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オサルスのおすすめランチ ランチdeチュ その142

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創作ランチ 1050円
(鯛の兜煮、白身とサーモンの炙り刺し・・・)

酒の穴
東京都中央区銀座3-5-8 日本香堂ビルB1F
TEL 03-3567-1133

 

 画廊が作家に拘る理由は、例えば、作品がいい。人気がある。売れるetc・・・と千差万別。
でもひとりの作家をずっと応援し続けるのはたいへんだと思います。
例えば夫婦であっても長年暮らしていると嫌になることもあるだろうし、昨今は半年しかもたないケースもざらですよね。

 お互いに尊敬できる関係でいるのは生き方に共鳴できればこそ。
今日ご紹介する戸村美術の戸村さんは、小嶋悠司先生の人柄と作品をこよなく愛されているとお聞きしました。
聞いてみましょう。

 ・・・先生との出会いを教えて下さい。

 十数年前にある方の紹介でお逢いすることができました。当時、私はアイル展を開催しておりまして、この展覧会は、Contemporary NIHONGA の先駆的存在であった岡村桂三郎、マコト・フジムラ、山本直彰らのグループ展で、同世代の実力派評論家に論文を書いてもらって毎回リーフレットを制作したんですよ。
先生に初めてお逢いした時にそれを手渡したのを覚えております。その後京都のご自宅に伺い、いろいろお話しさせていただいたんですけど、先生は寡黙な方なので、何を話したらいいか分からなくて、ずっと沈黙が続いて緊張しましたよ(笑)。それで展覧会をしたいという話になりまして、個展ではあまりにも恐れ多かったので、まずは二人展からお願いしました。

 ・・・二人展のお相手は?

 同じ創画会会員の滝沢具幸先生です。その 「二人展」 を2回ほどしましたら、先生の方から個展をしてもいいというお話になりました。それが95年です。それからたびたび個展をさせていただいております。

 ・・・戸村さんにとっての魅力は。

 まず作品が 「凄い!」 ですね。それにお人柄というか生き方に共鳴できるんです。先生は素直な、清楚な文章を書かれる方で、以前いただいた文章で、とても心に残っている文章があるのでご紹介しましょう。

 『林司馬先生は、私にとり精神的、ささえでもあり続けています。入江波光に学ばれ、国展解散後、いさぎよく野にあって生活された先生です。模写を教えておられましたが、私が不安な時、必ず、自分の絵を作りなさい、自分の生き方をしなさいと云われました。私は戦後日本画を新しい日本画をと思い、描かれた多くの作家を知っています。
しかし、その中で私の尊敬する作家は、自己の生活感情の内で描いてこられた人であり、生き方の清い人である。私の好きな平安、天平の仏像や仏画が今日大切に残されているのは、生き方の清い仏師であり僧だったと信じている』

 この文章をご覧になってお分かりになるように、ある年齢に達してから、「清い人が好き」 と言えることはなかなか使えない言葉だと思いますね。

 ・・・小嶋先生は密教にも精通しておられるようですが、作風はキリスト教的な要素も見受けられるような気がいたしますが。

 直接先生にお聞きしたことはありませんが、お言葉から推測すると、30歳の頃に文化庁在外研修員としてフィレンツェに留学されて、チマブエやジオットなどの古典絵画に接しられてすごく感動されたそうです。またお住まいが京都の東寺の近くでしたので、そこで子供の頃から、仏像や密教絵画に親しまれたということです。
ですから理性としてはキリスト教が、血の中は密教が入っているのではないかなと思いますね。この根源的な二つの宗教的な流れの中には、人間に対する思いや美に対する思いが根底にあると思います。今でも月1回比叡山の阿闍梨さんにお逢いになっているそうです。名誉欲なんかよりもずっと「いい絵を描きたい」と、純粋で真摯な気持ちで作品に取り組んでおられると思いますよ。

 ・・・戦争や公害など、社会問題に対しても描かれているということですが。

 ただ仰々しく社会問題を声高に言うのではなく、自分の受けた感情を絵に盛り込んでいく。戦争反対がテーマとしてあるわけではなくて、受けた感情を織り物を織り込んでいくような感じで絵画を紡いでいるんだと思いますね。戦争とはなんだろう。人間とは何だろうといつもいつも考えられているんでしょうね。
 例えばイラクの虐殺問題や空爆などの事件があると、絵が描けなくなってしまうらしいんです。以前先生に、この絵は何年ぐらいの作品ですかと聞いたことあるんですけど、このモチーフはベトナム戦争の報道を見て、びっくりしたのでここに描いたんだと言われたことがあります。また湾岸戦争時には、油まみれになった水鳥を絵の一部分として描かれたこともありました。

・・・作品の題名は、「視」・「愛」・「凝視」・「生」・・・など、「穢土」 のシリーズでは、『人間は死んで土に帰る。自然の一部になるべき』 とも言われていますが・・・。

 そういう意味もありますけれど、それにプラスして、今の世の中のこと、例えば自分たちのエゴや政治や不条理な問題などを含めた諸々の現世を題材にしていると思います。

 ・・・なるほど。「穢土」の意味は、仏教で、煩悩によって汚れているこの世という意味ですものね。ところで画材に岩絵具と膠彩、デトランプを使われていると書いてありましたが、デトランプというのは?

『デトランプ』というのは、フランス語で 「溶く」 という意味ですが、小嶋先生は、兎膠で溶いた石膏を下地・基底材に使うという意味で、使用しているようです。それに岩絵具を使われる時も、天然の絵具にかなり拘りを持たれています。昔からある絵具は、何百年も経たものだから、これからも大丈夫だ。新しい画材は将来どうなるか分からないものだから、作品を残すためにも、絵具にまでもかなり配慮されているようです。

 ・・・先生の作品に対する一般的な評価はどうでしょうか。

 作家さんや学芸員の評価は高いんですけれど、市場相場になると、私が思っている以上にはやや評価は低いような気がしているんです。ただ根強いファンがいるので、今回の展覧会を見ていただければお分かりのように、一つ一つの顔が全部違うじゃないですか。ですから10点20点と集めている方もいらっしゃいますし、AJCオークションなどでも、今はメインのオークションに入ってきています。
そういう意味では着実に評価は上がってきていると思っていますね。私は将来、香月泰男や鳥海青児のような根強いファンのいる作家になってくれることを期待してるんです。小嶋先生の作品は一見難しく見えるけれども、その姿勢を理解してしまうと入りやすいと思いますよ。

 お待たせしました。
創作ランチ(鯛の兜煮、白身とサーモンの炙り刺し、新タマネギと和牛のサッパリ海藻サラダ、ご飯、みそ汁、デザート付き 1050円)でございます。

 凄いボリュームですね。鯛の兜煮なんてランチではめったに食べられませんよ。
この量でこの値段は、流石 「酒の穴」 穴場の匂いがします。

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 こちらのお店は銀座通りに面していて、それも銀座松屋の真ん前。
昭和22年創業。各地の地酒を取りそろえ、お酒の種類は140種類以上。ほら!お酒の蔵まであるんですよ。
この上の階の銀座「らん月」の直営店なので、美味しいお肉のしゃぶしゃぶ・すき焼き・松葉ガニetc素材に拘った創作和風料理が低価格で楽しめます。

 オサルスはそんなに魚が得意じゃないけれど、こちらの鯛の兜煮は美味しい。骨やウロコにかなり神経を使って調理されているから、魚嫌いな人でも好きになる美味しさ。栄養のバランスも見た目もGOO!

 「このメニューに穴と書いてあるでしょ」 と戸村さん。

 穴ですか?

 「値段は全て単位が穴(一穴=100円)になっているんですよ。今はお金で精算しますが、昔はお酒を飲むのに札や玉を買ってたんです。その名残なんですよ。お酒の種類も豊富だし、店員さんの応対もいい。料理もチェーン店と違って丁寧に作ってくれるでしょ。
特に酒好きに嬉しいのは、熱燗やぬる燗などお酒に対してデリケートに気を遣ってくれることなんですよ」

 ・・・私は日本酒は匂いが駄目で飲めないんです。

 「今は、日本酒もフルーティーなのがありますよ。そういえば昔、柊美術店にいた時にお酒の蔵元のお客さんと話をしたことがありまして、そのお客さんが『ワインは、その年の気候やでき具合に左右され、年代によっても違うからいさぎよさがある。けれど日本酒はレベルをいつも一定に保つ技(わざ)がある』といわれたんですよ」

 ・・・なるほど。ところで戸村さんは、何故画商の仕事をしようと思われたんでしょうか。

 私は、学校で建築を勉強していたんですよ。ただ、勉強していても自分にあわないと思ったので、自分の1番好きな事をしようと、絵の仕事を選んだのです。他の仕事は能力も必要でしょう。絵であれば動かないで待っていてくれる。人の2倍、3倍も見れば、解るようになるはずと思って・・・。それで「美術館の仕事」をしようと思ったけれど、なかなか入るのは難しかったので・・・。

 ・・・独立するまで柊美術店に勤められていたんですよね。

 で、次に考えたのが画商の仕事。でもどうしたら入れるのか分からなかったので、美術年鑑を見て結果的に面積が1番大きい画廊を選んだんです。その当時は日動画廊と柊美術店が1、2位と大きかったんですが、柊美術店に入れました。そうしたら「やる気があるんだったら明日から来い」と言われて、ただその時はまだ学生だったので、明日は無理だといいましたら、商人は学歴は関係ないから言われたんですけれど、学校だけはなんとか卒業しました。それから10年間お世話になったんです。

 ・・・画商のお仕事というのは?

 当時私もよく分からなくて・・・。
その頃土方定一さん等々の本を読んで、画商はオークションや何かに関わって、かっこいいことをするものなんだ。とか、絵描きさんから絵をいただいてコレクターに納める。とか、想像を膨らませていたのですが、柊美術店というのは、交換会などの業者間に強い画商だったんですよ。
外国のオークションであれば、スーツをバッチリ決めて行くけど、交換会は赤い毛氈を引いてスーツを着ている方もいましたが、それぞれ思い思いの格好をしていたのでびっくりしたのを覚えています。でも杉田社長さんの元で、とてもいい仕事をたくさん見させていただいたので、とても感謝しています。

 ・・・良い作品ばかり相当数ご覧になられたわけですね。

 出光美術館に作品を納めたり、国宝級の作品も目の前で見ることができましたからね。

 ・・・でもあまり高い作品を扱うのは、怖くはなかったですか。

 最初は貧乏学生だったから、100万円というお金を見たことも触ったこともなかったんです。 でも銀行に行ってひとりで高額のお金の出し入れを任されたりした時は、「ガードマンがついて来ないんだ」 と思って驚きましたね(笑)。

 ・・・修行時代は安い給料だったのでは。

 それが柊美術店は給料がよかったんです。その代わりプライベートもなく仕事仕事仕事の毎日でした。でも景気の良かった時は、ボーナスが3回も出たり、従業員全員にデパートでスーツを作って下さったりと、仕事の面では厳しかったけれど、豪快な社長でしたよ。

 ・・・何年位勤められたんですか。独立されてからは如何だったんでしょうか?

 34歳で独立しましたから、10年間勤めました。ただ社長から独立してから3年間は店を持つなと言われました。その代わり柊の社長はデパートへの出入りなどを奨励してくれましたので、それがあったから後々食べられたんですよ。最初は車が事務所代わりでしたが、3年経って銀座1丁目の昭和通りの向こう側に店を持ったんです。

 ・・・今現在では画廊の仕事は難しい局面に入っているのではないでしょうか。

 私は柊美術店の時代から物故作家を扱っていたので、その修行の賜物で、なんとか画廊を維持させています。

 ・・・そうやって儲けたお金で、自分が良いと思った作家の作品を買っていくということですね。

 本来画商というのは、「多少夢を持って・・・」、そういうものだと思っています。今、小嶋先生の作品の資料を集めているんですよ。ネガやポジも保存しています。今年の年末か、もしくは来年早々には、全作品といえないまでもレゾネに近いものを出したいと思ってるんです。

 ・・・凄いですね。一大プロジェクトではないですか。

 小嶋先生はそれに値するだけの希有な作家だと思っていますから。

 ありがとうございました。

戸村美術 http://kgs-tokyo.jp/tomura.htm

関連情報 作家さんや学芸員の評価は高いんですけれど、市場相場になると、私が思っている以上にはやや評価は低いような気がしているんです。ただ根強いファンがいるので、> > > 続き

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