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オサルスのおすすめランチ ランチdeチュ その162

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シチューオムライス 1090円

カフェテリアTARO
川崎市多摩区枡形7-1-5 
10:00〜17:00 (3月〜11月 17:30)
カフェテリア直通番号 044-900-6155

 

第10回岡本太郎現代芸術賞 2007年2月3日 - 4月8日

川崎市岡本太郎美術館
神奈川県川崎市多摩区枡形7-1-5 TEL 044-900-9898

http://www.taromuseum.jp

 TARO賞も今年で10回目を迎えました。
名称も 「岡本太郎記念現代芸術大賞」 から 「岡本太郎現代芸術賞」 へと変わり、太郎賞、敏子賞という賞も新設され受賞者も決まりました。
 それに水をさすつもりはないのですが、去年の授賞式で、「次回は10回目を迎えるので今までと違った賞のあり方を提示する」 と云われたのを思い出し、「今までと違った賞のあり方」 とは名前の変更だったのかとちょっとがっかりした次第です。

 今日は、岡本太郎美術館、館長の村田慶之輔さんにお話をお聞きしました。

・・・今年から岡本太郎賞と敏子賞が設けられましたが、内容的には若干マンネリぎみのようにも思えるのですが。

 生前敏子さんと僕で話をしていて、展覧会はいつまでもだらだらやるものではないし、この調子でいくと、単におもしろいともてはやされるだけの展覧会になる恐れがあるから、10回目になったらやめるかやめないか考えた方がいいと話し合っていました。敏子さんもそれに賛成されていたのですが、残念なことに 2005年に亡くなられてしまった。
 それを考えればやめる理由はたつかもしれないけれど、でも10回を区切りとしてもういっぺん内容的に考えようということで取り敢えず継続することにしたのです。
 はじめは大賞に賞金300万円、優秀賞に賞金100万円、佳作賞が賞金50万円でした。しかし大賞は9回まで一度も出ていないのです。

・・・準大賞は後から設けられたのですか?

 優秀賞100万円では賞として物足りないような気がしたので、準大賞を設けようということで、賞金を150万円にしてその他の賞も増やしました。賞金はその都度全部使っていたんです。外野は大賞を出さないのはケッチっているんだろうとか貯めているんだろうと云っていましたけどね(笑)。ときには足が出たこともあるんですよ。

・・・ただ準大賞を作ったけれど、その後も準大賞を越えると思われる作品がどうしても出なかったということですか。

 審査の基準というのは主観的といえば主観的なのだけれども・・・。今まで準大賞を受賞した作家たちは、現在いい仕事をして継続してさらに発展してやっている。
大賞を出すということはそういう作家を超えられる作品でなければならない。そういう経緯でここまで来てしまったわけです。それで10回展は考え直すということで、敏子賞を作って賞金を100万円にして、大賞を太郎賞と命名して賞金200万円にしました。
その方が出しやすいし、今年は大賞を受賞できた作家もいましたので形式的に収まったのです。まぁ、これからどういう形で継続していくかわかりませんけれども、しばらくこの方法でやっていく予定です。

・・・賞を受賞しても、その次年度にトライをする作家はあまりいないと聞いたことがありますが・・・。

 世界で行われている展覧会の賞のすべてを把握しているわけではないけれど、日本というのは第1回とか2回目ぐらいまでは経歴がある人が応募してくるんです。いい仕事をしているから当然のことのように受賞するでしょう。でもその次からは応募しなくなる。
何故かというと落選して表に出なければいいけれど、一般入選に留まって受賞しなければ恥ずかしいという気持ちがあるのです。大賞を受賞してしまえば多分次の年は応募してこない。でも外国では立派な仕事をして賞を受賞している作家でも平気で日本に応募してくる。 恥はかき捨てだから構わないということでは決してない。だから受賞しようがしまいが挑戦してみればいいんですよ。今回受賞した人にも来年も待っているからと伝えました。

・・・受賞すると個展をさせてもらえるメリットがあるのではないですか。

 床面積が少なくとも約300平米以上あるところでの個展といいますと、経費のことは別としても相当の力量が必要なのです。力量のある人はいいのだけれど、たまたま偶然にいいアイディアが浮かんだときの作品で受賞してしまうと、展覧会が開けない。過去にそういう事例がありました。
太郎賞は年齢制限もないし材料やその他の制限もないから 「太郎だから色んなことをやっていいんだ」 と、こちらも内容的におもしろいだけで選んでしまうと続かない。ある意味選考方法に問題があるのかもしれないけれどね。
 岡本太郎賞はファイルで審査するわけです。今年であれば約600名の応募者の中から16名の入選者を選びました。先日の授賞式のときにも話しましたが、ファイルにある作品が実際の作品に十分に生かせなかったという人が当然出てくるわけです。また、ファイルで見た以上の作品が出ることも当然ある。その辺ははっきり言って作家の力です。

・・・一次選考は出品作の構想図 (見取り図や完成写真など) で審査し、入選すると約五メートル四方の空間 (場所) が美術館側の支持で与えられ、そこで実際に制作すると聞きました。与えられた空間を如何に見せられるか、空間演出が出来ないと難しいのでは。

 応募作品は絵画だけではないから物理的にも、はじめから原寸大の作品を審査するわけにはいかないですからね。ただ手法的な欠陥として見えてくるのは、いわゆる彫刻や絵画の作品が出にくいということなんです。
彫刻や絵画を制作している人は、キャリアをずっと積んでくるんですよ。何十年にもわたって制作しているわけだから、制作に於いての意図というか、コンセプトは今までやってきたことの延長を書くわけです。それは旨味がない。

・・・旨味といいますのは?

 コンセプトに評価する基準が現れてこないということです。例えば風景画や人物画をずっと描き続け「今年は○○を描きました」と言われても、特別に斬新なプロジェクトには感じないのですよ。積み上げの結果さらに上手くなるか。上手くならないか。それだけの話ですから。他の既存の展覧会は作品を前にして審査するから力がはっきりわかるというか、審査結果は力の結果として出てくるわけです。

・・・でも太郎賞は審査対象が構想図だから計画段階を審査しなければならないということですね。

 選考の基準になるのは、自身の意識がどれだけしっかり目覚めていて、対象化していこうとする蓄積があるかどうかなんです。インスタレーションやイリュージョン的なモノなど、プロットが思い浮かんだ作品は言葉になりやすい。コンセプトがはっきりしていてそれにラフスケッチや写真をつけるわけだから、審査員が判断しやすいんです。構想図の段階で完成作品を見てみたい気持ちになるし、問題意識も汲み取ることが出来る。

・・・そうすると結果的に言葉できちっと説明できなければダメということですか。

 ただ若い美術家が言葉でどれだけ言えるのか、しかも我々は、その中からどれだけ読みとれるのか。はっきり言って読みとれることは読みとれるんだけれども、読みとりたくない文章もいっぱいあるわけですよ。そこが問題なのです。
昔は現代美術といっても毎日現代展にしてもそうだけれど、結果的に言えば選ばれたのは絵画・彫刻だったでしょ。平面や立体なんて言葉を何故日本で使うのか。英語に訳したら Plane や Cubic じゃないですか。それは別の言葉でしょ。絵画や彫刻でさえも欧米から輸入されて翻訳されたものだから、歴史的な概念が付きまとっていない。
だから簡単に三次元のものなら立体といい二次元のものなら平面といっている。芸術とアートの違いもそうです。私はアーティストというのなら芸術家じゃないのかと、ではアーティストとは何なのか。それが言えないのです。

・・・コンセプトというと難しく聞こえるけれど、自身が何をやりたいのか、人にわかるように言葉で説明できなければ、人には伝わらないということですね。作品に言葉が付随すると、見え方が変わるというか世界が広がるように思います。

 そうなんです。作家たちは作家たちで、思いがけない言葉を書いてくることがあるんです。それがオリジナルなんですよ。僕たちが思ってもいないような考えを書いてくれることによって、教えられるんです。
今回でいえば 「幼なじみのバッキー」 という作品は、意味不明な意味をとったんです。それこそ意味不明な場合だってあるんですから、そのことを意味不明という意味で出したのであれば、ある意味それが自身のギリギリのプレゼンテーションでしょう。それは考えてあげなきゃいけない。
でもね。僕は言葉に囚われすぎるのかもしれないけれども。人は他者との関係の中で生きている以上、言葉による相互行為をしないわけにはいかない、最低限度のコミュニケーションとして言葉を使ってみるべきです。絵描きは言葉を使わなくてもいいのだと、ヨーロッパやアメリカに行って画商に言ったところで通用しません。言葉で説明しろといわれますよ。
作品を売り出していくのにも、お客さんに言葉で説明しなければいけないし、逆に言えばお客さんも質問するわけですからね。日本はそこが甘い。日本は貸画廊なんていうものがあるからいけないんですよ。

・・・貸画廊のお客さんは借りる人。貸画廊でこの人が作家ですとよく紹介されますが、お客さんを紹介しているのと同じことですものね。

 あれは車のパーキングなんです。どんな車が入ろうと構わないわけですから。

・・・二年前から website gaden の姉妹サイト(略してKGS http://kgs-tokyo.jp/)で展覧会を取材してインタビュー形式のページを作っているんですが、話すことが苦手だからという人も多いのです。でも実際に作品の前で発話してみると自分はこんなことを考えていたんだと、気がつくことがあると思う。
感想文的なブログや本人の作ったHPもいいけれど、少し距離をもって自身を見つめるためには、話すことが大事。それではじめたのですけど・・・意識が低いんですよ。

 作家も自分で文字を書いてみると発見があるんですよ。先ほども話しましたが、コンセプトがしっかりしていないと、例え準大賞を受賞しても次につなげていくことがなかなか難しい。出きちゃった結婚みたいにアイディアが浮かんだとして、運よく賞に結びついても、いざ個展となったときに何も浮かばないということがあったんですから。

・・・思いつきのアイディアだけでは難しいということですね。今回、1952年生まれの作家が敏子賞を受賞されたじゃないですか。やはりしっかりしたコンセプトをお持ちだから、ずっと描き続けてこられたのでしょうね。私も含めて同年代の人たちにしてみたら、自分も頑張ってみようかなと励みになると思います。

 そう十分なるでしょうね。審査員も皆ほっとしたんです。挨拶のときに 「ゆとりがあるね」 と話ましたら 「ゆとりどころではありません。必死になって描いているんです」 「必死になってないとかとじゃなくて、絵を見ていたら、若い人はこんな描き方はしないよ。そういう意味のゆとりだよ」 と言ったんです。気楽に書いているとは思わないけれど。そういうふうに受け止められて、本当に必死なんだなと思いました。

・・・そういう意味のゆとりは若い人では出ないのかもしれませんね。ある意味今回の展覧会には、とても大人っぽいイメージを感じたのですが。

 若い人が描いたらマンガで終わってしまうんです。ただ厳しいことをいうようだけれど、全体的に大人っぽく見える展覧会というのは元気がない証拠なんです。皆それぞれにおとなしく収まってしまった。これは審査委員と作家の両方の責任だと思いますよ。今までは22〜23点入選していたのですが、今年は16点しか入選しなかった。
大きいスペースの中に小ぶりのモノが多かったから、納まりすぎてしまったというか、納まらなかったというか。お互いの作品同士がせめぎ合ってぶつかるようになれば、それぞれの個性が出てくる場合だってあるんですけどね。

・・・確かに静かなイメージを感じました。照明もかなり暗かったですよね。以前はもう少しは明るかったように思うのですけれど・・・だからなのか作品が閑散として見えたといいますか。

 建物の構造上天井からの光だけですから、床にコンセントが一つもついてないんですよ。ちゃんとライトが使えないというか。行政的な不備は否めないですね。でもライトが少なくても作品がぶつかりあっていれば、熱気が出てくるんです。閑散としたのは、入選が16点だけでしたからね。もう少し無理しても入れるべきであったと反省しています。

 カフェテリアTAROは、週刊朝日が取材に来たレストラン。一番人気はシチューオムライス(1090円)。名前の通りシチューとオムライスが合体しています。トロットロの玉子がブラウンソースにマッチ。ボリュームもしっかりあるので、館を訪れる若い人たちにも人気なのでしょう。
 館長の話に聞き入ってしまって、若干冷めてしまったけれど美味しいです。

 「厨房は広くないけれど、改良を重ねて頑張って美味しい味にしているのですよ。ただ週刊朝日の取材は、パフェでしたけれどね」

 え。パフェだったんですか。ということで、ちゃっかり桜パフェ(600円)もいただいてしまいました。
ピンク色のアイスクリームにあんこがトッピング?
何故あんこが・・・?。答えは桜餅だから??。
 ピンクのアイスは桜餅の皮の部分の味。アイスとあんこと交互に食べると完全に桜餅を食べた気分になる。春は感じるのですがこれは奇抜だ。さすがに岡本太郎美術館だけのことはありますねぇ。
甘党の人には超おすすめです。

・・・ところで、審査員はずっと変わらないのですか。

 審査員は変えられないですよ。敏子さんが選んだ人たちですから。以前敏子さんに審査員になったらと薦めたことがあるのですけれど、一度はうんと言われたけれど 「私はならない」 と断られたんです。その後敏子さんの推挙でほぼ今のメンバーが決まりました。
 はじめは岡本太郎現代芸術賞というのは文字通り芸術大賞だったのです。美術だけではなくて音楽でもよかったんですよ。ですから審査員も文科系の方や科学系の方も参加されていました。ただ僕はこの美術館で展示された第4回目の2000年からしか携わってないのでその間の事情はそんなに詳しくはないです。

・・・確か1997年の1回目は旧氷川幼稚園、98年99年は国立オリンピック記念青少年総合センターで展示されたのでしたね。

 総合センターのロビーに展示されていたのです。日数も3日ぐらいでしたから、会場無しでやるということはとても残念なことでした。当時は岡本太郎の評判が悪く、色オンチでアホだとか言われていたわけですから、美術館に持ち込めるような状況ではなかったんです。はじめは関係者以外お断りで看板もかけてはいけないような場所でやったわけですから、そういう経緯があってはじまった。

・・・昔は岡本太郎がここまで認められるとは思わなかったですよね。亡くなって評価されるというのはやはり力のある方だと思います。

 生前は国や文化庁からも色々言われた人でしたからね。でも悪口を言っていた人たちに、名前を隠してフランス人の絵として見せたら、素晴らしいと言ったでしょうね(笑)。
この美術館が出来る前も、太郎はテレビに出る変なおじさんと言われ、近隣の人たちは反対したんですよ。でも実際は社会的にも力のある人でした。ただ体制を嫌っていたから逆に批判もされた。だけど言っていることは当たり前のことを言っていただけなんですよ。
今と違って昔は作品も市場には出廻らないし著書だってそんなに読む人はいなかったんです。それで亡くなってから、結局は敏子さんがとても頑張って出版社を廻って本を作った。審査員の人たちも実際に太郎に会った人はいないのですから。皆本で知ったのです。それで皆が共感し今がある。

・・・ご苦労があったのですね。今でも敏子さんがニコニコしながら授賞式で話されていた光景は忘れられないです。突然亡くなられてしまったのは、とても残念です。

 それもお風呂でね。

・・・生まれてくるのも裸だけれど、死ぬのも裸だったというのはすごいですよね。

 一平がそうでしたから、変な話だけれど、僕は敏子さんが太郎の代理をしてあげたように感じているのですよ。

・・・会場が暗かった理由のひとつに、敏子さんの笑顔を失った事も否めませんね。今日はどうもありがとうございました。

<受賞者>  

岡本太郎賞

大西康明 (オオニシ・ヤスアキ)

受賞作品 《restriction sight》

岡本敏子賞

菱刈俊作 (ヒシカリ・シュンサク)

受賞作品 《 スペシャルグリッド&アザーストーリーズ 》

特別賞

角文平×田中雄一郎 (カド・ブンペイ×タナカ・ユウイチロウ)

受賞作品 《 ガレージキット 》

<入選者>
Antenna、池田学、伊東宣明、笠木絵津子、狩野哲郎、澤田サンダー・増山麗奈、竹内翔、戸泉恵徳、平山好哉、松本真由子、村田恒、矢部ひろすけ、山口理一(五十音順・敬称略)

川崎市岡本太郎美術館 http://www.taromuseum.jp

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