2008年12月12日プレスツアーより収録編集致しました。
・・・いわゆる回顧展の形で国内の美術館で個展をされるのははじめてに近いということを、声をかけさせていただいたときに気づきとても不思議に思いました。 このような大規模な写真展は日本国内の美術館でははじめてです。 ・・・略歴を御紹介させていただきますが、東京芸術大学で油画を専攻、大学院卒業後に四年ほどベルリンに留学され、留学先で新設された写真学科への入学を契機に正式に写真を勉強された。ただ以前からも写真にはご興味があったということでよろしいですか。 セザンヌなどが好きで68年に油画科に入学したのですが、69年が70年安保の年でした。それで学校が一年間閉鎖になりましてそのあいだに自分の好きなことを勉強しました。ちょうどアメリカでは現代美術のアンディー・ウォーホルやロバート・ラウシェンバーグなどのシルクスクリーンが当時の最先端でしたから、それに惹かれて写真製版とか版画を少しやり出しまして、それが写真や映像に興味を持つ下地になりました。 ・・・その時点ではまだ写真をやろうとは思われなかったのですか。 そうですね。思い起こしてみるとその時代は例えば写真をギャラリーで発表するとか, ・・・その後ベルリンで本格的に勉強されたわけですが、写真の制作をはじめられたきっかけは。
写真を何時から勉強する機会を得たのかといいますとベルリンに留学した当時ですね。その頃から写真の学科が美術学校に新設されたりしまして写真がそろそろ美術の中に組み込まれていく機運があったと思うんですけれども、それからしばらくして79年頃だったと思うのですが、パリのポンピドー美術館の前にギャラリーがありまして、そこで大型カメラを使ったエドワード・ウェストンの展覧会を見まして、それが最終的なきっかけといいますか、これからは写真の時代が来るんではないかとを思い込みまして(笑)、そこから写真に踏み切った次第です。 ・・・帰国をしてからは。 僕の場合当時も今と同じランドスケープがテーマだったのですが、旅行しながら写真を撮っていたのですけれど、向こうの風景に物珍しさがあり文化的素地が違うのに撮っていくのは観光写真と同じだなという面がありまして、日本に帰国して自分の国で仕事をしてみたい気持ちが強くあり80年に帰国しまして本格的に写真を撮るようになりました。 ・・・ここで今回の展覧会の構成をお話したいと思うのですが、三年ぐらい前からこの展覧会の企画をはじめて、「とりあえず今までの作品を総括するような形の展覧会にしましょう」というお話を最初にさせていただいていたのですが、その中で構成を三つのテーマにされたというのは。
まずお話をいただいたときに自分の中で回顧展というのはどうかなと思ったのですが、自分の年齢を考えると回顧展になるのかなと思ったんです(笑)。通常回顧展といいますと、昔撮ったものが最初に来て段々年代を追って最後に新しいものを見せる展覧会が多いのですが自分としてはそうではなくて、最新の仕事をまず見て欲しいというのがありましていちばん新しいカラーの作品を最初に展示致しました。 ・・・そのお話は後ほどお聞きするとして、次に新作のカラーについてお話を伺いたいのですけれども、柴田さんの作品は大きなモノクロ写真のイメージが強いのではないかと思うのですが、モノクロからカラーになったのはどの位前からなんでしょうか。 約四年ぐらい前にこういう形が出来上がりました。それまでモノクロを一貫して二十数年間やっていましたから段々とものの見方がモノクロのフィルターを通して見ているようで、狭まって来ているような気がして、もうちょっと違った世界を一つつくり上げたいという気持ちがありました。モノクロをずっと撮っている中で、カラーの方がよかったんじゃないかなという風景が頭の中にありそういうものを拾っていけば、もう少し自分の世界が広がっていくのかなと思いまして十年前からカラーをはじめました。 ・・・今回の展覧会のイメージにも使わせていただいた赤い橋の写真なんですが、これはモノクロであれば撮らなかったということでしょうか。 そうですね。モノクロの世界というのはやはり形もさることながら階調といいますか、モノクロの中のコントラストが自分の中で重要になってくるので、この場面は今まで僕がたぶん何十回となくすぎて見ている風景だと思うんですけれども、モノクロしか扱ってない状態であれば過ぎていってしまった。あまりにも柔らかすぎるというかそういう感じです。カラーであったから撮ったという自分の中で思う代表的な作品だなと思います。 ・・・もう一つカラーになってから撮られた作品には人物が写っていますよね。 よく人物についてモノクロの時代に質問されたんですが、僕にとって人物は入っていても入っていなくても実はよかったんです。ただカラーになってから例えば赤いヘルメットであったりとか黄色い作業着の色が入って来た方が、作品としてより成立するには良いかなとという部分がありまして、逆に撮っても良い撮らないでも良いではなくて、昨年
“Work : Man” というタイトルでツァイト・フォト・サロンで展示したんですけれども、逆にこの時期は人を入れてみようかなという気持ちもありました。 ・・・作品を眺めながらお話をお聞きしたいと思うのですが、この畑の風景は今までの柴田さんの作品とは少し異色かなと、今までコンクリートですとか法面などの用壁やダムがたいへん多かったように思うのですが、畑の風景というのもカラーになってからという形なんでしょうか。 そうですね。モノクロの初期のころは畑みたいなものも撮っていたんですけれども、あんまり発表する気になれなかったといいますか。なんとなく農業系の作品は僕の作品の全体からすると、ちょっと情緒的な感じがし過ぎるように思いましてあまり発表してこなかったんです。けれども今回この写真を撮ってですねそういう部分よりも、例えば規則的な形の効果が強いのでカラーでもあるし発表してもいいのかなと思い発表したわけです。 ・・・そうしますと広い意味でコンクリートのダムですとか畑も同じような意図でよろしいのでしょうか。 僕の意図もそうなんですけれども、人が畑を耕してものを作ったりということは広い意味で土木の行為とつながるところがあるんだなというところがこの写真を通じて感じた次第ではあるんですけれども、でも農業は土木そのものとは違う感じがするので今までは避けてきたという部分があるかなと思います。 ・・・では次に夜景についてですが、この作品はベルリンから帰国された直後にはじめられたシリーズだと聞いているんですが。
80年にベルリンから戻りまして、先程お話しましたけれども自分の国で写真を撮ってみたいということがありまして写真をはじめようとしたんですけれども、いざ帰ってみますと日本があまりにも混沌としてまして、ヨーロッパというのはすごく小奇麗といいますか整備されたフォトジェニックな場所なものですから、特に80年代の日本は色んなものが混雑していて、どういうふうにフォーカスしていいのかわからなかったものですから、昼間は街中で写真を撮るということはあまりにもしんどいというかきついというか。撮り方がわからなかったような時期がありました。それで思いついたのが夜景の写真だったんです。 ・・・主にガソリンスタンドやパーキングエリアが多いと思うんですけれども。 道路と道路の区切りは昔風にいえば宿場町という感じで、例えば完成はしていないんですけれども広重の東海道五十三次を念頭に置いてやってみようかなと思った次第です。 ・・・光が集まるようなところがわりと多いのでしょうか。 夜にパーキングとかで観察していますと、高速道路は光が流れていくところでインターチェンジなどは車のスピードが落ちて光が集まる場所という感じがしたんですね。そのリズム感が面白いなと思いまして・・・。81年から86、7年くらいの作品が多いんですがそのぐらい長い間夜のシリーズを撮り続けてきました。 ・・・では戻っていただいてその写真についてお話を聞かせください。U字カーブになっている道路にコンクリートに覆われた小山が中心に据えられている写真ですが。
切り通しといいますか崖の部分を削って道を通したと思いますけれども、なぜこの写真を撮ったのかとよく聞かれるんですけれども、ここにありますコンクリートの塊みたいなものがとても有機的なものに感じられたんですね。無機質なコンクリートなのに有機的な表情をしている。それにすごく惹かれて撮りました。 ・・・この写真をきっかけに1992年に木村伊兵衛写真賞をお取りになる「日本典型」のシリーズに至るということでよろしいでしょうか。 そうですね。この写真から何を自分が感じ取ったかといいますと、日本で写真を撮る意味なんですけれども日本に帰ったから日本の伝統的なものを撮るのではなくて、今自分が生きている時代を表現するもの、それも直接的ではなくその場に行かなければ出会えないような密やかにあるようなものを表現していきたなと・・・。まさにこういうものは日本にしかないものであるし、そういう意味で現代的な意味も含んで日本独特なものなのかなということに気がついたんです。 ・・・70年代から80年代にかけて柴田さんなりの時代の切り口というのが、こういうコンクリートの作品だったわけですね。 都会における時代というのは移り変わりがあまりにも激しいので、それを追っていくとちょっと前の時代になってしまうんですけれども、少し山奥といいますか都会から離れたところのものというのは、もうちょっと時代が緩やかに流れていきつつテクノロジーをよく見ると時代が表れていると思っています。 ・・・こちらのシリーズは皆さんもよくご覧になる柴田さんならではの写真を印象づける「日本典型」のシリーズの中から選ばさせていただいているんですが、風景のどこに惹かれたのが撮られるきっかけになったのでしょうか。
例えばこの写真を撮ったときは偶然で僕=ダムと思う方も居られるかと思いますが、あまりダムを撮る意識は実はまだなかったんです。ダムがある場所というのはそこに通じる道路が整備されていたり、いろいろ面白い法面があったりということがあって、一応の目標としてあったのですが、これを撮ったときもこのダムを狙っていたわけではなくて、ちょうどこの前に休憩所がありまして、そこはダムを眺める場所なんですけれども、パッと見たときは黒くて汚いダムだと思ったのは正直なところなんです。 ・・・そのときはあまり見えていなかった部分がプリントする部分において浮かび上がってくるときがあるということですか。 そうだと思います。ちょうどこの頃からそれまで4x5のカメラを使っていたのですが8x10に変えまして、より大きいプリントを作りたいなと思ったんですね。その理由としては80年代の末これは88年ぐらいだと思うのですが、ちょうど写真美術館が立ち上がった時代なので、こういう大きなスペースに対する写真の大きさというものがありますし、元々絵を描いてましたので大きい作品を作りたいなというのが元にありました。 ・・・実際にプリントはご自身でなさるんですよね。 今はなるべく自分でするようにしています。 ・・・このサイズがご自宅で出来る最大のサイズなんですか。 今は段々印画紙とか写真の感材がなくなってきてしまいまして、これがいちばん大きいロール紙のサイズで伸ばせるサイズの最大になります。 ・・・プリントするときに何か気をつけておられることはありますか。 基本的なことをよく守って特別に上手いプリントとかとはではなくて欠点のないプリントといいますか。そこら辺は重要なことだと思っています。欠点がありますとそこにばかり目がいってしまって、なかなか感じた部分に集中できないということもありますので。 ・・・もう一つこの作品ですが、最初パッと見ると人工物が写っているんだろうかと思うときがあるんですが、よくよく見ると中央に散らばっているのはテトラポットみたいな・・・。 いわゆるテトラポットというものだと思うんですけれども、ここでいちばん見せたかったのは大型のカメラで写真を撮ったときの説明力の強さといいますか。これは例えば35ミリとか小さいカメラで撮って普通に伸ばしたのではこれが本当にテトラポットだとは認識できないのではないかと思います。けれどもやはり大型のカメラで撮って大きく伸ばすことによってすべてはっきり見えてくる。そこから見るということがはじまっていくことなんじゃないかなと思っています。
直接的なきっかけはですね。ちょうど写真美術館が立ち上がったときにシンポジウムがありまして、世界中の学芸員の方が集まりましてそのときに「日本典型」の作品を見ていただいたんです。MOMA
の方やメトロポリタンの方に気に入っていただきまして、New Photography のシリーズ、それまでこのシリーズはずっとアメリカ人の若い作家だけで構成されていたのですが
New Photography8 の回から海外の作家を入れてインターナショナルな構成になりました。 ・・・これからの活動といいますか。モノクロからカラーに変換されている最中というと変ですけれども・・・。 最初のカラーを撮り始めたころは自分の中でまだ確信がなかったので、カラーとモノクロを両方持っていきまして同じシーンを両方で撮ったりもしたんですけれど今ここ二年ぐらいはカラーだけを持って撮影しています。カラーをやっていてすごく楽しいなと思えるのは写真をはじめた当初のような新鮮な感覚があるんですね。今まで自分の中に規制を知らない間に作っていたんですけれども、それを一回取り払ってしまうそういう作業なのでとりあえずはカラーを続けていこうかなと思っています。 |
gaden presents - gallery / artist / dreamer / exhibition / network