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生誕100年 鶴岡政男展 −無頼の遊戯−
  2007年4月14日 -6月17日

  群馬県立館林美術館  群馬県館林市日向町2003 TEL 027-672-8188 9:30-17:00
  http://www.gmat.gsn.ed.jp/

 群馬県立館林美術館では、生誕100年を記念して6月17日(日)まで鶴岡政男展が開催されています。

 群馬県立館林美術館は平成13年にオープン。多々良沼の北側に位置し、桜並木や松林などの美しい自然に囲まれた美術館です。館内の周りは手入れのゆき届いた芝生が敷き詰められ、展示室の奥の木立の中、別館にはフランソワ・ポンポンのアトリエが再現されています。アトリエには彫刻家が実際に使っていた家具や愛用の品々が置かれ、彫刻作品の生み出される場を体感できます。

 今日は群馬県立館林美術館学芸グループリーダーの徳江庸行さんにお話をお聞きしました。

・・・徳江さんは、もう何年くらい鶴岡政男を研究されておられるのでしょうか。

 79年に高崎の近代美術館で初めての回顧展が開催され、私はその翌年の80年に美術館に入りまして、その時から鶴岡政男の担当をしております。
群馬県は著名な洋画家が輩出している県で、山口薫も鶴岡政男(1907年生まれ)と同年の生まれなのです。79年の回顧展には、個人の所蔵作品が多かったのですけれど、現在、北は宮城県の美術館から、西は福岡の美術館まで全国の美術館に所蔵されています。今は公立美術館が持っている作品数の方が多いのですよ。
鶴岡政男は亡くなられてからこの27年の間に、作家としての位置を確立した画家だと思いますね。

・・・文京アート 【鶴岡政男展 生誕100年1940年代〜'60年代 2007年4月9日(月) - 27日(金)】 で作品を拝見した時に、作品は重くて暗いけれどもどことなくユーモラスな部分もあるというイメージが強かったのですが、美術館で改めて拝見して、ここまでリズムを感じるとは思いませんでした。

 鶴岡政男自身も晩年 「自分の絵をポピュラーソングみたいに見てもらいたい」 と言っているのです。ただ子供が見ると 「怖い」 と言いますね。ただのユーモアではないブラックな部分を敏感に感じ取るみたいです。

・・・表層的ではなく、深い淵を描かれているからでしょうか。ところで鶴岡政男の作品は、年代によってかなりの変遷がありますね。

 固定化を非常に嫌っている方でした。二、三年周期で変わっていく感じですね。常に新しい自分を見つけていくというところがありまして、ただ、見つけていくというよりも、画家自身は逃げるという言い方をしています。生前「自分の人生は逃げっぱなしだ」と言われていました。

・・・今展示は、初期の作品から展示されていますが、戦前の作品はすべて燃えてしまったとお聞きしました。

 ええ。東京大空襲でほとんど焼けてしまいまして、入口のところに展示されています油彩画二点が、戦後復元された作品です。小さい 「髯」 の作品が戦災を免れた素描になります。
現在現存する作品は、今回の展示した作品を含めて素描が二点と油彩画が二点。ただ油彩画二点は肖像画でしたので今回は展示いたしませんでした。
戦前に描いたとされている作品も小さなモノクロ図版で、美術雑誌に載っているものしか資料が残されておりません。ですから戦前にどういう仕事をされていたのか、そういう部分からしか推し量れないのです。

・・・画家自身も子供の頃からかなりの変遷を繰り返したということですが・・・。

 自分探しという部分があったのかもしません。はっきりはしておりませんが、私生児であったと言われています。その後母親は駆け落ちをしてしまい転々とした暮らしが続き、自身が結婚してからも絶えず自分を変えてくという意識が働いているからだと思うのですけれども、夫婦仲が良いとはいえず転居を繰り返していきました。
最終的には泉鏡花の草迷宮に惹かれて、神奈川県の葉山に住むようになったのです。何故かといえば、母親探しの旅をして行き着いたのではないかと思われます。

・・・何故油絵を描き始めたのでしょうか。

 小さい頃から図画工作が好きだったようです。芸術に目覚めたのは、ゲーテの 「ヘルマンとドロテア」 を読んだのがきっかけだったといわれています。何故油絵を選んだのかと言いますと、やはり前衛を意識していたのでしょう。
当時はシュールリアリズムや表現主義、プロレタリア美術などが全盛でしたので、そのなかで模索していた時期があったと思われます。当時太平洋画会の研究所に入っておりまして、実は学費を滞納して除名させられてしまいました。
その後、洪原会(二回展覧会を開催)、NOVA美術協会(七回展覧会を開催)を結成しましたが、詳しいことは先ほどお話したように戦前の事ですので図版からしか推測できないのです。

・・・戦後美術を語る上で象徴的な作品と言われている 「重い手」 の当時の評価はいかがだったのでしょうか。また、生活はどうされていたのですか。

 「重い手」 は教科書にも載っている有名な作品ですが、描かれた当時はそれほど反響がなかったみたいです。年代を経て評価が高まって来たといいますか。当時は生活も苦しくかなりいろいろな仕事をしていたみたいです。若い頃は作品のほとんどは売れませんでしたので自分の手元にありましたけれど、晩年にある方の手に多数渡ったようです。

・・・画家は54年の美術雑誌の対談で「事ではなくて物を描く」と言う有名な言葉を言われたと聞きました。徳江さんはその言葉をどのように解釈されていますか。

 その事について今回のカタログに、神奈川県立近代美術館館長の山梨氏が書かれていますが、私も山梨さんの意見にある程度賛成なのです。どのようなご意見かといいますと、「物」 と言うのは物体というものに捉えられがちだけれども、むしろ 「自分の現実を絵画化したもの」 と文脈としては捉えられるのではないかということです。
「事」 といいますのは、ある物語性みたいなものを意味しているのかなと思うのですけれども、そこがなかなか微妙なところで、山梨さんはすでにあったイズムや外国の表現形式に言い換えることができるのではないかと言われています。ただその受け取り方というのは人によってかなりまちまちなのです。
逆に 「物ではなくて事を描くではないですか」 と言われる方もいらっしゃる。そのぐらい定義や意味合いが揺れています。また、分かりづらいのは画家の作品がその発言後、「物」 に集中していったのかどうかと言いますと、物よりもある物語性みたいなものが見えてきて、逆に 「事」 の方に傾倒していたではないかという風にも考えられるのです。
ただ何故このような発言をしたかといいますと、国立近代美術館で開催された 「抽象と幻想展」 の折りの日本人の作家の作品に対しての言葉として発しています。ですから画家自身を含めて、「現実が描けていない」 と言ったとしたらある程度納得がいく言葉かなと思っています。

・・・ある意味言葉が独り歩きしてしまったということですか。

 時間的な流れが見えていないと分からない部分もありますし、いろいろな人の意見が入ってきますと、言葉のニュアンスに温度差が出てきたりしますので分かりづらくなるのではないでしょうか。今回の展示は年代順になっていますが、60年代の作品は、かなりポロックのような抽象表現主義の仕事をしています。

 ただこの仕事は一年たらずの仕事ですぐに 「ポコシリーズ」 に移行しています。「ポコ」 といいますのは、当時新宿にたむろしていたフーテン族の女王と言われていた人で、非常に人気者だったそうです。その人を題材にして作品を制作しています。
この当時の作品はまだ抽象表現主義のなごりがあり、形が明確に現れていないのですが、「夜の祭典」 という作品から、形がはっきりしてきているのではないでしょうか。題材としては、稲村ヶ崎でランチキ騒ぎをしたとかアメリカのカーニバルを取材したものとか言われていますが、真偽のほどは分かりません。

・・・60年代の作品にはアニミズム的な要素を感じます。

 呪術的な感じがありますね。61年ぐらいからパステル画を始めています。パステルといいますのは重ねて描きますよね。描いてはふっと息をふきかけて形態がどうなっているか、色がどのようについているかを見ながら描いていくわけですけれども、それによって形と色が明快になっていく。
パステル画は生活の糧のために描いたと言われていますので、構図や色が油絵と同じものも多いのですよ。ただ今回はそういう作品を全部外しております。生前パステル画は300点以上描いていますが、パステルのみで展開した二十一点を展示しているのです。(前期と後期で展示替えがあり)
作品がはっきり変わるのは65年からなんですよ。かなりはっきりとした色面に変わってきていますでしょう。

・・・それは何故でしょうか。

 その辺がこの画家の画家たるゆえんだと思うのですが、ご自身の作品を語られる時に、「批評家にもつかまりたくない」 と言われていまして、先ほどご覧になった 「夜の祭典」 は形がはっきりしてきていましたよね。それをもっと割り切れた世界へ踏み込んでいったという感じがしないでもないです。ただ、どうしてそうなったかということは明確には答えづらい部分があります。

・・・65年からの作品は、動き始めたというイメージがありませんか。心の奥深いところで響いているような音を感じる作品だと思います。確かボンゴを叩いていらしたのでは・・・。

 60年代以降に叩いていました。それまでは特に集中して叩いていたわけではないのです。晩年にはテープレコーダーに多重録音をしたりして、音の遊びをしています。それ以外に彫刻やガラス絵、釣り竿を作ったりしてとても多芸の人でした。

・・・作品をご覧になる方の反応はいかがなのでしょうか。

 好きづきがありますね。戦後すぐに描かれた暗く重い作風が好きだという方もいらっしゃれば、一見明るく見える作品が好きな方もいる。あるいはどの作品もまったく相容れないと言われる方もいらっしゃいます。
でも筋はきちんと通っている作家だと思いますよ。人間を描くということに一本筋が通っていた。それに何を描いていても人間になってしまうということはありますね。

・・・(寸法が大きいとか小さいではなくて) 絵にスケール観がありますよね。視野がパァと広がるといいますか。こういうスケール観に接するととても気持ちがいい。だから美術館で展示されていると思うのですけど(笑)、特に65年以降の作品にそれを感じました。

 今回まさに見てもらいたいのはそういう部分なのです。そういうことを特に今の若い作家の人たちは知らないのですよ。ですから改めて生誕100年を機会に、鶴岡政男を見直してもらいたいという部分はあります。

・・・戦前から描いている作家は(こちらの思い込みなんですが)、暗く重い絵を描くみたいに思ってしまうような気がします。逆に言えば、そういう思い込みみたいなものを打破しながら描いてきた作家だから、見る側も思い込まないで見ることが必要な気がします。それに最近の若い作家は、モノローグ的な作風が多いですよね。でも鶴岡政男はそこにとどまらないから、見ていて気持ちがいいのかもしれないですね。
亡くなる前に描かれた 「夜明け」 は、色がすぅと透明になってピュアなものに近づいているような感じを受けました。山口薫や小山田二郎の絶筆に(図柄や生きざまは違っても)、心境はとても近いものを感じます。

 余分なものを削り落としたといいますか。浄化されていますね。がんで亡くなったんです。一説によればパステルの粉を吸い込んだためではないかと言われていて、金属質の物質が肺に見つかったそうです。
76年に腹膜炎で入院しまして、79年の9月27日に亡くなりました。9月24日に回顧展が終わり、残念ながらご覧にはなれませんでしたが、ほっとされたのか3日後に息をひきとられたのです。

・・・この後、6月30日から9月2日まで神奈川県立近代美術館(鎌倉)に巡回されるわけですね。

 ええ。他の美術館からも申し出があったのですが、中々タイミングが合わなかったのです。また昨今集客力の問題などもありますので、今回は二館の開催になりました。今回の回顧展が終わりますと、しばらくあいだがあくと思いますのでこの機会に是非ご高覧いただければと思います。

今日はどうも有難うございました。

館林周辺ガイド>
 これからのシーズンのお薦めは、県立つつじが岡公園に咲く樹齢800年のつつじや鶴生田川の「鯉のぼりの里」祭(ギネスに認定された5000匹の鯉が舞う)、館林花菖蒲園の菖蒲などがあります。
また、もう一つのお薦めにうどんもありますよ。

 駅でうどんの垂れ幕を見て、駅前の花山うどんさんできつねうどん(600円)を注文しました。ツルとして腰があってすごくおいしい。館林は良質の小麦の産地、有数の水郷としても知られ、古くから無臭透明な豊富な井戸水に恵まれて手打ち麺の技法が発展したとか、宮内庁御用達のうどんもあるそうです。

 ゴールデンウィークも間近です。清々しい風と初夏の日射しと鶴岡政男展を満喫されてはいかがでしょうか。

※企画展示 「生誕100年 鶴岡政男展」 関連ワークショップ
  「ツルオカさんの絵から音楽を作ろう(仮)」 【6月9日(土)、10日(日)】 の申し込みを5月8日(火)より受け付けをしています。

群馬県立館林美術館 http://www.gmat.gsn.ed.jp/

鶴岡政男 関連情報l 2007.4 2004.11 2002.4 2001.5

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