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麻辣麺 780円 西安刀削麺 |
・・・金属を叩くのはやはり体力勝負。さぞかし沢山召し上がるんでしょうね。 「肉体労働ですからね。直接食べたものが力になるから、食べ物には結構拘りますよ」 と藤井さん。 今日は第8回岡本太郎記念現代芸術大賞展準大賞 (http://www.gaden.jp/info/2005/050226/0226.htm) を受賞された藤井健仁さんに、ランチの美味しいお店をご紹介していただきました。 「ここの姉妹店が名古屋にあってよく通いました。でも突然やめてしまって・・・」 突然といえば、財団法人・岡本太郎記念現代芸術振興財団理事長の岡本敏子さんが亡くなられてびっくりしましたね。
「追悼式に出席するために名古屋から出てきたんです。お人柄がとても明るい方だったので、最後の式典も、湿っぽくならずに明るい気持ちで接することができました。太郎賞は、岡本敏子さんに生前頂いた最後の賞ですから、重みをずっしり受け止めています」 そうですか。本当に残念でしたね。ご冥福をお祈りいたします。 ・・・ところで、藤井さんはなぜ彫刻を選ばれたのですか。 彫刻がいちばん現実と関わるというか、そういう要素がすごく強いと思ったからです。彫刻というのは、実際の空間のなかに内的なものを戻してくる作業ですから、空間の中で物体が自立出来る要素を満たさなければ作品化が出来ないという側面があります。絵画のように画面の内側に入っていくというよりも、発見したものを現実にいかに還元していくかというような・・・。 ・・・絵画は多次元空間を作り出すものですよね。彫刻というのは3次元の空間のなかに置くわけだから、現実に存在するものだとういうことですね。 彫刻というもの自体に現実という要素が入ってきてしまうというか・・・。イメージを現実に耐えるものにするというか・・・。現実で研磨するというか・・・。現実のなかに持ち出されるような強さを持たせるということなんです。 ・・・素材に鉄を選ばれたのも、現実との関わりからでしょうか。 美術大学に入るといろいろな素材を勉強しますよね。一通り勉強したんですけれども、粘土や石膏などで作っていると壊してしまうんです。そこそこできるんですけど最終的に折れたり壊れたりしてしまう。たぶんものをいじりすぎるんでしょうね。不器用だなぁと思いました(笑い)。 ・・・鉄は壊れなかったということですか。 鉄は粘土のようにつけたり取ったりもできるし、温めればやわらかくなるし、冷めれば硬くなるものだから壊れませんよね。もともと好きだったんだと思いますけど、彫刻の材料にするとは思いもよりませんでした。いろいろなものを試して、最終的に過剰な制作エネルギーを受け止めてくれたのが鉄だったんです。 ・・・技法は鍛金なんですよね。 鍛金というより鍛造でしょうか。僕は学校で鉄をいじくっている内にあのやり方が面白いと思って、骨組みとかはいらないし、叩いたものがすぐ表面になって完成のまま進んでいくじゃないですか。先日の岡本太郎賞を頂いた 「鉄面皮」 もその頃の制作手法と基本的には変わってないんです。やりだした時は鍛金や鍛造といった工芸の分野があるとも知りませんでしたし、知った後も参考にしませんでした。 お待たせしました。 「本当は僕のお薦めは “ヤンル―ポーモー” なんです」 と藤井さん。 ・・・何ですかそれ? 「メニューにも書いてありますが、砂漠のナン(薄焼き)を細かくちぎり、イスラムの香辛料でじっくり煮込んだ羊肉のシチューと一緒に、サッと煮たものなんです。不思議な食感ですよ。中国でも西安にしかないそうなんですよ。でもこれは夜のメニューだから無理かも」 ちょっと無理ということで、藤井さんは真っ赤なスープの麻辣麺を注文。
こちらの “西安刀削麺 六本木店” は、西安の達人たちが作る伝統料理のお店。 刀削麺とは、中国4大麺のひとつで、ラーメンの源流といわれ、かまぼこのおばけみたいな麺のかたまりを包丁で沸騰した湯に直接削ぎ落とすラーメンのこと。 オサルスの注文した麻婆豆腐ランチは、中国の花山椒と唐辛子のしびれる辛さが、くせになりそうな美味しさ。西安のショーロンポーも醤油ベースの肉汁がブワーと・・・アチアチアチ、やけどしそうな熱さです。 暑い夏を乗り切るためにも、どーんとスタミナアップが必要。ここならバッチリですぞ! ・・・岡本太郎美術館で受賞された 「彫刻刑 鉄面皮」 と今回の 「NEW PERSONIFICATION」 【2005. 5/7-5/29 藤井健仁 展 STRIPED HOUSE GALLERY http://striped-house.com/】 を拝見すると、異なる方向性を持つ2パターンの作品を制作されていますが・・・。
本当は3パターンなんです。 ・・・なぜ3パターンを作ろうと? 最初は作品の流れが徐々に変わっていったんですが、強迫観念的に変化のための変化を気にしだしてしまって、いっそのこと分けたら面白いじゃないかと思ったんです。今は同時進行で展開させています。 ・・・「彫刻刑 鉄面皮」 は著名人の肖像彫刻シリーズですよね。金正日 、麻原彰晃、ブッシュなど、すごく似ていた。刑罰ですか? かなり社会性がクローズアップされているようにも思ったんですが・・・。
犯罪者や政治家の顔のプロフィールを作り続けていくと、自分も同化して自分と相手との共通項を見つけていき親近感を抱きながら、最後に切り離して作品化していくというものなんです。 ・・・二つのパターンの繋がりがイマイチ分からないんです。 「彫刻刑 鉄面皮」 は銅像彫刻のオマージュというのが側面にあります。たとえば○○先生像とかあるじゃないですか。世界でいちばん作られている彫刻です。それへのオマージュ。 ・・・そうすると3パターン目は? まだ東京では余り発表していないんですが、「EXCULPTURE」
といいまして、EX (元、前の) と SCULPTURE (彫刻) をつけた造語です。それは何かといえば抽象彫刻なんですよ。モダン抽象彫刻というか、今の彫刻では無くなってしまったようなパターンです。 ・・・3パターンを同時に展示するということは考えてないんですか。
現在のところ考えていません。 ・・・なるほど。 「彫刻刑 鉄面皮」 では、その人物たちにシンパシーを感じて本当に銅像を造るぞと思うし、「NEW
PERSONIFICATION」 では、人形作家と言われても構いませんし。「EXCULPTURE」 では、近代を延長したモチベーションのなかで本気で造る。そういうなかでしか提示できないものがある。 ・・・作品をちゃんと造っている姿勢というのは、人は絶対見ると思うんですよ。素材と格闘しながらできあがってきたものには、苦労した分だけきちっとした姿勢を感じる。私の育った時代は、ものはきちんと造るものだと口を酸っぱくしていわれたんです。こんなことをいうと年寄りみたいに思われるかもしれないけれどね(笑)。 今の時代は二つの方向性があると思うんです。時代は以前を超克歩して進歩しているという考え方と、現在は前向きにも後ろ向きにも進んでいるかもしれないという考え方。新しく見つかったことや新しい概念もいっぱいある。でも忘れたこともいっぱいあるんじゃないかって・・・認識できなくなったから終わったと思っているものが結構あるんじゃないかと思うんです。それはすごく感じます。 ・・・頭に浮かんだイマジネーションを、手を使って表現するには技術は伴うものだし、仮に作家が死んだ場合は、作品の持っている姿勢が歩いていくものだと思うから・・・。作家が亡くなって作品の値段が下がってしまうのは、作品に力が足りなかったせいじゃないかと思うんですよ。 そうかもしれませんね。いずれにしても見方は変わってきますからね。それにジャンルが残って来た理由はいろいろあると思うんですよ。しょうがなくて残ってきたものってないと思うのね。残って来た理由が伝統とかそういうのではなくて、技法自体にさえ先人の意識が大量にインストールされているわけですよ。真っ正面から取り組めば分かるんじゃないかと思う。新しいやり方を開発し直さなくても逆にわかるというか。むしろ新規なものを使って迷子になりたくないですからね。
・・・でも作品は売っているんでしょ。実際生活するにはお金が必要だし、本気で造っているんであれば売らなければいけないんじゃないかと私は思うから。 僕のスタンスとしては売ってお金にするものだと思っています。買う側も自分の価値交換としてお金を払うわけですからね。 ・・・本気でやるには根性がいることだからたいへんですね。これからは? これからもじわじわ続けていきますよ。何の変化もなく。3パターンを続けていきます。 ありがとうございました。 |