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オサルスのおすすめランチ ランチdeチュ その164

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日替わりランチ(牡蠣の土手鍋) 1200円

銀座おのでら
東京都中央区銀座6丁目12番14号 銀緑館7階
http://www5.ocn.ne.jp/~gnzondr/index.html

 

 2008年5月30日(金)に 【画廊の夜会2008】 が開催されます。今年で4回目を迎える夜会ですが、今回は画廊の軒先にランドマークとして提灯(岐阜製)をぶら下げるとお聞きしました。
 提灯とは古風な!
 提灯は古くは平安時代末期の文献に登場し、江戸時代以前は上層階級しか使えず、江戸時代中期以降は単なる用具としての域を脱し、人々の慣習、制度、信仰、美術などを具現化する文化の担い手となったそうです(岐阜提灯協同組合HP参照)。
そうか。提灯は文化の担い手なのか・・・。

 世界的に景気の後退が叫ばれているなか、文化の担い手としての画廊のこれからの展開は如何に?
今日は東京画廊の山本さんにお話をお聞きしました。

・・・美術業界は、昨年はミニバブルで今年は景気後退の局面を迎え始めているように思うのですが、90年代のバブルでは最後に絵画にお金が入ってきましたよね。また同じ流れになるのではないかと気がかりなんです。

 僕は前回のバブルも体験しているし経済の動向を見ていても分かるけれども、基本的には作為だから自然なことではない。サブプライムの問題でも崩壊することがある程度わかっていたと思う。常に勝ち組みと負け組みができるじゃない。
簡単にいうと売り逃げてしまった人と残されてしまった人ができる、その作為の連鎖だからね。個人個人が自分の意志を失って投機に走ってしまうから、こういう状態なってしまうんだよ。
それに経済は拡大再生産を目指すから、お金ができればお金を何に替えるかを考える。何に替えたかという変化が利益を生むわけだから、前回のバブルは、はじめは土地、次に株、最後に絵画に来た。ただそのころはアートインフラが構築されていなかったから、一気にお金が入って来て壊れてしまったということです。

・・・今現在はインフラが整ったということですか。

 前回のことをいえばあのときは日本のオークション会社がなかったし、アートフェアーもまだ未熟だった。でも今回はアートフェア東京やシンワオークションなどができインフラが整いつつある。ただ成長する段階のインフラと、アーティストもインフラの内だから、それがきちっとできる前に大量のお金が流れ込めばまた同じことが起こるかもしれない。バランスがあるからね。

・・・未熟といえば青田刈りのように若い作家の作品が売れていると聞きます。本来は価値があるから価格が上昇していくものだと思うのですが、価値としては未熟でも価格だけが上昇していっているようにも思うのですけれど。

 価値とは何なのかを考えると美術の価値は歴史性。歴史性が価値を生む。例えば利休が削った茶杓があるでしょ。それは一本の竹の棒にしかすぎないけれども数千万円もする。それはどういうことなのかといえば、利休が削って信長がもち秀吉に移ってという茶杓に歴史があるから価値になる。僕は美術品というのはすべて歴史の価値だと思うんですよ。それが縦軸。
アーティストは歴史性を系統しているかどうかというのが美術品の価値の基準になるけれど、一方横軸に流行というのがある。流行というのはそのときの気分。今はブリキのおもちゃがブームだといえば、ブリキのおもちゃにとんでもない値段がついたりする。これは歴史性の価値以外にその時代の気分がある。最終的に美術品は横軸の流行が縦軸の価値に結びついたときに本当の価値が生まれる。
いわゆる証券などの流動資産は、歴史性の時間を待ってはいられないから横にずれて動いていく。横軸での価値を求めていくから、ある日突然作為的にブリキのおもちゃを高くして、一気に売り抜けてお金を変換させて価値を生んでということをやっているわけです。僕にとってはホリエモンも村上ファンドもブリキのおもちゃと同じ、では誰が損したかといえば日本国民が損して、リーマンブラザーズが儲かった。

・・・でもリーマンブラザーズもサブプライム問題で大損したのではないですか?

 だから作為なんです。じっとしていられないということでしょ。その作為にも順序があって、最大の作為は国家主義なんです。価値が歴史だとすれば、歴史を保証しているのは国家じゃないですか。教育などのあらゆる意味で、国家はそのいちばんの根幹を保証しているわけですよ。日本の政府はこのような意識がない。

 お待たせしました。
 山本さんにご紹介していただいた 「銀座 おのでら」 は、まだできてから1年半の若いお店。シックな店内に季節の花が活けられて、落ち着いた雰囲気だけれど、佇まいに品があり、きちっとして姿勢が窺えるお店です。
今日注文して頂いたのは日替わりランチ(1200円)。
 なんと牡蠣の土手鍋です。牡蠣の土手鍋は赤味噌が定説と思い込んでいましたが、こちらの土手鍋は白味噌仕立て。白味噌は大豆よりも米の比率が高いので、当時米をふんだんに使うことができた平安時代の貴族文化のなかから生まれたという歴史的背景があるそうです。
 ネギ、白菜、豆腐が白味噌に絡んでおいしい。この牡蠣の大きさを見てください。
 プリプリですごくおいしいですよ。

 さすがに、銀座のが画商さんはグルメですね。
 ご馳走様でした。

・・・牡蠣を食べていて思ったのですが、やはり歴史は重要ですね。

 今の若い子たちがなぜアーティストとして頼りないかといえば、日本の現代美術史をほとんど知らないからです。ですから長続きするかどうか難しい。でも世界で活躍している若いアーティストは、自分の国の美術の歴史をよく知っていますよ。

・・・私も流行りのものだけを追い求めることはしたくないし、自身が納得した作品でないと、見たくない気持ちの方が強いです。

 なぜ見たくないか分かりますか。

・・・なぜでしょうか。

 若い人たちが作っている作品は、自分の世界だけを人に見せているだけ。そうすると鑑賞者とコミュニケーションができないわけです。コミュニケーションというのは、歴史性があるからできるわけですよ。
僕は本能寺のことから信長のことを知っているから、利休の茶杓は価値があると分かるわけです。でも信長を知らなければ茶杓を見せても、日本の文化に興味ない外国人と一緒で共感を持たないと思いますよ。それにコミュニケーションというのは、自分のなかに言語にするだけの歴史の知識がないとできない。美術というのはそれの遊びだから、歴史性をはずしてダ・ヴィンチはないでしょ。
美術に関するいわゆる教養で見落としていることは、美術が近代に入って初めて商品になったことです。近代以前は美術は商品ではない。商品でない限りこの世の中に美術は存在しないんです。そうじゃないと近代社会で画廊は成り立たないじゃないですか。

・・・画廊は普遍的な作品を提供するということですね。

 提供するということは売買しかないじゃないですか。

・・・それを否定してるわけではないです。

 売買が前提とならない限り、今の僕たちの社会では美術が成り立たない。なぜかといえば王朝時代は僕たち画商は必要ないんですよ。お抱え絵師であれば絵を売る必要がないでしょ。給料が出るわけだから。だから美術学校で『君達が生きていくためには、自分の絵を売っていかなければならない』と言っています。

・・・昨今の美術学校は絵描きを養成するというよりも企業への就職に力を入れているように思うのですが、最近はかなり就職率が上がっているという話を先日聞きました。

 それはどこかズレていると思います。まず美術品は商品であるということは疑いがないわけです。であるならば、生きていくためには、美術学生は商品を作らざるをえない。
商品を売るために何が行われなければならないか、例えばトヨタ自動車では、新しい自動車を開発したら自動車ショーを開催しディーラーが呼ばれ、それぞれのディーラーは自身のところでその自動車を売ろうとする。それを美術に例えればアートフェアーなわけ。
自動車の場合は五年乗れば下取りに出され、中古自動車としてまた売られる。絵の場合は、それがアートオークションでしょ。僕は近代では自動車も絵も同じ構造で動いていると思っている。自動車の販売の部門はどこが担当するのか、製造の部門はどこが担当すのか、それを考えていけば美術学校の構造はどうなるのか? でも今の美術学校はそういう構造になっていない。だから結局は会社に勤めてデザイナーになる。ほとんどの人は三年ぐらい経ったら販売に回されて四苦八苦する。なぜそうなるかといえば、『君は売る側に回るのか作る側に回るのか、作る側に回るのであれば、自身が任意で決める絵の善し悪しよりも、歴史をきちんと勉強しなければいけないと』 と教えることが大切です。
『僕はこの自動車が素敵だと思う』 といったところで売れないでしょ。日本は近代のアートマーケットに対する基礎的な教養の構造がまだまだです。イギリスにはアートのアシスタントプロがいるのを知っていますか。

・・・ゴルフでいえば、トーナメントプロへの登竜門みたいなものですか。

 もう一度美術学校に入り直して、資料の整理の仕方やプレゼンテーションの仕方などをゴルフの選手にするように教えるわけ。アメリカにはフットボール選手が企業からのオファーを勝ち取るための講座がある。そこで対話の訓練をするわけです。
日本は近代化してるとはいっても、本当の意味での近代のインフラができていない。ようやく美術でいえばアートフェアーとオークションが少しでき、先ほども話したとおりインフラが整ってきたかなというところなんです。
だからその勢いに乗って画廊はフェアーに出展し、お客さんもそこで自分の好きなものが選べるようになった。アートフェアーができたおかげで情報開示ができ、いろいろな作品とギャラリーが同時に見られるようになったと思いますね。

・・・状況としては以前よりも良くなったということですね。

 君が絵を買う立場になったときに、銀座の画廊を百軒回るのはしんどいでしょ。アートフェアーであれば三日ですべてが見られるし、そのうえ値段がわかるから、敷居が高いといわれている画廊に入る怖さがない。
前回のアートフェアーでとても興味深かったのは、事前にインターネットで下見をし、実際に行って自分の欲しいものの値段を比較することができたことです。簡単にいえば以前は例えば同じミロの版画でも画廊によって値段が違う場合がありましたから。

・・・そういえば画廊間に値段の差があるので、『A画廊で安く仕入れてB画廊に少し上乗せして売れば儲かるよ』 と、以前聞いたことがあります。

 アートフェアーのおかげでそれができなくなったんです。ですからこれから大変なのは業者間の交換会です。

・・・交換会に関して無縁なのでわかりません。

 もう一つの問題は美術品は、明らかに世界性のある美術とドメスティックな美術に分かれるわけ、奈良君でも村上君でも世界に打って出て世界性を勝ち取ったでしょ。世界性を勝ち取った商品と国内で売っている日本画と比較したときに、お客さんはどちらを買うと思いますか。

・・・国際性でしょうね。

 そうすると日本画のアーティストも日本画を扱う業者も国際性を求め始める。だからそれぞれの画廊の二代目は現代美術に対してものすごく敏感になって来ているんです。自分たちの新しい眼でお父さんたちが培ってきた日本画や洋画を見なければいけない。
僕はそういう画商間のお互いのコミュニケーションを作っていかないと、美術の質を上げられないだろうと思うんですよ。だから 『銀座の夜会』 は、画廊同士が交換会を中心とした組合組織ではなくて、極端にいえばアートフェアーを毎回画廊が開催するようなことなんです。それが 『銀座の夜会』 の真の目的です。
今まで僕は学校教育で不足している部分を補うために、弟や友達たちと一緒に勉強会をやってきました。もう十年ぐらい経ているので、その経験があるから今仕事ができると思っています。アートフェアーのコミッショナーで少しでも役立っているのは、そのときの勉強会がベースになっていて、それこそ古美術にも洋画にも友達がいるし当然現代美術にも友達がいるので、アートフェアー東京にそれぞれのジャンルの方たちに参加してもらうのにとても役に立った。
これからはどの画廊も国際性を考えてアートフェアーに参加している。この意思がないといけないですよ。ですから 『銀座の夜会』 は今までの交換会のシステムから、街を基本にして人を成長させるシステムを作っていきたいと思っているんです。

・・・コミュニティーといえば、インターネットも村みたいなものですし、それぞれにコミュニティーがあってそこに壁が存在する。それを乗り越えて次々に広がりが発生していけばいいわけですね。

 銀座のタウン誌「銀座百点」の4月号の企画で、画廊についての座談会を企画していて京橋界隈と一緒に話をします。

・・・『銀座の夜会』 は一般の方々にも浸透してきているのでしょうか。

 まだ難しいと思う。僕は年齢的にも六十才だから若い世代に託したい。僕は自分の思うことをやって、若い世代の人たちとコミュニケーションをとれるようになったからね。
結局美術は成長が価値を生むわけです。百円のものが百五十円に売れるのは、五十円成長すればいいわけです。最終的に人が育たないと価値は生まれない。今は物としての作品だけでは売れないんです。ある程度社会とのコミュニケーションの場をたくさん持たなければ作品を買わないんですよ。

・・・コミュニケーションの場をたくさん持つ、ですか。

 基本的には作家は体力が重要なんです。例えば大巻伸嗣君に初めて会ったときに、それは東京ワンダーサイトの展示だったんですが・・・。

・・・私も2002年に拝見しました。床に食紅で花を描いたんですよね。(http://gaden.jp/info/2002/020320/0320.htm

 作品が良いのはもちろん、関心したのは、これだけのことをよくやったと思ったことなんです。今の若い人たちはこんなに体を使った作業はできるものではない。それで惚れ込んだ。この体力があれば真はついて来ると思った。
李禹煥さんに教わったことなんですが、『山本君。できるだけ若い連中を海外に出した方が良い』 と。李さんが常にいわれているのは、アーティストは出会いを求めることが根本だということです。『だから日本に定住してはいけない。だから僕はパリに行った。パリで色んな人たちに出会った。
日本でも七十年代に色んな人たちに出会い、最後に関根伸夫に会ってもの派を一緒に作り上げた。人との出会いで自分は成長してきたんだ』 と、盛んに僕にいわれるので、アーティストにとっては出会が大切だと僕は思っている。でも東京画廊にずっといても出会いは限られてくる。これから画廊は作家との契約関係を結んで束縛の時代に入ると思う。それは結局人の成長を妨げることになるんですよ。

・・・人との出会いや場を持つことで成長するということですね。

 それともう一つ若い作家に言いたいのは、僕はこれからできるだけ古いことを教えたい。室町時代のこととか、立花とか日本のお茶とかね。僕の知っていることを若い人たちに還元しようと思っている。
例えば大巻君には 『晒木(しゃれぼく)とは何か、日本の生け花には一つの鉢のなかには生と死があるんだ。だから立ち枯れた木を入れるんだ。君の作品も生と死が根本にある。それが日本の輪廻の思想なんだから、それを西洋で話しなさい』 と。
それで彼は自分の作品を歴史の上に言語化するじゃないですか。欧米では作品を見せるだけではだめで、コンセプトをきちんと説明することが大事なんです。

・・・大巻さんの『生ずれば、消滅する』という考え方ですね。

 『生ずれば、消滅する』 という考え方が、歴史のなかにちゃんとあるということを知っているのと知らないのでは違うんじゃないかな。だから僕は、若いアーティストに歴史を勉強しろといっている。

・・・私自身も根本にきちんとした思想を持ってる作家を応援したくなります。

 彦坂さんから僕は学んだが、ギリシャの時代は彫刻や絵画は芸術のなかではいちばん下だったそうです。いちばん上はポエム。だから言葉なんです。言葉から乖離するほど下位になる。今の芸術の中心は絵画と彫刻になっているでしょ。
昔は詩に哲学があって絵画や彫刻には哲学がなかった。哲学があるもののイラストレーションとして絵画や彫刻があった。そのうち王朝が滅ぶと哲学そのものは個人の問題になった。個人の問題に哲学が降りてきたものだから、基本的に個人と哲学がくっついて今の絵画と彫刻に哲学があることになったのが真実なんです。
昔、磨崖仏に字を書いた人と字を彫る人は別の人だったそうです。字を彫る人たちは肉体労働者だったので教養がなかった。ようやく字を彫る人たちが教養を身につけて一体化したのが今の芸術だと僕は思う。

・・・ただ私は言葉も絵画、彫刻も人の体の縦軸に沿って垂直に降りて行った先にあるマグマのようなものが元になるのではないかと、表出する出方が違うだけではないのかと思っているんですが。

 僕は逆だと思う。なぜ分かれているかということを考えると、元が一つであるならば分かれる必要がない。例えば精神とか心とかあるように見えるじゃない。五感を持って生命を維持するわけだから、五感がもっとも大事な部分であって、その大事な部分の中心に抽象的な何かがあるように思ってはいけないと思う。
だから今の子供たちが何をしなければいけないかというと、できるだけ手を使ってものを作り、足を使って歩き、眼を使って何かを見、匂いをかぐ。口に入れてみる。いろいろなものを聞いてみる。
五感をできるだけ活用することが人間にとっていちばん大事なこと。中心に何かあると考えれば、五感が重要ではなくなってしまう。例えばコンピューター社会になれば、家にいれば仕事がすんでしまう。そうすれば歩くことも減るし段々と内向きになっていくでしょ。

・・・それはそうですが、私は少し考え方が違ってコンピューターに掲載する情報採取は、アナログ作業だと思ってるんです。

 君のいっていることは解かるけれども、それはものの重点の位置の問題であって、僕たちは具体的なことを抽象化して精神だとか哲学だとかいっている。それは具体的なことが抽象という濾過作業を経て情報となって精神という言葉で分離しているだけ、分離したところから抽象というのが独自性を持ってしまった。
抽象絵画という言葉があるでしょ。今は基本的に抽象絵画は意味がなくなったでしょ。それはなぜかといえば近代が抽象化ということを志向させたから、抽象化することがどういうことかといえば機械生産することなんです。

・・・機械生産ですか。

 物を機械で作ることだよ。機械化するまで人間は具象的だったんです。最近人から学んだけれども、デザインで僕たちは色見本を見るじゃないですか。赤や緑などに色分解するでしょ。でもラオスにいけば赤色といってもわからない。イチゴ色といわなければいけないんです。
具体的なものに色があるから、例えばこのチューリップのように染めてくれといえばわかる。赤色は抽象化された色なんです。なぜなら色見本は機械を前提として考えているから、カメラマンが色分解をしてデザイナーに渡し印刷する。そのときに色分解した抽象化された色が必要になるんです。すべての工場で均一なものが作れるじゃないですか。その均一という言葉の裏に抽象性があるんですよ。
だから抽象絵画は近代のなかで席捲するわけ、ところが近代がとことんまで行き着くと、中国でもどこでも赤は赤じゃない。機械化が進むと具体的な人間の意味がなくなるんだよ。だから脱近代に入って人間が悲鳴を上げている。機械のために抽象化したのに、今人間が抽象化させられている。だから個別性が失われたり、学校教育が均等化したり個別性の問題で叫び声が上がっているんです。
唯一手作りのものは美術しかない時代になりつつある。だから今美術が売れるんです。なぜかといえば付加価値があるから、付加価値は手作りだけにあるものなんですよ。アートだけが付加価値を生むから、これから資本が突入できる。

・・・美術のこれからは明るいわけですか。

 明るいかどうかは分からない。またそこで格差が生まれるかもしれない。ただ美術にその役割を担わせつつあるということをいっているんです。

・・・お話をお聞きしていて、唐突ですがだから 『提灯』 なんだと納得いたしました。

 僕は基本的にはエンターテイメント性があるのが美術だと思っているんです。ディズニーランドは子供がお金を消費する場所であって、遊んでいる場所ではなく遊ばされている場所なんですよ。逆に大人が自ら遊ぶ世界を作らないと子供は大人になりたがらないじゃないですか。
提灯を持ってきたのは、岐阜では少しづつ提灯の役目が終わって、提灯屋さんも段々減っている。それなら提灯を銀座の中心に持って来て、遊ぼうじゃないかという案なんです。要するに大人が遊ぶということ、遊びのなかから本来の価値が生まれる。それがアートだと思っているんです。
なぜ今の若いアーティストがつまらないというのかといえば、その遊びがないからなんですよ。遊びのいちばんの根本はルールです。遊んでいる人ほどジェントルマンでしょ。ゴルフのタイガー・ウッズやジャック・ニクラウスを見ていると、たかがゴルフだけれど人格者が出てくるじゃないですか。逆に日本にいますかそういう人たちが。

・・・じゃ、石川遼を育てなければいけませんね。

 そう。早くタイガー・ウッズやジャック・ニクラウスとラウンドしてみればいい。そうすればただゴルフがうまいだけではだめだと思うだろう。石川遼に可能性があるのは、インタビューがちゃんとしているじゃない。彼は育て方によっては、日本のゴルフ界を変えると思う。
問題は早く世界の一流選手に出会わせて一緒に働くこと。野球界には王がいるでしょ。王は野球界の人格者として頂点にいる。だからイチローがWBCで王のために本気になって戦ったじゃないですか。あの構造が必要なんです。『あの人のためには僕は本気でやるぞ』 という若い人が出てくれば、イチローは次の若い人に影響を与える。その構造を作っていかないとおもしろい社会ができてこないんです。
今はこの人について行こうという人がいないから、まずいと思うね。僕はそのように考えています。だから次の代に渡して行くために皆に話をしている、それに共感してくれるから、画廊の夜会に集まってくれたと思っています。

 今日はどうも有難うございました。

 山本さんから、君は普段はどうやって生活しているのと聞かれたので、『ずっとパソコンばかりを見ていて鬱状態になったので、今はスーパーで体を使ってアルバイトをしています』 と本当のことをポロリ。『体を使うことは良いことだ』 といわれたのですが、頭の方がどんどん退化しているのが現実です。オサルスの現実はこんなもんなんですよね。

東京画廊 http://www.tokyo-gallery.com

画廊の夜会 http://www.ginza-galleries.com/

関連情報 2006.11 2002.10

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