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オサルスのおすすめランチ ランチdeチュ その150

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ローストビーフにポテトサラダ、ソーセージの盛り合わせとフライドポテト

SEA CASTLE KAMAKURA 
鎌倉市長谷2-7-15
TEL 0467-25-4335 12:00〜21:00/水曜定休

 

 「薔薇荘が7月31日で閉店してしまったのよ。あなたにはお知らせしようと思って」 と、アーティストの石内都さんから先日お電話を頂いた。
今年の三月に取材(http://www.gaden.jp/info/2006/060311/0311.htm)した折り、自分の記憶の原風景を垣間見るような気がした場所だっただけにとても残念。またひとつ私の記憶が風化してしまった寂しさを覚える。記憶を失うことは、取りも直さず自分自信の風化につながりはしまいか。漠然とした不安が心をよぎる。万物流転の法則を考えれば、止めようがないことなんだけども・・・。

 原風景とは、「心象風景のなかで、原体験を想起させるイメージ」 と広辞苑に書いてあった。生まれ落ちるときに親を選べないのと同じように、人はその土地や育った環境も選ぶことはできない。その記憶(生命記憶と共に)は少なからず作り手の表現に影響しているものだと思う。

 「あなたの生まれた場所は、あなたにとってどういう場所だと思いますか」

 暫くこの言葉をキーワードに作家にインタビューを試みることにします。
  (勿論その土地のランチもご紹介しますよ)

 トップバッターは、鎌倉在住のアーティストの樋口薫さん。
35度の炎暑の鎌倉でスケッチをする樋口さんをキャッチしました。

・・・樋口さんにとって鎌倉というのはどういう場所ですか。

 私の好きな鎌倉というのは…ちょっと情けない話なんですが、私の育った鎌倉であって、今の鎌倉ではないんです。昔はもっと自然がいっぱいあって、海もきれいでした。
私が好きな鎌倉はそれなんです。ただ高校、大学と地元から目が離れてしまった時期があって、ふっと自分の街に目を向けたときには、以前の鎌倉ではすでにありませんでした。それで何とかこの状況を打破したくて、私に何ができるか考えたときに、「鎌倉の海を守る会」 に参加したり市民委員になってみたりとか。
何故かと言えば、自分の生まれた場所を捨てる気になれないからなんです。この街は、私と切り離すことができない場所。戻らないことが分かっているけれども、思い出の中の鎌倉に戻したいと思っているんです。

・・・風化させたくないということですか。

 風化することは防ぎようがないと思います。それに日本人のモラル自体が風化しているので、それは言っても仕方がないことだし、経済の発展に逆行してしまうからなんとも言えないんだけれども、私の知っている鎌倉を誰かに知ってもらいたいし、自然もそのまま戻したい。 「こうじゃないの私たちって」 という発言はしたいんです。鎌倉というのは海もあって山もある箱庭のようなところ、小さいけれどいろいろなことを捉えやすいので、これからも鎌倉をキーワードにしたいと思います。

・・・そうすると、樋口さんにとって絵を描くことは?

 今、私にとって絵は人との架け橋だと思っています。例えば旅行で違う国にファイルを持って行ってその国の人に見せるとします。そうすると相手は私のことを知らない、けれども絵を介していろいろなことが話せるわけです。
ですから言葉で伝えられないようなことでも、絵を介せば伝わるような気がしています。それがとても楽しい。ですから絵でコミュニケーションをとるというのは、こういうことかもしれない。これが私がやりたかったことかもしれないと思うようになりました。

 お待たせしました。
 ローストビーフにポテトサラダ、ソーセージの盛り合わせと、フライドポテトでございます。

 樋口さんにご紹介いただいた 『SEA CASTLE KAMAKURA』 は、2007年で50年周年を迎えるドイツ料理のレストラン。歴史ある店内には、木でできた人形、ドイツの写真、花のコサージュ、ロウソク、いろいろなものが所狭しと飾ってあります。ドイツでは州毎にシンボルマークがあるってご存じでしたか (このお店のマークは左向きの熊です)。
それは国旗みたいなもの? らしく、国民は各州のマークをとても誇りに思っているようです。その熊の旗(州旗?)、そして熊のマークが描かれた絵も飾ってあります。実はこの作品は樋口さんが描いたものだそうです。

 このレストランにはランチメニューはありません。でもメニューは豊富。
今日はソーセージの盛り合わせ、フライドポテトなどなど、オサルスはうっかりして値段を控えてこなかったのですが、お腹一杯食べてふたりで3990円でした。貧乏なオサルスには、ちょっと高いランチだけどね。

 ドイツには、1500種類のソーセージがあるって知っていますか。ソーセージはドイツ語でヴルスト、白いソーセージはヴァイスヴルストと言います。どのソーセージも色つやが良くて、ずっしりとした重量感。ナイフをいれると皮がピキッ、中は密度高し。カレー味のソーセージもあって、さすがドイツという感じですね。もちろん美味ですよ。
 ローストビーフに添えられたポテトサラダは、一見マッシュポテトのようなのでマヨネーズ味を想像しますが、ザワークラウトみたいで、酸味があってさっぱりしています。
 酸味があるといえば、ライ麦を使ったロッゲンブロート(黒パン)は、サワー菌を使って時間をかけて発酵させるため、独特の酸味を感じますね。

 何故酸味が強いかと言えば、ドイツでは長く厳しい冬を暮らすために保存食が発達してきたから。それともう一つ甘たるくないのが、このお店のポリシーだからでしょう。
とても日本語の達者なオーナーは、礼儀を重んじる方達です。彼らはデジカメが大嫌い。料理など黙って撮ると例え客でも激しく怒られます。きちんと了承を得てからにしましょうね。実はオサルスもちょこっと叱られてしまいました☆

・・・ところで絵を描くきっかけは何だったのですか。

 野見山暁治氏の「うさぎ」の素描を見てなんです。

・・・「うさぎ」の素描ですか。

 ええ。その素描は、丸いお尻としっぽや長い耳を線で描いているだけなのに、うさぎがうしゃうしゃと集まって餌を食べているところを的確に表現していました。うさぎの匂いがしてくるようなその作品を見て、「絵を描くこととは形をなぞることではない」 と悟ったんです。

・・・絵を描くことは形をなぞることではない。

 動いている動作の軌跡を描くことで、目にみえる以外の本来の姿を表現することができるのではないかと思いました。例えば以前、自画像を描いていたのですが、それはウィンドウ越しに映った自分の姿なんですけど、ガラスに映ったうしろの世界と自分が被さって見える空間に興味を覚えました。
例えば自分の目線の角度や自分が動くことによって、見えるものと見えないものが出てきますよね。自分が立っている場所はここなのに、世界は見え方で幾通りにも変わる。
本来の形はどこにあるのか、それを知りたくて、はじめは自分の姿を半分消して、空間そのものに重きをおいてみたり、影にこだわってみたりしていました。
その当時は、形を描いてしまうとモノの本質が消えてしまうような気がしていましたから、ですから動作の軌跡だけを描きたくて抽象的な世界に移行していきました。

・・・そういえば初期の頃は、抽象的な大きな作品を描かれていましたね。

 小さい作品がまったく描けなかったんです。はじめは自分の中の未知を求め、自分を含めた人を圧倒させるような作品を作りたかったんです。それに当時、小さい作品は売り絵のような気がして、なんとなくそれを描くことは悪いように思っていたのかもしれません。
ただ大きい作品も描いているうちに自分で描いていることがわけが分からなくなってきて・・。元々私の作品は、描きたいものがあってそこに向かって盲信して描くわけではなく、途中でいろいろなものを発見しながら出来上がっていくものなので、自分のモチベーションが上がってくれないと描き続けられなくなってしまうんです。それで自分が描きたいものがどこかへ行ってしまったような気がして・・・。

・・・でもその頃描かれていた渦巻状の作品は、生命を象徴するような作品でしたよね。

 生命体のようなものに関してのイメージが抽象的すぎたのかもしれないし、自分の中でもう少し絞り込んでいれば、迷わないですんだかもしれません。
 迷ったときに、初心に戻って、ではこの街で何ができるのかということから始めてみようと、それで先ほどお話した鎌倉の海を守る会のボランティアであるとか、市民委員になってみようと思いました。

・・・悩むプロセスがないと、次には進みませんよね。消化するみたいなもので、食べ物が血や肉に変化するのにも、時間がとても必要なわけだから、その過程は飛ばすことはできないですよね。

 今思えば、当時は抽象的なことを抽象で表現しようとしたがために、わけが分からなくなって失速し沈没してしまったんです。ただその反省があったことで、いったい私の作品を誰に見てもらいたいのか、おぼろげながら気づき始めました。

・・・自分のためではないのですか。

 いえ、自分のためではありません。自分が自分の完成した作品を見たい気持ちはあるけれど、自分のためであれば描かなくてもいいかもしれない。自分が実際に見ていたものは、私は既に知っているのですから。むしろ私を知っている人達へのプレゼントのようなものかなと思います。
作品は日常生活の中から立ち上がってくるものなので、近所の八百屋のおばさんやペンキ屋さん、材木屋さんなどへのお便りみたいなもののような気もしています。

・・・コミュニケーションがとれる範囲は、声が届く距離であり、顔が見える範囲かもしれませんね。

 それで具体的な形を使って、抽象的なイメージを形にする手法を選びました。その具体的な形と言うのは…、例えば雨の絵であれば、見る側がその人の知っている雨のイメージを思い浮かべるわけですよね。ある意味その人の感受性は、生まれながらにして絶対的な基準を持っているけども、その絵を見ることで、その感受性が少し刷新され、広がりが生まれるのではないかと思うんですよ。
 元々私が描きたいのは、形そのものではなく、それをとりまく atmosphere な大気といいますか、空気感なんです。例えば蓮を描くのであれば、蓮のある風景を描くというよりも、蓮が水に映っている姿や、風に揺らいでいる姿を描きたい。花や葉っぱのいい匂いや小鳥や蝶や虫を身近に感じることで私はとても幸せを感じるので、そういう一期一会を大事にしたい。
家で制作するときは、もうちょっと修験者的要素が入ってきたりするけれども、スケッチはとても楽しいんですよ。でもスケッチだけで終わらせたくないのは、私が感じた質感を身近にいる人達やもっと多くの人にも伝えたいから。五感に感じる様々な志向性を描きたいんだと思います。何故ならそれは生きていることを実感することですから・・・。

・・・生きていることを実感するというのは、「今・ここ」の瞬間(動作の軌跡)を描き止めるということですものね。確かに、作品の流れを拝見していると、いろいろ紆余曲折を経て画風は変遷しているけれど、流れは一貫しているように思います。

 ただ描き止めるといっても、私の理想をいえば、音楽のような流れも表現したいんですよね。生きているということはリズムを刻むことですから。そのリズムは自分の中の暦となって、季節を刻む。それが表現につながっていけばいいなと思ってるんです。そんなことを考えていると、自分の周りの身近なものに自然と目が向くようになりました。具象的な作品に変わってきたのは、このような流れがあるからだと思います。
 きっとこの土地に今生きている自分にしか表現できないものがあるはずです。それを追い求めながら、もっともっといろんな人々に作品と接してもらえれば、とてもうれしいと思っています。

ありがとうございました。

「鎌倉の海を守る会」 についての主旨は、こちらをご覧下さい。
http://www.shonan-net.ne.jp/~kamaumi/

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