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ホントに本と。 鷹野隆大 Ryudai Takano

 オサルスは、批評も評論もできないので、実際に感じたことを記録するのみ。
要するにdocumentaryなんですよ。
しかし、自分が何かを感じているにも関わらず、それを言葉にするというのは本当に難しい。


鷹野隆大 展 common sense -in and out- 2005. 3/17ー4/14
ツァイトフォトサロン 東京都中央区京橋1-10-5 松本ビル4F

http://www.zeit-foto.com/ / http://www.gaden.jp/zeit-foto.html

 今回の鷹野隆大さんの展覧会を拝見して、まず何を感じたかというと、乳白色の霧のなかに立ったような・・・ラビリンスに迷い込んでしまったような戸惑い。
何かをつかもうと思ってもつかめないもどかしさ・・・。
それは鷹野さんが、傍観者的立場で素材を俯瞰して写しているからなのかな? ・・・聞いてみましょう。
ピントをぼかしてあるのは何か意図があってのことですか。

 ボケた映像は前から興味があって、そこに明確なものや意図があるわけじゃなくてイメージからはいっています。ボケた写真はいろいろなところで見ることもあるし、自分も失敗して撮ることがあるんだけれども、とても面白いものですよ。
この作品は、一言でいえば“あいまいなようなもの”・・・たとえば人らしいものとか、男らしいものとか、女らしいものとか・・・自分も含めて見る人がいろんなことを連想するイメージをつくってみたいなと思ったんです。

・・・モデルの方は、男性なんだけれども、女装癖があるとか、その関係のお仕事されている方なんですか。

 そういう人もいますが、そうじゃない人もいます。普通の人もはいっています。

・・・そうするとモデルの方にこういう格好をしてくれと頼んで?

 そうです。頼む段階で、この人にはこういうポーズを取ってもらおうという思いがあって、声をかけています。

・・・その思いというのは・・・モデルからオーラみたいなものを感じるということですか?

 この画面から、どういうオーラのイメージの印象を受けたかわかりませんが、僕自身は、撮っているうちに出てくる瞬間があるんです。それが出てくるまでの間がすごくつらくて・・・ある瞬間にカチッとスイッチがはいるときがあって・・・。だから撮影の間に、半分ぐらいフィルムが無駄にはなるときがありますよ。

・・・先程からずっと考えてるのですが、霧につつまれたこの空間のなかのあいまいさの為に、どうもこれだという言葉が見つからないんです。

 僕としては常に、ポルノグラフィーとの結びつき、ある種のポルノとして撮っているんです。今回は明確に、ポルノだけといわれてもしょうがない部分で提示したつもりなんです。今まで個人、その被写体、その本人をきっちりとらえる。その人自身の属性のなかに、その人自身を喚起するイメージがきっとあって、その一つに性欲をイメージするケースは当然あると思うので、その様相をきちんと踏まえつつその人を撮るというスタンスだったんです。
今回は、その人はちょっと遠くに置いておいて、性欲を喚起する部分だけをとり出すという・・・そのズレっていうんですかね。本人を遠くにおいて置くというところで、“ぼかす”ということにしたんですけど・・・。

 基本的に写真は対象を写すものと思っているから、禁じ手だったんです。それで、ずっと興味があってもやらなかったんですけど、今回はちょっと禁を破って、「ウソを撮ってしまいました」というのが正直なところなんです。本人をこっちに置いておくというのは、乱暴なことだと思うし、暴力的なことだと思うからやはり躊躇がありましたね。

・・・確かに、性欲の部分だけとり出すと、個人はおいておかれて、喚起する部分のみがクローズアップされてしまう。イメージが増幅されて膨大に膨らんでしまうところがありますね。それで白黒のファンタジーというところにつながっていくでしょうか。
(実は去年の12月に、鷹野さんとランチをご一緒しているんです。そのときに、白黒のファンタジーの話をお聞きして、アップを伸ばしてもらいました。だからランチと本の合体インタビューになっています。ランチはこちらから)

 カラーで試せばどうなるのかというのは、ちゃんと試してないのでわからないんですけど。ウソ写真ですからね。ウソは白黒だと思って・・・。

・・・う〜ん。

 そんなことをいうと白黒で仕事をしている人には怒られますし、僕も昔、白黒でのリアルというものにすごくこだわっていたんですけど、そのときも立体を平面にするにはウソがあるし、飛躍がある。リアルという言葉のファンタジーみたいなもの・・・リアルという名の幻想みたいなものがあって、本当にリアルな“そのもの”にはかなわないわけで、そのときのつまずきが今回と関連があるかと思います。要するにリアルというのは突き詰めてもありえないんだということです。等倍で写真を撮ったことがあるんですが、そのときはリアルな映像を何とか定着させたい、人はどんどん動いていくし変化してしまうけれども、映像にしたら固定できるのではないかと思って撮ったこともありました。
けれど所詮写真は紙切れで、リアルではなかったんです。
レンズやフィルムのファクターがはいることで、それなりの幻想に基づいて成り立っている映像なんだと、だからもう一回ある種割り切って、リアルであるのではなく、映像というウソのなかで、ある種のリアルさに転換させていかないといけないなと思ったんです。それでその後カラーのシリーズにはいりました。

 今回はさらに暴力的で乱暴な行為・・・極端な話、本人には興味がないというか。
イメージを抽出してくれればそれでいいという見方もできるわけです。まあそうしないようにはできるだけしているのですが、スタンスの結果出てくるものなので、そう思われてもしょうがない部分はあると思います。

・・・展示をこういう形にしたのは何故ですか?

 額に入れると当然金額もはるし、収まり過ぎてしまうから。もっとあいまいでざっくばらんにベロンとだしている感じがいいんじゃないかなと思ったんです。この画面の後に、板をはってピッシとすれば明快な感じはだせるかもしれないけれども、ウソなんだから、あいまいでフニャフニャしていてもいいんじゃないかなと・・・。

・・・ところで今回初の写真集 『 In My Room 』は、2000年〜2002年のカラー作品が掲載されているんですね。
【『 In My Room 』 蒼穹舎刊 定価3800円+税 限定550部(エディション入り)】
しかしこの写真集は、すごく扇情的な赤い色ですね。ライトの下だと妖しく光る。自然光にはむかないような感じがします。

 ちょうどそこにグッとタイミングで蒼穹舎(http://www.sokyusha.com/guidemap_01j.html)の社長が来られました。蒼穹舎は国内の写真集を中心に新刊写真集から写真評論、絶版古書、海外の名作写真集までを網羅した、品揃えの豊富な写真関連書専門書店です。今回の鷹野さんの写真集もこちらから刊行されています。

 『この展示のなかに女性もいるんだよね。この写真の唇はグッと来るねぇ!』 と蒼穹舎の社長。

 え? 来ますか? オサルスとしては先程いわれた。「ある種のポルノとして撮っている。ウソ写真である」 というのがどうもまだ結びつかないんですよ。性欲という意味では私はリタイアしているので(笑)。何となく引いて見てしまっているのかもしれない。だからその部分が欠如しているから、此岸から眺めているような気持ちになってしまうのかなぁ。

 『そんな難しく考えないで、写真は簡単なものだから』 と社長。

・・・簡単ですか。まあ、この写真に写っている子が可愛いねでもいいんですけどね。見る側というのは、顔があれば顔を見るし、局部があれば局部を見てしまうものだから。ピンポイントで見て、良ければ惹かれてしまうわけでしょ。そういう見方でもいいわけです。そして性器が写っているのは何でと思うわけだけれど(笑)。

 そういう見方をして下さい。性器も含めてご堪能下さい。基本的に僕はエロイな、とか、感じてもらえればいいわけだから、作り手である僕が感じている映像を展示しているので、感じ方はそれぞれ違うけれど、性的な魅力を含めて感じてくれればいいなぁと。

・・・でも素直に見てしまうと何となく罠があるような気がするんですけど(笑)・・・。
たとえば、写真集 『MAPPLETHORPE』 の性器がアップで写っている作品は、メイプルソープがゲイだったからなのかもしれないけれど、傍観者的な立場ではなく、のめり込んで写真を写している部分に共感できるんですよ。そのメイプルソープの眼差しが好きというか・・・。だから性器が写っていてもエロイとかは思わないし、むしろ仰望の対象として見てしまう。まあ、日本では展示できないので、実際の作品を見たわけじゃないからわからないですけど・・・。

『日本じゃね。メイプルソープの性器のアップしたような写真集を出版すればつかまりますよ。印刷屋も製本屋も勿論制作者も販売した人間もすべて事情聴取されますから、聞いた話だけど、以前、警察にたれ込まれて本まで没収されて断裁されたなんてこともあったそうです。たとえばそういう本が一般書店に並べば一般のお客さんが、たれ込みますからね。最近週刊誌もヘアーヌードは、さりげなく外してるんですよ』 (蒼穹舎の社長)

・・・へぇ。公序良俗に違反するからなのかなぁ。あ! でもこのなかに女性のモデルがいるとは思わなかった。男女の性を超えた、あいまいさを写していると思いこんでいたので、女性が写っていると、また違うニュアンスがあるように感じます。

 たとえば全部男性だと思って見ていた。そこに女性もはいっていた。それはそれで女性も男性に見えてくるのかという判断もできると思うので、じゃあそれは何だろうと、そういう解釈もできますね。

・・・でもそれは男女両方いるという情報がないと見えてこないじゃないですか。

 僕自身は見た人が、何かを感じてくれればいいと思っていますから・・・。

・・・確かにこの写真は、コンセプトで見るものではないかもしれないけれども・・・そうか。そういう見方を自分がしているということを逆に気づかせてくれる装置かもしれませんね。先日のランチでも話されていたように、脳というのは「見たいものを見たいようにしか見ない」
だから作り手の意識を素直に鑑みないで、自分にとってのリアリティーばかりを探してしまうのかもしれない。

 これでタイトルの 『common sense -in and out-』 の意味がやっとわかりました。
たとえば自分の持っているリアリティーは、常識の範囲だと思っていても、それは違うと外から糾弾されることもあるかもしれないし、またその逆もあるかもしれない。
人はそれぞれの common sense という 『常識的判断,良識,分別;共通感覚』 を 出たりはいったり,見え隠れしながら生きている。そこには霧のなかにいるようなあいまいさがつきまとうのかぁ。う〜ん。奥が深い展覧会ですね。

 奥が深いですね。知らなかったです(笑)。

・・・私が勝手に奥深く穴を、乱暴に掘ってしまっただけですから(笑)。済みません。
今日はどうもありがとうございました。

 如何でしたか? 今回はランチも紹介させていただきました。

 そうそう。私が会場で“‥‥それでもやはり、どうしてこういう作品をつくるのか、いまひとつわからない。
困った鷹野さんが説明メールを下さったんですよ。

「僕自身の問題として、女性のイメージと生身の人間を分離して見る必要があると思っているし、自分も含めた男というものを見られる 側に立たせる必要があると思っているし、そしてそれを一度、性的イメージの中に突っ込んでみたいと思っているのです。」

 と書かれておりました。

 鷹野さんはインタビューの中で “ 「ウソを撮ってしまいました」 というのが正直なところなんです。” と、話されたけれど、実はこのウソという言葉が未だに私は引っ掛かっていて、この文章を書いたあとも考えているんです。
頭の中がもやもやするので、遅ればせながら 『森山新宿荒木』 展を東京オペラシティーアートギャラリーへ見に行ってきました。で、感想はというと、ウソもへったくれもなくて森山大道もアラーキーも突き抜けているなぁと思ったこと。私としては突き抜ける事で、新たなリアリティーを生み出す事ができるのではないかと思ったんです。

 ただ、リアリティーという言葉も受け手によって様々。
このごろ思うことは、話し言葉(インタビュー)は多義的であるし、曖昧で混乱した概念を使わざるを得ません。それによって様々な解釈が可能になってしまう。それをまとめるオサルスとしては・・・毎回四苦八苦しながら本意を探るのだけれど、むつかしいな〜 “ふかよみ” しすぎると余計ズレるだろうし、これって勉強すれば進歩するものなのだろうか?。

鷹野隆大 関連情報 2005.3 2004.12 2002.10

鷹野隆大 IN MY ROOM 出版社:蒼窮舎 出版年:2005

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