群馬県立館林美術館では、生誕100年を記念して6月17日(日)まで鶴岡政男展が開催されています。 群馬県立館林美術館は平成13年にオープン。多々良沼の北側に位置し、桜並木や松林などの美しい自然に囲まれた美術館です。館内の周りは手入れのゆき届いた芝生が敷き詰められ、展示室の奥の木立の中、別館にはフランソワ・ポンポンのアトリエが再現されています。アトリエには彫刻家が実際に使っていた家具や愛用の品々が置かれ、彫刻作品の生み出される場を体感できます。
今日は群馬県立館林美術館学芸グループリーダーの徳江庸行さんにお話をお聞きしました。 ・・・徳江さんは、もう何年くらい鶴岡政男を研究されておられるのでしょうか。 79年に高崎の近代美術館で初めての回顧展が開催され、私はその翌年の80年に美術館に入りまして、その時から鶴岡政男の担当をしております。 ・・・文京アート 【鶴岡政男展 生誕100年1940年代〜'60年代 2007年4月9日(月) - 27日(金)】 で作品を拝見した時に、作品は重くて暗いけれどもどことなくユーモラスな部分もあるというイメージが強かったのですが、美術館で改めて拝見して、ここまでリズムを感じるとは思いませんでした。 鶴岡政男自身も晩年 「自分の絵をポピュラーソングみたいに見てもらいたい」 と言っているのです。ただ子供が見ると 「怖い」 と言いますね。ただのユーモアではないブラックな部分を敏感に感じ取るみたいです。 ・・・表層的ではなく、深い淵を描かれているからでしょうか。ところで鶴岡政男の作品は、年代によってかなりの変遷がありますね。 固定化を非常に嫌っている方でした。二、三年周期で変わっていく感じですね。常に新しい自分を見つけていくというところがありまして、ただ、見つけていくというよりも、画家自身は逃げるという言い方をしています。生前「自分の人生は逃げっぱなしだ」と言われていました。 ・・・今展示は、初期の作品から展示されていますが、戦前の作品はすべて燃えてしまったとお聞きしました。
ええ。東京大空襲でほとんど焼けてしまいまして、入口のところに展示されています油彩画二点が、戦後復元された作品です。小さい
「髯」 の作品が戦災を免れた素描になります。 ・・・画家自身も子供の頃からかなりの変遷を繰り返したということですが・・・。 自分探しという部分があったのかもしません。はっきりはしておりませんが、私生児であったと言われています。その後母親は駆け落ちをしてしまい転々とした暮らしが続き、自身が結婚してからも絶えず自分を変えてくという意識が働いているからだと思うのですけれども、夫婦仲が良いとはいえず転居を繰り返していきました。 ・・・何故油絵を描き始めたのでしょうか。 小さい頃から図画工作が好きだったようです。芸術に目覚めたのは、ゲーテの
「ヘルマンとドロテア」 を読んだのがきっかけだったといわれています。何故油絵を選んだのかと言いますと、やはり前衛を意識していたのでしょう。 ・・・戦後美術を語る上で象徴的な作品と言われている 「重い手」 の当時の評価はいかがだったのでしょうか。また、生活はどうされていたのですか。 「重い手」 は教科書にも載っている有名な作品ですが、描かれた当時はそれほど反響がなかったみたいです。年代を経て評価が高まって来たといいますか。当時は生活も苦しくかなりいろいろな仕事をしていたみたいです。若い頃は作品のほとんどは売れませんでしたので自分の手元にありましたけれど、晩年にある方の手に多数渡ったようです。 ・・・画家は54年の美術雑誌の対談で「事ではなくて物を描く」と言う有名な言葉を言われたと聞きました。徳江さんはその言葉をどのように解釈されていますか。 その事について今回のカタログに、神奈川県立近代美術館館長の山梨氏が書かれていますが、私も山梨さんの意見にある程度賛成なのです。どのようなご意見かといいますと、「物」
と言うのは物体というものに捉えられがちだけれども、むしろ 「自分の現実を絵画化したもの」 と文脈としては捉えられるのではないかということです。 ・・・ある意味言葉が独り歩きしてしまったということですか。 時間的な流れが見えていないと分からない部分もありますし、いろいろな人の意見が入ってきますと、言葉のニュアンスに温度差が出てきたりしますので分かりづらくなるのではないでしょうか。今回の展示は年代順になっていますが、60年代の作品は、かなりポロックのような抽象表現主義の仕事をしています。
ただこの仕事は一年たらずの仕事ですぐに 「ポコシリーズ」
に移行しています。「ポコ」 といいますのは、当時新宿にたむろしていたフーテン族の女王と言われていた人で、非常に人気者だったそうです。その人を題材にして作品を制作しています。 ・・・60年代の作品にはアニミズム的な要素を感じます。
呪術的な感じがありますね。61年ぐらいからパステル画を始めています。パステルといいますのは重ねて描きますよね。描いてはふっと息をふきかけて形態がどうなっているか、色がどのようについているかを見ながら描いていくわけですけれども、それによって形と色が明快になっていく。 ・・・それは何故でしょうか。 その辺がこの画家の画家たるゆえんだと思うのですが、ご自身の作品を語られる時に、「批評家にもつかまりたくない」 と言われていまして、先ほどご覧になった 「夜の祭典」 は形がはっきりしてきていましたよね。それをもっと割り切れた世界へ踏み込んでいったという感じがしないでもないです。ただ、どうしてそうなったかということは明確には答えづらい部分があります。
・・・65年からの作品は、動き始めたというイメージがありませんか。心の奥深いところで響いているような音を感じる作品だと思います。確かボンゴを叩いていらしたのでは・・・。 60年代以降に叩いていました。それまでは特に集中して叩いていたわけではないのです。晩年にはテープレコーダーに多重録音をしたりして、音の遊びをしています。それ以外に彫刻やガラス絵、釣り竿を作ったりしてとても多芸の人でした。 ・・・作品をご覧になる方の反応はいかがなのでしょうか。 好きづきがありますね。戦後すぐに描かれた暗く重い作風が好きだという方もいらっしゃれば、一見明るく見える作品が好きな方もいる。あるいはどの作品もまったく相容れないと言われる方もいらっしゃいます。
・・・(寸法が大きいとか小さいではなくて) 絵にスケール観がありますよね。視野がパァと広がるといいますか。こういうスケール観に接するととても気持ちがいい。だから美術館で展示されていると思うのですけど(笑)、特に65年以降の作品にそれを感じました。 今回まさに見てもらいたいのはそういう部分なのです。そういうことを特に今の若い作家の人たちは知らないのですよ。ですから改めて生誕100年を機会に、鶴岡政男を見直してもらいたいという部分はあります。 ・・・戦前から描いている作家は(こちらの思い込みなんですが)、暗く重い絵を描くみたいに思ってしまうような気がします。逆に言えば、そういう思い込みみたいなものを打破しながら描いてきた作家だから、見る側も思い込まないで見ることが必要な気がします。それに最近の若い作家は、モノローグ的な作風が多いですよね。でも鶴岡政男はそこにとどまらないから、見ていて気持ちがいいのかもしれないですね。 余分なものを削り落としたといいますか。浄化されていますね。がんで亡くなったんです。一説によればパステルの粉を吸い込んだためではないかと言われていて、金属質の物質が肺に見つかったそうです。 ・・・この後、6月30日から9月2日まで神奈川県立近代美術館(鎌倉)に巡回されるわけですね。 ええ。他の美術館からも申し出があったのですが、中々タイミングが合わなかったのです。また昨今集客力の問題などもありますので、今回は二館の開催になりました。今回の回顧展が終わりますと、しばらくあいだがあくと思いますのでこの機会に是非ご高覧いただければと思います。 今日はどうも有難うございました。 <館林周辺ガイド> 駅でうどんの垂れ幕を見て、駅前の花山うどんさんできつねうどん(600円)を注文しました。ツルとして腰があってすごくおいしい。館林は良質の小麦の産地、有数の水郷としても知られ、古くから無臭透明な豊富な井戸水に恵まれて手打ち麺の技法が発展したとか、宮内庁御用達のうどんもあるそうです。 ゴールデンウィークも間近です。清々しい風と初夏の日射しと鶴岡政男展を満喫されてはいかがでしょうか。 ※企画展示 「生誕100年 鶴岡政男展」 関連ワークショップ 群馬県立館林美術館 http://www.gmat.gsn.ed.jp/ |
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