印刷から出発したもの。江戸時代の絵双紙の黄表紙や黒表紙などは、めくって見たわけですから。それに版画のマチエールは、手で持って見るのが一番わかりますからね。 森野: まず作家が触って、次に画商が触る。お金を出して買ってくれたお客さんは、額に入ったまま買ってしまうから、触れないですよね。だから来年の11月に、ギャラリー池田美術で個展をするときは、画集みたいにして触ってもらおうと・・・本みたいにして触ってもらっていいと思うんですよ。手垢がついたっていいじゃない。「もの」 を見ることにはいろいろな楽しみ方が本来あるはずなのに、段々狭くなってきていると思う。美術館がそれをつまらなくさせてしまったのかもしれないね。本当に楽しんでいるのは作家とねそれを仲介している画商。以外とそうなんだよね。 池田: 楽しんで苦しんでいますけどね(笑)。苦しみがあって最後の楽しみがあるんです。 ・・・ところで作品を作り始めてからもう40年とお聞きしましたが、池田さんとのお付き合いは何年前からなんですか。 池田: 10年ぐらいですね。ヒートグラフをはじめてからは、もう何年くらいですか? 森野: 18年から20年くらいですね。 ・・・森野さんの作品はネクタイのイメージがとても強いんですが・・・。 森野: ところがそうじゃなくて、皆、「帽子」 というんですよ。 池田: 版画の作品を語る人は、まず 「帽子」 のシリーズ、それに「りんご(apple)」・・・ですね。 森野: 「りんご」 を知っている人は、昔から僕の作品をよく知っている人だね(笑)。りんごの作品はいいなと思って個展をやったんだけれど、売れたのは一点だけで、買ってくれたのは草間弥生さんだけだったんです。 池田: 僕も一番印象に残っているのは 「りんご」 なんです。僕らは同世代だから帽子もそうだけれども、「りんご」 に、当時僕らが受けた時代の哲学的思潮の影響を感じたんです。72年に発表された 「Sartres Apple」 を、りんごに根っこが絡まっている姿とマロニエの木の根っこを見たときに、激しい嘔吐に襲われたサルトルの 「嘔吐」 という小説がオーバーラップした。サルトルの 「嘔吐」 は、「サルトルの実存」 の最初の視覚的なイメージなんです。 森野: あのときは、誰も理解してくれた人はいなかったんです。池田さんと出会って 「森野さん。帽子よりりんごですよ」 と言われた。「これは参ったな」 と思いました。あれは60年代から70年代にかけての、時代を肌で感じる感覚だったんです。 池田: サルトルが 「実存」
と言ったことは、自意識と社会との関係のあり方だったんです。 当時の学生は頭でっかちになって悩んでいたんですよ。そして自意識と社会とのバランスのとり方を、森野さんは
「Sartres Apple」 として視覚的に表現。それは見たときに、ピンと来たんです。 森野: そういうすごいことをやってみたいね。
池田: くり抜いている個としての部分と全体が展示されているんだけれど、「WATER MARK V-1」 を見るると、全体から実が弾け落ちるように落ちてきているわけです。いろいろ試みて到達した広い世界から、「個」 的なイメージがポロンと、生まれ落ちてきたんだなと感じていますね。 森野: 帽子もそうだったけれども、僕は 「個」 をオブジェ的にポンと表出させてきたんです。だから逆に言うと皆が「これはなんだ」という印象が強烈に残ったんだと思う。 池田: 駒井哲郎さんの 「束の間の幻影」 に代表されるのは夢に通じるような世界。僕の場合も、駒井哲郎さんに一番惹かれる部分はそういう部分じゃなくて、例えば 「蝕果実」 のような作品なんです。これは先ほど話が出たように 「版」 を切り抜いているんです。他には 「ある空虚」 にみるエルンスト的なアメーバのような作品、僕は通常の駒井ファンが好きではないような作品が好きですね。自分の関心のあり方は 「版」 にあると思います。駒井さんのすごいところは、夢の世界から版画の実験的な世界まで幅が非常に広いということなんです。それはすごいことだと思います。 森野: かなり精神的にきつかったと思いますね。先ほど僕が言った 「版を切り抜くのにあまり躊躇しない」 というのは、そういう先輩たちが道を作ってくれたということもあるんですよ。 池田: ヒートグラフの技法は、銅版画を酸で溶かすということに対応していて、物質を溶かす代わりに火で焼くというところがあるのでしょうね。 森野: 腐食から、ヒントを得ていますね。もう一つは、版画は紙の上に刷られたものしか見てもらえないんです。本当は作家が一番時間をかけているのは腐食する時間なんです。
池田: 作品の特性が現れるのも腐食の仕方なんです。 森野: だから 「版」 の中に一番面白さがあると思っています。刷られたものは一瞬ですからね。「版」 のなかには喜びも、悩みも苦しみも詰まっている。ヒートグラフをやりはじめて面白いと思ったのは、「版」 としても見せられると思ったからなんですよ。 池田: そうですね。私の画廊は現代版画の画廊のイメージがあるけれど、「版」 に対する意識がどのぐらい強いかということに興味を持つわけです。「版」 というのは.物質と物質の触れ合いですからね。 ・・・なるほど。「.物質と物質の触れ合い」 ですか。しかし人間もまた物質でもあるわけですよね。 ・・・つづく ● 次回展覧会の予定 ● ★ 「現代銅版画の交差点」 2005年12月3日-2006年2月26日 ★ 個展 2006年11月予定 会場:ギャラリー池田美術 詳しくは http://kgs-tokyo.jp/ikeda.html 森野眞弓 関連情報 2004.11 2003.10 2003.4 2002.11 2001.4 2001.3 1999.10 |
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