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オサルスのおすすめランチ ランチdeチュ その159

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サムゲタン定食 1500円

白飯家(キムチ食堂)
つくば市西平塚265-1 TEL029-860-2200

 

 2006年の最後の 「ランチde チュ」 はオサルスin Tsukuba。
 「ドローイングをめぐって」 (2006年12月19日〜24日 茨城県つくば美術館) 展を拝見しに来ました。つくばといえば関東の霊山、筑波山で獲れた四六のガマが有名。ガマの油と云えば、ガマが鏡に映る自分の醜い姿に驚いて、流す油の汗が切傷、すり傷に効くと言うお話。
でも実際にガマはガマ固有の世界のなかで生きているわけだから醜いと驚くわけがない。当たり前だけどガマが見ている世界と、人間が見えている世界とはまったく違うもの、いわんや人間同士が見ている世界が同じかといえば、例えばドローイングという言葉一つとっても、それぞれの解釈でここまで違う。
金子みすずの (私と小鳥と鈴と) じゃないけれど 「みんなちがって、みんないい」。世の中は、より合理的に画一化、均一化を目指すけれど差異がなければ面白くない。
 今日ご紹介致しますのは、「ドローイングをめぐって」 展に出品中の西成田育男さん洋子さんご夫妻。
 「12月に新国立美術館でグループ展をやるんですよ」 と洋子さんに今年のはじめ頃個展会場で言われて、じゃあ六本木でランチをしましょうとお約束したんですが、12月と言っても2006年ではなくて2007年の12月でした。ちゃんと確かめないオサルスもオサルスだけど、まちがえる洋子さんもナイスボケですよね(笑)。
「でも大丈夫よ。12月にはつくばでグループ展があるから」 の一言で今回のランチの運びとなりました。しかしつくば寒いですね。「寒いので、今日は韓国料理を御紹介しようと思ったんですよ」 と育男さん。辛い物は暖まりますものね。楽しみです。おっとその前に、ドローイング展のことからお聞きしましょう。

・・・今回のドローイング展を拝見して、ドローイングの解釈というのはこんなにいろいろあるんだなと思いました。

 洋子さん:この展覧会の前に皆で何回か集まりまして話し合ったんですが、言葉で定義づけることなくそれぞれの解釈で行こうと、私は立体を制作していますので、立体でドローイングをしてみたんです。
今回壁に展示した作品は・・・2002~3年に文化庁芸術家在外派遣研修員としてニューヨークに行ったときに 「ダイアリー」 のシリーズ (紙の大きさを決めて1日1個づつ100個制作) を発表しまして、今回その続きを考えたのですけど、でも何か飽きてしまって・・・それで洋服の作品を4点展示いたしました。

 育男さん:ドローイングという言葉の解釈はいろいろあって、MOMAでは紙に描いてあれば何でもドローイングだよといっているし、作品の初めに試すのはデッサンで、自立したものをドローイングだという人もいる。また、それはフランス語と英語の違いだという人もいるし、本当に解釈はその人それぞれいろいろありましたね。

・・・育男さんはご自身のコメントに、「自分自身が描いた痕跡はできるだけ抑えたい」 と書かれておられましたが・・・。

 ちゃんと描くことを否定はしてはいないんですが、「これは私です」 みたいな感じで出すことに、気恥ずかしさがあるんです。でも描くことはとても楽しんですよ。
例えば旅行に行くときは必ずスケッチブックを持って行きますし、スケッチしたものを溜め込んで、本の装丁みたいにして製本しますから、でもそれは自分のために作ってるんです。それをギャラリーで発表したいとかとは全く思っていないんですよ。それは文学をやられる方が、自分の日記を人前に公開しないのと同じことだと思いますね。
展覧会は、外から受けた客観性をおびたものを入れて出すことで、初めて成立する。僕にとってのドローイングは、自分が直裁的に受けたものを整理をしないで野放図に自分の感覚的なところで描いている。ですからそれが私ですというのには、わだかまりがあるというか。むしろ気恥ずかしさがあると言った方がいいかもしれません。

・・・確かタイトルは「Weather Report」ですよね。

 僕の紙のシリーズはタイトルすべて 「Weather Report」 とつけています。お天気というのは毎日違うじゃないですか。今回の作品は渋を引いているのですけど、渋は時間が経つとどんどん変化していくんです。たぶん3年もすると真っ黒になってしまう。 天気と同じで、僕の制作はその時の作業の状況で変化していく、その日その日の考え方でどんどん変わっていけばいいと思っているんです。そういうものを含めて 「Weather Report」 と言っています。

・・・洋子さんは立体、育男さんは平面を制作されていますが、共通項はありますか。

 共通項はあると思います。多分同根から出ているというか。ただ表現としては彼女の有機的な部分と僕の無機的な部分は正反対だと思います。彼女がいちばん初めに立体を作りはじめたときに、僕は恐れ戦いたことがあって、彼女は子供のようにボコボコ生み出すけれども、僕は一生懸命に考えて作るので作り出す数は比較にならないわけです。そのときに同じフィールドで仕事していくのは嫌だなと思いました。ですから今はお互いに関わらないポジションでやっています。

お待たせしました。
サムゲタン定食二つ (5種類の漢方と国産丸鳥の薬膳スープ、キムチ、カブのごま和え、コーヒー付き1500円) と草ごはん定食 (生野菜のサラダ風ご飯ビビンバ。キムチ、スープ、コーヒー付き900円) になります。

こちらはご主人の育男さんが、お友達の元筑波大學の技官で現代美術のカメラマンでもあるSさんからの紹介というお店。
「僕らは水戸に住んでいるので、つくばはよく知らないんですよ。そもそもつくばは以前から何も無い所でした。でも85年に科学万博を開催するので、ポストモダンで都市を造った。それ以来こちらに来ると道に迷うようになってしまったんです」 と育男さん。

ポストモダンかぁ、近代を超えようとして道に迷ったのかな???

窓からは冬の田園地帯が広がって寒々しいけれど、キムチと熱々のサムゲンタンなら身体が芯から温まりそうです。
ふーふーふー。アチチチ・・・。サムゲタンはナツメと朝鮮人参が入った滋養強壮に効く熱々スープ。塩、コショウを使い、自分の好みの味加減で食べることが出来るのは驚きです。朝鮮人参も丸ごと入っているし、鶏がとろけるように煮てあるからコラーゲンもたっぷり。豆入りご飯がスープにあいますね。それにキムチがとてもさっぱりしている。

キムチといえば、こちらの 「慶尚南道海印地方の趙家」 のキムチは、実は4年前に亡くなったお婆さんの味を守ろうとお孫さんが跡を継ぎ、漬け込みに使う調味料も材料から仕込んで作り続けているのだとか。噛む毎に素材の味が広がって素朴な味です。(キムチのみ製造販売もしていますhttp://yo-getsu.com

 「私たちが懐かしいと感じている味をお届けしています」 こちらはお孫さんの趙さんです。

お店が趙だからなのか。超まいう。今年食べたランチの中では一番美味しいんじゃないかな。趙お薦めです。

・・・ところでご結婚されたのは・・・。

 僕が24歳で彼女が25歳の時です。同級生だったのですが、お互いに結婚してからですね作品を創るようになったのは。

 私は子供を生んでからです。それまで生きている実感を持つには何をすればいいのかイマイチわからなくて、子供ができたことで、子どもに夢中になるかと思ったんですがそれもなくて、以前から油絵は描いていたのですけど、子供が生まれたことをきっかけにしてまた描きはじめました。
ただどんどんどんどん油絵を塗り重ねて盛り上げて、結局私の作るものは考え方としては立体なんです。そのときに作った半立体の作品をグループ展に出品しましたら、あるデザイナーの方から、本格的に立体を作るように勧められて・・・そこから立体を作り始めたのですけれども、何故かちゃんと立たないんですよ(笑)。
ですからずっと試行錯誤の連続でしたね。そうこうしている間に1987年に栃木県立美術館で 「アート・ドキュメント87」 展があり、それがある意味私の制作活動の始まりみたいな感じです。

・・・それ以降 ”記憶の領域” というタイトルで展覧会をされているのですか。

 ええ。今まで廃材や廃品などの素材をいじっている楽しさでずっと来てしまったのですが、段々何を作ればいいのかわからなくなってしまって、自分は色がとても好きだったことを思い出し造花に色を塗って作品を制作していたりしましたけれど・・・。お恥ずかしい話表現したいことが分からなくなったんです。周りからは作品が有機的だとか言われていたのですけれども、自分でそういう意識もなかったしそういうものを作りたいということもなく・・・。
ずっと自分の中で分からないなと模索しながらニューヨークに行ってしまって、戻ってきてからある新聞記者の方に 「潜在意識を揺り動かされる作品だ」 と言われて・・・それは記憶のもっと奥の部分に在る何か、素材をいじっていて引き出したくなるような部分ではないのかとようやく気がついたんです。

・・・何故洋服を使おうと思われたのでしょうか。

 自分で興味があることというのが、人なんだなぁとぼんやり思ったのが2年ぐらい前でした。何かきっかけがあったのですけれど、今ははっきり思い出せないんですよ。ただ先程お話しました 「アート・ドキュメント87」 展で、洋服といいますか、布の素材感が好きでしたので布を素材の一つとして使ったことがあるんです。
でも段々作品を制作しているうちに、「立体はこうあらねばならない」 という固定観念が入ってきて、立体として立つようなものを目指してしまい、そういう表層の部分で頭がガチガチになってしまったのではないかと。でも試行錯誤を経て人の肌触りとかぬくもりに愛着を感じてまた布に戻ってきたといいますか。
古着でも壁のシミでもそうなんですけれども、人はどこか記憶を辿る行為に惹かれませんか。私はきれいな花よりも枯れた花や枯れた風景に惹かれます。人でもお年寄りの方に惹かれますから(笑)。今はまだそのぐらいしかわからない。
ただ最近思うのは、洋服というのは人が着ていたものだから存在として大きい、逆に言えばそういう力を借りないと作品ができてこないというか。そういう力を借りなくても、作品ができればいいんだけれど、まだそこまでいかないんですよ。

・・・確かに洋服には、例えばブランド品を着たいという怨念があるのかもしれませんが(笑)。洋服の持っている記号性といいますか。洋服を着ることによって出るイメージといいますか、西成田さんの作品を拝見していると、人を俯瞰しながら・・・制度の中に縛られている記号性を組換えているというか、読み変えて提示さているように思うんです。ある意味「ものの見方や解釈の仕方は千差万別、差異的な関係性からしか何も見えて来ない」と云われているような気がして・・・。

 人と同じことをやらなくてもいいわけだから、そういう意味で美術は貴重だと思います。今学校で美術の時間を減らしていると聞くけれど、それって寂しいですよね。子供達にとってはそれが唯一休める時間なわけだから。

 美術の授業を減らしてゆとり教育をしてもしょうがないんですよ。美術に成果主義を入れて時間内に出来上がることを指導するのはバカじゃないかと思う。皆がステレオタイプになる必要はないし、そこからはみ出してしまうのが人だから、はみ出してもOKというところを残しておかないと生きにくい。
むしろはみ出しているところが個性なんだから。僕らの世代は定年までには少し時間があるけど、同年齢のサラリーマンの人たちを見ていると、家のローンや退職後の仕事への不安もあり、「作家はいいな」 と、羨ましがられることがあるんです。冗談じゃないと思うけど(笑)、確かに周りを見ていると辛いだろうなと思いますね。
定年になってやることがなくなると、生きているという感覚にならないというか。僕たち夫婦はかろうじて美術というものに興味を持って今まで来たから体が動かなくなっても、やる気になればできる仕事がある。それはすごくラッキーだと思いますね。

・・・画一的に世の中を見ない方が、人生が豊かになるんじゃないかなとは思いますよね。

 僕はデザイナーもやってますので、最近お百姓さんとタイアップして仕事をすることが多いんですが、彼らは歳をとっても自分の経験則を生かしながら自然と関わっている。そういう人たちはサラリーマンの方たちとは違う見方があって、例えば88歳のお年寄りが米寿のコメを作るんだといって前向きに生きていこうとしている。
そういう考え方が手仕事にはある。でも昨今手を動かさないこと、何かに関わらないこと、それがイコール進化した人間の有り様だとする風潮があるけれど、それは何か違う気がします。
彼女も僕も手間暇かかる仕事ですが、熟達してくれば手早くなるし、彼女の場合は布、僕の場合はキャンバスや絵の具だけれど、そいつらとどういう話をするか。仲良くなればアドバイスをしてくれる。そういういい経験というのは手仕事が教えてくれたことなんです。作家という言い方はオーバーかもしれないけれども、僕らは物作りで良かったなと思っています。

 私もモノを作ることで、世界は広がったと思いますね。それは人とものとの関係を大切に考えた結果からかもしれません。それをつきつめていけば人間も自然の一部であるという考えに行き着きますよね。どんなに時代が変わろうともそれは不変じゃないかと思うんです。

今日はどうも有難うございました。

西成田育男 関連情報 2006.10 2004.9 2002.9

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