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オサルスのおすすめランチ ランチdeチュ その160

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マルゲリータ 1000円

オステリア西国分寺
国分寺市西恋ケ窪2−6−21  TEL 042-321-4177 
ランチタイム11:30〜14:00  月曜休み

http://www.osteria.ne.jp/

 

 オステリア西国分寺は、西国分寺駅北口から徒歩1分。本格的な石窯でピッツァを焼いているレストランです。
「研究室の打ち上げをする時に、ネットで見つけたんです」 と深井さん。深井聡一郎さんは現在武蔵野美術大学の彫刻科の研究室で助手をされています。去年の12月11日の個展の折り 「記憶」 をテーマに制作していると話されていたのですが、その言葉が気になって 「ランチ de チュ」 でご紹介することにいたしました。

・・・12月の個展では大きい方の展示空間に羊と教会と人が、小さい方の展示空間には額縁が三点と椅子とシャンデリアが展示されていました。小さい方の展示空間はご自身の生活の場である空間という設定で、壁に掛けられた一つ一つの額縁と大きい方の展示空間の作品が密接に結びついているのでしょうか。また、羊と教会がかなり高い位置にありましたが・・・。少しご説明頂けますか。

 額縁が、記憶として残っている映像を見るための装置として機能しています。ですから羊と教会と人が関係しているというよりも、額縁と作品一点一点が結びついているのです。椅子とシャンデリアがある空間は、ご指摘の通り 「記憶を思い起こす為に作り上げた僕自身の空間である」 という設定です。高い位置に羊と教会を作りましたのは、視覚的効果を見せるためで、展示空間との兼ね合いを意識しました。

・・・素材は土。ご自身のテーマである記憶と土は密接にかかわっているように思うのですが、初めにテーマがあってから素材を選ばれたのでしょうか。

 焼物というメディアは僕にとってやりやすいメディアだというのはあるんですけれども、土というのは一回焼かなければ陶にならない。焼いてる間は窯を操作するしか何もできないわけです。また焼き物というのは、焼いてる間に縮むし歪んでいきます。一旦僕の手を離れて、人ではないですが第三者みたいなものが介入することによって、風化していくといいますか、僕が作ったものが一回歪むことによって、記憶と同じように曖昧になっていく・・・。
実際に僕の作品は、旅先や日常に体験した記憶と密接に結びついているのですが、それを言葉で説明するよりも、どちらかというとモノは手を動かして作らないと本当に云いたいことが言えないのではないかと思っています。

・・・記憶は時間によって風化し曖昧になっていくもの、ただ記憶といっても、表層的な記憶ともっと深い階層の記憶もある。深い階層の記憶は、流動的で無分節だから言葉よりも身体を使うことによって表出してくるのかもしれませんね。手が紡ぎ出していく形というか。
ある意味素材に土を使われているというのは、地球の持っている深い記憶ともリンクするのではないですか、または火という自然が介入することによって、より記憶の元型的なるものが生まれるのではないかと思うのです。

 僕は昔から焼物がとても好きで、何度も発掘に参加したり、また骨董を集めたりしているんですけれど、土器には時代は違いますが、縄文式土器と弥生式土器があるじゃないですか。縄文式土器というのは女性が作ったものではないかと云われているんです。逆に弥生式土器は、男性が作ったと。
僕は弥生式土器の方が好きなんですが、どうしても僕が作るのは縄文式土器のような粘着質に文様を入れていくような作品が多くなってしまうんです。僕が女性的なのか、父の出身地が群馬県(群馬県は縄文式土器が数多く出土している)なので、そういう血が流れているのかもしれませんけれど(笑)。

・・・そういえば風貌も縄文式というイメージはありますね(笑)。

 でも自分の好きな作品は、軽やかで手癖で見せていないものなんです。ですが作るものは、土臭いといいますか。人の手で作り上げるような形しかできないんです。

・・・手で作るわけだから、土臭いとか泥臭い部分は付随してくるように思いますけれど。頭だけでは作れないというか。

 確かに手を動かす実際的な作業が入るので、初めにこういうものをこういう形でこういう理由で作ろうと思っても、実際に頭で考える作業は10%ぐらいで、後の90%はずっと手を動かしていないと作れない。ですから肉体的には苦痛なんですが、出来たときの開放感といいますか。その瞬間を味わいたくて続けているというのはありますね。

 お待たせしました。

 マルゲリータ (モッツァレラチーズ、バジリコ、トマトソース)とオイルサーディンとケッパーのピッツァでございます。

 【オステリア西国分寺のランチは値段によってABCと設定されています。基本形は、A ランチ(本日のパスタ または 本日のピッツァ、サラダ・コーヒーor紅茶orウーロン茶付き 1000円)Bは基本形+気まぐれ前菜付き、Cは基本形+気まぐれ前菜+プチデザートが付きます。オサルスは貧乏なのでA ランチを注文】

 こちらのお店は、パスタも美味しいらしいのですが、石窯で焼いたピッツァを注文。
発音もピザじゃなくてピッツァです。
 ピッツァといっても侮ることなかれ、イタリアでピッツァは、伝統技術を後世に伝えるために、緻密な基準づくりをしているのだと以前ネットで読んだことがあります。
 例えば、生地作りは必ず手で延ばすとか生地の材料は小麦粉、酵母、塩、水の4つのみとか、窯の床面にて直焼きするなど。細かく決められているみたいなんです(中心部の厚みは0.3cm、直径は35cmを超えないことなど細かな数値規準あり)。
 その中でも特に、ピッツァの代名詞とされるマルゲリータ (モッツァレラチーズ、バジリコ、トマトソース)は、シンプルだけに奥が深くごまかしは効きません。あれもこれもトッピングされている日本のビザは邪道なんですよね。
 さぁ、お味はどうでしょうか。
 生地がもちもちしてトマトチーズが絶妙なバランス。美味しい。ご存じですか? ピッツァは具ではなく皮を味わうものだそうです。生地のサックリ感と香ばしさは、この火が作るんですね。
 因みにオサルスが注文したオイルサーディンとケッパーのピッツァは、オイルサーディンが若干邪魔者だったかな。深井さんとシェアーして食べてよかった。

・・・ところで何故彫刻家になろうと思われたのでしょうか。

 僕の父が彫刻家なので、子供のころから美術館に何度も連れていかれて、中学生ぐらいの時に何か表現をする仕事をしたいなと思いました。ただまだ心が変わりやすい時期でしたので、デザインの方向に行こうかとかいろいろ悩みまして、結局建築を目指したんです。
でも建築というのは人の意見をたくさん聴いて、人の喜ぶものを作るものですよね。ただ自分としてはもう少し自己表出をしたいといいますか、それで建築も立体物と考えて彫刻科へと進んだんです。正直父が彫刻家でしたので悩みましたけれど・・・。

・・・お父さんが同じお仕事だとやりづらくないですか。

 やりづらいです。でもこれは対峙していかないとしょうがないものだと思いますし。基本的には父と子というポジションを保っていようと思っています。ただ名前は覚えてもらえるので、それはそれで僕のことを説明する一つの要素になってもいいんじゃないかと最近では居直っています(笑)。捏ねとかは勿論関係ないです。父は芸大ですが僕は武蔵美ですから。

・・・私も武蔵美なんです。科は日本画ですけれど。武蔵美も以前とは、だいぶ変わりましたね。

 そうですね。日本画は日本独特のメディアといいますか素材を使うわけですから、日本画出身の人がもっと岩絵具を使って現代美術の方に入ってくると面白くなると思いますけど・・・。

・・・ただ、自身のコンセプトと素材の関係をきちっと見ていかないと難しいように思うのです。自分が何故このメディアを使うのかという基本的なことがはっきりしないと、流されてしまうといいますか。
私が学んだ時代は、日本画とはこういうものだという思い込みがあったように思います。ですから、学校を出ていろいろなメディアに出会うことによって、いろいろな見方があるということが、やっと分かったように思います。

 僕が何故土を使うのかというのもそこなんですが、自分の記憶をモチーフにしているときは、なるべく型どりをしたくなくてはじめに無垢の塊を作るんです。そこから土でモデリングとカービングの作業をします。普通土ですとモデリングがメインで、カービング(塊から削りだしていくこと)はあまりしないんですよ。
要するにカービングというのは木彫や石彫で使うものですから。でも僕の仕事は、カービングから始まります。作り込みに入ってからはあまり時間をかけたくないので、一日二日で作りあげるようにしてるんです。あまり作りすぎてしまうと、自分自身の創造の部分が入り込んでしまうので、その部分はできるだけ排除したいと思っています。

・・・ある意味記憶に忠実にということですか。

 焼物は違うものに置き換えるという行為をしなくていいという意味では、僕にとっては必然だったと思っています。石膏の型どりでは僕がやろうとしていることは多分できなかったと思いますので。

・・・型どりというのはプロセスを経ることだから、土の中に秘められているエネルギーを、ある意味身体を通して直接引き出すわけですから無理があるかもしれませんね。ただ美術の中で、焼物の占める位置はあまり理解されていないようにも思うのですけれど。

 工芸畑から入ってこられる方は多いですし、また彫刻ではテラコッタを制作される方は多いですが、陶ということでいえばあまりいないといいますか。ですから分類されづらいのかもしれないですけれど、逆にいえばやる人がいないいうことは、これから伸びていくのではないかと、あまり人がやっていることをやってもしょうがないので・・・。

・・・でも人というのは素材によって、カテゴリ分けをしたがるというか。素材によって意識の違いがあるように思うのです。そこらへんは変革が必要じゃないですか。

 そうですね。本来工芸も彫刻もそんなに分離されなくてもいいと思うんですよ。

・・・分節して安心したい部分はありますよね。ところで学校に釜はあるのですか。

 僕が学生の頃は工芸のサークルに入っていたのでそこで焼いていたのですが、学校の窯というのは石をその場で組んで耐火ボードで蓋をして焼きますので、 800度〜900度までしか上がらないんです。来年度に新校舎ができまして、1200度まで焼ける窯が二台入るんです。
ただ僕は家にも窯を持っていて1200度まで焼けます。個展で小さい方に展示した黒い作品は1200度以上で焼いたものです。大きい方に展示した作品は楽焼きといいまして、天正年間、瓦職人だった長次郎が千利休の指導により聚楽第を建造する際に使用された土を使って焼いたものが始まりとされています。

・・・楽焼きなんですか。

 実際は800度〜900度の低火度で焼成した陶器を楽焼きといっています。でも長次郎の楽焼きはもう少し温度が高いといわれているので微妙に違うんですけれども。ドレスの作品は、かなり楽家の楽焼きに近いやり方で作っています。もちろん楽家の調合は秘伝なので違うと思いますが、僕は僕なりに考えて制作したものなんです。
ただ黒い作品は、イメージ的には瀬戸黒や織部黒の色を出したくて始めました。原理的には同じものを使っているんですが、作品が大きすぎて引き出せないといいますか。あの黒というのは、釜が1200度になって、釉薬が解けた時に釜から引き出して急冷するんです。
水の中に入れて急冷することによって黒を引き出すというか、そのまま焼くと全部茶色になってしまうんです。ですから僕が作る黒というのは、黒浜という砂鉄があるんですけど、それを使っています。何故黒を使うかというと、黒はイメージを限定しないからです。
2002年〜2003年にかけて文化庁在外派遣研修員として英国に滞在して、黒い作品をかなり作りました。ロンドンから帰ってきてから少し行き詰まってしまってしばらく作らない期間もありましたが、最近は色をいれるように変化して来ました。

・・・海外で焼く場合はどうなんですか。

 それぞれの国でそれぞれにあった焼物が発展しています。ロンドンに滞在したときも、何種類かの地を使って焼いたのですけれど、日本のいつもの感覚で温度を設定したので、粘土自体の耐火度のキャパシティを越えてしまって、立体ではなく平面状に溶けてしまったんです。窯の修理代で結構費用がかさみました(笑)。

・・・外国というのは言語の違いを見てもわかるように、本当にその文化を理解したのかといえば難しいでしょうね。でも手を使って土をこねていると、ある意味人類の太古の歴史や種族の記憶に遡るような元型的なるものに近づくことも可能なのでは。

 旅行で行く時は自分の記憶のソースを増やすことになっていくと思うんですけれども、現地でしかない素材を使って作るのは面白いと思います。助手の任期もあと2年くらいなので、その後は海外に行こうかなと思っています。

今日はどうもありがとうございました。

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