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高浜利也さんの「移動計画」 聞いてみましょう。 ・・・展覧会の反応は如何でしたか? 来られた方の1、2割は工事中だと思って帰る人もいました。あとのかた達は話せばわかるというか・・・。あの展示は、作品としてみるというよりは、事情を承知してはじめて理解できるので、作家がその場で作業しながら見に来られた方とコミュニケーションをとるというのが前提にありました。 ・・・1、2割の方が工事中だと思ったというのはわかりますが、ただその1、2割の方も展覧会で何かを感じたいという気持ちで来られたのではないかと思うんです。そうすると作り手と見る側の間に乖離(かいり)があるような・・・その部分はどうなんでしょう。 床だけではアートにならないですから、
背後の事情を含めて僕がそこで作業をすることで成立する作品だから、その緊張感を持続するのは、ひとつの課題だと思うし、僕がいないと、舞台の幕間みたいに・・・工事の休憩時間のような感じになってしまうんですよ。ですからいなかった時の空間の持続は大きな課題ですね。極端にいえば、自分がいない時はクローズするべきだったのかもしれません。
ただしょうがないといっても、今回の場合は、それを埋めようという努力は特にしなかったというか、自分のすべてをある程度見せるというやり方でしたから、いってみればギャラリーは、自分がアーティストとして、自分の思いを見せるフィールド・・・こちらから歩み寄るというよりも、ありのままを見せるフィールドでいいんではないかとも思うんです。 それとは逆に、同時に進行中の「越後・妻有廃屋再生プロジェクト」や美術館のワークショップなどは、場所や時間、かかわる人や地域の事情を考慮しながら制作していく活動になりますので、自分の気持ちとしては、見る側との距離感のコントラストをつけていて、意識している部分はあるんです。ですからそういう意味では、ギャラリーだけで展示をしていたら、このような表現には到らなかったのではないかと思いますね。 ・・・先日のGALLERY NATSUKAでのインタビューで、「立ち位置は美術でいきたい」、「現実とアートの部分で行きつ戻りつ、つながっていくのではないか」ともいわれたのは、共感できたんですけど、自分を含めて立ち位置が美術だという説得力が希薄なような気がするんです。もっと激突するような形でもっていかないとむずかしいんじゃないかなと最近思っているんですよ。 自分自身あんなしんどいことを何でやるのか・・・損得とか
自分の名誉の為とかでは出来ません。お金もエネルギーもかっているし、それでいてみなに評価されるわけではない。 ・・・APIフェローシップという奨学金のフェローに内定されたんですよね。おめでとうございます。今年の7月から1年間バンコクで研究・制作活動に専念されるんでしょ。 そうです。 自分の作品が美術から離れるというのであれば、作り手の責任として美術だけの発表ではなく、見せ方を考えていかなければいけないと強く感じています。特に今回のAPIフェローシップというのは、いわゆる学術的な、文化人類学的な要素や社会学的な要素が入っているので、それで研究なり知識でえたものを、美術の立ち位置と平行して活動に結びつけて考えていこうと、その研究成果を論文なりで発表しながら、作品がつながってくれば一番なので、その辺を含めて考えていかなきゃいけないなと・・・。 ・・・今回の展示は何故版画なんですか。むしろ写真の方がある意味、もう少し現実的な説明は出来たんではないかと思うんですけど。
写真でも動画でも言葉でもよかったのかもしれません。それを含めて考えなきゃいけないんですが、確かに版画にこだわるのであれば某かの理由がなければいけないんですけど、今回の場合はすべてを昇華したうえで版画で展示したわけではないので、ただ版画は自分のキャリアの出発点としてのメディアであったのは事実ですが、建前とは別に、心情的には版画が好きだからなんですよ(笑)。自分は版画家なんだと思っているんですよね。 ・・・それはわかります。Enoshima Project(版画家・井出創太郎が移り住む居宅の改修に端を発したプロジェクト)塩化第二鉄を「泉」と題して埋められた作品を拝見すると、先日、インタビューをさせて頂いた中林忠良先生の制作(詳しくは:http://www.gaden.jp/info/2005a/050209/0209.htm)と、根源は一緒なんだと思いましたから。 正直にいえば、一番の理想はペインティングで、四角い画面のなかに、自分のいいたいことが表現できればいいなという憧れはあります。まあ、その素養がないということもありまして、出来ないから舞台装置が必要になって、それがドンドン広がっていってしまう。 理想としては一枚の作品のなかにそれが込められればいいわけです。それはいつも自分の心のなかで思っています。出来る人は道具立てがいらないんですよ。僕は美術の基本はペインティングだと思っているんです。それが出来ないからやることが広がっているわけで、それは自覚しているつもりです。 ですから動態的な作品を制作している作家が、版画という手段を選んで展開したというよりも、版画のなかでの一種のミュータントが動態的な作品に走ったというか・・・元々版画を制作していた人間が、ドンドン突き詰めて、自分の世界に閉じこもって考えているうちに、思考がああいう形になったという方が理解してもらえるかもしれませんね。 ・・・なるほど。 中林先生や僕の先生でもある池田良二先生は、版画家で版画を制作しているけれど、突き詰めていけば自分達がやろうとしていることと、 根っこの部分でそんなに大差はないと思うんです。中林先生のおっしゃっている腐食や時間のこともそうだし、池田先生の根室・落石岬でのプロジェクトや、僕と井出君のいっていることを含めて、版画家の発想だと思うし、いっていることは新しいことでも何でもないので、ただ廻りの状況や世代的なものや時代、或いは自分の置かれた状況や立場で変わっているように見えるのではないかと思うんですよね。 ・・・先日のギャラリートーク(2005年1月28日 第一生命ギャラリー 高浜利也展覧会会場※)でお聞きしたことは中林先生がおっしゃっていたことと同じことをいっているんだなと、銅版画を制作している方はこう考えるんだなと思いました。結局「版」と向き合っているんだなと・・・。ところで、GALLERY
NATSUKAの床の作品は、結局何処に行くんですか。
今ある程度分解して倉庫に入っています。すぐ組める状態になっていて、次に自分がタイから帰って来て住む場所の床として、あのうえで生活するということを考えて保管はしています。それが一応移動計画として1年間保留になっただけです。 そうそう。家の競売は決まったんです。本当に間一髪で、買い手も決まってしまったし・・・。 ・・・そうなんですか・・・。 お待たせしました。鴨汁うどん(1150円)です。
「ここの名物は鴨汁うどんなんですよ。うどんを暖かい鴨汁につけて食べるんです。 禅味会とは心をつくし、感謝の心を大事にしているお蕎麦屋さんの会のこと。 「鴨汁せいろも美味しいからお蕎麦にしたら」と、女将さんに薦められて、オサルスは急遽鴨汁せいろに変更。 本物の蕎麦打ちはむずかしく、『こね五年 包丁二年 のし三年 味つけ五年 みなで十五年』かるのだとか。 見てください。蕎麦が光ってませんか? 色といい細さといいオサルス好み。蕎麦に風味があるし、のど越しがよくて、美味い! 「鴨汁はうどんの方が水分が多いから合うんですよ。蕎麦であれば普通のモリの汁の方がいいですよ」 なるほど。しかし量が凄いですねぇ。銀座の3倍近い。 「これで210グラム、普通のモリ蕎麦は140グラムだから、少し多いかもしれない。うどんが230グラムなんです。ここはサービスがいいんですよ」 本当にサービス満点、揚げた蕎麦にお新香、枝豆にイチゴなど・・・お腹いっぱい。ごちそうさま。 「二十代の頃はこれを2、3杯食べてました。当時はアパートを借りる金がなかったので、最初は住み込みで、僕の青春の1ページですよ」 ・・・未だにオサルスはお金がないので青春続行中です。でもギリギリ留学が決まって良かったですねぇ。タイに行かれる理由は何でしょう?
精神的に疲れない所なんですよ。欧米の国のようにイエスかノーかというのではなく保留を許してくれる国ですからね。 きっかけは、たまたま淡路島で97年に木版画のワークショップをしまして、そこにタイからスラシという名前の作家が参加したんです。そこで『何処かに留学したいんだけど』と、彼に相談しているうちにタイに来ればという話になって、便宜をはかってもらいました。 タイの現代美術は、西洋的なモダニズムの歴史の研究だけでは解き明かせない何かがあって、タイの王室と国民との関係とか、極端な貧富の差や、いろいろな美術の混合など、そういう事情を知ったうえでなければわからない。その背景を含めてアジアのこれからの展望を研究したい。アーティストの立場でそういうことを考えていくのも面白いと思っています。 ・・・文化人類学的な視点は美術家にとって重要なことではないかと思います。今という視点から歴史の文脈を読み直すわけだから・・・。 APIのプログラムのひとつとして一定期間、フィールドワークで山奥にずっと入って、少数民族について研究するプロセスがあるんです。 ・・・世界のすべてはヨーロッパからはじまったわけではないですものね。タイにはタイの歴史があるんだから。 タイだけは、東南アジアで唯一植民地にならなかったんですよ。その話をするだけで一日かりますが、その辺がタイの作家のインスタレーションにどういう風な影響を与えているのか興味がありますね。ヨーロッパのモダニズムからはじまった美術の歴史では、タイの作家のインスタレーションは理解できないと思います。
そもそも僕が美術に興味を持ったのは、高校2年生の時に雑誌で見たリチャード・セラの鉄板の作品やジャッドの箱だったんですよ。当時僕が住んでいた家の近くには新日鐵や石川島播磨の造船所があって、年中、同じような箱を見ていたんです。それを作品といわれたら、自分の美術のイメージとあまりにかけ 離れていて、何故これが美術なのか・・・近所の鉄工所にころがっていたわけですからわからないんです。それが僕が一番はじめに美術に接したことでした。最初は全然わからなかったし、自分のイメージと乖離していたんだけれど、その溝を埋めたい。それを知りたいという気持ち、そこからスタートしたんです。 朝、高校に行く時に見た、隣の鉄工所のオヤジが溶接したものと同じようなものが雑誌に掲載されて、これが作品ですといわれても納得がいかないなと、何で鉄板が立っているだけで作品なのかと思いますよね。まあ、ある意味それと同じことを今回の床で思った人もいたと思うんです。だから画廊で発表する以上、美術という立ち位置に立っている以上、責任はあると思っていますし、次回につながる課題ではありますね。タイでいろいろ考えてくるつもりです。 ・・・がんばってください。どうもありがとうございました。 「タイの作家はさっき話したスラシもそうですが、来た人達を“あんま”したり、他の作家で“カレーをふるまった”人もいるんです。それは何だろうと・・・ただ基調に東京ビエンナーレで版画で賞をとった人達が、90年代からインスタレーションに移行しているその辺も疑問なんですよ」 と高浜さん。 オサルスもそうですが、高浜さんは何故なんだろうと疑問を持つと絶対知りたくなるタイプなんですね。世界は一見当たり前に見えるけれど、疑問をもちはじめると見方が変わる。大体何故自分が、この世界に生まれてここでこんな話をしているのかと考えれば、それはとても不思議な出来事。だってオサルスじゃなくても、他の誰かでもよかったわけで・・・何故オサルスなのか・・・オウマスでもオカバスでもオゾウスでも・・・眠れなくなるなぁ。 |
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