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シリーズ写真展:現代写真の母型2008 「写真ゲーム」 -11人の新たな写真表現の可能性
  2008年1月26日-3月30日

  出品作家
  八田政玄、屋代敏博、前沢知子、高橋万里子、城田圭介、土屋紳一
  三田村光土里、今義典、北野謙、石川直樹、折元立身(敬称略)

  川崎市民ミュージアム アートギャラリー2.3
  観覧料:一般200円、学生・65歳以上150円、中・小学生は無料
  神奈川県川崎市中原区等々力1-2 TEL 044-754-4500
  http://www.kawasaki-museum.jp/

 1月10日に作家の三田村光土里さんから 「写真ゲーム」 展の情報を頂き、面白そうだから出かけてみようと思い立ち、思い立ったはいいけれど、行動するまでに一ヶ月半、当然のことながら3月30日で展覧会は閉幕になってしまいました。 残念だなぁ。でもネットならば資料として残せるのではと一発奮起、担当学芸員の深川雅文さんにお話をお聞きしました。

・・・いつもは作品の第一印象を大事にしたいので、事前にプレゼンは読まないのですが、今回は取材が遅くなってしまったのでwebカタログを拝見しました。作家の方たちの、特に話し言葉でのトークが頭の中にすんなりと入り、読んでから作品が見られてよかったと思いました。ただひとつ気になるのは、「ゲーム」 という言葉なんです。

 僕は1年前にロンドンのテート・モダンで 「写真ゲーム」 というタイトルの講演をしました。いろいろ考えているうちに、こういうコンセプトが生まれてきたんです。ある意味あえて挑発する部分はあります。
今回紹介した作家たちの作品は、21世紀になって現れてきたと思うので、写真の新しい質といいますか変わり方を明確に示す言葉として、「写真」 と 「ゲーム」 の二つを組み合わせることで、よりわかりやすいかなと逆に思ったんです。

・・・ゲームというのはルールにのっとるもの、だから個々の作家が個々のルールに沿って撮った作品という意味合いなのかと漠然と思うのですが、言葉自体に少し引っ掛かりを感じます。

 昨今デジタルカメラ技術の向上でうまい下手はありますが、基本的には誰でも撮れる状況になってきました。そういう状況で、写真家なりアーティストの創造性はどこにあるのかといえば、自分なりの撮るルールといいますか。写真を扱うやり方だとか、自分が写真とどういうふうに関わるかという関係も含めて、(自分が撮ったにしろ他の人が撮ったにしろ)最終的には写真という形式で出てきますから、その全体をある意味オーガナイズするというか、そのシステムを創る主体としての作家が現れてきていると思うのです。
逆にそういうことをやることによって、回りの参加者が中に入ってくることも可能になってきて、元々写真というのはコミュニケーションのために非常に重要な道具であったわけです。ですからアーティストの中には参加者を中に招き入れて参加させて行くような、ゲーム感覚の作品も出てくるわけですよ。

・・・なるほど。そういう意味でのゲームなわけですか。少し話は変わりますが、作品を拝見していると、例えば石川さんの 「ネガティブ・ハンド」 (パタゴニアの洞窟に残る三万年前ぐらいの人の手形) など、他の方たちの作品にも通じることですが、連続する時間の中で堆積する歴史を踏まえ、重層する時間の層の痕跡を常に意識されているように思いました。

 屋代敏博さんの作品などでも古いフランスの古城を背景に回転しています。世紀末に入って彼は写真家として、『自分自身とはいったい誰なのか』 という問いを切実に自問自答し、そこでえ?いと前に飛び出ていくという行為があるわけですよ。
もちろん風景写真の成り立ち自身は、歴史的な積み重なりだとか、歴史的な建造物を写真でとらえるとか、そこを彼はしっかり抑えたうえでベースにしてやっている。
そういう意味では、遊びみたいに思われるかもしれないけれども、真摯なアーティストとしての歴史的な連続もありながら、それを持っていつつも一旦そこから切り離して、自分の世界を切り開いていくというか。そういうふうな動きが見えるわけです。
ですからこれが一つの完成した作品であるというよりも、むしろ走っている姿を我々はここで見ているというような作品じゃないかなと思います。

・・・私的には今までずっと生きて来て、そのなかでの自分の位置だとか、いろいろなものを認識するためにシャッターを押すのではないかと思うのです。ですからプロもアマも関係ない部分はありますが、ある意味作家はより『真摯に』撮らざるをえないのではないかと、だからゲームという言葉に引っ掛かってしまったのかもしれません。

 ゲームというと軽くおちゃらけたふうにも見えるかもしれませんが、真摯に向き合っていますよ。
例えば今義典さんの作品も、一見お笑いふうなんですが、いろいろな物語を紡げるような絵を創っていくわけです。それはまさに絵創りの世界で、それを支えているのはデジタルの技術であったり、もちろん写真の技術もあるんですけれども、そのベースにあるのは、芸大に入るためにデッサンをやってきたことなどが積み重って、しかも途中で映像の方に入ったりしながらまた写真に戻ってきたというふうな土台があるからだと思う。
それにひとを笑わせるのはすごい技術ですよね。ですので自分自身の表現の可能性を突き詰めた結果こういう作品が出来てきたということなんです。

・・・生身の人間が撮っているんだということがすごく見えますね。絵画が最近つまらないと思うのは、人の創るものだという意識がどこかしら希薄になっているように感じるからかも。むしろ写真の方が「この人たちは生きてるんだと」いうことが実感出来るような気がするんです。

 やはりライブ感の中で創ってきているからではないでしょうか。例えば北野謙さんは、人物を何重にも重ねて映していますが、平均的な顔を出しているとか、ジャーナリスティックにはそういうふうに説明されたりもしたんですが、そうではなくて、彼にはもう少し切実な問題がありまして、これは彼が話していたことなんですが、95年の阪神淡路大震災やオウム真理教の事件などがあり、自分自身も実際に神戸に行ってみたにもかかわらず、写真家として現実がリアルなものとして感じられない。『いったい私は何なのか』そういう問い掛けから始まっている。
それで彼はいろんな所へ赴いて人の顔を撮っていこうと、赴いて出会った人たちの顔を紙に焼き付けて行こうと思ったわけです。そういう生身の人間の行為というか、北野さんの作品は行為の集積でもあるわけですよ。

・・・今回作家のトークを文字に変換されたわけですが、普通の展覧会はトークショーはあっても、実際に行かなければ聞けないものばかりでですよね。ですから今回のwebカタログ(http://www.kawasaki-museum.jp/magazine/blog/exv/cat1/)は資料性も高いし、とてもいい企画だと思います。

 ぶっちゃけた話、webカタログは予算がなかったからで、でも形にして残して伝えたいなという気持ちが強かったんです。ブログを使って基本的なカタログのシステムができるということは確かめましたので、バイオグラフィや図版もありつつ、ホームページならではのライブ感を維持した情報発信をしようと、それ自身もあとで記憶として残っていきますからね。
カタログとしては学芸員が作家論とかを書かなければいけないんですが、それはいずれやりますけれど、その前に現場で何が起こっているかというのを、どう伝えようかと思ったときに、トークをしようということで、時間を30分に区切り、作品の前に立ってお客様もいっしょに動きながら話するという形をとってみました。

・・・私も今までに350人くらいインタビューしましたが、1番肝心なことが言えて話が、できるのは約20分だと思っているんです。それ以上になるとテープ起こしが大変なんですよ(笑)。

 一つには作家との対話、そのリアリティー自体が多分アートにとってとても重要なんだろうという考え方なんです。それをちゃんとした形で残していくことによって、鑑賞する人もまた考える人にとっても貴重な資料になるだろうと思いますね。
僕は作家の言葉はとても面白いと思うし、プラトンの哲学で対話編っていうのがありますよね。ソクラテスがいろんな人と話した哲学の問題を、ある意味平明な言葉で説いていくというね。ちょっと格好をつければそういうイメージがあったんです。対話の中で表現の問題だとか、アートの問題だとか人間のあり方の問題だとかをコンパクトにできないかと思い、30分でやろうということになりました。
作家の人たちにとっては結構スリリングというか、プレッシャーがあった作家もいると思います。やり方としてはトークの前に打ち合わせをして、それも一応録音しているんだけれども、その後で会場に行き本番になります。
本質的なことは打ち合わせの中で出てきているから、本番でその点をお互い話すことができるんです。僕にとっては若い方でも年輩のかたでもどんな作家の方もみなさん先生なので(笑)。

・・・今回の11人の作家は、どのように選ばれたんですか。

 市民ミュージアムは今年設立20年になります。僕はその最初から学芸員としてここで働いていますが、川崎市民ミュージアムの写真部門は、日本では初めての写真専門の施設であったということもあり、現代の写真部分を強めていこうということでやってきましたので、国内国外を含めていろいろな作家と交流しています。海外の作家も僕を訪ねてくれて作品を見せてくれたりとか、そういうことの蓄積なんです。
今回の「現代写真の母型」展でもそうですし、企画展で連続してやっている「現代写真の動向」という展覧会があるんですけど、現在の写真の動向を見ながらその都度いろいろな作家の方たちに参加してもらい、そういう流れの中から選んできた作家たちです。
 それと僕自身が見ている写真の変化ですよね。90年代後半から21世紀に移り変わる中で、大きな変化を遂げていく。そこにシンクロして表現している作家はどういう人たちがいるのか、そういう部分で選んできているところはありますね。

・・・webカタログを見てから来場した方がより理解が深まると思います。例えば今回の折元さんの作品の見て、その背景まで分かれというのは厳しいですし、VOCA展もそうですが、作家の作品の流れを見ていないとわからないですよね。
一点だけでは何かを感じても理解することは厳しい。美術というのはどうしても『わかる』『わからない』という部分があって、でも一歩踏み込んで、内側が開いて見えてくると・・先ほどどなたも先生だという言葉がありましたが、何かを教えてくれるというよりも、何かしら開かせてくれるような意味合いがあるように思います。
ですから私も皆先生と思ってるんです。今回は本当にネットのうまい使い方をされたと思います。

 キュレーターはいろいろなタイプの人がいるし、いろいろな考え方があると思うけれども、今云われたように、作家が開いてきているものを受け止めて、ご覧になる方々に入りやすく伝えるというのかな。作家の活動や作品とそれを見たり考えている人たちをつなぐ、一種のメディアですね。
僕はキュレーター自信がメディアだと思っているんです。webカタログはそういう発想です。できるだけライブ感覚で伝えっていく、そのときじゃなければ伝えられないことはありますよね。
折元さんがトークで物真似で云われた 『そんなの関係ねぇ』 という言葉は、あとで見たらわからなくなっているかもしれない(笑)。でも言葉のビビッドな感覚をあぁいう形で伝えるべきだと思う。

・・・私自身いくら頭で考えて話そうとしても、発話したときに違うことをいう場合があるんですよ。特に作品を見ながら話す場合は、何を聞こうかと考えている言葉と、見たときに思わず出る言葉と違うんです。
ですから私のインタビューはすべてライブ。だから気分を害した人もいたんですよ(笑)。でもそれが生きてるということ、せっかく生きてるというと言葉は変だけど、何かを感じなければ生きていることにはならないのじゃないかと思うんです。

 2月3日まで与勇輝 「神様のすみか」 展を開催していまして、わりと年輩のあまり現代美術に馴染みのないお客さんが多かったのですが、その展覧会からの流れで見に来てくれた方たちのアンケートを拝見すると、びっくりしたとか面白かったとか、写真というのはいろんな表現があるんだなとか、素直に書いてありましたので、僕はとても嬉しかったんです。
写真を開かれたものとして表現していくというか伝えていくことは、写真の枠を超えた部分で、こんな作品は楽しかったとか、元気をもらえたとか、多分そういう感覚を与えてくれているのだろうなと、それが重要なことだと思います。ですからまだまだ写真の未来は明るいのではないかと思ったりしているんです。

・・・現代写真の母型展は91年99年2005年2008年と続いていますが、最後にこれからの展開をお聞かせください。

 トリエンナーレやビエンナーレのように定期的にはやって来ていないんです。なぜかといえば、現場の動きをみてやっているというところがあってですね。
来年またやりましょうという話ではないんです。2005年には 「サイトグラフィックス」 という風景写真の変貌を見せる展覧会をやったのですが、それも現場を見ながら立ち上がってきた展覧会であったし、今回の 「写真ゲーム」 もそうです。ですから次がいつになるかはっきりは言えないんですが、また見えてきたらみなさんに楽しんでもらえればと思っています。時価みたいな感じです(笑)

今日はどうもありがとうございました。

なんと市民ミュージアム学芸員の深川さんは 『光のプロジェクト?写真、モダニズムを超えて』 (青弓社 2007年6月刊) で2008年度の日本写真協会学芸賞を受賞されました。
おめでとうございます。
次回は本でご紹介させて頂ければ幸いです。

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